本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

4月7日(土)、印刷と出版の歴史を学ぶ「本とITを研究する会 大人の遠足編」をトッパン印刷博物館にて開催(前編)

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4月7日(土)、本とITを研究する会初のフィールドワークとして、江戸川橋トッパン印刷博物館で観覧勉強会を開催した。今回は「大人の遠足」ということで、おやつとドリンクを片手に、学芸員の解説に耳を傾け、活版印刷ワークショップに参加した。18時の閉館までの自由行動の後、一時解散。飯田橋で懇親会を実施した。

エントランスでは、ラスコー洞窟の壁画からグーテンベルクの四十二行聖書、液晶モニターICカードまで、文明以前から現在までのメディアと印刷の壮大な歴史を40分ほどで一覧した。

日本にある世界最古の印刷物「百万塔陀羅尼」
印刷とは複製の技術である。この定義に従えば、「ハンコ」は印刷の元祖である。そこで紹介されたのは、古代メソポタミア文明で使用された「円筒印章」(シリンダー・シール)である。
円筒形の印を粘土の上に転がすと紋様が粘土に転写される。印刷で使われる「版」とまったく同じ機能を果たす。

紀元前17~10世紀に栄えた中国殷(いん)王朝の「甲骨文字」は、亀の胸の甲羅に刻まれた文字で、宗教的儀礼に用いられたものだ。さらに時代は1000年以上飛んで、紀元前196年、古代エジプトロゼッタ・ストーンのレプリカも展示。石版上には、上からヒエログリフ、デモティック、ギリシア文字という、三つの言語で同じ内容が表記されている。ロゼッタ・ストーンに関しては長い物語があり、また現代語訳文も発表されている。興味がある方はこちらで読むことができる。

印刷は宗教とテクノロジー、資本主義社会という3つの柱で発展してきた技術である。世界最古の印刷物が日本にあったというのは意外な事実。館内ではその「百万塔陀羅尼」のレプリカが展示されていた。女帝称徳天皇(8世紀)が国家の安寧と兵士の鎮魂のために、仏典から陀羅尼を100万つくらせ、それを10万ずつおのおの10のお寺に納めたという。どんなリソースで100万の印刷物を作成し、流通させたのか、非常に興味がつのる(いまの商業出版の言葉に置換すれば「10万部ずつ10店舗に納品」という感じ)。

多色刷りの技術に優れた江戸木版。そして、グーテンベルク
最古の金属活字が開発されたのも実は東アジアだった。14世紀に朝鮮半島で銅による活字製作が盛んに行われ、それを徳川家康が日本に取り入れ出版文化が開花する。しかしこれは50年ほどで衰退。とはいえ江戸時代徳川家の出版文化への貢献は大きく、のちの井原西鶴近松門左衛門十返舎一九本居宣長といった、文筆家や学者、クリエイターを多数輩出し、出版物も多数流通させた。

そうした日本の出版大衆文化の拡大と、出版技術の向上に貢献したのが、日本の木版の技術である。浮世絵に代表される「多色刷り」の技法は、現在のカラー印刷の原型である。当時は8色の重ね刷りを行っており、それらをずらさずに刷る「見当合わせ」の技術も当時確立されたものだ。現在ではCMYKの4色のインキを使ってカラー印刷を行うが、版ズレを起こさないための「見当合わせ」という言葉は江戸木版印刷からの派生である。

西欧に目を向けてみると、朝鮮半島で金属活字が開発されてから少しして、ドイツのマインツに金属工のグーテンベルクが現れた。東アジアの活字とグーテンベルクの活字との大きな違いは、前者が銅であるのに対し、後者が鉛合金であること。鉛は柔らかく壊れやすい半面、低温で溶解しすぐに固まる。金属のことを知り尽くしたグーテンベルクは、鉛にスズとアンチモンを混ぜて強度を高め、さらにアルファベットごとに活字を独立させ、活字作成の効率化と文字同士の組み替えやすさやを確立した。印刷に際してはブドウ絞り器を改良した印刷機を、インキには油絵の具をベースにした油性インキを開発した。このようにグーテンベルクは、現代の印刷技術の基礎を確立したのである。

