本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナー・レポート:4月25日(水)開催、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」(後編)

前編からの続き)

顧客の「課題」と「ジョブ」をあぶり出した例として、「ミルクシェイク」が取りあげられる。ミルクシェイクという一つの商品でも、顧客の置かれた状況や属性により、その意味あいはまったく異なってくる。たとえば車で通勤するビジネスパーソンにとって、渋滞時の退屈と空腹という問題を解決するために働いてくれるものがミルクシェイクである。この顧客に対してはストローを細くし粘度の高いミルクシェイクを提供することで、退屈と空腹への問題解決を同時に提供し売上を伸ばすことに成功した事例がある。

◎ミルクシェイクの物語f:id:tech-dialoge:20180511143330j:plain

また同じビジネスパーソンでも、休日には父親や母親になる。そのときには、子供にミルクシェイクを買い与える優しい親になるという、新たなジョブが発生する。ここで演じられるミルクシェイクの役割はもはや退屈と空腹への問題解決ではない。顧客は子供にミルクシェイクをさっと与え、遊びに連れて行きたい。その欲求を満たすためのジョブとして、ストローが太く、粘度の低いミルクシェイクを提供する。

◎ビジネス化までの具体的なプロセスf:id:tech-dialoge:20180511143421j:plain

イノベーションを支える3大理論の後者2つ、「リーンスタートアップ」「ジョブ理論」からもわかるように、顧客の置かれた特定の状況や本当の望みはつねに可変で、顧客を「20代男性会社員」「30代主婦」という定量的なレベルで把握することはできない、ということである。そういった文脈中では次々とアイデアを生み出すことが必然となり、それには「選別」ではなく、発見したタネから育てあげる「育成」が最も効果的である。

「ミッション」「ビジョン」という、大きな未来とそれを実現するための方法を明確化し、組織内で共有、課題解決のための仮説検証を繰り返し、タネが見つかったら市場にリリース、成長させていくというサイクルを繰り返す。これが、イノベーションの理論に則った事業の作り方である。

研修では2日間でプロトタイプ作成までを実施
最後に、産業技術大学院大学の研修の模様も紹介された。「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに掲げ書店チェーンを復興させるというストーリーで、社長によるミッションの伝達から研修がスタート。30人の生徒さんたちはその実現のために各自がやりたいことを表明した。類似の思いを持った生徒さんたちごとに5チームに分かれ、顧客の持つ現実とのギャップを未来への願望から現在の願望へと落とし込んでいくバックキャスト法を使い、顧客像をあぶり出していった。

◎研修で行われた、ビジョンとギャップの抽出f:id:tech-dialoge:20180511143516j:plain

顧客像のあぶり出しには、各班一人ずつ生徒さんに顧客役になってもらい、デプス・インタビューを実施。デプス・インタビューには慣れとコツが求められるが、「いつ?」「だれ?」「どこ?」「どう?」という、過去の事実にのみ焦点を当ててインタビューするという、基本的なポイントを学んだ。

◎ターゲットを決めてインタビューを実施f:id:tech-dialoge:20180511143602j:plain

その間にさまざまな情報が集まり、出てくるアイデアも膨大になる。それを事業に落とし込むまでには「発散と収束」により、膨大な数のアイデアをメンバーどうしで精査、現実レベルに収束させていくという作業を繰り返した。

スターバックスのビジネスモデル・キャンバスの例f:id:tech-dialoge:20180511143654j:plain

ビジネスモデルは「ビジネスモデル・キャンバス」に書き出す。それに則りプロトタイプ化し、市場にリリースする(研修ではプロトタイプ作成まで)。ビジネスモデル・キャンバスはビジネスを取り巻くさまざまな状況を簡素に体系化できるツールである。スターバックス・コーヒーを例にあげれば、安心が欲しい人に提供する場として、同社はバリスタという技能を持ったスタッフが香り高いコーヒーとおもてなしという価値を提供する。その実現のため人材育成にコストをかけ、高い商品価値を維持する。これらは一つも欠かすことができず、すべては体系をなしている。同じコーヒー・ショップでもドトール・コーヒーは真逆のビジネスモデルを持っている。これら体系の相違や類似を可視化し事業開発の羅針盤とするツールがビジネスモデル・キャンバスである。

イノベーションの理論と手法で、次々と事業が生み出される可能性は高いf:id:tech-dialoge:20180511143745j:plain

産業技術大学院大学の研修ではこのような流れで学びが続き、机上から数多くのビジネスが生み出された。その模様の詳細は以下にエントリーがあるので、こちらをごらんいただきたい。

セミナーレポート:2月24日(土)、産業技術大学院大学オープンキャンパスイノベーションと学びを共有(ワーク1日目)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/01/211028

セミナーレポート:「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに、書店復興事業のアイデアを構築(ワーク2日目・前編)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/07/220424

セミナーレポート:「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに、書店復興事業のアイデアを構築(ワーク2日目・後編)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/09/124450

*  *  *

研修後にアップデートされた内容も含め、2日間にわたる研修のダイジェストとして「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」を終えた。いままさに進化を続ける、最新イノベーション理論の一部である。この研修の1日版も目下開発中である。研修がリリースされたころには、さらにイノベーションの理論は進化し、より使いやすくなり、事業により多くの成果が生まれているはずである。

◎参考図書
『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(クレイトン・クリステンセン著、翔泳社刊)

『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』
(クレイトン・クリステンセン、タディ・ホール、カレン・ディロン、デイビッド・ダンカン著、ハーパーコリンズ・ジャパン刊)

