本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

ポーランド人の複雑なメンタリティが沈潜した傑作SF:『エデン』(スタニスワフ・レム著、小原雅俊訳)

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ポーランド人の複雑なメンタリティが沈潜した傑作SF作品。
1959年の作品であるというのに、すでに放射能汚染にまで言及されている。
さすがコペルニクスキュリー夫人を排出した科学の国ポーランド
キュリー夫人にいたっては被爆で命を落としているぐらいだから、放射能ポーランドのゆかりは深い。
ちなみにこの国は1986年のチェルノブイリ原発事故の被害が大きかった。

作品を通してポーランドの苦悩を社会に示した作品
惑星エデンの土地がポーランドだとしたら、そこに住む異星人はポーランド人であったりナチスであったりソ連人であったりで、また惑星そのものは支配者と連携した体制そのものであって、エデンに不時着した地球人は文化人やモラリストというキャラクターに置換できる。

レムは当時のソ連支配下にあったポーランドにおいて、SFという表現スタイルを通して作品を構築し、作品を通してポーランドの苦悩を社会に示した作品として読めた。

『エデン』の後にレムは、タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』の原作『ソラリスの陽のもとに』(1961年)を書くのだが、『エデン』は『ソラリス』ほど哲学的な美意識が徹底した作品ではなく、死と戦争のイメージが漂う薄暗い作品だ。

1959年といえばアンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』(1956年)や『灰とダイヤモンド』(1957年)が発表されたほんの少し後。

不安や裏切り、抵抗という、戦争で徹底的にやられたポーランド人の精神の傷が深く刻まれた時代であった。

ポーランド人を尊敬すべきは、戦争とナチスソ連による支配で、精神や物体がとことんやられてまでも、文芸や映画といった「作品」を作り続けたところにある。70年代に共産主義国家における労働組合の「連帯」が結成されたのもポーランドである。

表現統制が敷かれていた当時の共産主義体制の中で、手を変え品を変え表現し続けたポーランド人は、執念というか、あまりにも立派だ。

レムの作品を通して、ポーランド人の卓越したクリエイティビティを感じた次第である。

f:id:tech-dialoge:20190913184803j:plain◎2012年10月、小原雅俊先生と。新宿にて撮影

翻訳者である小原雅俊東京外国語大学名誉教授との対話
これは、大学のポーランド語のクラス会に参加。解散時、恩師の小原雅俊先生と撮影。
先生の訳された『エデン』の本トビラにサインしていただいた。これもまた我が家の家宝入り。

72歳には一切見えない若々しさとエネルギーにあふれた素晴らしい先生。
22年前とまったく変わらない。ビールを飲みながら、ポーランド史、スラブ史、ユダヤ人のことやヨーロッパ文学のことなどを、閉店時間までとくとくと語っていただいた。

先生の談義の妙味は、ヨーロッパの源流をすべてポーランドユダヤ人に還元して語れるところにあり、ほかの誰からも聞くことができない貴重な話ばかりだった(本当にそう思っている。毎回傾聴)。

先生のカフカの話も面白かった。
先生は元々チェコ文学を専攻したくプラハに入ろうとしたが、当時の社会情勢からワルシャワに行くことになり、そのまま人生をポーランドに没入させた方だ。先生、お酒が入ってくると必ずカフカ談義になる。それもまた面白い。

スタニスワフ・レムに関して「そもそもあんなひどい時代のポーランドに生きたレムに、どうしてあれだけクリエイティブな仕事ができたのか」という質問に対し、小原先生いわく、「ポーランド人はそもそも楽天的なんだよ」との明解な回答。

先生、今年から大学の仕事がなくなり、「ようやく翻訳に集中できるようになった」と、やる気満々。そのバイタリティもまたすごかった。ポーランド史の素晴らしい本がみずす書房から出るらしい。どんな訳が出るのか、楽しみ。

こうして22年間も生徒とつながりがあり、22年前と変わらないようなことを話し続けられるというのは、お金では買えない貴重な現象である。

それもこれもひとえに、小原先生の人間性なんだろう。

三津田治夫