前回からの続き。
敏感な子供心は大人の矛盾をキャッチする。
しかしそれを言葉で口にすることはできない。
カフカの精神的プレッシャーは高まる。
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「口答えはやめろ!」という嚇しと、そのさいに振りあげた手とは、すでに幼児期から付きまとっていました。......しかしやがてあなたのまえでは考えることも話すこともできなくなったため、ぼくはついに沈黙しました。
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たび重なる恐怖心から、カフカは自己防衛のために「沈黙」というテクニックを身につける。
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ぼくは完全に黙りこみ、あなたからこそこそと逃げ、あなたの勢力がすくなくとも直接には及ばない所まで離れてから、ようやく身体を伸ばそうとしました。だが、そこにも、あなたが立ちはだかっておられた。
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父親の暴君的な人格が災いしているのか、あるいは息子への大きな期待がそうさせるのか、はっきりしないが、カフカ自身が言うように、父親は人格的に問題がある。
たとえば、カフカがあることに夢中になってそれを報告しようと家へ飛んでいくと、父親はなにを意図してか、「もっと素晴らしいものだって見たことがあるよ」「もっとましなもの買えよ!」などと息子の否定にかかる。
暴君であればあるほど、その人の恐怖心は人一倍強い。その恐怖心とは、自分の手から権力が離れていってしまうというそれだ。あらゆる手段を使って暴君は権力の保持に努める。
暴君としてのアイディンティティ(権力を持っているという)を保つために父親は子供を否定するのだろうか。親子の間で一種猟奇的なこの心理は容易に理解できない。
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ぼくが何かあなたの気に入らぬことを始めると、あなたはきまって、そんなものは必ず失敗すると嚇しました。そう言われてしまうと、あなたの意見にたいするぼくの畏敬がじつに大きかったので、時間的には先のことであるにせよ、失敗がもはや避けられないものになってしまうのでした。ぼくは、自分の行為にたいする自信を失いました。
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これは作家の父との物語としてだけではなく、「どうしたら子供にトラウマを作れるのか」という反面教師を学ぶ教育論としても読める。
読み続けるとカフカが可哀想になってきてしまう。カフカは40代で早死にしてしまうものの、よくも立派に生きてきたものだ。
そこで、彼を生き延びさせたキーワードがある。次の文に隠されている。「逃走」である。つまり彼は内面的な逃走(精神内にもう一つの現実空間を構築する術)により生きることができた。それがのちの創作へと発展する。
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こうしてぼくは、不機嫌で、不注意で、不従順な子供になり、つねに逃走を、たいていは内面的な逃走をこころがけたのです。
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カフカは自分が生き延びる方法を発見できたので、ある意味不幸中の幸いだったと言える。ここまで人間追い詰められれば、高い確率で人生に破綻をきたす。
先を読み進めてみる。
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あなたが実際にはぼくをほとんど一度も殴らなかったこと、これもまた事実です。しかし、あなたが怒鳴り、顔を真っ赤にして、いそいでズボン吊りをはずし、いつでも振りまわせるよう椅子の背にかけておかれるのは、ぼくにとって、殴打よりもっとひどいことでした。まるで絞首刑を申し渡されるようなものです。それで実際に吊されるものなら、すぐ死んで、なにもかも過ぎ去りましょう。ところが絞首刑のすべての準備に立会わされ、綱が顔のまえにぶらさがってきたところで、はじめて恩赦を知らされるのでは、生涯その恐怖に苦しみつづけることになりかねません。
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「実際にはぼくをほとんど一度も殴らなかった」と言うように、恐怖は精神的なものであることは明らかだ。人一倍感受性が強いカフカは、否定され、自信を踏みにじられ続けた経験から、自分の精神の中に監獄を作ってしまった。
いうなれば彼は、父親の存在により自我が構築した精神的監獄の囚人だ。
前半は、カフカの幼児期という過去の事柄が手紙のテーマであったが、後半は、カフカの職業や結婚に関する父親との関係が語られている。
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......あなたが店で怒鳴り、罵倒し、激怒するのを聞き、見たのです。それは当時のぼくの子供心には、世界中にまたとない荒れようと映りました。あなたはまた、ただ口で叱るばかりでなく、他の暴君ぶりも発揮しました。たとえば、あなたが思っているのとはちがう商品を取違えて差出そうものなら、あなたはとっさにそれを陳列台から払いおとし--その場合あなたの怒りの無思慮さだけがわずかに救いでした--番頭が拾い上げねばなりませんでした。
......結局ぼくは、こうしてほとんど商売を恐怖するところまで行ったのです。
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カフカの父親は小間物商として従業員を何人も使っていた。本人は丁稚から入って腕一本で食べていけいるところまでのし上がってきたのだから、そうしたワンマン経営者にありがちな傲慢さは自身の働きぶりにもついつい出てしまう。
たとえば、社長にボールペンを持ってこいと命令されて、部下が間違えてシャープペンを持ってきたらその場でそれを投げつけられてしまうようなものだ。
投げなくったっていいだろう。嫌な社長である。こういう人と積極的に働きたいという人はまずいない(個人的にもこういう人とは働きたくないし、こういう人になりたくもない)。
そういった仕事の現場をカフカは嫌というほど見せつけられたので、「商売を現実のうえでこころから憎悪しています。」と本人は断言している。
彼の超絶に鋭い感受性をフル活用できる、憎悪する商売から逃避するための逃げ場の発見が、創作であった。
父親はユダヤ教に対する確信を持っていたがさほど信心深くもなく、むしろ息子がユダヤ教に関する事柄に深入りする時期と並行して、息子の関心への嫌悪感も増加していった。息子が持った関心とは、ものを書くという創作行為だった。カフカは創作という、言語による仮想の空間を、自分がリアルに生きるべき世界として発見した。
象徴的な事柄として、カフカが新作を書き上げて、父親に献本しようとしたときのエピソードがある。
著書を手渡すと、父親は「テーブルの上に置いておいてくれ!」(たいていはトランプをしながら)という台詞を残して看過した。父親はトランプに夢中で、息子の労作になど目もくれなかった。
この話はカフカの仲間内で一つの事件として語りぐさになったらしい。
しかしエピソードは否定的な語りぐさではなく、むしろカフカにとっては肯定的なそれであった。「テーブルの上に置いておいてくれ!」は彼の耳に「勝手にしろ!」と響いたので、彼はそれに自由を感じたのである。
彼に与えられた唯一の自由の現場が、書く、という場所だった。
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ぼくはいつだって、自分がおかれた状況のなかでけっして怠惰ではないと思うのですが、これまではやる事が無かったのでした。そして自分の生き甲斐があると信じたところでは、非難され、こき下ろされ、叩きのめされました。どこかへ逃げだすことは、たしかに緊張を要しましたが、そんなものは仕事ではありません。逃げること、それはしょせんぼくにとって、全力を尽しても、小さな例外を除いてとうてい達成できない不可能事だったからです。
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学問へも無期待。職業へも無期待。無期待でありながらなんとかやっていけそうな職業に彼は法曹界を見出したとも語っている(カフカは大学では法学を専攻し、学位を手にしている)。
次回は、カフカ自身が語る結婚観を読んでみる。
(全4回、次回に続く)