『リーン・スタートアップ』(エリック・リース著、日経BP社刊)

三津田治夫

セミナー・レポート:4月25日(水)開催、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」(前編)

4月25日(水)、ビリーブロード株式会社神田イノベーションルームにて、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」が開催された。
このセミナーは今年の2月と3月に産業技術大学院大学で2日間延べ14時間にわたり開かれたオープンキャンパス研修のダイジェスト版としてプログラムされたものだ。

ビジネスを取り巻く「スタートアップは楽、成功は困難」という現実
スピーカーは産業技術大学院大学でも講師を務めたビリーブロード株式会社取締役小関伸明氏。
昨今、無料の高機能APIが利用できたり格安なレンタルオフィスが利用できるなど、低コストで新規事業を立ち上げる環境が整う一方で、立ち上げた事業を成功させることが日増しに困難になってきている。予測不可能で先が読めないVUCAワールドの中、企業は、顧客がなにを欲しいのかがわからない。同様に顧客自身も、なにを欲しいのかをわかっていない。テレビが4Kから8Kになろうがタウリンが1000ミリグラムから2000ミリグラムになろうが、そこから市場を動かすヒット作が生まれることはごくまれである。1970年代からバブル崩壊にかけて、数値や性能の比較において商品価値が判断された「比較の時代」は終わってしまったのだ。

◎講義をはじめる小関伸明氏f:id:tech-dialoge:20180509111713j:plainそのような価値体系の転換をいかに捉えるかという、企業にとっての、手探りの時代に突入した。社内ではアイデアコンテストが開かれるなど新規企業を後押しする体制を作ろうとするが、既存の売上規模をどのようにしてリプレイスするかが追求され、事業計画のゴールが予算や計画の遵守へとぶれ、あれもやりたいこれもやりたいで他社からの周回遅れになったりなど、さまざまな要因で新規事業の立ち上げは頓挫する。立ち上がったとしても、顧客の求めるものとのギャップが露見し事業が中止となるという、残念なケースが少なくない。このようなジレンマを解決する策として近年実績をあげてきているのが、1990年代にハーバード・ビジネススクールのクリステンセン教授が提唱した「イノベーション」の理論である。

イノベーションの理論とは、事業開発において前出の「比較」や「リプレイス」「予算や計画を守る」というキーワードからは縁遠いものだ。一言で言うと、「顧客」とそれを取り巻く「状況」に焦点を当てる事業開発の考え方だ。ここで市場といわず「状況」といったのは、市場のような従来の価値基準で可視化できるものは顧客の周囲に存在せず、そこにあるものは顧客の心理状態や生活状態など、定量化・可視化困難な内面的なものも含まれた状態であるからだ。

日本の企業でも、イノベーションの理論に則り既存のものを伸ばすことと、新しいサービスを生み出すことの双方をマネジメントして成功した事例が数々ある。顧客に最も近いメンバーに決裁権を委譲することで新しいサービスを生み出すことに成功した「はとバス」や、顧客理解を徹底することで個人売買の精神的不安を解消することに成功したメルカリなどがその代表例だ。

成功した企業はいずれも課題は顧客に、つまり、課題は現場にあるという徹底した現場主義が貫かれている点が特徴である。

イノベーションの理論を支える3つの基盤
顧客ニーズが複雑化したからこそ、顧客の中に入って顧客のためのサービスを開発していく、という考えを体系化したものがイノベーションの理論である。これは社会心理学や「もの作り」などさまざまな知見で構成されているが、理論の土台を支える大きなものとして「デザイン指向」「リーンスタートアップ」「ジョブ理論」の3つがあげられる。

◎顧客の視点で問題解決する「デザイン指向」f:id:tech-dialoge:20180509111805j:plain

「デザイン指向」では、顧客に対する観察と共感が重視される。そのために初期のターゲット設定が重要になる。事業提供者が顧客になったつもりで問題解決のアイデアからプロトタイプをつくり、リリースするという手順を追う。その名のごとくデザインの理論から出てきた発想で、プロダクト作りに向いている一方で初期に顧客が設定されていないと話が進まず、プロセスを動かすのに高い感受性とセンスが求められるなど、ハードルは決して低くない。

◎仮説検証を繰り返すリーンスタートアップf:id:tech-dialoge:20180509111848j:plain
2番目の「リーンスタートアップ」は、小さな事業の仮説検証を繰り返し、仮説に妥当性を発見できたらそこから事業を育てていく事業開発の考え方だ。アイデアは正しいのか、課題は本当にあるのか、ビジネスモデルは正しいのかを徹底検証し、ある段階でMVP(Minimum Viable Product)という実用最小限の機能を持ったプロトタイプを作成してリリースする、という作業を何度も回していく。その間の仮説に引っ張られることを防ぐために、「ミッション」と「ビジョン」の設定は最も重視される。行動の前に双方を設定することで、迷走せずに成果達成までの道のりを歩む。これは元々、リリースと修正を繰り返しながら品質を上げていくソフトウェア開発手法の「アジャイル」やトヨタ生産方式からきているスタートアップ技法で、事業開発の手法ではいま最もポピュラーである。

