本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナーレポート:「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」(11月11日(土)開催)

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11月11日(土)セミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」( https://goo.gl/TbRGEj )を開催し、多くの方々にお集まりいただいた。ここでは、そのレポートをおおくりする。

参加者には、大学教授から法務関係者、Web制作会社の経営者、プログラマー、コンテンツマネージャー、サイト管理者、イラストレーター、大手企業の管理部門担当まで、多彩な職種の方々にお集まりいただいた。参加者からはさまざまな質問が飛び交い、書くこと、文章を世の中に送り出すことへの問題意識は、社会的にも高いことを痛感した。

◎セミナー資料より:「本」から見た文章の構造f:id:tech-dialoge:20171117191922j:plain

 本作りの手法をベースに、アイデア(企画)の出し方から文章の構造解説、文章の作成や校正・推敲の方法、スケジュール作成、共著・協業の方法まで、Webと紙に共通した「書く」技術の総合的な内容を、ワークも含めて2時間にわたり共有した。 

見出し付けや「文章からのノイズ除去」「字面の作り方」を学ぶ

会場からあがった声や反応から印象的だった内容をいくつかまとめてみる。

まず、「見出しワーク」を実施したこと。Webに掲載されていたある金融アナリストの文章に、「正しい見出し」を付けるというワークを実施した。

見出し付けの基本。その文章を読まずにも、見出しを読むだけで内容を類推できるものでなくてはいけない。その意味で「項」の最終段落には見出しの元となる文章が置かれている必要がある。その文章のサマリーが見出しとなる。

もう一つ会場から反応が多かったのは、「文章からのノイズ除去」である。これは編集手法の一つだが、たとえば「過去にこんなことがありました。私がロンドンに駐在していたころの話です。」という文章の「過去にこんなことがありました。」はノイズである。「駐在していたころの話」というだけで、すでに過去の話であることは自明である。

こうしたノイズ除去の作業で文章の長さが削減され、さらに、読み手の思考の文脈を乱さずに文章が読みやすくなる。そうした編集実例を見せた。

また「字面」(文字の見た目)についても参加者の関心は高かった。文章は読むものであり、また、ビジュアルとして見るものでもある。文章中に漢字が多いと字面が黒々となる。それを避ける意味でも、漢字を適宜ひらがなに直す(開く)。たとえば「物」を「もの」としたり、「何」を「なに」とするなど。これにより字面は視覚的に柔らかくなり、見やすくなる。それに伴い、読みやすくなる。

 文章の質を高めるには、「レビュー」にも効果がある

作文技術の説明の中で、文章の「レビュー」の重要性も説明した。専門性の高い文章(技術解説書など)では、書き手は専門用語や独特の文脈を持っている。専門家が読んでも普通に読める文章でも、一般人が読むと「行間が飛んでいる」ことで意味が通らないものも多々ある。そうしたことを防ぐために、文章のレビューは重要である。

文章は一般的に、中高生でも読める水準が理想とされている。可能であれば中高生に一度文章を下読みしてもらうこと。また、まったくの門外漢(たとえばプログラミングの解説文を主婦)に読んでもらうことで文章の質が高まることもある。

どんな人にどんな文章のレビューを依頼するかは重要である。また、出版やWebで文章を世に送り出す際には、レビューアーはその文章作りの貢献者として名前を謝辞などに掲載できる。これにより、「拡散」してくれるという利点も発生する。

差別表現には十分に気をつける

質疑応答では「書籍などのタイトルはどのようにつけるか?」という質問があがった。タイトルには「パロディ」や「ブーム」「かたち」という3つのパターンがある。「パロディ」では、たとえばスタンダールの『赤と黒』から加藤シゲアキの『ピンクとグレー』や、「ブーム」であれば『~力』や『~をすると~がすぐによくなる』『3つの~』など、「かたち」であれば書名としてカバーに文字を配置すると格好いいものがタイトルとして採用される、などがある。このように、タイトルには一定のフォーマットがある。

書籍やWebなどで見出しやタイトルを付ける際には、文章全体においてあってはならないものだが、差別表現に気をつけることも重要だ。昨今、差別の定義が大きく変化(LGBT、人種、宗教、疾患……)しており、そうした表現には敏感にアンテナを張り、作文時には注意を要することも説明した。

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セミナーを終えて再認識したことは、デジタル社会のいま、「書く」という行為は避けられないという点である。たとえ音声入力の技術が発達しても、「交わされる口語」と「記録される文語」の使い分けは必ず出てくる。その意味でも、記録される言葉、読まれる言葉を「書く」技術は、今後ますます求められることは間違いない。この技術の本質は、書く対象がデジタル(WebやSNSなど)であれ紙(書籍や雑誌など)であれ、まったく違わない。セミナーの参加者たちとの対話や時間・空間の共有から、それを強く感じた。文章の世界は限りなく広く、そして深い。
一人でも多く「書ける」人が増えてくることを、心から願う。

こうした学びや意識の共有の場は、これからも定期的に設けていきたい。

セミナーへの参加とご静聴、重ね重ね、ありがとうございました。

三津田治夫