1998年、いまから19年前、Perlの開発者、ラリー・ウォール氏来日を記念してインタビューを実施した。ZDNet Japan(現IT Media)の記事として書いたその内容を、前回の基調講演の記事に続くものとして、アップしました。
前回同様、コンピューティング世界史の一つとして、オープンソース黎明期の日本の様子を共有できたらと、ここに記事を再掲載します。
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「Perlの開発は一つのパフォーマンス」~ ラリー・ウォール自らを語る ~
11月12日、都内のホテルにて行われていた「Perlカンファレンス」が終了した。Java対応の話や日本語の問題、またWindows NTで利用するPerl for Win32などと、従来のUNIXといった範疇でのみとらえることのできない、盛りだくさんの内容を取り込んでいた。また、あるカンファレンスでは、通訳者が手配できず英語のみでの説明となったが、急遽飛び入りで会場から通訳者が現れ、参加者が通訳を行うという一幕もあった。まさに“フリー”というか、Perlコミュニティの懐の深さや暖かさを味わうことができるカンファレンスだった。
◎インタビューに応えるラリー・ウォール氏
こういったPerlコミュニティの立役者、来日したラリー・ウォール氏にインタビューを行った。同氏はPerlの開発者であるが、また同時に、このコミュニティの雰囲気を作る担い手でもある。彼のような、カルチャーをまるごと持ってきてしまうような人こそ、真のエヴァンゲリストといえるのではないだろうか。
-- お会いする前の印象は、ちょっと怖い人と感じていましたが……
ラリー・ウォール氏
それはどこでも言われます。各地を回っていると、まるで教祖でもあがめるような態度で接してきますけど(と、信者がひれふすジェスチャをとる)(笑)、いつも僕は言ってますよ。「普通の人間だよ」ってね。
-- Perlを開発したきっかけは?
以前、国家安全保障局(National Seculity Agency)のシステムのサポートを仕事としていました。通信にUSENETを使っていて、レポートを添付して送信するするというシステムを作っていました。そこで作業を楽にする手段はないものかと考え、Perlが生まれました。
いつも「Perlは僕の作品」といっている。まあ、アーティストと同じで、自己実現の手段の1つがPerlなのです。Perlの開発はパフォーマンスでもあります。
-- いままでの職業遍歴を聞かせてください。
大学を卒業して、System Development Corporationという会社でコンパイラの設計をやったり、JPL(ジェット推進研究所)にもいました。ここではマゼラン計画に携わりました。あの計画は成功を収めましたね。最近の話題ではマーズパスファインダーがありますが、残念ながらこのときにはもういませんでした。そのあとは、ハードディスクメーカーのSeagateに買収されたNetlabにいました。
転職を続けていて、義兄に「もう先はないよ」といわれましたよ。しかし2年半前、ティム・オライリーから、「うちの専任で、Perlコミュニティの面倒を見てもらえないか」という話がありました。それで、僕はここにいるわけですけれど。
-- システム管理に長い間携わっていたようですが、どうして1人のシステム管理者が、プログラミング言語/インタープリタ(*注)を開発できてしまったのでしょうか?
僕はシステム管理者というより、言語学者です。大学では、初めは化学史と音楽史を専攻していましたが、音楽を続けるには、自分の時間のすべてをそれに費やさなければならないことがわかったので、これは断念しました。他にもやりたいことがありましたし。卒業したときの専攻は、言語学とコンピュータでした。おかげで8年かかりましたけど。
-- なるほど。そのような知識的背景があったのですね。しかし音楽とは意外ですね。ちなみに楽器はなにをやっていたのですか?
おもに弦楽器、クラシックのバイオリンやギターをやっていました。2週間前には遊びでコンボドラムをたたいていました。エキサイティングだったな(笑)。
-- Perlの開発を、パフォーマンスとかアーティスティックな活動とおっしゃっていますが、実際に著作物を読んでいてもそれは感じます。『Perlプログラミング』は、読み物としても非常に面白いです。そこで質問ですが、Perlの開発や著作にインスピレーションを与える芸術や創作はあるのでしょうか? また信奉する哲学とかはあるのですか? このような才能はどこからきているのでしょう?
