本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

令和改元から半年、ベルリンの壁崩壊から30年周年を迎え、考えた「分断」と世界

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旧東ドイツ側から撮影した、東西世界分断の象徴である、ベルリン・ブランデンブルク門

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旧東ドイツの象徴的モニュメント「世界時計」(ベルリンにて撮影)

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ベルリンの壁の破片(実物)

令和改元から半年。
同時に、東西冷戦の象徴であるベルリンの壁崩壊から11月9日をもってちょうど30周年となる。
私としてはあっという間の30年。
あの、国家分断の歴史は、二度と起こしてもらいたくないと願っている。
しかしながら、時代はまた「分断」へと進みつつもある。
私はそこに危機感を覚えている、

先日、平成生まれの若者と話す機会があった。
元号改定に関し、「自分は平成生まれだから昭和のことまったくイメージつかない」と言っていた。
昭和生まれの私は、彼になにかイメージを与えられないかと、考えていた。

そこで私にふと落ちてきた昭和のイメージは、「東西冷戦」である。
平成生まれの若者にこれを話すと、「そんな時代があったのか」と、いささかおどろいているようだった。
確かに、平成世代の目から見たら、東西冷戦とは世界史の教科書に出てくる史実の一つでしかない。

私の昭和のイメージは「東西冷戦」だった
東西冷戦を簡単に説明する。
いまでは消滅してしまった「共産圏」という、ソビエト連邦を中心にした共産主義国家圏が存在していた。
ヨーロッパではポーランドチェコスロバキア東ドイツハンガリーユーゴスラビアアルバニアルーマニアブルガリアという、東側諸国が共産圏に属していた。
1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊とともに、共産圏は事実上消滅した。
この東側の代表がソビエト連邦で、対する西側の代表がアメリカ合衆国である。

東西冷戦とは、言い換えると、共産主義対資本主義の戦いだった。
双方が武器を使わず緊張関係を保つ状態が続き、西側の仲間である日本でも、共産主義国家は敵であり、ソビエト連邦は秘密警察や粛清といった恐怖政治のい国である、という認識が多くを占めていた。
つまり、「ソビエト連邦共産主義=怖い」というイメージを日本人は持っていた。

昭和を過ごした人たちは少なからず、共産主義に対してネガティブな感情を持っている。
ソビエト連邦がなくなったいまとなっては、共産主義はほぼ人畜無害。
世界史の出来事の一つ、古典思想の一つである。

東西冷戦時代が残した、平等性とコミュニティ、シェアリングエコノミー
そのような歴史的背景を経て、いまではむしろ、共産主義が残していった考え方やライフスタイルを、私たち日本人はポジティブに受け入れている。

この点、昭和を生きた私の目からは、とても新鮮に映る。

たとえば、人種や性別の差別をなくそう、という考え方。
共産主義国家では、多人種の共存や男女の平等な労働機会が徹底して実装されていた。

もう一つは、コミュニティ文化。
いまでは世界中にコミュニティが偏在している。
日本でもごく普通に、コミュニティが数多くある。
組織や文化を超えた人間のつながりが当たり前になっている。
共産主義コミュニズムというが、これは語源を同じにしているからだ。

最後は、シェアリングエコノミー。
「共産」主義というぐらいで、資本やサービスは基本的に国家の財産で、それを国民がシェアする考え方で共産主義国家は運営されていた。
シェアリングエコノミーが存在しなかったかつての資本主義社会のように、強者が取り、弱者が取られる、という、弱肉強食構造の真逆である。
もっとも、共産主義は、こうした弱肉強食構造の打開策としてカール・マルクスが「資本主義の次にきたる社会構造」として編み出したものだから、資本主義社会が成熟するにおいて共産主義的な発想が織り込まれていくのは理にかなっているだろう。
そう考えると、150年以上先の未来を読んでいたマルクスという思想家は、大変な人物だ。

令和への改元を経て、昭和の冷戦時代を過ごした人間の一人として、上記のような時代と価値観の劇的な変遷を振り返ってみた。

情報統制や粛清、海外旅行の禁止など、共産主義国家は人びとを締め付ける恐ろしい政治を実施していたのは事実だ。
それを踏まえたうえで、このような、現在にも根付いた文化を生み出していたことは、ここではっきりと確認しておきたい。

人間同士が「分断」などを繰り返している暇はどこにもない
旧東ドイツの友人が、「統一後のドイツは住みづらくなった」と言っていたことを思い出した。
犯罪が増えたのが一番嫌だと言っており、私がドイツに訪問した2011年には、覚せい剤中毒の患者が教会の牧師の自宅に押し入り、牧師は一命をとりとめるという事件があったことを、この友人から聞いた。
共産主義国家は国民を締め付けた分、治安も保たれていた、ということだ。
自由と平和、安全は、つねにバランスを保って共存しているともいえるが、「締め付けの強化と治安の維持」という国家のバランスが崩れたことが、ベルリンの壁崩壊の最たる要因である。

逆から見れば、国家の締め付けの強化と治安の維持が、言い換えると、自由と平和の真逆の行為が、1961年に建設されたベルリンの壁と、その28年にわたる東西世界の分断である。

国家による「分断」の繰り返しはもうやめてもらいたい。
台風や地震などの天変地異、地球環境問題といった課題が、いまの私たちには降りかかっている。
人間同士が「分断」などを繰り返している暇はどこにもない。

こんな時代だからこそ、世の中の本質的な動きを察知し、対話し、学び、世の中にプラスの循環を生み出していきたい。

対話と学びの最強のツールは、本である。
そして、世の中にプラスの循環を生み出す最強のツールは、ITエンジニアリングである。

双方を駆使し、これからの不確実性の高い時代を、共に乗り越えていきたい。

三津田治夫