最近よく「「本」とはなにか?」という議論を耳にします。
デジタル社会で情報優位が高度化する中、ますます「本」という物体に人の目が向けられているのではないでしょうか。
近年アナログガジェットとしての文具が見直されているのも、この流れに近い感じがします。
そもそも「本」って、なんですか?
では、そもそも「本」って、なんでしょう?
これに答えられる人は少ないです。
たとえば、以下のように定義してみます。
・本とは、文章が紙で束ねられたもの。
・本とは、紙で束ねられた文章が商業流通しているものもの。
・本とは、紙で束ねられた文章で売買が成り立っているもの。
・本とは、印刷された物体。
逆に、以下のような反証もできるのではないでしょうか。
・本とは、文章が紙で束ねられたもの。
→束ねられていないと本ではないのか?
・本とは、紙で束ねられた文章が商業流通しているものもの。
→自費出版は本ではないのか?
・本とは、紙で束ねられた文章で売買が成り立っているもの。
→利益の出ていない本は本ではないのか?
・本とは、印刷された物体。
→電子書籍は本ではないのか?
物理的な定義や経済的な定義など、「本」は、さまざまな定義が可能なメディアです。池と沼の違いや、沼と湖の違い、腕と手首の違いを定義づけるほど、実に曖昧なものです。
さらに、トップダウン的な思考に切り替えると、本とは「大衆が認めたもの」「政治経済的な権力が認めたもの」「歴史が認めたもの」とも言えそうです。
一方、ボトムアップ的に考えると、本とは「人の手と心によって作られたもの」ともいえそうです。それでは、手とはなんだ(ロボットは手を持っている……)、心とはなんだ(AIは心を持ちつつあるし……)という議論も出てきそうです。しかしここでは、そこまで入りこみません。ロボットやAIが作った本もそろそろ出てきそうですが、現時点で私は、本を「人の手と心によって作られたもの」と定義したいです。
こうした疑問も、ロボットやAIが日常に入り込んできたいまだからこそ、私たちに突きつけられた大きな課題です。これは、かつては哲学者が議論していたような課題です。
人の手と心によって作られたもの
「人の手と心によって作られたもの」という枠組みで考えると、プログラミングやデザイン、ライティングというキーワードも浮かんできます。建築や工業製品、舞台芸術も同様です。成果物がコピペされたものか、自動生成されたものか、どこかから無意識のうちにコピーされてしまったものかという、「創造性」の話にもなります。では、どこからどこまでが創造的で、どこからどこまでが創造的でないのか、という議論にまで広がります。この点もまた機会を改めて考えていきたいです。