本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

4月7日(土)、印刷と出版の歴史を学ぶ「本とITを研究する会 大人の遠足編」をトッパン印刷博物館にて開催(後編)

エントランスの出版印刷史の展示・解説を終え、待望の印刷工房に移動した。
工房では10人ずつ2班に分かれ、活版印刷を体験した。

◎印刷工房の様子f:id:tech-dialoge:20180420173311j:plain

工房内では印刷機と大量の活字に囲まれ、活字マニアにとっては垂涎の空間である。

◎英アデナ社製卓上活版印刷機の操作を説明する学芸員の職人さんf:id:tech-dialoge:20180420173401j:plain

イギリスのアデナ社製卓上活版印刷機を使い、ローラーへのインキ乗せ、活字へのインキ乗せ、活字からの紙への転写という、3つのアクションで印刷が完了する体験をした。

◎活字の棚。全部活字、圧巻!f:id:tech-dialoge:20180420173647j:plain

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大量な活字が置かれた棚には、使用頻度順で活字が配列されている。キーボードでいうQWERTY配列のようなイメージ。プロの活字職人は1文字を3秒で拾うという。「1文字3秒のタイプイン」と考えると、現在のITとはほど遠い時間感覚である。

◎「母型」を彫る機械f:id:tech-dialoge:20180420173820j:plain

活字の原型である「母型」を彫る機械。1885年製で、日本には3台しかない。

アメリカ人の手でデザインされたイギリス製印刷機f:id:tech-dialoge:20180420173855j:plain

アメリカ人の手でデザインされたイギリス製の印刷機。大きな鷲がついた装飾的なデザイン。

◎昔の印刷機では、用紙を一枚一枚手で送っていたf:id:tech-dialoge:20180420173937j:plain

紙は一枚一枚手で送り込む。男2人の作業で1時間200枚の印刷が可能。これを考えると、コピー機の発明はすごい。コピー機はある意味「版のない印刷機」である。これもまた大きな印刷革命の一つ。そしていまとなっては、コピー機すらすでに過去の産物。いまやコピー元の紙も存在しないデジタル出力の時代。いまに出力もなく、脳から出た端子にデジタル信号を送り込むとVRを体験できる「出版」も出てくるに違いない。そんな未来が訪れようが、紙の印刷はなくならないし、本や雑誌もなくならない。デジタル社会のいま、紙の出版物はいささか味わい深いノスタルジックな存在であるかもしれない。また、活字オタクや本フェチの「少数のマニアのもの」であるかもしれない。それでも、紙の出版物はなくならない。

紙の出版物の持つ情報量は、デジタルとは比較にならないぐらい、桁違いに多い。デジタルに、紙の持つ風合いや匂い、シミ、書き込み、折ったり付箋を貼ったりといった、立体的かつ五感的なユーザー・エクペリエンスを再現することはほぼ不可能だ。そして紙の出版物の決定的な優位性は、アクセス性である。大きさや重さといった短所を補って余るほどの、高いアクセス性がある。ページ間を飛ばして読んだり、ランダムに読む際には、紙の本ほどアクセス性が高いものはない。その際にめくった指の感覚も、ユーザー・エクペリエンスとして人間の五感に記憶される。そしてそのエクスペリエンスが記憶となり、記憶が積み重なることで思い出になる。本に思い出が深いのも、ここにある。そして貸し借りやプレゼントも、紙の出版物にしか持ち得ない機能である。

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紙の出版物には、十分に存在意義がある、というわけだ。紙の出版物の存在意義と、昨今の「日本の出版不況」は、まったく別物と考えた方がよい。社会のデジタル化で紙の出版物の需要が急低下したことは間違いない。しかしこの現象を、紙の出版物の存在意義の低下と捉え、それが日本の出版不況の根源、と捉えてはならない。この点だけは肝に銘じ、紙の出版物の存在意義を改めて考えていきたい。その上で「存在意義のある紙の出版物とはなにか」を煎じ詰めて考えていけば、「日本の出版不況」など、なくなってしまうのではないか。私はそう思う。

三津田治夫