本とITを考える

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本やニュースを読みながら、ITの未来を考えていきます

グローバル社会をすでに予言した古典大著:『群集の心理』(ヘルマン・ブロッホ著)

f:id:tech-dialoge:20171222135559j:plain

『群集の心理』は80年前の作品だが、まさにいまのグローバル化社会という「未来」を予言した書物。500ページを超える大著で、行ったり来たりと、なかなか噛み応えがある文章で、非常に難解。

大づかみに結論だけを要約すると、共産主義も資本主義も双方ゴールとするものはお金であり、人間はもはやお金を生み出すための「手段」になっている。お金をゴールにしたシステムを基盤に、人間が幸福に生きられる社会は実現できるわけがない。いずれ共産主義は官僚支配の政治的腐敗が起こり崩壊し、資本主義は「安く買って高く売る」に限界が訪れるだろう、と、予言。

80年以上昔に下したブロッホの予言は、ソ連の崩壊と、リーマンショックグローバル化社会の到来で、見事に的中した。

ブロッホからしてみたら、「そんなの当たり前だろ」ぐらいに思っていたはずで、当時の多くの学者もそう考えていた。それでも、社会が動き出してしまったら、崩壊が目に見えていても突っ走ってしまうのは、非常に恐ろしい。

ダメなことがわかっていて突っ走ってしまう心理。

これが、「群集の心理」である。

その処方箋としてブロッホは、「民主主義国家も群集の心理をもっと上手にコントロールしましょう」と提言する。

ムッソリーニヒトラーファシズムを指して、「むしろファシストの方が群集の心理を上手にコントロールしているではないか」と皮肉にも分析。群集の心理を、ファシズムのように権力の保持という利己主義のために利用するのではなく、「人間のために利用しましょう」というのが、ブロッホの結論である。そのうえで、共産主義でもない資本主義でもない、「ヒューマニズムに基づいた主義、人間をゴールにした主義が必要」と、本来の社会的なありかたを唱えている。

こうした主義を具体的にどのように実現するかまでは書かれていなかったが、この考えは、カントが言う、「人間を手段にするな。人間をゴールにしろ」を、共産主義、資本主義、ファシズムと比較して、「これって人間が“手段”になっているよね」という現実を目の前にさし出し、より人間的な形で社会的問題を解決しようとしている。

この難解な大著を語り尽くすことはなかなか厳しいが、読み終えたときの恐怖感といったらなかった。いま、ピケティやトッドなど、分析的に未来を予言する学者への注目が高まっている。
動乱の時代だからこそ、こうした知性が求められるはず。
それはいまも昔も、変わらない。

むしろブロッホの時代は、戦争や革命という生命に直結する危機に日々直面した恐ろしい時代だったが、「社会の複雑さ」という意味では、いまはブロッホの時代とは比べものにならない。

社会の複雑さに大きな乖離があるとはいえ、「いかにして人間らしく生きるか」という人類共通の問題意識は、いまも昔も微塵も違いがない。

ブロッホの時代のように、先進国同士が世界大戦を行う時代ではなくなってきたが、中東やイスラエルなど各地では、戦争、テロ、内紛がいまだに続いている。

その意味で現在もまた、「形を変えた世界大戦の時代」とも言える。

そこに社会的な複雑さが加味されているから、人間の精神に与えるインパクトは大きい。大変な時代である。

人間の思考は、ブロッホの生きたような過激な時代を経て、挑戦し、勝利し、敗北し、反省し、それらを繰り返し、研ぎ澄まされ続けてきた。
その繰り返しが、いままでの人類の進化を促してきた。
そしていまの時代、かつてのような挑戦し、勝利し、敗北し、反省し、の繰り返しでは、訪れる未来の変化に耐えきれず、従来の人間の思考に限界が見えはじめてきた。

現代という高度に複雑化した過激な時代に、人はどういった進化をとげるのだろうか。
そして100年後に21世紀を振り返ったら、どんな過去が見えてくるのだろうか。

この本は、ブロッホから見た80年後の未来人の私に、そんな問題意識を投げかけてくれた。

三津田治夫