本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

自由と奴隷制の原理から覚醒するプロセスを考える:『自由への大いなる歩み』(マーチン・ルサー・キング著、岩波新書)

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キング牧師というと非暴力でアメリカ公民権運動を貫いた偉人である。
最近では、トランプ大統領の白人至上主義者的発言が指摘されたり、彼の父親が実はKKK(白人至上主義結社)のメンバーだったと暴露されるなど、米国内では改めて差別の問題が問われている。

日本国内では格差社会が常態化し、格差という枠組みの中で自由が奪われた生活が強いられた人たちは数多くいる。自由とは身体と心という、人間の本質を支える大切な要素であり、その人のクリエイティビティを支配し、その人の人生を定義づける。

そんな視点で、今回は、キング牧師の『自由への大いなる歩み』を読んでみたい。

なんか不自然だけど日常だから変えたくはないし、現状を我慢していればひとまず生活は成り立つから黙っていよう。
アメリカの人種差別は、黒人のこうした心理状況下で機能していたと、著者のキング牧師は言う。
雇い主やリーダーは白人だから、差別の原理に従って生きていけば、日常はひとまず過ごせる。
いわゆる、「奴隷は奴隷の解放を望まない」、である。
なぜなら奴隷は奴隷でなくなると、奴隷という生きるアイディンティティを失ってしまうのだから。

ガンジーの無抵抗主義の勝利という時代背景に出てきたアメリカ公民権運動でのムーブメントが、バスのボイコット運動だ。
当時の路線バスは、黒人が乗る場所と白人が乗る場所が分けられていた。
出入り口も分けられており、それを守らない黒人は乗車拒否された。
怒った黒人たちは、「バスに乗るぐらいなら歩く」という抵抗に出た。
さらに黒人たちは、大量にマイカーを持ち寄り、ボランティアの運転手を募り、それを定期的に運行し、自前の交通手段を作ってしまった(いまでいうカーシェアリングに近い)。
それを見た白人の運輸関係者は激怒し、さまざまな法規制を設けて黒人の運動を潰そうとする。

それでも運動は拡大する一方で、少しずつ、白人もその運動に加わるようになってきた。
運動は紛争に拡大し、キュー・クラックス・クラン(KKK)など白人の過激派たちは黒人を襲い、キング牧師らの自宅には爆弾が仕掛けられた。

自身や家族の生命の恐怖にさらされながら、黒人たちは徹底して非暴力主義を貫き通した。
非暴力主義と無抵抗は同一ではない。
非暴力主義とは、「暴力を使わない抵抗」であるとキング牧師は言う。
非暴力主義を通して、暴力を使う人間に、暴力とは生産性のない愚かな行為であることを自覚させる、という戦法である。
キング牧師も結局は暗殺されてしまうのだが、彼はこうした運動や、「I have a dream」というすばらしい言葉を後世に残した。

彼の年譜を見ていた。
享年39歳ということを初めて知って、驚いた。
こんなに短い人生だったのかと。
『自由への大いなる歩み』では、ヘーゲルマルクスなど、哲学や社会学に関する見解がところどころで語られている。
彼は神学と哲学を身につけたインテリである。
文体も非常に明晰で、当時の世相や自分が考えたこと、行動したことなど、非常によく書かれている。
最終章の非暴力理論は、理論と信念が切実な長文で語られ、心が打たれる。

常識や社会性への抵抗は非常識で、そして、反社会的な行動である。
非常識で反社会的な運動が、あるときから、社会性を帯びる。
そんなあるときとは、差別を受ける人間たちの自我が目覚めた瞬間である。
自我が目覚め、覚醒し、社会が変わる。
そんな歴史的瞬間を感じることができた、貴重な一冊だった。

上記が、『自由への大いなる歩み』の大枠である。

自由であるとはどういうことか、人が社会に働きかけるとはどういうことか、人がものを創り上げるとはどういうことか、こういったことに興味のある人たちには、ぜひ読んでいただきたい。そして、個人の感性で、感じてもらいたい。さらに、その感性を行動に移してもらいたい。人類が、自由と奴隷制の原理を直視しし、それを修正していく社会的プロセスが克明に描かれた、素晴らしい本だった。

