今回のテーマは高田宏著『言葉の海へ』でした。
西洋に比肩する日本初の国語事典『言海』を編纂した、大槻文彦の評伝小説。
前半の8割が幕末や明治維新を舞台にした人間模様、戦争の物語。後半の2割が辞書作りの話。この辺が『船を編む』の原案になっている。
未知の出版物の編纂に20年もの年月を費やすというのは、商業ベースでは完全に手の出せない代物。それゆえ、『言海』制作のパトロンは明治政府だった。西欧列強やロシアといった諸外国による侵略への懸念から、民族の一体化による国防の一環として、明治政府は『言海』に投資した。
◎映画版『舟を編む』のロケ地
そこで、当時の政府は国語辞書に投資したが、いまの政府はなにに投資しているのだろうか、という議論になった。ものづくり、ロボット、情報産業など、いろいろなキーワードが出てきたが、一言に集約されたのは「技術」である。技術とは換言すれば「言葉」による再現可能な方法の共有である。
特定の個人が所有する職人技には投資されない。職人技は文化財として支援される。政府の投資は、国力にかかわる「技術」が対象とされる。明治の政府もいまの政府も、広義の「言葉」に投資することが改めて確認できた。
漢学や国学のみならず、蘭学など洋学に通じた学者を意図して編纂メンバーに組み入れたことは興味深い。英仏の辞書を手本に編まれた『言海』において、日本に根強い漢学や国学に洋学をクロスオーバーさせたことは革命的な流れだ。日本のミックス文化の象徴ともいえる。
激動の明治初期になぜ『言海』が編まれたのかは、大槻文彦の次の宣言文に集約される。
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一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる公義感覚を固結せしむるものにて、即ち、国語の統一は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり。
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1928年、インドネシアで宣言された「青年の誓い」では、国家の独立に「一つの言葉」が必要とされ、これによりインドネシア語が生まれた。同様に大槻文彦は、一民族のアイディンティティを形成するために国語統一は基本中の基本とし、現代日本語の文法や単語を整理したうえで、『言海』という出版物の形で世に問い、現代日本民族の基盤を作り上げた。歴史や文学、法律、科学、哲学、すべては言葉から生まれる。つまり、言葉は民族、国家、Nationを形成する。
さて、次回の第8回読書会のテーマは、欧州史にまつわるものというリクエストから、シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』が選定されました。ツヴァイクはウィーン世紀末文学の流れをくむオーストリアの文豪です。次回も、よろしくお願いします。