ちなみにグーテンベルクの四十二行聖書は、アジアで唯一慶應義塾大学が所有しており、丸善経由で手数料込み8億円で購入したという。そのエピソードを聞いて我々一同驚愕、ため息を漏らした次第。

編集者の元祖、マルチン・ルター。そして、明治の出版大衆文化
グーテンベルクの後を追うように15世紀末に登場したのは宗教家のマルティン・ルターで、彼は聖書を市民の言葉であるドイツ語にはじめて翻訳し、しかも当時の最先端技術である活版印刷を活用、安価に聖書を生産・流通させた。当時の聖書は市民の読めないラテン語で書かれており、羊皮紙に手書きされた高価な写本。教会ごとに数冊しかないというレベルの数(出版流通で言うところの配本率?)である。いまでいえば、一部のインテリが英語でしか読めない高級文献をGoogle翻訳でネットで無料配布するような感覚である。それをルターは、宗教の世界で実行したというわけだ。以来、清教徒革命などの宗教革命が続発し、そのあとを追うようにフランス革命アメリカの独立など、さまざまな市民革命が起こったことは世界史が示すとおりだ。マルティン・ルターの仕事は、単なる宗教家ではなく、さまざまな言語から聖書をリフォームし、市民の言葉に訳し、多くの人にその言葉を与えたという意味で、編集者の元祖であるともいえる。

木版、活版ときて、次は銅版と石版印刷である。
銅版印刷はエッチング以前の技術として確立されたもので、地図や天文図などの精細な図の印刷に適した技術だ。石版印刷はリトグラフにも使われる、水と油が反発する原理を応用した技術で、現在主流の印刷技術、オフセットの原型である。

再び日本に戻ると、明治維新以降、印刷出版文化が一気に加速する時代が目に入る。
大槻文彦が日本初の国語辞典『言海』を編纂することで、日本人は列強と対抗するべく、はじめて共通の言葉を持つことになった。そして、日本語を共有した明治の日本人たちは、文芸をはじめ、大衆に向けてさまざまな出版物を発刊した。共通の言葉を手に入れた読者も、言葉に飢えた。そこに登場したものが「雑誌」と「ジャーナリズム」である。雑誌『キング』は日本初のミリオンセラーをたたき出した。人々がこぞって活字に手を出したという時代は、いまの感覚ではまったく想像もつかない。

戦争と印刷・広告。そして、印刷とITの出会い
戦争と出版はいつの時代にも紐付きである。自国に撒かれる戦意高揚ビラや敵国に撒かれる戦意喪失ビラ、国民を心理誘導するプロバガンダのポスターが出版物・印刷物として大量に生産されたのは第二次世界大戦の時期だった。このころに確立された出版の使われ方は、出版物を通した「心理操作」であり、その平和利用としてこんにち確立したものが「広告」である。戦後から二十数年を経て、1970年代、日本では広告を中心としたパッケージやカタログ、雑誌などの、グラフィック・デザインの時代が到来した。印刷と出版が消費社会と分かちがたく結びついたのがこの時期であり、印刷技術の進化に加えて応用が加速したのもこの時期である。

印刷技術の応用の第一は、家具建築であった。床材や壁材の「木目調」にはグラビア印刷の技術が応用されている。安価な木材に質の高い木目を刷り込むことで、家屋の商品価値を高めることに成功した。

そして現在、私たちが触れている最新の印刷技術の応用が、ITである。
私たちが日ごろ使っているICカードは三層構造になっており、内部でコイルとICチップが結線されている。その配線にエッチング(銅を腐食させて溶かす)の技術が応用されている。最後に展示されていたものは、スマートフォンやパソコンの液晶モニターに使われている「カラーフィルター」である。画面の色を表現する重要なパーツで、フォトレジストによりRGBの三色が配列される。この技術で精細なカラー画像が再現されている。工場で印刷されたカラーフィルターはメーカーに納品され、組み立てられたIT機器は私たちの生活のお供となる。

    *  *  *

以上、古代メソポタミア文明から現代までの出版印刷史を、観覧内容から駆け足で説明した。

「本とIT」が地続きであること、言葉が革命と変革を起こすことは、この展示・解説を通して共有できたのでは、と思っている。

後編に続く)

三津田治夫