本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

小説作品から日本仏教のルーツを探る:『鳩摩羅什 ~法華教の来た道~』(立松和平/横松心平著)

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鳩摩羅什(くまらじゅう)という書名を目にして衝動的に買った一冊。
副題にもあるように、この方は日本に法華経をもたらした中国の高僧で、西遊記でおなじみの三蔵法師の一人である。

小説は2つの物語から構成されている。一つは現代。病苦から世をはかなみ、両親との不和を嘆く青年がお寺の住職との交流で社会福祉に目覚め、人間性を獲得し、恋愛の悲喜、信仰や学問との出会いを通して成長していくという物語。

そしてもう一つは古代。鳩摩羅什がどんな人間で、どんなふうにしてサンスクリット語から漢文に法華教を翻訳していったのかというプロセスが描かれている。サンスクリット語を見事な漢文に意訳していくという宗教家たちの苦労もさることながら、戦乱のさなか長い間捕虜として不自由な身であったことや、晩年には妻や妾が多数いた破戒僧であったという数奇な人生も描かれている。

こうした信仰系の名著に吉川英治の『親鸞』があるが、一つ合点がいったことがある。
親鸞は肉食妻帯を実行した僧として、吉川英治の作品中では、男としての親鸞、父としての親鸞が生き生きと描かれている。それにしても師匠法然のお墨付きで肉食妻帯が許されたのはどういうわけかと、終始疑問を持ちながら読んでいた。『鳩摩羅什』を読んで、なるほど、この時代すでに高僧が妻帯していたという既成事実があったのだとわかった。
いくら戒律云々といっても、高僧、天才と呼ばれるぐらいの知性や人間性、影響力を持った人間においては、本人の意思や性癖を抜きにしてでも、その子孫やDNAを後世に残したいという気持ちは周囲に大きかったに違いない。

法華教は聖徳太子が日本に輸入したといわれているから、鳩摩羅什はさらに昔の人で、その人となりの手がかりとなる情報はかなり少ない。
そんな難物に取り組まれた立松和平氏と、その息子の横松心平氏の作品は、非常に興味深い仕事だった。

三津田治夫