本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

第16回・飯田橋読書会の記録:『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人著)を読む

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ヴェニスの商人』といえばユダヤ人商人シャイロックの「人肉裁判」をクライマックスとするシェイクスピアの名戯曲。
本作はこれを資本主義の原理と重ね合わせ経済学者が書き上げたエッセイ。

この手の書籍は読む人によりさまざまな意見が交差することが必定で、「マルクスの『資本論』がよくわかる」「経済学は面白い」「ユーモアがよい」、はたまた「シャイロックは悪い奴」「とはいえそこまでいじめなくてもいいだろう」といった『ヴェニスの商人』の作品そのものに入り込んだものまで、多様な意見や印象が飛び交った。

シェイクスピアの戯曲から貨幣の「交換機能」に着目
キリスト教社会で虐げられてきたユダヤ人は、キリスト教で禁じられた「利子」の獲得を生業とする。
ヴェニスの商人』でユダヤシャイロックは暴利をむさぼる悪徳商人として描かれている。

この劇のもう一つのクライマックスは、ヒロインであるポーシャの結婚相手の選出である。
彼女の肖像画金・銀・鉛でできた3つの小箱に収める。
3人の候補者はその小箱を選んだ動機を述べたうえで、中からポーシャの肖像画を取り出した者がめでたく彼女の婚約者となるというルール。

「ポーシャこそ金の価値を持つ」と金の小箱を開いた男は候補から外れる。
「鉛のように控えめな存在こそあなたである」と、鉛の小箱を選んだバッサーニオは見事ポーシャの肖像画を手に入れる。
そしてめでたく彼女の婚約者となる。

ここを岩井克人氏は、「価値の取り違え」と経済学的な分析を下す。
すなわち、金・銀・鉛そのものに価値はなく、「交換すること自体に価値がある」というマルクス貨幣論を、ポーシャの小箱選びに重ね合わせる。

ポーシャの存在自体が持つ「本質的な価値」と、彼女の肖像が収められた箱の素材自体が持つ「表面的な価値」との混同を指摘。
つまり小箱は貨幣と同じで、貨幣自体に価値はなく、それが「交換できる」という、貨幣の持つ「機能」に価値があるのだ。

フロイトは戯曲から「時間と運命の本質」を指摘
岩井克人氏が展開する『ヴェニスの商人資本論』を読んでいて、私はふと、フロイトのエッセイ『小箱選びの動機』を思い出した。
この作品もまたシェイクスピアの戯曲をテーマにしており、加えて『リア王』とギリシャローマ神話を取り上げている。

リア王』では、婚約者ではなく父親から娘が選ばれる。
リア王は、相続のためにどれだけ自分を愛しているのかを娘たちに語らせる。
2人の娘、ゴネリルとリーガンは父をあらゆる言葉を駆使して褒めそやすが、コーデリア1人だけは、「私の父への愛は深すぎて言葉にならない」と口にする。
それを聞いた父親は激怒して彼女を勘当。他の娘に全財産を分け与える。
結果としてリア王は娘夫婦の裏切りに遭い、失意をもって人生の幕を閉じるという忘恩の悲劇である。

ここからフロイトは、『ヴェニスの商人』のポーシャが鉛の箱に入っていたのは、『リア王』のコーデリアにおける沈黙と同様、地味なものが最も価値があるという象徴で、それは、ギリシャ神話の運命の女神と同じであるとする。

モイラ神クロート、ラケシス、アトロポスや時間の女神ホーライなど、運命の女神は必ず3人で構成されている。
3という数字は季節(古代ギリシャで季節は3つ)を表す。
運命の女神は季節の象徴でもあり、時間の象徴でもある。
人間の生命の糸を紡ぎ、時間とともに糸という生命を断ち切る。
そうした時間と運命を司るのが、運命の3人の女神である。
「時は金なり」というぐらいで、時間の概念を媒体に、運命の女神たちは「お金」のような価値の象徴であるとも言える。

ポーシャの肖像が収められた金・銀・鉛は価値の象徴である。
一見価値のなさそうな鉛にポーシャが納められていたのは、鉛は沈黙の象徴であり、父親に対して多くを語らないコーデリア同様、ポーシャはいわば「死の象徴」であるとフロイトは分析する。

小箱選びを通して「時間と運命の本質」を説明したフロイトに対し、小箱選びを通して「貨幣と価値の本質」を説明した岩井克人といった印象を受けた。
同氏は紛れもなく、フロイトの『小箱選びの動機』にインスパイアされて『ヴェニスの商人資本論』を書き上げている。

   * * *

さて次回は、資本論フロイトといった難しいことは抜きにして、久しぶりに日本文学を取り扱おう、という運びになった。作家は中島敦が選ばれた。

アジアのボルヘスとも言われる彼の珍談綺譚の宝庫から、次回は、『山月記』と『名人伝』『悟浄出世』『文字禍』を選出。
いずれも短く、読んで楽しい作品。
青空文庫から手に入ります。

それでは次回、第17回読書会を、お楽しみに。

三津田治夫