◎「人はドリルが欲しいのではない」の、ジョブ理論の比喩f:id:tech-dialoge:20180509111929j:plain

最後の「ジョブ理論」は、「ジョブ」というキーワードに着目したもの。「人はなんらかの問題解決のために商品やサービスを雇用する」という理論である。顧客に雇われた商品やサービスは顧客の問題解決のために働いて(ジョブ)くれる。顧客の表面的な属性や行動ではなく、全体的かつ深層的なものに光を当てることで、顧客の持つ「課題」とそれを解く「ジョブ」を緻密にあぶり出していく。そのためにはもっぱら、年齢や性別などの定量的な情報を仕入れるのではなく、一対一のデプス(深い)・インタビューから定性的な情報を掘り起こしていくという手法が用いられる。

後編に続く)

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(4) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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前回からの続き

 本人にとっての最大の問題、結婚に関する記述が続く。
 次では、父・自分・結婚の関係を、「牢獄」という言葉で比喩している。

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 譬えてみれば、牢獄につながれているのに、逃亡の意図ばかりか--これだけならもしかすると達成できるかもしれませんが--さらにそのうえに、しかも同時に、牢獄を自分用の別荘に改造するという意図をもつようなものです。だが、逃亡すれば改造はできないし、改造していれば逃亡はできないはずです。父上にたいして独特な不幸な間柄にあるぼくが自立するためには、できうれば父上と全然無関係なことを、何かやらねばなりません。結婚は最大の行為であり、このうえない名誉にみちた自立性を与えてくれますが、しかし同時に、父上と最も密接に関係してくるのです。
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 「逃亡すれば改造はできないし、改造していれば逃亡はできない」とは、いかにもカフカっぽい表現だ。

 父親から支配された精神構造から逃避しつつ、その精神構造そのものを改造してしまおうというのは両立させることはまずできない。結婚により父親から離れ精神構造を変えていくのもよいが、結婚という行為自体が「父上と最も密接に関係してくる」のだから、これにより父親から離れることも精神構造も変えることもできない。

 従ってカフカにとって結婚にはいっさいの自由がない、「牢獄」ということである。

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 ぼくにとって結婚は、それがまさにあなたの固有の領分であるために踏み込めない、遮断されたものになってしまいます。ときおりぼくは、世界地図が拡げられて、それをおおい隠すように父上が身体を伸ばしておられる様子を想像します。ぼくの人生にとって問題になりうる地域は、あなたの身体がおおい隠していない、あるいはあなたの背丈では届かない部分だけかもしれないではありませんか。しかもそれは、ぼくが父上の巨大さについて抱いているイメージにふさわしく、ごくわずかの、あまり愉しそうではない辺境でしかなく、とりわけ結婚という沃野はそこにはないのです。
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 「あなたの固有の領分」とは、父親の"家長である"という領分を指す。
 父親が家長の模範となって家長を体現していて、父親は家長としてのおいしい部分も根こそぎ持っていってしまっている。だからカフカには家長になる気がないし、なることもできない。
 結婚という人生の問題が介入することで、カフカという個人の人格が、父親に一気に覆い隠されてしまう。

 最後に、カフカは結婚を受け入れられない理由として、次のように結論づけている。

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 ぼくの結婚にとって最大の障碍となっているものは、ぼく自身のうちにある、もはや抜きがたいひとつの確信なのです。すなわち、家庭を持つためには、ましてそれを維持するには、ぼくが父親において認めてきたすべての性質が必要なのだ、それも良い面も悪い面も全部ひっくるめて、父上のなかで渾然と融合されていたようなかたちで、絶対に必要なのだという確信です。
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 つまりカフカは、"父親になりたくない"。

 自分の父親を通して、嫌というほど"父親"を見せつけられてしまった。そうしたものに自分はなりたくない、というのがカフカの本心である。

 父親から数々の横暴を受け、また父親の人格的な屈折も目にして、「ぼくはそうなりたくないから家庭は持ちたくない」という。この点で、カフカの現実逃避であるということもいえるし、もう一つ言えることは、カフカはとても優しい人間だということ。

 親から暴行を受けた人間は、子供を持つと、多くの場合自分が受けたような暴行を子供にも与えるという。

 しかしカフカのような極度に想像力の高い人間は、「自分はそんなことごめんだよ」と、家庭を持つことを拒否する。

 最もよいのは「自分はひどい目にあったから子供には優しくしてやろう」だが、カフカ流の優しさでは「自分はひどい目にあったから自分は家庭を持たない。息子から人格を奪う父という存在にはならない。」という結論を持つにいたった。

 その優しさゆえに、『父への手紙』を読んでいて改めて感じるには、カフカはいつも「やられっぱなしのいじめられっこ」、という印象を受ける。

 作品の中でも主人公はいつもやられっぱなしである(代表作の『変身』『城』『審判』がそう)。

 『変身』を例に取れば、グレーゴルは変身したことで最後に喜びを見いだすわけでもなく、悲惨な状況に喜び浸るわけでもなく、ザムザ一家に天罰が下るわけでもなく、最後に天から救われるわけでもなく、グレーゴルはころりと死んでしまう。ただ、やられっぱなしなのだ。

 それをカフカ流のリアリズムと評する向きも多いが、私は『手紙』を何度か読んでいるうち、非常に気になる一文に突き当たった。
 次に引用する部分がそれだ。

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 母が重病にかかった折り、あなたが身を震わせて泣きながら、本箱にしがみついておられたときもそうでした。あるいは、つい最近ぼくの病気中も、あなたはそっと隣のオットラ(カフカの妹)の部屋までぼくの容体を見にきて、敷居のところに立ち止まり、ベッドのなかのぼくを覗こうと首を伸ばし、気遣いから手だけを振って挨拶なさった。こういう時、ぼくはやすらかに体を伸ばし、幸福のあまり泣きました。こうして書いている今も、再び涙がこみ上げてくるのです。......
 ......しかし、こうした優しい印象もまた、長い目で見ると、かえってぼくの咎の意識を増大させ、世界をぼくにとっていっそう不可解なものとする結果になったのでした。
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 カフカには、受け入れがたい恐怖と嫌悪を持つ暴君としての父親と、一方では、妻や息子(カフカ)の容体を気遣い、息子に涙ながらの幸福感を誘う優しい父親という、二人の父親がいる。『手紙』の中で"唯一"見られた、父親についてのポジティブな記述だ。

