本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

『コンビニ人間』を読んで考えた「自分らしさ」を追求する手段としての「教養」と「感性」

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このごろよく使われるキーワードに「自分らしさ」がある。
2016年に第155回芥川賞を受賞し、その後文庫化され累計100万部を突破したベストセラー『コンビニ人間』。この作品を読んだ人は本ブログ読者にも多いはずだ。

主人公は30代半ばの独身アルバイト女性。子供のころから社会に適合しづらい行動原則を持っており、あるとき、「父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなくてはいけないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。」と自らに誓う。

こうして新しい一歩を踏み出した彼女が人生の活路として見出した仕事の場が「コンビニ」である。
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」により多くが滞りなく完結するコンビニでの作業において、彼女は充実した生活を送ることができる、という物語である。
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」で生きることは、本当に充実し、幸福なのか。
そして「自分らしい」のか。
この作品からの問いかけはさまざまな解釈が生じるが、私はそう解釈した。

「自分らしさ」を失わない人間とは誰か?
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」とは実に奥が深い。
これを理性的で自律的にコントロールできる人間が、現代の社会人である。言い換えると、「真似」や「指示」が外部からではなく、「自己内部のもの」との同化に成功した人物こそが現代の社会人だ。

では、「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」をしたうえで、「自分らしさ」を失わないとは、どんな人間だろうか。
私は、「自分の感性が響いている人」と考えている。

学びとは真似ること、ともいうが、自分の感性を響かせることで模倣は自分の血肉となっていく。

「誰かの指示」も自分の感性を響かせることで自己実現の意思と合致させ、自分の血肉となる。この原理で成功を収める経営者や会社員、組織人、芸術家、芸能人は多い。

「自分らしさ」を失わない理想的な人間とは、たえず「自分の感性が社会と響いている人」ともいえる。

「自分らしさ」を追求する手段としての「教養」と「感性」
現代社会は「自分らしさ」を求め社会と「感性」を響かせたいがゆえに、迷ったり、心を病んだりする人も多い。近年のキーワードに「共感」があがる点にも納得がいく。

では、「感性」とはなにによって磨かれるのだろうか。
その大きな要素は「教養」だろう。
美術館に行ったり音楽を聞いたり、茶の湯をたしなんだり、短歌をしたためたり、これらの行動で「教養」と同時に「感性」も磨かれていく。

池上彰著の『おとなの教養』や文響社の翻訳『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』がベストセラーになっているのも象徴的である。

かつては、教養を身につけることでどんな実利があるのか、教養で年収はいくら上がるのか、という声があった。その寄り戻しであろうが、実利や年収といった物質の次元ではなく、より抽象度の高いものに人々は価値を見出してきている。それが、いまの社会だ。

このブログを読んでいただいている方の多くはITに関連した人たちである。

サービスやソリューションを世の中に提供し、きわめて社会性が高い頭脳労働に従事するIT関連の人たち(エンジニアさん、デザイナーさん……)にこそ、意識的に感性を磨き、教養を身につけていただきたい。

「本」とともに教養を深め、「自分らしさ」が求められることを
近年の教養ブームは一過性ではなく、人間がより本質に近づいてきた証拠であると私は思っている。

そして、教養に最も安価で深く入り込めるツールこそが「本」である。

ちなみに、本の力でITにかかわる人たちにエネルギーを与えることをテーマに活動している「本とITを研究する会」の趣旨は、ここにある。

活動を通して「自分らしさ」を求め、感性と共感、教養の時代を、ともに楽しみながら成長していきたい。

三津田治夫

 

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