ヴァレリーやベルグソン、ユング、モーツアルト、志賀直哉など、好きなものを徹底追求し仕事と成果にした小林秀雄が最晩年の11年間を費やした対象が、国学者、本居宣長である。
本居宣長に関するひとつの答えは、この人は宗教家であったということ。
小林秀雄は現代の科学者に欠如している実証主義以外の感性の問題を、賀茂真淵や荻生徂徠の思想と対比しながら評論する。
大著『古事記伝』なぞまず読めないし、上記の日本の思想家の本をひもとくとなると大変で、思考代行してくれた結果を美文でわかりやすく解説してくれる評論家の役割は大きい。
賀茂真淵が言葉にこだわったことに対し、宣長は言葉の内部に備わる「言霊」にこだわる。言葉には魂が宿り、さらに言葉には身体、肉体があるとまで宣長はいう。そして古代の日本人は、紫式部や紀貫之のごとく「もののあはれ」を文章に残そうとした。宣長は「言霊」と「もののはわれ」の思想で独特な漢文で書かれた古事記を訓読し、いまの日本人が読める形にした。
謎が多い国学者の宣長だが、これを目前に手に取るように提示してくれた小林秀雄の仕事は偉い。また、国学とはなにか、国学とは言葉でできているということも、この評論を通してよくわかった。戦後70年を経て、現代の日本人はそれ以前の日本文化とはきっぱりと断絶しているかのように見えて、実は日本人の心の中には、こびりついて離れないDNAがある。『本居宣長』を通して、そうしたDNAを国学者は解き明かし、かつ、形成しているように見える。
三津田治夫