 このことをカフカは「世界をぼくにとっていっそう不可解なものとする結果」と自己分析しているが、私が思うのは、カフカが容易に受け入れられないこの世界に対して優しさを持って接することができたのは、父親への恐怖と嫌悪の一方に、「愛」が共存していたからではないか。

 愛憎とはこのことをいう。

 「愛の反意語は憎悪でなくて無関心」とマザーテレサが言ったように、愛と憎は反発するものではなく、同居する。

 幼児虐待を受け続けても親を加害者と思えない子供がいる。そうした子供は一生親の虐待を隠し続ける。逆に、虐待を受け続けた果てに親を殺してしまう子供もいる。
 双方の違いには、親子に「愛」があるかないか、ではないだろうか。

 父親から虐待を受け続けていたのであれば、ドストエフスキーの小説のように作品中で父親を殺したっていいではないか。しかしカフカはそうしない。

 グレーゴルを直接死に追いやったのはグレーゴルの父親が投げたリンゴの一撃だった。だからといって、父親は殺されたり、より強い力に罰せられたりということもない。

 カフカの父親への愛がそうさせた。

 かといって、作品中でもっと弱い者にやり返して復讐を遂げる、ということもカフカはしない。

 これはカフカの自己愛とともに、世界への愛や望みがそうさせたのだ(そもそも、世界に対してどこにも愛がない人間が大作家になれるはずはなかろうが......)。

 カフカはとことん冷たい作家だと私はずっと思い続けていたが、『父への手紙』を読んで初めて、カフカ流儀の愛と優しさを理解することができた。

 カフカの作品を不条理文学という面から見てみれば、カフカは現代のシステマティック(個人が意図しない、システム的)な「いじめ」を先取りした作家でもある。

 政治家のトップが弱肉強食という野生動物の原理を人間社会に当てはめようとしたり、国民に向かって自己責任という単語を使い出したりしたことで、ここ日本でもいじめが社会的に正当化されつつ(すでになっている?)ある。

 これに伴って貧富が開き、世界的な経済危機と相まって、自殺や犯罪が爆発的に増加した。生きていくだけで精一杯の貧困層だけではなく、食べるのに不自由のない者までが自殺をしたり、犯罪に手を染めたりをしている。

 人間を生かすために人間が開発したシステムが、人間を殺している。

 これは金銭という物質の問題だけではない。人がシステムに圧倒されて、人の目が愛を感じられなくなってしまったからではないだろうか。

 「カフカは天才だから独特の感受性を持っていて、その強靱な精神で過酷な環境下を強く生きていけたのだ」、という人もいるかもしれない。

 しかし私はそう思わない。人間は感受性の振り向けようで、いくらでも愛を感じることができる。これこそが人間が本能として生まれながらに持った知恵だ。

 知恵を使って世界から愛を感じれば(暴君から父子愛を感じ取ったカフカのように)、自殺をするほど追い詰められたり、嫉妬や恐怖心で犯罪に走ったりする人は減る。自分の置かれた立場で、最大のパフォーマンスを発揮し、十分に生きていく方法を発見することができる。

 カフカほど読み手により百様の解釈が許される作家はなかなかいない。娯楽小説として楽しんでもよいし、手紙と引き合わせて作家の人間性や生き方を想像しながら読んでみてもよい。その意味でも、カフカの作品は多くの人に読んでいただくことをお勧めする。

(以上『父への手紙』の本文は、新潮社版『決定版カフカ全集3』飛鷹節訳から引用)

*  *  *
 

4回にわたってカフカ作『父への手紙』を掲載した。
このエントリーのオリジナルは、2010年9月13日からサイト『心との対話、技術との対話』(現在閉鎖)に掲載したもので、2013年に長野県丸子修学館高等学校演劇部が演じた、カフカの生涯を扱った戯曲『K』の底本として、頭木弘樹さん著の『絶望名人カフカの人生論』と共に使われることになった。

◎『K』の掲載された『季刊高校演劇』f:id:tech-dialoge:20180506164814j:plain

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『K』は、2013年8月2日~4日に長崎市で開催された「第59回全国高等学校演劇研究大会」で文化庁長官賞の優秀賞を受賞し、同8月24日、東京国立劇場において、24回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演での上演を果たした。そのときの模様は、以下YouTube動画で観ることができる。

YouTube「2013 青春舞台 長野県 丸子修学館高校」
https://youtu.be/tKt-s2lasgs

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(3) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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 前回からの続き。

 職業と学問に関しては期待を持つべきではないという将来への予見を持っていたが、結婚の意義と可能性に関してはそうでなかった。なんとかなると思っていたから、カフカはたびたび結婚を試みた(が、残念ながらすべて婚約破棄の結果になる)。

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 なにしろすでに、小さな子供の頃から、学科専攻と職業については明瞭な予感をもっていたのです。ぼくは、そこから自分に救いが与えられることなど毛頭期待しませんでした。この点ではとっくに断念していました。
 これに反して、ぼくがまるで先見性をもたなかったのは、自分にとっての結婚の意義と可能性にかんしてです。
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 ここからカフカは自身の結婚観を語り出す。

