本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

渋沢栄一とその子孫の創造力 ~時代を突破する武器としての教養~

先日知り合いの誘いで、渋沢栄一(1840~1931年)をテーマにした読書会に参加する機会を得た。これを機に、いろいろと調べ、考えた。

渋沢栄一の名前から私が第一に思い出すのは、
作家、澁澤龍彦である。
彼は渋沢栄一のいとこのひ孫にあたる、
文学の翻訳や欧州に渉猟したさまざまなエッセイを残した昭和の作家である。
フランス暗黒文学のマルキ・ド・サド(サド侯爵)の名訳を残し、その『悪徳の栄え』がわいせつ文書にあたるとして起訴された「サド裁判」(1961年)で世に知られた。
大江健三郎埴谷雄高遠藤周作大岡昇平吉本隆明など、昭和の人気作家たちが名を連ね弁護側に立ち、社会現象にもなった。

いまではわいせつ文書で起訴、などという事件は消え失せてしまったが、当時はこういうムーブメントがあった(「チャタレー夫人裁判」など)。
ちなみに日本ではこのようなことになってしまったが、本国フランスでマルキ・ド・サドといえば国宝級の大作家である。
また、三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』(1965年)の元ネタが澁澤龍彦の『サド侯爵の生涯』であることも重要だ。

澁澤龍彦は、人間の心の暗部や歴史の裏側に光を当てた作家で、いまの日本の「サブカルチャー」の基盤を築き上げた人物である。
晩年には幻想紀行文学『高丘親王航海記』を上梓し、1987年8月に生涯を終えている。

日本がゼロから再起・自律するための合本主義

日本資本主義の父といわれる人物と血縁の暗黒文学作家には関連があるに違いない。
そこで直感したのは、「クリエイティビティ」である。

渋沢栄一が生きた幕末から明治にかけての日本は、いまと相当雰囲気が異なっていた。
まず、先進国はすべて敵。
日本は八方ふさがりである。
そんな時期に求められたのが、ゼロからイチを立ち上げるクリエイターでスタートアップ思考の人物だ。

高度な技術と学問を持った西欧列強が日本へと攻めてくる。
直面した極東アジアの小国の日本人ができることは、限られたリソースを最大活用し、考え、生み出すことだった。
その前に、さらに重要で厳しい課題を乗り越える必要があった。
それは、いままでの戦略では列強と戦う力量のない日本人の現実を受け入れることだ。
200年以上平穏に暮らしてきた日本人のプライドの厳しい自己否定である。
まさに、ゼロから出発した世界との戦いだ。
ゼロからイチを立ち上げるクリエイターでスタートアップ思考の人物として渋沢栄一が重宝された背景はここにある。

もう一つ、彼の強いクリエイティビティは、1867年の渡欧からの帰国後、日本のビジネスインフラの立ち上げに発揮された。
マルクスが『資本論』を発表したのは1867年9月。
奇しくも彼がパリ万博に足を運んだのが同年3月で、半年後の10月には日本で大政奉還が行われている。
資本論』でレポートされたような、経営者が労働力として児童たちをも奴隷のように酷使する資本主義のダークサイドを、渋沢栄一はリアルに見て感じた。
「西洋みたいにおカネに支配され人間を手段にしちゃまずいな。でも、おカネ重要だよ」と、心の中でつぶやいたに違いない。
そこで渋沢が日本のために行動した成果が「合本主義」である。

マネーで実現する万人の富の追求

渋沢栄一は日本資本主義の父といわれるが、
頭に「日本」とつく点が肝心だ。
資本主義とは言わずにそれを合本主義といった。
合本主義とは、万人の利益のために出資を集めて事業を興し、その事業で得た利益を分配すること、とされている。
その収益の分配のために西洋の株式会社の仕組みを日本にローカライズし、導入した。

