本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

テレワークが加速させる、地方分権社会の形づくり

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新型コロナウイルスの影響でテレワークを導入した企業が急激に増えた。

これにより、対面でも電話でもない、独特のコミュニケーション形態を味わってしまった人たちが急増した。

私もたびたびオンライン会議やWebセミナーを実施したが、なんともいえない距離感(目前に顔が見えるのに人の気配がない)は、言語化困難ないままでにないコミュニケーション形態、ともいえる。

人は分散し、意識はつながる
ニュース番組で、ある作家さんが、「これからは多くの人たちと離れてつながっている感覚を持った個人が増える」ということを言っていた。地方で一人で仕事をする人たちも、独居老人も、専業主婦も、ネットを通じて気持ちがつながり、意識の共同体ができ上っている、という状態なのだろう。

テレワークはこうして、私たちの内面を大きく書き換えている。
この内面の変化から第一に現れてきたものは「会社に行かなくてもいい!」という従業員の安心感だった。
その一方で、「目前にいない部下をどう評価するのか?」という管理職の不安感である。

目前にいない部下への人事評価は、「成果主義」に尽きる。
「会社勤めなのになぜ成果が問われるのだ」と、成果主義評価に慣れない人たちの働き方への意識は、根底から覆される。働き方改革の本質である。

企業にテレワークが導入されることで、スマートフォン一つで従業員の自宅は営業所になる。
地方都市や過疎地帯、海岸や山の中、リゾート地、などなど、全国津々浦々に営業所が点在する。

本社に集中していた労働が、テレワークにより「地方で本社勤務」というスタイルが当たり前になる。

これはなにを意味するのだろうか。
つまり、地方分権型社会、である。

密集が好ましくない状況が生み出した分散社会
企業のリソースが首都から全国に分散する。
これにより、今度は地方に貨幣が分散される。
貨幣が分散されれば、権力が分散される。
企業に導入されたテレークは、地方分権型社会へとつながっていく。
そしてひいては、日本の道州制という国家形態を作り上げる土台になる。
海外の連邦制国家とは異なった、日本式の幕藩体制ブレンドした、独自の道州制国家ができるのではないかと想像している。

いまの時代、一つの大きなものが万人を牛耳ることは向いていない。
そして、人が密集することも好ましくない。
好ましいのは、分散である。

高度なIT化でなんでも小型化し、ネットワーク化したいま、地方分散型社会の実現は、決して夢物語ではない。

コロナがもたらしたテレワークの普及から鮮明に見えてきた、一つの明日である。

三津田治夫