 カフカは恋人と長続きせず、関係が進展したと思えば結婚寸前で毎度破談となる。

 彼の人格がそうさせたというよりも、むしろ、彼を取り巻く父親の目に見えない支配が無意識裏でそうさせていた。

 手紙では次のように書かれている。

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 父上の教育の副産物として述べたあらゆるネガティヴな力、つまり虚弱さ、自信の欠如、咎の意識などが、憤りとないまぜになって凝集して、しかもものの見事に、ぼくと結婚とをさえぎる遮断線となったのですから。
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 カフカは少しずつ、自分の結婚観と父親との関係をひもといていこうとする。

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 結婚し、家庭を築き、やがて生まれてくる子供たちをすべて迎えいれ、この不安定な世界のなかで護り、さらにはすこしだけ導いてやること--ぼくの確信するところでは、これこそひとりの人間にとって無上の成功です。
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 彼もまた社会的な結婚観、つまり家庭を築き子供を養い、引っ張っていくということに、「無上の成功」を見出している。しかしそれはできない、と彼はいう。

 この辺から結婚を巡って微妙な話になってくる。

 文脈から、カフカが父親に性的な事柄を質問したことが読み取れる。

 以下、少しわかりづらい話であるが、引用する。

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 そして父上と話すときたいていそうだったように、どもりながら、例の関心事について話しはじめました。......ところが父上は、いかにも父上らしくごく単純に受けとめ、どうすれば危険なしにその方面のことをやっていけるか、ひとつ忠告してやれるのだが、と言われただけでした。たぶんぼく自身、まさしくそういう返答を引き出したかったにちがいないのですが、そしてまたあの返答はたしかに、肉料理をはじめいろいろな御馳走で栄養過多になり、ほかに身体を使うこともなく、永久に自分のことだけにかまけている少年の性欲に応えるものだったのですが。しかしそれを聞いたぼくは、ひどく体面を傷つけられました。......
 ......それは一方では、ひとを圧倒するような率直さ、いわば太古の原始性をもっていますが、他方ではいうまでもなく、教えの内容そのものからすると、きわめて近代的な無謀さを持っています。
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 「あの返答」とは、カフカが「例の関心事」を、16歳のときにどもりながら話した際に父親から聞き出したものだ。手紙が書かれた当時の36歳からさかのぼること20年前の話になる。
 そのときの父親の発した「あの返答」が、20年来のショックになっているというのだ。

 さらに読んでみる。

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 「彼女は、どうやら選りすぐりのブラウスを着ていたらしいな。プラハユダヤの女たちは、その点はよく心得ている。それにのぼせて、おまえはもちろん結婚を決意した。......わたしにはおまえが判らんね。大の男が、それも都会暮しをしていて、行きずりの女と出会いがしらに結婚するなどという知恵しか出ないものかね。ほかにいくらでも可能性があるではないのかな? もし気遅れしているのなら、このわたしがついて行ってやってもいい」あなたはもっと詳細に、明確に話されたのですが、こまかな点まではもはや記憶していません。
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 「 」内は父親の発言だ。父親は息子が彼女と結婚したがっていることに理解を示さない。
 さらにこう続く。

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 ぼくについて従来から抱いていた総合的判断にもとづいて、このうえなく厭らしく、野卑で、滑稽なことを薦められた。
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 カフカは父親から、「結婚以外の女との関係」を勧めたことがわかる。

 文脈から察するところ、「もし気遅れしているのなら、このわたしが("商売女を買いに行くのに"、もしくは"一夜限りの愛人の獲得に")ついて行ってやってもいい」という意味に取れる。

 いままでの父親からのカフカのあしらわれ方から判断すると、「ちょっと女に惚れたからって結婚までしなくていいだろう。都会なんだからいくらでも女は手に入る。そもそもおまえに結婚など無理なんだから」という意味合いの「このうえなく厭らしく、野卑で、滑稽なこと」を父親が口にしたのは間違いない。

 この『父への手紙』が、恋人との結婚を父親に反対された直後に書かれたということからも、息子としてのカフカが得た心の傷と悲しみは計り知れないほど深いことがわかる。

 そこまで父親から言われてしまうと、カフカのいう次の記述には納得がいき、読む者は同情を隠しきれない。

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 すなわち、ぼくがあきらかに精神的結婚不能者だということです。それは現実には、結婚を決意した瞬間からもはや眠れなくなり、昼夜をたがわず頭がほてり、生きているというより、絶望してただうろついているだけ、といったかたちで現れました。こういう状態を惹きおこしたのは、いわゆる心労ではありません。......不安、虚弱、自己軽蔑などによる漠然とした抑圧がそれです。
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幼児期からとことん父親に抑圧されてきたカフカは、不安と自己軽蔑にさいなまされた「精神的結婚不能者」である。彼はそのように自虐的な評価を下している。

(全4回、次回に続く

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(2) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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前回からの続き。

 敏感な子供心は大人の矛盾をキャッチする。
 しかしそれを言葉で口にすることはできない。
 カフカの精神的プレッシャーは高まる。

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 「口答えはやめろ!」という嚇しと、そのさいに振りあげた手とは、すでに幼児期から付きまとっていました。......しかしやがてあなたのまえでは考えることも話すこともできなくなったため、ぼくはついに沈黙しました。
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 たび重なる恐怖心から、カフカは自己防衛のために「沈黙」というテクニックを身につける。