とんでもない、才能なんてないですよ。『Perlプログラミング』の成功に関しては、ティム・オライリーが僕にヴィジョンを与えてくれたことが最も大きいと思っています。彼には感謝しています。Randal L. Schwartzとの共著になっていますけど、本文はほとんど僕が書きました。
◎『Perlプログラミング』の日本語版初版
インスピレーションについては、僕はいろいろなものに広く浅く興味を持っているから、そのあたりが反映しているかもしれない。あと、音楽は聴くことも好きです。クラシックですが、マーラーはいいね。あと、創作なら、トルーキンの指輪物語は好きですよ。哲学というと僕の場合、神学とほぼイコールになります。クリスチャンとしての常識的な考えは持っているつもりですが、キリストという人物についても興味を抱いています。キリストはいろいろなことに関心を持っていて、比喩的な語り口などはとても面白い。クリエイティブな人物だと思っていますよ。
-- Perlに対して、日本人独特の反応はありますか?
ティム(オライリー)もいっていましたけど、来場者に女性が圧倒的に多いと感じました。サンノゼでは基調講演の来場者が1,000人以上いました。日本では全部で数百人でしたが、女性の数だけでみると、サンノゼの女性参加者と同じぐらい。これにはアメリカも見習うべきですね。
あと、Perlの開発当初は、日本での普及は難しいと思っていましたが、Jperl(2バイト文字に対応したPerlの日本語実行環境)の登場とともに急速に普及したのは印象的です。
-- Perlというと、ウェブのホスティングやHTMLなどのテキスト処理用の言語として広く使われていますが、会計系の処理ではどのように使われているのでしょうか?
会計系はパッケージソフトにまかせておくとして(笑)、近いものでは、株式や金融の市場分析モデルを算出するのによく使われています。
-- その理由はなんでしょう?
とくにPerlは、ルーチンを拡張したり、調整したり、状況に合わせて処理を進化させることに優れた言語です。この点が理由だと思います。
-- そのほか、企業ではどのように使われていますか?
やはりウェブ関連が中心ですが、ロボット系やネットワークスキャン、メールの一括配信などです。
-- ところで、余暇はなにをしていますか?
最近は海水魚の飼育に凝っていて、水槽にハコフグを飼っています。合気道もやります。ちなみに子供たちには空手をやらせていますが。あとは、趣味でプログラミングもやりますよ。
-- どういったものを作ります?
たとえば、電子メールや電話に、それぞれの発信者ごとに、着信すると奇妙なサウンドが鳴るような仕掛けです。あと、ハコフグの水槽のポンプを制御するプログラムも作りました。それぞれの家電がEthernetで接続されています。
-- 開発言語は?
もちろんPerl! だけど、おもに使ったところはEthernetまわりですが。
-- Perlとインターネットのかかわりはどのように変わっていくと予測しますか?
んん(と、苦笑しながら)、それには答えられない。それは、インターネットの未来を予言することと同じになるから。
ただ、将来のPerl像というと、目下行っている、JPL(Java Perl Lingo)によるJavaや、XML、COM、COLBA対応に最も力を入れています。
-- Perlはこれからもタダ(フリー)ですか?
もちろん。
-- Perlのフリー文化と相対立するものにMicrosoftなどのパッケージソフトの文化があると思いますが、Perlとのかかわりはどうなっていくでしょうか?
お互いはもっと協業関係を結ぶべきです。フリーウェアの文化は、インフラを自由に無料で利用できるというところにある。一方Microsoftは、インフラ提供でお金を取りたがっている。まあ、根本的な哲学が違っているわけで。フリーウェイは、東海岸は有料ですが、西海岸は無料。僕はカリフォルニア出身だし、インフラ利用には無料であることを支持します。
-- ありがとうございました。
(最後に、ラリー・ウォール氏は鞄の中からごそごそと紙切れを取りだし、それを読む)
DOUITASIMASITE!(笑)
◎インタビューの記念に、『Perlプログラミング』の本扉にいただいた直筆サインとラクダのスタンプ
*注1:インタープリタ
プログラミング言語の解釈ソフト。プログラミング言語は一般的にテキスト形式で書かれている。これを、CPUが解釈できるコード(いわゆるバイナリ)に翻訳するためのソフトウェア。インタープリタとはその1つで、実行時にプログラミング言語を1行ずつ読み込み、そのつど解釈する。PC関連の有名どころにVisual BasicやPostScriptがある。ちなみに、一括してバイナリに変換する解釈ソフトを「コンパイラ」という。