三津田治夫

第3次人工知能ブームは、私たち人類に「問い」を投げかけてくれた

第3次人工知能ブームの与えた貢献は、人類の未来の可能性や利便性を高めるといった期待以前に、私たち人類に「問い」を投げかけたという点にある。

つまり、「知性ってなに? 人間ってなに? 身体ってなに?」と、AIは、人が自問自答し、人が哲学的になるきっかけを与えてくれた。「考える前に動け」の論法がまかり通っていたバブルの時代から考えると、こんな哲学的な時代が来るとは、夢にも思っていなかった。

これは、いい時代だと判断している。
哲学的な時代とはつまり、対話的な時代でもあるので。

最後に、偉大な科学者の言葉から引用する。

「重要なのは、問い続けることだ。好奇心はそれ自体に意味がある。」-アルベルト・アインシュタイン

三津田治夫

日本ロボティクス黎明期の記録② ~フロントエンド・プログラミングの新しい形~

「UXデザインワークショップ」として、2016年7月、都内でPepperプログラミングのワークショップが開催された。

「ロボット演劇」を編み出した平田オリザさんの演劇・演出の手法が、いかにPepperプログラミングに有効かが、さまざまなワークと共に伝えられた。

Pepperはこうやって人間に近づく
http://www.sbbit.jp/article/cont1/32456

かつて、フロントエンド・プログラミングといえばWebプログラミングを指していたが、しばらくしてそこにスマートフォンタブレットが加わり、いまやドローンやロボットまでもが、「フロントエンド・プログラミング」の対象とされている。フロントエンド・プログラミングの定義は、これからも日々変化していくだろう。

日本におけるロボティクス黎明期の貴重な記録として、ここに共有します。

三津田治夫

いまを予見する貴重な講演の記録。ノーム・チョムスキー教授が示す、人間のこれからあるべき姿 ~来日講演『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』に行きました~

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2014年、上智大学四谷キャンパスで、『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』(Capitalist Democracy and the Prospects for Survival)と題するノーム・チョムスキー教授の講演を聞いてきた。現代資本主義の崩壊やポピュリズム政党の出現、そして、AIが社会を取り巻く未来を予感させる、貴重な内容だった。2014年3月6日(木)の講演をここに記録し、共有する。人間のこれからあるべき姿のヒントになるはずだ。

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チョムスキー教授といえばプログラミング技術の核ともいえる「生成文法」の理論を確立した言語学者で、同時に世界平和を強く訴える政治活動家でもある。9.11のときの発言や行動を通し、もっとラジカルで激しい語り口のアナーキストと思いきや、実際には穏和で冷静に事実を語る好々爺という印象が意外だった。

1日目のテーマは言語学で、今回参加した2日目のテーマは民主主義の未来。ジョン・ロックアダム・スミスといった啓蒙思想家の話を皮切りに、新自由主義ネオリベラリズム)を冷静かつ痛烈に批判する。

チョムスキー教授いわく、『国富論』で「神の見えざる手」を説いたアダム・スミスは資本主義の礼賛者でもなんでもなく、彼ほど資本主義が没落していく姿を予見していた人物はいなかったという。その没落とは、富裕層と貧しい人の間に横たわる貧富格差の拡大で、スミスの予見していた没落は現代資本主義経済の枠組みにおいてすでにはじまっている。

世界経済に混乱をもたらした金融危機がまさにそれで、その犯人を「人類の未来よりも明日のボーナスを大事にする経営者と政治家、そして彼らの間で動くロビイスト」と指摘する。そして、高い失業率と烈しい貧富格差が常態化するアメリカ社会の現状を、「現代の奴隷制」と表現。ウォール街の金融業界を筆頭に圧倒的な富が蓄積され、一方で弱者は搾取され続けるというシステムができあがっている。そうした金融企業が倒れかかっても政府の支援で救済され、利益を手にして彼らは再び富を蓄積する。その支援に使われる原資は、他でもない、貧者から吸い上げた税金である。そして人々から自由を奪い上げる。そうした不健全な循環はアメリカを中心に世界を支配している。

講演のタイトルである『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』(資本主義的民主制と生き残りの見通し)に答える形で、チョムスキー教授は「このままでは未来の展望なし」と断言。それを避けるためには、自由に情報へアクセスできるいまこそ、個人は現状を認知し、連帯し、立ち上がること。いまこそ啓蒙の時代である。「産業革命の時代に現れた啓蒙思想に学び、行動しなさい。われわれはどんな生き物なのかと、いま、問われているのだ」、と締めくくった。