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 ぼくは完全に黙りこみ、あなたからこそこそと逃げ、あなたの勢力がすくなくとも直接には及ばない所まで離れてから、ようやく身体を伸ばそうとしました。だが、そこにも、あなたが立ちはだかっておられた。
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 父親の暴君的な人格が災いしているのか、あるいは息子への大きな期待がそうさせるのか、はっきりしないが、カフカ自身が言うように、父親は人格的に問題がある。

 たとえば、カフカがあることに夢中になってそれを報告しようと家へ飛んでいくと、父親はなにを意図してか、「もっと素晴らしいものだって見たことがあるよ」「もっとましなもの買えよ!」などと息子の否定にかかる。

 暴君であればあるほど、その人の恐怖心は人一倍強い。その恐怖心とは、自分の手から権力が離れていってしまうというそれだ。あらゆる手段を使って暴君は権力の保持に努める。

 暴君としてのアイディンティティ(権力を持っているという)を保つために父親は子供を否定するのだろうか。親子の間で一種猟奇的なこの心理は容易に理解できない。

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 ぼくが何かあなたの気に入らぬことを始めると、あなたはきまって、そんなものは必ず失敗すると嚇しました。そう言われてしまうと、あなたの意見にたいするぼくの畏敬がじつに大きかったので、時間的には先のことであるにせよ、失敗がもはや避けられないものになってしまうのでした。ぼくは、自分の行為にたいする自信を失いました。
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 これは作家の父との物語としてだけではなく、「どうしたら子供にトラウマを作れるのか」という反面教師を学ぶ教育論としても読める。

 読み続けるとカフカが可哀想になってきてしまう。カフカは40代で早死にしてしまうものの、よくも立派に生きてきたものだ。

 そこで、彼を生き延びさせたキーワードがある。次の文に隠されている。「逃走」である。つまり彼は内面的な逃走(精神内にもう一つの現実空間を構築する術)により生きることができた。それがのちの創作へと発展する。 
 
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 こうしてぼくは、不機嫌で、不注意で、不従順な子供になり、つねに逃走を、たいていは内面的な逃走をこころがけたのです。
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 カフカは自分が生き延びる方法を発見できたので、ある意味不幸中の幸いだったと言える。ここまで人間追い詰められれば、高い確率で人生に破綻をきたす。

 先を読み進めてみる。

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 あなたが実際にはぼくをほとんど一度も殴らなかったこと、これもまた事実です。しかし、あなたが怒鳴り、顔を真っ赤にして、いそいでズボン吊りをはずし、いつでも振りまわせるよう椅子の背にかけておかれるのは、ぼくにとって、殴打よりもっとひどいことでした。まるで絞首刑を申し渡されるようなものです。それで実際に吊されるものなら、すぐ死んで、なにもかも過ぎ去りましょう。ところが絞首刑のすべての準備に立会わされ、綱が顔のまえにぶらさがってきたところで、はじめて恩赦を知らされるのでは、生涯その恐怖に苦しみつづけることになりかねません。
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 「実際にはぼくをほとんど一度も殴らなかった」と言うように、恐怖は精神的なものであることは明らかだ。人一倍感受性が強いカフカは、否定され、自信を踏みにじられ続けた経験から、自分の精神の中に監獄を作ってしまった。

 いうなれば彼は、父親の存在により自我が構築した精神的監獄の囚人だ。

 前半は、カフカの幼児期という過去の事柄が手紙のテーマであったが、後半は、カフカの職業や結婚に関する父親との関係が語られている。

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 ......あなたが店で怒鳴り、罵倒し、激怒するのを聞き、見たのです。それは当時のぼくの子供心には、世界中にまたとない荒れようと映りました。あなたはまた、ただ口で叱るばかりでなく、他の暴君ぶりも発揮しました。たとえば、あなたが思っているのとはちがう商品を取違えて差出そうものなら、あなたはとっさにそれを陳列台から払いおとし--その場合あなたの怒りの無思慮さだけがわずかに救いでした--番頭が拾い上げねばなりませんでした。
 ......結局ぼくは、こうしてほとんど商売を恐怖するところまで行ったのです。
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 カフカの父親は小間物商として従業員を何人も使っていた。本人は丁稚から入って腕一本で食べていけいるところまでのし上がってきたのだから、そうしたワンマン経営者にありがちな傲慢さは自身の働きぶりにもついつい出てしまう。

 たとえば、社長にボールペンを持ってこいと命令されて、部下が間違えてシャープペンを持ってきたらその場でそれを投げつけられてしまうようなものだ。

 投げなくったっていいだろう。嫌な社長である。こういう人と積極的に働きたいという人はまずいない(個人的にもこういう人とは働きたくないし、こういう人になりたくもない)。

 そういった仕事の現場をカフカは嫌というほど見せつけられたので、「商売を現実のうえでこころから憎悪しています。」と本人は断言している。

 彼の超絶に鋭い感受性をフル活用できる、憎悪する商売から逃避するための逃げ場の発見が、創作であった。

 父親はユダヤ教に対する確信を持っていたがさほど信心深くもなく、むしろ息子がユダヤ教に関する事柄に深入りする時期と並行して、息子の関心への嫌悪感も増加していった。息子が持った関心とは、ものを書くという創作行為だった。カフカは創作という、言語による仮想の空間を、自分がリアルに生きるべき世界として発見した。 