求められるのは万人の利益、である。
極言すれば、これは資本主義ではなく、ある種の宗教である。
ゆえに西洋人の目からは、日本にあるのは資本主義ではなく社会主義だ、と映るのだろう。
なぜなら本来、資本主義が追求するものは万人の利益ではない。
資本主義が追求するものは株主の利益である。
いま、株主利益のトリクルダウン(上が儲かれば下までお金が降りてくる)が起こらなくなったことが社会認知されてしまった点も、万人の利益に着目した渋沢が評価されている一側面である。

混迷に立ち向かえない日本人のメンタリティのいま

150年以上前の日本人がとった思想と行動の成果は、
西欧の人間から見たら大変な恐怖だった。
1905年には超大国ロシア率いる無敵のバルチック艦隊
アジアの小さな島国が破ってしまった。
これは西欧列強にとっては現実的な脅威だった。

日本には江戸時代、中国大陸文化をローカライズした、本居宣長や契沖らによる「国学」があった。
中国大陸文化の儒教を下敷きに独自解釈した『論語と算盤』を出版し、日本人のビジネスに対するメンタリティを作り上げたのは、漢籍に教養が深かった渋沢ならではの戦略だった。
いわば『明治版国学・ビジネス編』である。

第二次世界大戦の敗戦と戦後教育を通し、アメリカの親密な同盟国として、日本人が連綿と積み上げていったメンタリティは徹底的に書き換えられた。

戦後日本は朝鮮戦争を経て高度成長を果たすものの、
ベトナム戦争オイルショックバブル崩壊
阪神淡路大震災リーマンショック東日本大震災
新型コロナウイルス感染症、ロシア・ウクライナ戦争が訪れ、
出口の見えない混迷と停滞の時代に突入した。

日本人が混迷と停滞にあえぐのは無理もない。
心の芯にあった自前のメンタリティがすっぽり抜かれたままなのだから。

教養とは身体化した深い知識

最後に、合本主義の実現に向け渋沢栄一がクリエイティビティを発揮した役割として、コミュニティのプロデューサーであった点が注目に値する。
彼の頭の中では、企業とは社会を構成するコミュニティの一要素にすぎなかった。
渋沢栄一が初代会頭を務めた商工会議所こそ、日本の経済人を束ねる、元祖コミュニティである。

目前の金銭や企業の売り上げは、生活のための血液であり経営のためのガソリン。基本中の基本である。
しかし、人間の芯にあるメンタリティを保持することはさらに重要。
その意味で教養は重要であると、渋沢栄一はたえず教養を語り続けた。

教養とは知識ではない。
教養とはその人の人生を生かした深い知恵である。
知識の上の次元にある心の中の情報が教養だ。
知識が行動化・身体化したものが教養だ。
暗記された学びは知識でしかない。
行動に移され検証され身体化された知識が教養だ。
暗記された学びの量ではGoogle先生に勝てるわけがない。
そう簡単に手に入らないものが教養だ。
スピード重視のいま、教養を手に入れるのはことさら難しい。

教養を手っ取り早く身に着ける唯一の方法とは?

そんないま、最もハイスピードに教養を身につける方法が一つだけある。
それは、「失敗」することだ。
やったことのない行動をすれば人はほぼ失敗する。
失敗は再起不能にも陥るという過大なリスクをはらんでいる。
それゆえに人は失敗を恐れる。
子供を持つ親たちは、自分の子供の失敗や挫折をなおさら恐れる。
こうした、リスクに対する恐怖心により、子供たちや個人、社会、国家の安全が守られている。
とはいえ恐怖に支配されたまま、この過酷な時代を突破することはできるのだろうか。
恐怖に支配された人間がとる人類最悪の行動は、ご覧の通り、戦争である。

では、どうするか?

再起可能な失敗を積極的に受け入れ、何度も検証し、身体化することだ。

いまとなってはドラマの主人公になり紙幣の肖像の偉人で神様の渋沢栄一も、現場では人に言えない、書き残すことがはばかれる失敗を相当した。
偉大な人間ほど、恥ずかしい失敗を嫌というほどしている。

再起可能な失敗をし、安全に受け身を取る。

そして冷静に検証し、教養を身に着ける。

これが、いまの時代をブレずに生き抜くための、最短で身につく最強のソリューションである。

三津田治夫