拍手喝采のスタンディングオベーションに続き、質疑応答が開始。普天間移転問題や福島の原発事故など、日本人が抱える問題への見解を巡る、さまざまな質問が飛び交った。
普天間移転問題に関しては「日本人自身の問題だから、自らの責任で解決すること」と、日本人の主体性を指摘。福島の原発事故に関しては、「東電が隠している情報の真実を知ろうとすること。また、代替発電の手段も確立すべき。ドイツにはそれができつつある。日本のテクノロジーが結集すればそれができないわけがない」と回答。
どれもこれもチョムスキー教授ならではの判断と示唆に富むものばかりだった。

私は何度も挙手を試みたが採用されず、学生さんが十分に質問してくれればそれでいいだろうと思っていた。しかし、最後の質問で幸運にもその機会が与えられた。そこで根本的なことを2点、教授に聞いてみた。
1つ目は、自由の問題。「チョムスキー教授にとって、自由の本質とはなんでしょう。自由という言葉は、日本人の間で共有できていないと感じているので。」という質問。
そして2つ目は、「そうした個人の自由を手にするためには、どういった行動と考えが必要でしょうか。」

前者に関してチョムスキー教授は、「自由とは本来誰もが生まれながらに持っているもので、それはルソーの時代から何百年も考え続けられた大問題である。自由とはつまり、他人からいわれたことでない、極めて自発的なもの。自分の意志で考え、行動する、それが自由」、と答えた。
そして後者に関しては、「他人との間に共感を生み、連帯すること。」

自由という、日常でも使われる言葉に対して明確な定義を耳にし、私は2つの両極な印象を得た。

一つは、自由とは、「大きな断絶の彼方にある。」
これを感じたのは、言葉の問題だ。「自由」という言葉を私たちは日常で使うが、その意味は欧米人との間でかなり異なる。日本人の考える自由とは、「自由気まま」や「勝手」といったものに近い。一方で欧米人の考える自由とは、個人の自由を保障する社会があり、そのために戦争や闘争を繰り返して力で得てきたもの、守ってきたもの。つまり、「自由」という言葉に対する体感がまったく異なる。

数年前、東西ドイツの統一を経験しその運動に参加していたドイツの友人に、市民参加型(民主主義なので市民が参加して当たり前といえば当たり前なのだが)のドイツの民主主義を問うたら、「日本に民主主義が入ってきてたかだか数十年。そうすぐに民主主義国家にはならないよ。ドイツの民主主義は運動や内戦を通しじわじわと時間をかけて市民に浸透してきたものだから。」といわれたのを思い出した。つまり、「自由」に対する体感が、日本人とドイツ人とではまったく異なる。彼らにおいては自由とは、身体の活動を通して手に入れ、守るものである。そうした体感が市民レベルでDNAに埋め込まれている。チョムスキー教授の発言から同様の印象を私は受け取った。

そして、その一方で得た印象は、自由とは、「すでに目の前にある。」
生まれながら持っており、自発的なものである自由は、日本人も持っている。ならば、「日本人の持つべき自由は、欧米人が持つ自由とは異なる」ということに気づく。自由が自発的なものである限り、「欧米式自由」の模倣で自由の実現は不可能だ。つまり、自由は自分で手にし、自分で守ること。かつて日本人が確立した自由へいたるメソッドの一つに「禅」がある。しかしこれは個人それぞれが持つ精神的な態度であり、西洋人の考える自由のように、個人の外部へと限りなく拡がり共有する自由ではない。あくまでも個人の自由にとどまる。これは、日本人と西欧人の宗教観の違いも起因するだろう。

しかし、自由を社会的に実現するソリューションとしての、「他人との間に共感を生み、連帯する」、という方法において、日本人はなにができるのかと考えさせられた。おそらく日本でも、SNSなどのネットの力がそれをになうのではないか。そのために個人は考え続け、対話を続けることが重要である。

しかしながら、いくら社会がフラット化しているとはいえ、ノーベル賞級の大学者さんに対面質問し、1,000円も払えばその人が書いた著作が手に入り(岩波文庫の『統辞構造論』は1,140円+税)、それをいつでもお茶の間や通勤電車の中で読むことができる。すごい時代になったものだという感動があった。時代の節目には(たとえば産業革命以降のイギリスやフランス、明治維新前後の日本など)、このようなこと(大変な人物や大変な出版物との出会い)が何度も何度も起こっていたはずである。

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講演が終了し、記念に著作を買おうと、行列の先頭に着くべく書籍販売コーナーに走った。出入り口の横で書籍販売のブースが設けられていたが、行列などどこにもなく、その場で買っているのは私一人。
あの質疑応答の熱さやスタンディングオベーションとの温度差の乖離に、ある種の肩すかしを食らったのは率直な印象である。

それにしても、素晴らしい講演だった。

チョムスキー教授、いつまでもお元気で、世界を啓蒙し続けてください!