 象徴的な事柄として、カフカが新作を書き上げて、父親に献本しようとしたときのエピソードがある。

 著書を手渡すと、父親は「テーブルの上に置いておいてくれ!」(たいていはトランプをしながら)という台詞を残して看過した。父親はトランプに夢中で、息子の労作になど目もくれなかった。

 この話はカフカの仲間内で一つの事件として語りぐさになったらしい。

 しかしエピソードは否定的な語りぐさではなく、むしろカフカにとっては肯定的なそれであった。「テーブルの上に置いておいてくれ!」は彼の耳に「勝手にしろ!」と響いたので、彼はそれに自由を感じたのである。

 彼に与えられた唯一の自由の現場が、書く、という場所だった。

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 ぼくはいつだって、自分がおかれた状況のなかでけっして怠惰ではないと思うのですが、これまではやる事が無かったのでした。そして自分の生き甲斐があると信じたところでは、非難され、こき下ろされ、叩きのめされました。どこかへ逃げだすことは、たしかに緊張を要しましたが、そんなものは仕事ではありません。逃げること、それはしょせんぼくにとって、全力を尽しても、小さな例外を除いてとうてい達成できない不可能事だったからです。
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 学問へも無期待。職業へも無期待。無期待でありながらなんとかやっていけそうな職業に彼は法曹界を見出したとも語っている(カフカは大学では法学を専攻し、学位を手にしている)。

 次回は、カフカ自身が語る結婚観を読んでみる。

(全4回、次回に続く

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(1) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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 西洋文化を見渡すと、ツルゲーネフの『父と子』やモーツアルトの手紙、あるいはフロイト精神分析においても、あちらこちらで「私-対-父」という構図が目に入る。

 カフカという作家はその典型というか、父との関係と作家としてのカフカの精神構造が濃厚にリンクしている。

 カフカと父との関係を一言で言うと、「小さな僕と、動かしがたい壁」みたいな感じだ。

 なかなか目的地にたどり着けない『城』や門番が理由もなく門を通してくれない『掟の門』は、父という巨大な存在の象徴といわれる。

 また、息子が毒虫に変身してしまう『変身』や、オドラデクという星形の小動物が主人公の『父の気がかり』は、自分が小さな動物に縮小することであまりにも大きな父の存在を相対的に表現しているともいわれる。

 こうしたカフカと父親の独特な関係は、自伝のような形で残されている。

 『父への手紙』(手紙というが実際には父には渡されなかった)は、1919年11月、カフカが36歳のときに書かれたものだ。36歳といえば、40歳で亡くなった彼にとっての晩年にあたる。

 作家というものはとても可哀想で、大物になってしまうと読んでもらいたくない手紙まで全集に組み込まれて、世界中の読者や評論家の目にとまり、プライバシーもへったくれもない。

 ましてやカフカみたいに遺族がいない(ちなみに妹はナチスユダヤ強制収容所に連行され全員殺されている)作家となると、生存時の情報は丸裸になる。

 これからの作家や哲学者、科学者など、世に言われる大物は、残された情報が膨大でかつネット上にも分散しているので、仮に遺族が「この情報は出さないで欲しい」と訴えても、なかなかそれは難しくなるだろう(最近はデジタル上のデータを本人の死亡と共に削除してくれるソフトウェアやサービスがあるらしいが)。

 では、『父への手紙』を読みながら、カフカと父親の関係は一体どういうものにあったのかを見ていきたい。

 書き出しからしてこうくる。
 
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 愛する父上
 最近あなたはぼくに、どうして父親のあなたを怖いなどというのか、その理由を尋ねられました。
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 いつものように返答できずにいたが、その理由はあなたに対する恐れがあったからであり、その恐れの原因を明確にするにはあまりにも多くて口では語れず、こうして文章にしているが、どこまで書けるのかわからないほど恐れの要素が多い。そうカフカは言う。

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 父親としては、あなたはぼくにとって強すぎました。とりわけ、弟たちが幼くして死亡し、妹たちはずっと年が開いているので、なににつけぼくが最初の衝撃をひとりで持ちこたえねばならず、そのためには、ぼくがあまりにも弱すぎたのです。
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 カフカは4人兄弟の長男で下はすべて妹だったから、長男としてのプレッシャーは高かった。ましてや実家が小間物商で、家業を継ぐという家父長的な重責も負っている(しかしカフカは家業を継がずに保険局の勤め人になっている)。

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 あなたは子供を、まさにあなた自身の在りようにもとづいてしか、つまり腕力と、怒声と、癇癪によってしか扱えません。しかもぼくの場合、この方法は、あなたがぼくを逞しい勇気のある少年に育てようと望まれていてただけに、なおさら適切だとあなたには見えたのです。
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 長男として力で根性を植え付けようと父親は試みたが、その行為は度が過ぎている。

 たとえば、カフカの幼少時代の記憶で、真夜中に水をほしがりむずがったとき、父親にベッドから抱え上げられ、下着のまま屋外に立たせっぱなしにしておかれたらしい。時代背景があるとはいえ、これは幼児虐待だ。

 「あの後、ぼくはすっかり従順になりましたが、内面的に、ある深い傷をうけました。」と手紙の中でカフカ自身が告白するように、本人の人生に深い刻印を残す。

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 ぼくに必要だったのは、すこしの励ましと優しさ、わずかだけぼく自身の道を開いておいてもらうことだったのに、あなたは逆に、それを遮断してしまわれた。もちろん、ぼくに別の道を歩ませようとの善意からです。
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と書かれているように、カフカに対して強引な指導が行われていたことがわかる。

