本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

ディープブルーはなぜ勝ったのか?

f:id:tech-dialoge:20180816212559j:plain

 しゃべり言葉に書き言葉、言葉にはいろいろあり、いずれも人間同士が考えを相手の頭脳に送り込むための媒体が言葉だ。人間同士の会話にはこうした言葉が使われるが、人がコンピュータに対して考えを送り込むために使う言葉は、いまのところ、プログラミング言語となる。今回は言葉とコンピュータについて考えてみる。

ある時、コンピュータは「言葉」を持った
 言葉の現代社会への最大の貢献は、戦後のコンピューティングの発展にあるといえるかもしれない。哲学は科学の生みの親であると共に、科学と相互に刺激を与えあうよきライバルでもある。哲学(論理学)と現代コンピューティングの接点が見られるようになったのは、20世紀初頭のウィーン学派からだ。それまでの哲学を語る言語は言葉だったが、ヴィトゲンシュタインやカルナップらのウィーン学派哲学者の間では、哲学の言語に数式が取り入れられた。
 ウィーン学派の活動は戦後アメリカに移った。彼らの思想はプログラミング言語として、ノイマン型コンピュータというハードウェア・アーキテクチャと結びつくことで、コンピューティングは猛ダッシュをかけるように、一気に加速した。

 コンピュータの制御は、古くは、スイッチや配線の組み合わせを変更することで行われていた。コンピュータに言葉を入力するためのインタフェース(キーボード)と専用の言語が開発され、コンピュータは「言葉」で制御することが可能となった。英数字の羅列からなる判読困難なアセンブリ言語を経て、人間の言葉に近い文法を持ったPascalやFORTLAN、会計や伝票の概念を取り入れたCOBOL、PL/1、人間の思考概念のモデルを取り入れたsmalltalkJavaなど、数々のプログラミング言語が開発された。 

人間の脳に近い振る舞いまでができるようになったコンピュータ
 コンピュータのハードウェアは、CPU(中央演算装置。当時はこんな言葉すらなかった)に真空管からトランジスタ、そして1959年に米TI社が開発したIC(中央集積回路)が実用化されることで、処理速度は飛躍的に高まった。それから時を経ずしてLSI、超LSIへと進化し、ムーアの法則に基づいてネズミ算式に中央演算装置は小型化と処理速度の高速化への道を突き進んでいった。中央演算装置の「超」高速化によって、いまやコンピュータは人間の脳に近い振る舞いまでができるようになった。

 それを証明する出来事が起こったのは1997年、私はいまでも昨日のことのように覚えている。IBMのスーパーコンピュータであるディープブルーが、チェスの世界チャンピオン(ただの世界チャンピオンではなく、数百年に一人出るか出ないかの天才プレイヤー)であるガルリ・カスパロフ氏を破ったその時だったろう。過去の積み手をデータベースに記録し、その中で最も王手(チェスだからチェックメイト)に近い手を算出するというそう複雑ではないアルゴリズムで、1秒間に2億手先を読める猛烈な演算速度と、精神的なプレッシャーおよび肉体的疲労を一切知らないその機械的な能力に、カスパロフ氏は辛くも敗北を喫した。負けが見えてきたときのカスパロフ氏の表情は見るからにやつれ、手先は小刻みに震えていた。後日同氏が語ったのは、「疲労とプレッシャーを見せない相手に恐怖を感じた」とのことだった。

 これによって、「一定の条件下で人間に勝る能力を人間が開発した」、ということが証明された(ちなみに次の試合では、カスパロフ氏は勝利を収めた)。
 産業革命の図式は「筋肉→蒸気機関」へのパラダイムシフトだったが、ディープブルーの勝利は「脳→コンピュータ」というパラダイムシフトを成し遂げたとも言い換えられる。

人間の脳がシミュレートされるのはそう遠い未来ではない
 ディープブルー対カスパロフ氏の対戦が終わったあとのことだったが、テレビで、IBMのエンジニア(名前は失念した)がインタビューされていた。そのときの発言が耳にこびりついていまでも忘れられない。

 インタビュアーが「ディープブルーはなぜ勝ったのか?」と聞くと、エンジニアはこう答える。「わからない」と。どのような条件でどのような勝ち手を読んだのか、あまりにも条件が複雑なためにわからない、というのだ。ログを丹念にトレースすればわかるのではないかと思ったが、そうでもないらしい。あまりにも複雑多岐で、条件を容易に再現することができないのだ。

 このときふと思ったのは、「人間の脳がシミュレートされるのはそう遠い未来ではないな」だった。まさに人間の脳も複雑多岐な条件で働いており、"Aという物体を目にしたら、脳のBという部位に情報が保存され、Cという行動を起こす"、などという機械的因果律は通用しない。Aという物体は一体なんだったか、どんな形で何色だったか、また、どのような感情でそれを目にしたのか。Aという物体は過去の記憶を想起させたか。またそれを目にしたときの身体のホルモンバランスはどのようだったかなど、「あまりにも複雑多岐で、再現することができない」条件により、人間の認識と行動は決定される。

 つまりコンピュータも、複雑多岐な条件を限りなく記憶させ、力業で最大限高速にそれにアクセスすることができれば、より人間に近い振る舞いをするのではないか。そしてより複雑な記憶や認識の体系がコンピュータに育てば、もしかしたら創造的で生産的な活動もできるのではないだろうかと、未来への空想はつきない。空想とはいうものの、ドラえもんの「糸なし糸電話」や「壁掛けテレビ」は、携帯電話や液晶テレビとしてすでに商品化されている。空想侮るなかれ。コンピュータがもたらす創造的で生産的な未来に期待したい。

三津田治夫(2010年4月6日の記事)