※一部の写真はあくまでもイメージです。『統辞構造論』はまだ読んでいません。

三津田治夫

日本ロボティクス黎明期の記録①

2015年、劇作家の平田オリザさんがpepperのプロジェクトにかかわられた件を東京藝術大学豊岡市の関係者に取材し、記事にしました。

志賀直哉にまつわる古風な温泉にpepperとは、なかなか風流なものです。
pepperプロジェクトの背景やその未来まで、本ブログ管理者が以下2本の記事にまとめました。

湯煙の町にロボットがやってきた!(1)~城崎温泉pepperプロジェクト~
http://online.sbcr.jp/2015/09/004113.html

湯煙の町にロボットがやってきた!(2)~城崎温泉pepperプロジェクト~
http://online.sbcr.jp/2015/09/004114.html

日本におけるロボティクス黎明期の貴重な記録として、ここに共有します。

三津田治夫

セミナー/イベントは、共鳴と化学反応が起こる貴重な場 ~モーツアルトから得た考察~

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8月26日(土)に、本とITを研究する会第1回記念セミナー「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」(https://goo.gl/74tiZf)を開催するが、それを踏まえて、ライブイベントにはどういった意味と価値があるのか、以下、考察してみた。

以前、エーリッヒ・クライバー指揮のモーツアルトフィガロの結婚』(1955年録音)ばかりを聴いていた時期があった。1993年録音のニコラス・アーノンクール指揮『フィガロの結婚』とはまったく異なる高い臨場感に改めて驚いていた。
これは、60年前の古い録音であるからではない。
古いことが優れているのではなく、この時代に優れた録音があったのだ。

とくに近年感じるのは、音楽や演劇といったライブ舞台芸術は、観客とプレイヤーが共鳴し合いながら共に育つ、ということ。

これを念頭に入れると、60年前にはいまほどのメディアがなく(舞台芸術を再現できるメディアは劇場映画のみ)、オペラといえばライブ舞台芸術の花形である。いまではどうだろう。街に出ればシネコンがあって2000円も払えば大画面大音量ドルビーサラウンドのCG制作映画が見られるし、ツタヤに行けば数百円でDVDが借りられるし、家に帰れば(機材さえあれば)大型液晶テレビホームシアターが待っている。またCSをつければ古今東西の映画やショーなどもろもろが見放題。気に入った音楽や映像はMP3プレイヤーに切り出していつでもどこでもハリウッド映画やオペラやドラマやあらゆるショーを持ち運ぶことができる。

エーリッヒ・クライバーが活躍した1950年代にはまったく想像もつかない次元にメディアは進化し、日々ポータブル化し、多様化してきている。

メディアがポータブル化し多様化しているということは、それだけ、作品の与え手と受け手の間で、メディアを介したやり取りが多くなったことを意味する。言い換えると、メディアを通したやり取りの多さに反比例して、作品の与え手と受け手の間でリアルタイムに発生する「共鳴」の機会が少なくなった、ともいえる。つまり、「ライブで」作品に触れられる割合が相対的に減ってきているのだ。

受け手(聴衆や観衆)はメディアを介して作品に接する機会が増えたことで、さまざまな姿勢や感情をもって何度でも自由に作品に触れることができる。しかし一方で、作品の与え手(プレイヤー、アーティスト)が持つチャンスは、録画の一回限り、録音の一回限り。メディアを世に送り出す一発勝負だ。つまり、作品の与え手は、メディアを通したある時点で、自分の作品を「固定」しなくてはならない。受け手には、メディアに接し、その都度自由な解釈や楽しみ方が許されているにもかかわらず、である。さらに掘り下げると、作品供給者としての「作家」は、楽譜や台本、原稿といったメディアをプレイヤーに提供する。そのメディアもまた、「固定」されている必要がある。

このように、メディアとライブとの間には大きな断絶があり、リアルタイムでの共鳴の余地はほとんどない。ゆえに作品の与え手は、固定されたメディアを作るべく、受け手との「共鳴を想像しながら」作品を構築せざるを得ない。これは、メディア作りの宿命である。

