本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

第11回飯田橋読書会の記録:『方丈記私記』(堀田善衛 著)~激動の時代に「文化」を冷静に直視した作家の肖像~

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今回読書会で取り上げた作品は、『方丈記私記』。
堀田善衛といえば大正・昭和・平成を生き抜いた評論家。
モンテーニュを扱った『ミシェル城館の主人』が文庫化され評価も高く、個人的にも読んでみたいと思っていた評論家である。
で、『方丈記私記』とは、平安末期の大作家、鴨長明の『方丈記』を、『私記』という形で自身のエッセイの中に組み込んでしまった、という作品。

京都の大火と東京大空襲の体験を重ねる、評論家、堀田善衛
堀田善衛第二次世界大戦時の東京大空襲の体験と、『方丈記』で描写される京都の大火を重ね合わせ、800年を超えて繰り返される都市の大混乱を個人的な記憶とともに書き綴る。

評論家の生々しい体験に戦乱の恐怖や天皇制に対する激しい怒りが伝わってくるが、後半はだんだんと作家論のようになってきて、前半のテンションが多少トーンダウン。

読書会の参加者からは、その後半が結構おもしろかったという意見や、どうも昭和の評論家にありがちな印象評論、美文で書かれた読書感想文に過ぎないという手厳しい意見もあったが、私が感じたのは、鴨長明の文章が堀田善衛の文章を「上書き」してしまっている、ということ。つまり、『方丈記』の文体は非常に強い。

そもそも800年以上も数え切れないほどの文筆作品の中での淘汰を経て、日本人の歴史に残ったエッセイの古典、古典中の古典である。エッセイの始祖といわれるモンテーニュですら、『エセー』を世に出したのは『方丈記』の300年後である。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

という書き出しは、すでに日本人のDNAに組み込まれてしまっているはず。

たとえば、『方丈記』には有名な「福原京遷都」の描写がある。京都の町に火を打って福原に遷都しようと市民が移動しようとするがあえなく失敗し、焼け野原になった京の街に戻ってくるという話は、まるで目の前に起こっている現実かのような迫力がある。そうした感覚は、中学校の古典学習の記憶のレベルではなく、もはや、DNAに刻み込まれているのではなかろうか。

社会と文化に深い関心を持った鴨長明は、はたして世捨て人か?
読書会の後半は、「鴨長明とは何者か?」という人間論に移った。
まずはジャーナリスト。
神主の息子でそこそこの地位にあった鴨長明は、平安末期の混乱期を冷めた視線で見物していたという意味で、ジャーナリスト。
さらに、日本語の運用能力に長けていて、人に訴えかける力のある文章を書ける文筆家。
あと、当時最もハイカラな楽器であった琵琶の演奏に高度なテクニックを持っていたということからも、新しい物好きのミュージシャン。

最後は、よく言われる、住宅オタク。
自分好みの庵(いおり)を設計し、パーツを二両の牛車で山中に運び上げ、組み立て、都市を見下ろす山中で気ままに暮らしていた。

私はてっきり、鴨長明さんは庵を気が向いたら解体し、移動しながら生活していた、いまでいうキャンピングカー族のようなものかと思っていた。しかしそれはまったくの誤解だった。
これこそ、現代人の目で古代人の生活を見ようとしてしまう、誤りである。『方丈記』にはそんなことはひとつも書かれておらず、単に街で庵のパーツを町の職人に作らせ、それを掛けがねで組み立てやすいようにしていただけなのだ。

今回の読書会を通して明らかになったことは、「鴨長明は世捨て人なんかじゃないぞ」ということ。
上記の通り、住居や楽器といったきわめて世俗的な物欲は十分にあったし、世の中で起こっていることに敏感にアンテナを張り巡らせ、それを文章化して世に伝えようとする社会的な意欲すらあった。
この人、ひとつも世の中を捨てていない。
とかく現代人は、「庵」と聞いて「世捨て人」と結びつけたり、解体可能な住居と耳にして「キャンピングカー族の先駆け」などと、表面的なキーワードだけで物事を判断しようとする。

読書会でまとまったのは、鴨長明とは琵琶の演奏と日本語の運用能力に非常に高い技能を持った好事家で、その直筆の文章が800年を超えて残っていて、いまだに読み継がれているというのだから、それだけでも大変なこと。それを成し遂げたのが、鴨長明さんという大作家だ、という結論である。

かくして、堀田善衛の文章は遠のき、読書会の議論は「鴨長明さんとは何者か論」で幕を閉じた。それだけ、あの時代をしたたかに生き抜いた鴨長明という人物の存在感は鮮烈で、強烈であったともいえる。現代人からも学ぶところが多い。

三津田治夫