本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

異端映像作家の全作品を通した正当な人物史:『パゾリーニ』(四方田犬彦著、作品社刊)

1088ページという長尺でありながらも、作品を通して人間パゾリーニに迫るという一貫した視点がブレない名作。

パゾリーニという名前を聞いただけでも、「ちょっとなぁ……」となる人は少なくない。
エロ、グロ、汚い……、という単語でひとくくりに片づけられることが多かった。
それゆえアーティストとしての映画監督パゾリーニに真正面から取り組む評論家はいなかったのではないかと思う(類書を読破しているのではないので「思う」としか言えない)。

なぜそう思ったのかというと、パゾリーニの作品は、観るのに大変な勇気がいる。
とくに遺作映画『サロ』(邦題:『ソドムの市』)には大変な勇気がいる。
そうした作品に四方田犬彦氏はがっつりと取り組み、さらにマルキ・ド・サド原作の『ソドムの120日』まで深く読み込んでいる(これもまた読むのに勇気に加え体力がいる)。
澁澤龍彦をも全訳を断念せしめたこの作品の残酷下劣な内容をよくも冷静に読み込んで解釈し、『サロ』と比較研究した四方田氏の力量に脱帽する。

本作は詩人や小説家としてのパゾリーニにも並行して光を当てている。
詩の翻訳が素晴らしく、これだけでも本作を読む価値が高い。

どうして、あれだけ知的な世界観を持った作品を書く詩人が『サロ』のような作品を作るにいたったのかも、本作を通して、『カンタベリー物語』や『デカメロン』『千夜一夜物語』の成功による背景から、鮮明に浮かび上がらせている。

パゾリーニの出自は、その作品性の形成に大きな影響を与えていた。
要点をまとめると、出身地であるフリウリのことと、第二次世界大戦でのイタリアの敗戦、共産主義の3点に集約される。

フリウリは、フリウリ語というラテン・ロマンシュ語系のマイナー言語が使われているイタリアの辺境地だ。狭い地域で多数の方言が存在し、スロベニアオーストリアという隣国とも接触しており、さまざまな人種や言語が行き交う。
第2次世界大戦などで多くの戦闘が繰り広げられている。
そこでパゾリーニが見てきた風景が彼の人生を大きく定義づけている。
彼の実の弟は、現地でパルチザン狩りに遭い、旧ユーゴスラビア兵に殺害されている。

連合軍による占領に対する反発の一つが、共産主義への傾倒であった。
パゾリーニは所々で、戦後のアメリカ主義がイタリアにはびこることに抵抗を示していた。
ハリウッド映画の真逆ともいえる、非娯楽映画を追求しようとした彼の姿勢の動機もよくわかる。

とはいえ、『カンタベリー物語』などの大ヒット作や、初期の名作母子劇『マンマ・ローマ』やマタイ福音書を一字一句漏らさずセリフにした『奇跡の丘』など、映画界に残した数々の名作の存在感は計り知れない。初期作品の『アッカトーネ』や、お笑い映画『大きな鳥と小さな鳥』は、ぜひ観てみたい。

そうした彼の作品の振れ幅は、受け手の嗜好に揺さぶりをかける。
結果、作品の解釈や評価を不鮮明にするなど、彼の作家としての毀誉褒貶へと結びつけられる。

それゆえ本作は、「なんで作品がこうなったのか」という背景を逐一ひも解くために、1088ページという大作にならざるを得なかったのだろう。

同性愛者としての当時の生きづらさや政治団体との軋轢など、クリエイターの苦悩や創作の格闘からも、少なくとも物を作っている人は本作を読むことで、大きな力と勇気が得られるはずだ。

クリエイターという存在の大きな謎を、我々に詳らかに提示してくれたという印象が強かった。

ぜひ本作はイタリア語版に翻訳し、イタリア人に評価していただきたい。

三津田治夫