本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

バウハウス ~引き継がれるべき、一つの歴史が終わったこと~

32年間、毎年必ずクリスマスカードの交換をしていたドイツの友人のコリンナから、昨年はカードが届かなかった。
非常に筆まめな方で、なにかあったのだろうか、暑中お見舞いでも出して様子を伺おうかと考えていたら、あまりパソコンを使わない彼女から珍しくメールが届いていた。
開くと、6月に彼女のお母様(ガブリエーレさん)が亡くなられていたとの通知だった。89歳だった。昨年末から重度の痴呆症で特養老人ホームに入っていたとのことだ。

私はこのお母様と2度お会いしている。
1度目は23年前に東京で。
池袋で職業訓練校の教師をしていたというガブリエーレさんのお兄様と、コリンナとの3人で来日された。
2度目は2011年にライプツィッヒのご自宅で。
このときの訪問記は、以下ブログに記している。

バウハウスを訪ねる旅(後編) ~ライプツィッヒ~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2019/01/30/205655

f:id:tech-dialoge:20200815161826j:plain◎雑誌に掲載されたガブリエーレさんの旧宅正面(※)

f:id:tech-dialoge:20200815161901j:plain◎ガブリエーレさんの旧宅、南側バルコニー(※)

1931年のお生まれだから、ワイマール共和国末期。
物心ついたときにはドイツはナチス政権下にあった。
かつてご自宅で診療所を営んでおり、お母様も友人もお医者さんという、代々医師の家系である(友人は脳神経外科医)。
ライプツィッヒ近郊の町ツヴェンカウにある自宅兼診療所は、バウハウスの建築家であるアドルフ・ラーディングが設計した建物で、老朽化していたがオリジナルをとどめた素晴らしい建築だった。友人の祖父が、アドルフ・ラーディングと友人関係にあったという。

f:id:tech-dialoge:20200815161956j:plain◎壁面にしつらえられたオスカー・シュレンマーの巨大な作品(※)

f:id:tech-dialoge:20200815162033j:plain◎階段にはオスカー・シュレンマーの壁画(※)

室内にはオスカー・シュレンマーの巨大な彫刻がしつらえられ、時価総額にしたら何億になるのだろうというぐらいの、芸術作品そのものの中に住まわれていたのが、このお母様と友人だ。

東西ドイツ統一後は、あまりにも建物の保守にお金がかかるので、旧西ドイツのバイヤーに売却し、友人母子はライプツィッヒ中心街のマンションへと移転した。
2011年にお伺いしたときにはお母様は非常に元気で、毎晩夕食を友人と三人で食べ、うちの息子と娘におやつや小物をお土産として持たせてくれた。私が送った子供らの写真を大事に持ち、なにかと子供らを気にかけてくれていた。
ライプツィッヒのご自宅にはオスカー・シュレンマーの版画・絵画がたくさんコレクションされていた。コレクションを私に見せながら、一つ一つ細かにエピソードを語る彼女の笑顔が、いまでも忘れられない。本当に芸術を愛する方だった。

f:id:tech-dialoge:20200815162112j:plain◎ガブリエーレさんの旧宅室内(※)

ガブリエーレさんが見てきたものは世界史そのものだった。
ワイマール共和国の崩壊、ナチス政権、敗戦、東西ドイツの分割、ベルリンの壁の構築と崩壊、東西ドイツ統合後の経済問題、人種問題、など、激動の89年間であった。
バウハウスの支持者として、インテリとして、彼女はナチス共産主義政権から決してよい処遇を受けなかったことは容易に想像できる。が、彼女から直接そういった話を聞いたことは一度もない。
少なくとも、彼女の娘である私の友人が、旧東ドイツ時代から私と32年間も手紙の交換を通して革命や自由を語り合っていたのは、この母親の血を引くからこそであろう。

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ちなみに、この友人の私と共通の知人もずいぶん前に亡くなっているから、これで二人目である。年齢には勝てないとはいえ、あまりにも残念である。
メールには死亡通知ともに、カフカの以下の言葉が添えられていた。

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ゆっくりと落ちていく陽を眺めている。
するとびっくり。急に暗闇になった。
フランツ・カフカ
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夕日のように人生を閉じられたガブリエーレさん、89年間、本当にお疲れさまでした。
どうかあちらの世界では、ごゆっくり、なさってください。
心から、ご冥福をお祈りします。

※出典:『HAEUSER』1990年1月号

三津田治夫