本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

2020年から必修化されるプログラミング教育への意見 ~なにを主眼に見据えるべきか?~

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2020年から子供たちにプログラミング教育が実施される。
この計画が果たして日本の教育に根付き、そして日本は欧米列強と並んでソフトウェア開発立国となることができるのだろうか。そして、日本がすべきプログラミング教育は、どこに主眼を置くべきか。
これらについて考えていきたい。

可能性としての三つの方向性
可能性として、三つの方向性がある。
一つは、日本ならではのゆとりや協調の文化と、西欧流のロジカルシンキングが合体した独自のカリキュラムにより、子供たちには立派なソフトウェア思考が身につく、というストーリー。
そしてもう一つは、日本の英語教育のように、何年学んでも一向に身につかず英会話学校に通うことで実用性が得られるといったような、お勉強のためのプログラミング教育。
そして最後は、学校ではそこそこ学んで、もっと強化したい場合はプログラミング学校で学びを付加するというもの。
一番目が最も理想的だが、二番目以降はいままでの日本の教育の流れから見ても、あながちないともいえなさそうだ。

お勉強のためのプログラミング教育とは、言ってみたら、暗記力や即答力の高さを競うような教育で、これからの時代にはあまりフィットしない。暗記はコンピュータが得意で、即答はスマートスピーカーやAIの専門領域だ。そのため、これからの教育に必要な大命題は、人間ならではのもの、人間にしか持ち得ないものを伸ばすことである。

コンピュータになくて人間にある決定的なものとは?
コンピュータになくて人間にある決定的なものとはなにか?
それは、死である。
そして、死までの時間の概念である。
今後のプログラミング教育のキモは、おそらくここにあると私は考えている。
ロジカルシンキングと死とは、どういった関係にあるのか。
プログラミングに死なんて、バカな。
そういった意見もあろう。
いままではそれで通用したが、これからは、死せるものとして、死を意識して生きることができる唯一の生物として、人間がどのように社会に自分の生命を投影できるのかを突き詰めることが、教育の柱になっていくはずである。
なんのために自分は生き、なんのために自分の命を社会に投影していくのか。そうした決意は、偏差値や答案の点数では計測できない、新しい価値基準により育まれる。
倫理やしつけの次元から、より高い次元をゴールに据えた教育である。

教育の根幹に哲学を据える
その教育の根幹はどこにあるのか。
それは、哲学にある。
プログラミングの基盤には、言語学がある。
そして言語学の基盤には、哲学がある。
言語とは、哲学の要素であると同時に、哲学の研究対象でもある。

日本のプログラミング教育で私が一番恐れていることは、HTTPを発明した人は誰で、それは西暦何年で、バブルソートアルゴリズムはこうで、TCP/IPのパケットは何ビットで、などの事項を暗記させ、答案を書かせ点数を競わせるような教育だ。
遠くに本物のゴールを見据えずにいると、上記事態に陥りうる。
目前の事項を暗記するのではなく、人間の遠くで近くにある「命の問題」と向き合うことが、プログラミング教育の本当の意義ではないか。
プログラミングは、人間のコミュニケーションを促し、人間の生活を豊かにする道具だ。その道具をいかに使うかという素養を育むことが、プログラミング教育の主眼である。
暗記力や即答力も、確かに、人間の持つ身体能力としては立派な価値がある。しかし、AI時代のプログラミング教育において、もはや優先順位は低い。

最も大切なことは、生命との向き合い
最も大切なことは、子供たちが自分という命に向き合うこと。
その際に行われることは、自分との対話である。
そして対話のための道具が、言葉である。
言葉による自分という生命との対話とは、すなわち、哲学である。
プログラミング教育の基盤には、命、言葉、対話という、哲学が動かし難く備わっている必要がある。
そこでまた、デカルトの哲学はどうだ、ヴィトゲンシュタインの哲学はどうだという、哲学論は不要だ。

*   *   *
 

言葉による自分という生命との対話は、教育の出発点であり、ゴールでもある。
こうした枠組みを見据えるか否かで、日本のプログラミング教育の成否は大きく別れる。
子供のうちから、言葉、生命、対話の大切さを、しっかりと植えつけていく。
そこから因数分解すれば、何をすべきかが、自ずとわかってくるはず。
そのためにも発想を転換し、もう一度プログラミング教育の意義を見直す。
その上で、子供たちのためにできることを考える。
子供は大人の鏡である。
子供のプログラミング教育とはすなわち、大人のプログラミング教育でもあることを忘れてはならない。

三津田治夫