アフォリズムも満載。天才が編み出した学問の軌跡
デカルトといえば「われ思うゆえわれあり」の、当時としては画期的な、精神と肉体を分離して人間を考えた哲学者、近代科学の基盤を作った科学者、代数幾何を確立した数学者である。
ダヴィンチやゲーテなどに類する、典型的な昔の天才である。
「よい精神をもつというだけでは十分ではないのであって、たいせつなことは精神をよく用いること」
「歴史の物語る目ざましいできごとは精神を高めるものであり、慎重に読むなら歴史は判断力を養う助けになる」
「世間という大きな書物のうちに見いだされうる学問のほかは、もはやいかなる学問も求めまい」
アフォリズムとして一級の言葉がたくさんちりばめられ、読んでいてなかなか勉強になる。
◎医学的な図版が多数掲載。学問が細分化されていなかった時代を象徴している
代数幾何を体系化したきっかけは、先人の残した数学書を読み尽くしたがどれも中途半端で、そこで私が整理して新しい数学の体系を作ったのだという経緯もまたすごい。
『方法序説』では、こうしたデカルトの編み出した学問の軌跡が、自伝仕立てで記述されている。
『方法序説』とは少し離れるが、デカルトの生きた1596~1650年は、1632~1677年に同郷のオランダで活動したスピノザの前半生と重なっている。
デカルト流の宗教からの思想的離脱という方法論は、スピノザの汎神論的な形而上学に引き継がれさらに進められた。
デカルトがいなければゲーテもニーチェもいなかったわけだ。
日本が鎖国を開始した時代とデカルトが活躍した時代が重なるのは決して偶然でない
ところで、日本が鎖国を開始したのが1633~1639年で、デカルトが現役で活躍した時代と重複する。
いつの時代にも最先端の科学は軍事に実装され、それが帝国主義という形で世界に進出する。
1641年にはオランダがマラッカおよびアンゴラ海岸部ルアンダを占領。
まさに、欧州帝国主義まっただ中の時代であった。
デカルトの仕事も、間接的に帝国主義に力を貸していたことは間違いない。
『方法序説』は、すでに評価が終わっている書物であり、「誰もが否定できない結果を出した人物が語った隙のない自伝」である。
単に、「議論しづらいなぁ」というのが、今回の読書会の結論だった。