60年前のオペラの聴衆は、オペラに深い感動を受け、心躍らせ、プレイヤーはそれにリアルタイムで共鳴して演技や演奏の技能を高め、高いパフォーマンスを舞台に送り出した。エーリッヒ・クライバー指揮の『フィガロ』は古いから優れているのではなく、「聴衆との共鳴」があるから優れているのである。似たような例は、メンゲルベルク指揮のバッハ『マタイ受難曲』がそう。第二次世界大戦中オランダで録音された古い作品だが、聴衆のすすり泣きまでが音源に入った名演だ。これもまた、「聴衆との共鳴が創り上げた名作」にほかならない。

与え手と受け手との共鳴を失った作品は、もはや作品ではない。
だからこそメディアへの作品の与え手は、つねに、「受け手との共鳴を想像し、作品に織り込みながら」作品を構築する必要がある。

ビジネスやサービスといった「作品」も、これとまったく同じ。「受け手との共鳴をイメージし、織り込みながら」作品(ビジネスやサービス)を構築(制作、製作)する必要がある。
となると、受け手との共鳴をイメージするための材料が必要になる。その材料は、多ければ多いほどよい。

最も価値の高い材料は、受け手との相互接触だ。古くは電話やハガキがあり、いまではネットでのアンケートや窓口がある。しかし、ハガキや窓口もリアルタイムの「共鳴」を失ったメディアにすぎない。

最も価値が高く、情報密度の高い相互接触は、ライブである。最高の作品を世に送り出したエーリッヒ・クライバーメンゲルベルクの指揮は、ライブでのリアルタイムな聴衆との相互接触、相互共鳴の成果である。作品は、受け手とともに育つ。

同じように、ビジネスやサービスにも、ライブによるリアルタイムの相互接触、共鳴は、価値を育てる。ビジネスやサービスの価値は、受け手との対話によって育つ。

作品としてのビジネスやサービスの価値が参加者と共に育つことを夢みつつ、その場で共有した一期一会を、貴重な贈り物として、大切にしたい。

三津田治夫

原爆投下日にあたり、ビキニ環礁で被爆した大石又七さんの講演メモ

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72年前、1945年の明日、8月6日、午前8時15分、核兵器が人類に初めて使われた。広島に原爆が投下された日時である。

それから9年後の1954年、ビキニ環礁で操業中の漁船、第5福竜丸が米軍の核実験に巻込まれ被爆した。

その模様と後日談は『ビキニ事件の真実――いのちの岐路で』(大石又七著、みすず書房刊、http://amzn.asia/60rX7Sm)に克明に記されている。丁寧に書かれた質の高い書物なので、一読をお勧めする。

2011年、原発事故の起こった東日本大震災の年の夏、埼玉県草加市立中央図書館において、ビキニ環礁被爆したその著者であり第5福竜丸の元乗組員、大石又七さんの講演に参加した。原爆投下日にあたり、そのときの短いレポートをここでお届けする。

ビキニ事件で亡くなられた乗組員の死因はすべて毒素の分解器官である肝臓のガンもしくは肝硬変であった。大石さんも肝臓ガンや肺腫瘍などを抱え、32種類の薬を飲みながら生活している。被爆の当事者であるご本人の発言は非常に重く、またご本人の柔らかい物腰と口調には物静かな気迫があった。

1954年の被爆の当時、「体になにが起こっているのか誰もわからない」という状態だったと大石さんはいう。出てくる症状に医師は対症療法を繰り返していた。

大石さんは当時を振り返り、こういう。「ビキニ環礁であれだけのことが起こっていたのに、科学者や政治家が調査に足を運ぶことはなかった。ビキニ事件が詳細に調べられていたら、日本に原発など作れるはずはなかった。なんで同じ過ちを繰り返すのか」と。

震災による原発事故に関し、ご自身の苦しい体験を通じて「ビキニ事件のときもそうだったが、人はメディアの言うなりで事実を知ろうとしていなかった。それが問題」という。

「科学者や政治家だけでなく、皆が、”いまなにが起こっているのか”を知り、調べ、伝えることが大切。過去にこれを怠ったことで、同じ過ちが繰り返された」とも。

言い方が悪くなってしまうが、大石又七さんは負の人間国宝として守られるべきだ。原爆ドームや資料館を残すことも大切だが、生き証人が語り部として、あってはならないことを伝え継ぐことこそ、本当の平和や安全の意識が人々の中に植え付けられるのではないか。大石又七さんの講演は、そう、私に強く思わせた。

三津田治夫