本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナー/イベントは、共鳴と化学反応が起こる貴重な場 ~モーツアルトから得た考察~

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8月26日(土)に、本とITを研究する会第1回記念セミナー「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」(https://goo.gl/74tiZf)を開催するが、それを踏まえて、ライブイベントにはどういった意味と価値があるのか、以下、考察してみた。

以前、エーリッヒ・クライバー指揮のモーツアルトフィガロの結婚』(1955年録音)ばかりを聴いていた時期があった。1993年録音のニコラス・アーノンクール指揮『フィガロの結婚』とはまったく異なる高い臨場感に改めて驚いていた。
これは、60年前の古い録音であるからではない。
古いことが優れているのではなく、この時代に優れた録音があったのだ。

とくに近年感じるのは、音楽や演劇といったライブ舞台芸術は、観客とプレイヤーが共鳴し合いながら共に育つ、ということ。

これを念頭に入れると、60年前にはいまほどのメディアがなく(舞台芸術を再現できるメディアは劇場映画のみ)、オペラといえばライブ舞台芸術の花形である。いまではどうだろう。街に出ればシネコンがあって2000円も払えば大画面大音量ドルビーサラウンドのCG制作映画が見られるし、ツタヤに行けば数百円でDVDが借りられるし、家に帰れば(機材さえあれば)大型液晶テレビホームシアターが待っている。またCSをつければ古今東西の映画やショーなどもろもろが見放題。気に入った音楽や映像はMP3プレイヤーに切り出していつでもどこでもハリウッド映画やオペラやドラマやあらゆるショーを持ち運ぶことができる。

エーリッヒ・クライバーが活躍した1950年代にはまったく想像もつかない次元にメディアは進化し、日々ポータブル化し、多様化してきている。

メディアがポータブル化し多様化しているということは、それだけ、作品の与え手と受け手の間で、メディアを介したやり取りが多くなったことを意味する。言い換えると、メディアを通したやり取りの多さに反比例して、作品の与え手と受け手の間でリアルタイムに発生する「共鳴」の機会が少なくなった、ともいえる。つまり、「ライブで」作品に触れられる割合が相対的に減ってきているのだ。

受け手(聴衆や観衆)はメディアを介して作品に接する機会が増えたことで、さまざまな姿勢や感情をもって何度でも自由に作品に触れることができる。しかし一方で、作品の与え手(プレイヤー、アーティスト)が持つチャンスは、録画の一回限り、録音の一回限り。メディアを世に送り出す一発勝負だ。つまり、作品の与え手は、メディアを通したある時点で、自分の作品を「固定」しなくてはならない。受け手には、メディアに接し、その都度自由な解釈や楽しみ方が許されているにもかかわらず、である。さらに掘り下げると、作品供給者としての「作家」は、楽譜や台本、原稿といったメディアをプレイヤーに提供する。そのメディアもまた、「固定」されている必要がある。

このように、メディアとライブとの間には大きな断絶があり、リアルタイムでの共鳴の余地はほとんどない。ゆえに作品の与え手は、固定されたメディアを作るべく、受け手との「共鳴を想像しながら」作品を構築せざるを得ない。これは、メディア作りの宿命である。

60年前のオペラの聴衆は、オペラに深い感動を受け、心躍らせ、プレイヤーはそれにリアルタイムで共鳴して演技や演奏の技能を高め、高いパフォーマンスを舞台に送り出した。エーリッヒ・クライバー指揮の『フィガロ』は古いから優れているのではなく、「聴衆との共鳴」があるから優れているのである。似たような例は、メンゲルベルク指揮のバッハ『マタイ受難曲』がそう。第二次世界大戦中オランダで録音された古い作品だが、聴衆のすすり泣きまでが音源に入った名演だ。これもまた、「聴衆との共鳴が創り上げた名作」にほかならない。

与え手と受け手との共鳴を失った作品は、もはや作品ではない。
だからこそメディアへの作品の与え手は、つねに、「受け手との共鳴を想像し、作品に織り込みながら」作品を構築する必要がある。

ビジネスやサービスといった「作品」も、これとまったく同じ。「受け手との共鳴をイメージし、織り込みながら」作品(ビジネスやサービス)を構築(制作、製作)する必要がある。
となると、受け手との共鳴をイメージするための材料が必要になる。その材料は、多ければ多いほどよい。

最も価値の高い材料は、受け手との相互接触だ。古くは電話やハガキがあり、いまではネットでのアンケートや窓口がある。しかし、ハガキや窓口もリアルタイムの「共鳴」を失ったメディアにすぎない。

最も価値が高く、情報密度の高い相互接触は、ライブである。最高の作品を世に送り出したエーリッヒ・クライバーメンゲルベルクの指揮は、ライブでのリアルタイムな聴衆との相互接触、相互共鳴の成果である。作品は、受け手とともに育つ。

同じように、ビジネスやサービスにも、ライブによるリアルタイムの相互接触、共鳴は、価値を育てる。ビジネスやサービスの価値は、受け手との対話によって育つ。

作品としてのビジネスやサービスの価値が参加者と共に育つことを夢みつつ、その場で共有した一期一会を、貴重な贈り物として、大切にしたい。

三津田治夫