 いうなれば父親は教育者ではなく暴君だ。

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 そして最後に残るのはあなた一人なのです。ぼくにとって父上は、すべての暴君がもっている謎めいたものを帯びました。暴君の暴君たるゆえんは、思想ではなく、人格そのものにあるからです。すくなくとも、ぼくにはそう見えたのでした。
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 暴君の暴君たるゆえんは、「おまえはやっちゃダメだけど俺はいい。だって俺がおまえを守ってあげているのだから」という思想にある(ex.「平和のために核兵器を持つのはいけないことだが俺は持ってもいいんだ」という某国の言い分もそれに近い)。

 『手紙』によると、カフカの父親のテーブルマナーに関する説教とそれに対するカフカの見解は次の通りだ。

骨をかみ砕くな → 父はそれをやっている
ドレッシングはすするものではない → 父はそれをやっている
料理の食べ残しを床に落とすな → 父の下には一番多く落ちていた

 汚く食事する父親からテーブルマナーをしつけられるカフカに、教育者である父親への疑いが浮かび上がってくる。

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 ぼくにとって絶大な規範者であるあなた自身が、ぼくに課した戒めをご自分では守らないことによって、はじめてぼくを重苦しく抑圧するものとなったのでした。
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 親や教師、上司など、目上の人間が目下の人間から言動の矛盾を口に出されたときから、双方の関係は徐々に狂いはじめる。

(全4回、次回に続く

三津田治夫

4月7日(土)、印刷と出版の歴史を学ぶ「本とITを研究する会 大人の遠足編」をトッパン印刷博物館にて開催(後編)

エントランスの出版印刷史の展示・解説を終え、待望の印刷工房に移動した。
工房では10人ずつ2班に分かれ、活版印刷を体験した。

◎印刷工房の様子f:id:tech-dialoge:20180420173311j:plain

工房内では印刷機と大量の活字に囲まれ、活字マニアにとっては垂涎の空間である。

◎英アデナ社製卓上活版印刷機の操作を説明する学芸員の職人さんf:id:tech-dialoge:20180420173401j:plain

イギリスのアデナ社製卓上活版印刷機を使い、ローラーへのインキ乗せ、活字へのインキ乗せ、活字からの紙への転写という、3つのアクションで印刷が完了する体験をした。

◎活字の棚。全部活字、圧巻!f:id:tech-dialoge:20180420173647j:plain

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大量な活字が置かれた棚には、使用頻度順で活字が配列されている。キーボードでいうQWERTY配列のようなイメージ。プロの活字職人は1文字を3秒で拾うという。「1文字3秒のタイプイン」と考えると、現在のITとはほど遠い時間感覚である。

◎「母型」を彫る機械f:id:tech-dialoge:20180420173820j:plain

活字の原型である「母型」を彫る機械。1885年製で、日本には3台しかない。

アメリカ人の手でデザインされたイギリス製印刷機f:id:tech-dialoge:20180420173855j:plain

アメリカ人の手でデザインされたイギリス製の印刷機。大きな鷲がついた装飾的なデザイン。

◎昔の印刷機では、用紙を一枚一枚手で送っていたf:id:tech-dialoge:20180420173937j:plain

紙は一枚一枚手で送り込む。男2人の作業で1時間200枚の印刷が可能。これを考えると、コピー機の発明はすごい。コピー機はある意味「版のない印刷機」である。これもまた大きな印刷革命の一つ。そしていまとなっては、コピー機すらすでに過去の産物。いまやコピー元の紙も存在しないデジタル出力の時代。いまに出力もなく、脳から出た端子にデジタル信号を送り込むとVRを体験できる「出版」も出てくるに違いない。そんな未来が訪れようが、紙の印刷はなくならないし、本や雑誌もなくならない。デジタル社会のいま、紙の出版物はいささか味わい深いノスタルジックな存在であるかもしれない。また、活字オタクや本フェチの「少数のマニアのもの」であるかもしれない。それでも、紙の出版物はなくならない。

紙の出版物の持つ情報量は、デジタルとは比較にならないぐらい、桁違いに多い。デジタルに、紙の持つ風合いや匂い、シミ、書き込み、折ったり付箋を貼ったりといった、立体的かつ五感的なユーザー・エクペリエンスを再現することはほぼ不可能だ。そして紙の出版物の決定的な優位性は、アクセス性である。大きさや重さといった短所を補って余るほどの、高いアクセス性がある。ページ間を飛ばして読んだり、ランダムに読む際には、紙の本ほどアクセス性が高いものはない。その際にめくった指の感覚も、ユーザー・エクペリエンスとして人間の五感に記憶される。そしてそのエクスペリエンスが記憶となり、記憶が積み重なることで思い出になる。本に思い出が深いのも、ここにある。そして貸し借りやプレゼントも、紙の出版物にしか持ち得ない機能である。

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紙の出版物には、十分に存在意義がある、というわけだ。紙の出版物の存在意義と、昨今の「日本の出版不況」は、まったく別物と考えた方がよい。社会のデジタル化で紙の出版物の需要が急低下したことは間違いない。しかしこの現象を、紙の出版物の存在意義の低下と捉え、それが日本の出版不況の根源、と捉えてはならない。この点だけは肝に銘じ、紙の出版物の存在意義を改めて考えていきたい。その上で「存在意義のある紙の出版物とはなにか」を煎じ詰めて考えていけば、「日本の出版不況」など、なくなってしまうのではないか。私はそう思う。

三津田治夫