本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

読書会の記録:伝記文学から人生の「陰と陽」を考えた『人類の星の時間』(シュテファン・ツヴァイク著)

f:id:tech-dialoge:20190421154140j:plain

伝記文学の古典中の古典
今回は趣向を変えて、ドイツ語圏から伝記文学を取り上げました。
シュテファン・ツヴァイクといえばオーストリアの大作家で、『マリー・アントワネット』や『ジョセフ・フーシェ』はいまでも文庫で手に入り、気軽に読むことができる。
今回取り上げた『人類の星の時間』はみすず書房の単行本として手に入る、ツヴァイクの伝記アンソロジーである。1人物につき数十ページの分量でドストエフスキートルストイゲーテといった文学者、ナポレオンやスコット大佐といった偉人、サイラス・W・フィールドといった決して有名人ではないが明らかに時代に足跡を残した人物まで、各時代各ジャンルから幅広い人選がなされている。

読書会に今回参加した6人で、読後の意見を交わした。
2時間におよぶ意見交換に結論は導き出されず、あえてまとめるとすれば、ツヴァイクはすごい、塩野七生よりも面白い、深い教養に裏打ちされたレトリックの産物だ、などといったポジティブな印象論に終始した。

ツヴァイクが目撃した、歴史的な一つのプロセスが終わった瞬間
そんな議論の中で気になったのが、「『人類の星の時間』で取り上げられる評伝の切り口は、成功した人物における失敗、失敗した人物における成功、という、陰影に光を当てた点に特徴がある」という意見だった。
たしかに、処刑が恩赦され命拾いした瞬間のドストエフスキー
生活になに不自由ない大作家・大富豪が家出をして客死した瞬間のトルストイ
命がけで南極到達一番乗りを目指すがアムンゼンに先を越された瞬間のスコット大佐。
大陸間通信を実現するべくアメリカ大陸とイギリスで電線を結ぼうと失敗を何度も繰り返し、ついに通信が成功した瞬間を見たサイラス・W・フィールドなど、すべては成功と失敗という陰影の瞬間である。
いうなればこの陰影が成立した瞬間こそが、ツヴァイクが目撃した歴史的瞬間、つまり「人類の星の時間」なのである。

確かに、オリンピックの競技が始まる前は、誰もメダルを取っていない。
競技が終わったその瞬間に、メダリストが登場する。革命がはじまる前に英雄はいない。
革命が終わったその瞬間に、建国の英雄が登場する。
言い換えれば、歴史的な一つのプロセスが終わった瞬間が「人類の星の時間」だともいえる。

変化の速い現代、毎日が小さな「星の時間」の連続
このように考えると、変化の速度が恐ろしく早い現代、毎日が小さな「人類の星の時間」の積み重ねなのかもしれない。
1995年からIT関連の出版に携ってきた私は、そんな瞬間を山ほど見てきた。
Windows95が登場した瞬間、ADSLが大衆化した瞬間、iPhoneが発売された瞬間、ジョブズが死んだ瞬間……。小さな「人類の星の時間」は、数え切れないほどだ。

ツヴァイクの作品はレトリックに満ちており、書き出しの1行や、前書きの一字一句はいずれも見事なものばかりだ。
さまざまな外国語に通じたツヴァイクは、膨大な数の原文文献にあたって作品を書き上げている。

人類の星の時間』を読み終え、面白そうなので、ツヴァイク全集第9巻『デーモンとの闘争』に収録されたクライストの評伝を読んでいた。
クライストはゲーテの少し後に出てきたドイツの作家で、日本では翻訳が少なくなじみが薄いが(戯曲の『こわれ甕』が有名)、本国ではカフカにも敬愛された夭折の作家として非常に有名である。日本の作家にたとえると、中島敦に近い存在かもしれない。

そんな、日本語での情報が少ないクライストの評伝をむさぼるように読んでいた。非常におもしろく、ぐいぐいと引き込む文体で、クライストの34年という短い人生をツヴァイクは見事に活写する。

書簡や日記の大胆な切り貼りが伝記を構築することも
しかしいくつか気になった点があった。訳者の注として、ツヴァイクは原文を書き換えているという、所々の指摘が気になった。
ツヴァイクはクライストの評伝を書くためにさまざまな書簡や日記を引用しているが、それを大胆に切り貼りし、モンタージュしているらしい。
評伝とは、いささか乱暴な言い方が許されれば、時間や空間を超えて言語を切り貼りし、新しい人物像や歴史像をあぶり出す作業、ともいえる。
その切り貼りが許容される境界線が見えづらい。ともすると、評伝はねつ造になる。
私は原典に当たったわけではないのでどれだけの度合いでクライストの文章が切り貼りされたのかはわからないが、ツヴァイクはそれだけ危うい度合いで評伝にかかわっていたということが、訳者の注から読み取れた。

歴史とは歴史作家が作るものとはよくいったものだ。『マリー・アントワネット』や『ジョセフ・フーシェ』で彫像された歴史的かつ典型的な人物像はツヴァイクが作りあげた。以前の読書会で『台湾海峡』(龍應台著)を読み、なるほど歴史とは教養とレトリック(文章、文体、文脈)で作られるのだと認識した。今回ツヴァイクを読み、それを改めて認識させられた次第だ。

◎『人類の星の時間』の目次
===========================
■不滅の中への逃亡 ――太平洋の発見 1513年9月25日
ビザンチンの都を奪い取る ――1453年5月29日
■ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 ――1741年8月21日
■一と晩だけの天才 ――ラ・マルセイエーズの作曲 1792年4月25日
■ウォーターローの世界的瞬間 ――1815年6月18日のナポレオン
■マリーエンバートの悲歌 ――カルルスバートからヴァイマルへの途中のゲーテ 1823年9月5日
■エルドラード(黄金郷)の発見 ――J・A・ズーター、カリフォルニア 1848年1月
■壮烈な瞬間 ――ドストエフスキー、ペテルスブルグ、セメノフ広場 1849年12月22日
■大洋をわたった最初のことば ――サイラス・W・フィールド 1858年7月28日
■神への逃走 ――1910年10月の末、レオ・トルストイの未完成の戯曲『光闇を照らす』への一つのエピローグ(終曲)
■南極探検の闘い ――スコット大佐、90緯度 1912年1月16日
■封印列車 ――レーニン 1917年4月9日
===========================

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain