その昔、頭の冴えた女性が社会に出てくると、攻撃的、闘争的というイメージが強かった。
長らく続いた世界的な男尊女卑の反動から、こうした女性の男性化という戦略で、女性たちは男女同権を勝ち取ろうと努力をしてきた。
個人的には1970年代「中ピ連」などウーマンリブ運動のイメージ、学生時代には女子にやられてしまう男子の悲哀を描いた太宰治の『男女同権』を読み、男女同権思想とは怖いものだな、と思ったりもした。
いまではこのような運動は進化してフェミニズムという言葉で表現されるようになってきたが、今回取り上げる山川菊栄(1890~1980年)は、日本のフェミニズム運動のさきがけとなる婦人問題評論家、作家、政治家である。
平塚らいてうが1886~1971年、伊藤野枝が1895~1923年なので、ちょうど2人の中間の時期に生まれた人物だ。
山川菊栄の特筆すべきところは、その血筋と知性である。
水戸藩士で水戸弘道館の初代代表・青山延于(あおやまのぶゆき)の曾孫として武家に育ち政界にも進出。片山内閣のもとで労働省の初代婦人少年局長を務めた。
水戸弘道館とは、第九代水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)によって設立された、日本の右翼思想(尊王攘夷)育成の総本山ともいえる学術施設である。
方や青山延于の血を引き継ぐ山川菊栄は、マルクス主義者の山川均(1880~1958年)と結婚している。右から左までレンジの広い知性と教養をお持ちのインテリだ。
「山川菊栄」でGoogle検索すると、レコメンドの上位に「美人」や「かわいい」が出てくる。こうしたキーワードは気になるものでクリックして若かりし日のお写真を拝見すると、確かに知的で美しいお顔をしている。
今回取り上げる『覚書 幕末の水戸藩』は、山川菊栄の知性と教養、人間的魅力にあふれる作品である。
冒頭に「覚書」とあるぐらいで、本作は、水戸藩とのつながりが深い水戸人の山川菊栄が、血縁や近隣から直接聞いたり、家系に残る書簡文献を紐解いて書き綴った幕末のドキュメンタリーである。
本作、1974年に第2回・大佛次郎賞受賞を受賞している。
水戸から幕末を俯瞰した歴史絵巻
『覚書 幕末の水戸藩』の面白い点を一言で言い表すと、本来義務教育で教えるべきレベルの、現代日本のベースである近代日本史が鮮明に浮かび上がってくるからだ。
いま「水戸」と聞いて、なにをイメージするだろうか。
茨城県の県庁所在地、東京から北に離れた地方都市、納豆で有名、ぐらいだろう。
実家葛飾の幹線道路に国道六号線水戸街道があり、歩道橋の青看板に「水戸まで100㎞」と記載されていたことが子供時代の記憶に強い。
そんな水戸であるが、実は近代日本史の出発点において重要な位置を占める土地である。
まず、水戸藩といえば、藩主が徳川家直系の徳川御三家の1つである。
そして、水戸藩主徳川斉昭の七男徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍で、1867年11月に京都で大政奉還を行った。翌年の9月には元号が慶応から明治へと改められる。
さらに、前出の水戸弘道館は、国家護持のため鎖国継続を支持する尊王攘夷運動思想の情報発信を行った中心。鎖国を撤廃し開国を宣言した徳川慶喜の父親が設立した施設である。
つまり水戸とは、水戸藩という一つのエリアで、「開国」と「鎖国」という、幕末の日本列島を震撼させた対局思想が共存する台風の目だったのである。
水戸藩が推進する尊王攘夷運動の根幹には、徳川家康の孫、水戸黄門でおなじみの徳川光圀(1628~1701年)による『大日本史』がある。
『大日本史』は、天皇家の歴史を描き日本という存在を記述することで日本人とは誰であるのかを確立し、ひいては西欧列強の攻撃から日本人が一丸となって列島を守ろうという意図に基づく歴史著作だ。
水戸藩に隣接する日本海沿岸には欧米からの捕鯨船が続々と現れた。産業革命で不足した燃料のクジラを捕獲するためである。
1824年、12人のイギリス船員が水戸藩の大津浜に上陸した。この大津浜事件が尊王攘夷運動の引き金となる。
16年後の1840年にはアヘン戦争が起こっており、当時のアジア各国は物資獲得を求めて現れる西欧各国に警戒心を持っていた。
そんな中での事件だった。
水戸藩の尊王攘夷に対する開国派には彦根藩の井伊直弼がいる。彼は「桜田門外の変」で水戸藩からの脱藩者たちの手で暗殺されている。アヘン戦争の20年後、1860年3月のことである。
さらに水戸藩内での活動は激化し、尊王攘夷運動の義勇軍、天狗党が結成される。
1864年、水戸藩出身の徳川慶喜に開国の撤回を直訴しようと、天狗党は筑波から京都へと進軍する。
しかし、慶喜は軍隊を率いて天狗党をせん滅するという行動に出る。そして352人の天狗党員が処刑された。
これが天狗党事件のあらましである。
天狗党事件に関しては『魔群の通過 天狗党叙事詩』(山田風太郎著)に詳しい。
同作はかなり『覚書 幕末の水戸藩』を参考にしており、山川菊江が周囲から聞いた天狗党の話や、明治維新後隠れて余生を過ごした天狗党残党のエピソードなどが記述されている。山田風太郎はこれらエピソードから流れ出てくる党員たちの体温を感じながら創作に織り込んでいった様子が想像できる。
これら2冊を読むと、物語としての天狗党事件、史実としての天狗党事件の両側面を見ることができ、幕末理解への解像度は高まる。
会場からの声 ~水戸、明治維新、尊王攘夷~
読書会の会場からはどのような声があがったのだろうか。
幹事のKNを筆頭に、KM、HN、HH、SK、KS、SM、紅一点のYKに水戸出身のKH(敬称略)、そして私という、総勢10名の大読書会になった。
まず、率直な感想から。
「読んでいて文章が心地よかった」
「日常から歴史が描かれているのが面白い」
「語りが織り込まれたリアルな物語」
本作に対する感想は総じてポジティブだった。
作品の、作家の文体や人間性を通した歴史観に依るところが大きい。
一方で、昭和の現代文と作者が保有する古い手紙や文献の引用が混在し、読みやすさの点でいささか難易度が高いという意見もあがった。
「「そうろう文」がよみづらい」
「2回読まないと分らない本」
作者の家系との対話、自身の記憶や隣人の言葉を多く引いている点で、調べ書きした歴史書とはまったく毛色が異なり、生々しさとリアリティが高い。血の通った言葉として文章が響いてくる。
「江戸から明治へとどう変ったのかが鮮明にわかった」
という意見や、
「歴史を書くのに100年かかるとはいうが、本作を通してそれを実感した」
という意見も聞こえた。
本作が発刊された1974年は明治維新から106年が経過している。
年月を経ないことには、生きた人間の感情や空気感から、歴史の実態をゆがめて語ったり、あるいは口を閉ざしたりという状況が起こる。
近年、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件のことが語られるようになってきた。これらも「歴史」の領域へと入りつつあるからだ。そしてまた震災や事件から100年を経たのちに、新たな「歴史」として、情報が文字と意識に刻まれる。
「登場する藩主や幕臣が人間臭くて実によい」
という発言も、本作の性質や特徴を表している。
山川菊栄があたかも見てきたような水戸藩内部の筆致が、武士の息吹を感じさせる。
幕末の水戸藩の武士たちの生活ぶりも書かれていて興味深い。
「百石以下の武士は内職できた」
「金がない武士の生活が見えた」
ふと、水戸納豆は彼らの内職から出てきたもので、「天狗納豆」の語源は天狗党なのではないかとふとつぶやくと、会場から「その通り」との声が上がった。
調べると、天狗納豆の創業者は勤王水戸藩士の血を引いているらしい。
平和なお茶の間の朝食に登場する納豆の語源が天狗党だったとは、なんとも物騒である。
「尊王攘夷思想は非文化的で理解できない」
というように、右翼系の思想には一定の嫌悪発言が発せられるが、歴史的に考えれば、海外から資源を取りに多数の船が現れたあの恐ろしい時代の、日本人として独立して自律して生きるための最善の思想的ソリューションが尊王攘夷だったのだろう。
藤田東湖(ふじたとうこ)は徳川斉昭の側近で水戸学の大家。本居宣長の国学を参照し、水戸弘道館の基本コンセプトを明文化した人物だ。
1855年の安政の大地震で母親をかばって圧死するという晩年が本作でも描かれている。
「天狗党は人から貨幣をまき上げていた悪人集団だった」
なぜこういう集団が発生したのかという、人心が荒廃した幕末の水戸藩の風景も克明に記されており、一読の価値がある。
「治安が悪い」という言葉があるが、幕末の水戸藩にはこうした言葉が当てはまる。
という指摘も興味深かった。
行き場を失った彼は新選組を結成するも、内ゲバであっけなく殺されてしまう。
「テロリズムの歴史は水戸学の流れにあるという歴史の一端が読めた」
新選組というテロ集団に水戸藩士の芹沢鴨が運命をゆだねたのは悲劇的で、このあたりから水戸学と幕末日本との根底に流れる深い関係が読めてくる。
「水戸」に関する発言は多かった。
今回の選書をされたKHさんが水戸出身者で、生まれ住んだ人にしか語りえない肌感覚に満ちた発言が印象的だった。
「維新その後の水戸がよくわった」
「いろいろな意味で水戸が「特別」であることが理解できた」
現地出身者でもなかなかわからないことが本作を通してわかったという。
あの時代の水戸藩のことは現地であまり語り継がれていないのだ。
「鹿児島とは異なり、水戸に行っても「当時」のものがないのが不思議」
と発言されたように、水戸にとっての幕末は黒歴史である。
「水戸城が人々の生活とリンクしているように感じない」
「水戸に参勤交代がなかった点で江戸との交流が薄く、水戸の閉鎖性の根拠がよくわかった」
徳川御三家ゆえに江戸幕府と水戸に深いつながりがあると思われているが、事実はこれに反する。明治維新を通して水戸は飛び地のような存在になってしまったのだ。
幕末というと薩摩、長州、京都、江戸という地名が頻繁に出てくるが、水戸は少ない。
「水戸学にうつつをぬかし自らの物語を持たない水戸藩の実態が見えた」
「水戸の当時の「空気」が面白かった」
「水戸は幕政には参加しないという、権威と権力が分離している様子はローマを想起させた」
『覚書 幕末の水戸藩』により、我々参加者の間で幕末水戸の存在感は一気に高まった。
山川菊栄の視野と懐の深さ
会場からの発言で、
「女性が水戸をつくった」
「女性が見た歴史、オーラル・ヒストリーは素晴らしい」
という言葉が耳に残っている。
テーマが幕末水戸であるということに加え、山川菊栄が語っている点が本作の最大の価値だ。
知性とユーモアに富み、人間のプライド、武士のプライド、女性のプライドといった、気品が漂う語り口である。
以下、本文から引用する。
これら諸家の報告に共通の特徴は、辻番所の者がこの将軍居城まん前の、白昼の、抜身をふるっての大乱闘を目にしながら狙人を捕えるどころか、気味わるそうにふれない用心をし、自分たちの持ち場からはなれ去ることを願っているような、警察官らしくもない義理一ぺんの、責任のがれの態度である。
桜田門外の変の現場を目撃した記録から、山川菊栄がまとめたものである。
桜田門外の変には雪降る薄暗い中での犯行というイメージを持つが、実際には白昼で、周囲で多くの警備員たちが見て見ぬふりであったという。
以下は、山川菊栄の祖父、青山延寿からの聞き書きである。
青山延寿は1906年まで生きていたから、彼女が15、6歳のときまでいろいろな対話があったことだろう。
後年、明治になってから(青山)延寿は当時をふりかえって、幕府にとっての致命的な打軽は、交易が始まってからの物価の暴勝だったと書いているが、日本のおくれた封建経済で、はるかに進歩した強力な資本主義先進国の経済に太刀打ちすることは困難で、武力で歯が立たないのと同じこと、金銀と共に絹、茶、その他の物資の流出は国民の生活を脅かし、尊養思想をあおるのに力強い役割をうけもった。
明治維新で直面した封建日本対資本主義西欧列強の摩擦の激しさと、日本を支える尊王攘夷思想の役割が簡潔に描かれている。聞き書きの強さが伝わってくる一文だ。
水戸藩の日常風景を次のように描いている。
参動交代の緩和や、諸藩の生活簡易化、過剰人員の減少は飲迎されたかわり、パートや臨時雇いの足軽や人夫の失業者があふれて、ぼくちうちやごろつきがふえるのを防げなかった。
治安の悪い風景、つまり、天狗党が形成された風景である。
「失業者」や「ぼくちうち」「ごろつき」たちの自己実現の場としての受け皿が天狗党だった。戦争直後の暴力団組織がこれに近い。
天狗党事件に対する幕府の処置を、山川菊栄は次のようにまとめている。
攘夷は朝廷の命令であり、幕府も実行を誓っているので、幕府はそれを唱えることをとがめるわけにはいかない。そこで幕府は武力をもって良民をおびやかし、金毅を強奪したという点に焦点をおき、筑波の党を専ら流賊と規定して追討を命じ、後には幕府の兵力に手向ったという点で、反乱軍として鎮圧し、断罪した。
幕府は「攘夷」を看板に掲げる天狗党を裁くわけにはいかず、市民からの強奪や幕府兵力への反抗という大儀を設定し、天狗党を反乱軍として裁いたという結末だ。
明治維新後政府は尊王攘夷の道を歩み、日露戦争や日清戦争、さらには太平洋戦争へとその思想を推し進める。しかしその背景に水戸藩の影はどこにもなく、薩長が近代日本史の基盤を担うことになることは周知のとおりだ。
最後に、山川菊栄の知性と教養にあふれた、味わい深いあとがきから引用する。
この本はそんな風に子供のころから私が聞きかじった母の思い出話、親戚故老のこぼれ話、虫くいだらけの反古などの中からひろい集めてできた幕末水戸藩のイメージとでもいいましょうか。
水戸といえばテロを連想させるような、あの恐しい血まみれ時代をぶじに生きのびたその故老たちは、みなテロぎらいのおだやかな人々で、あのテロ期の水戸は、ある人々のいうように、水戸人そのものの先天的な体質にあったのではなく、封建制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な、絶望的な世相の一部であったことと思われます。
世の中の移り変りには、ともすればそういうヒステリックな傾向も現れるようですが、それを適当にコントロールするところに時代の進歩があっていいはずです。
「適当にコントロールするところに時代の進歩があっていい」とは、いまに通じる言葉だ。
長引く大国の戦争、パレスチナでは市民が虐殺され、世界は右傾化し、貨幣至上主義と超貧困が混沌とする。
いま、これを山川菊栄が目にしたら、なにを発言し、どう行動するのだろうか。
彼女はベトナム戦争の行方を追いながら、『覚書 幕末の水戸藩』をまとめていたことであろう。
現代とも重なるところが多い、示唆に富む作品だった。
この世の偉人で、実際に会ってみたい人物が2人いた。
一人は、ワーグナーに出会ったころのニーチェ。
はつらつとした知に富んだ素晴らしい青年だっただろう。
もう一人は、亡くなる直前のゲーテ。
彼が眺めてきた人生の風景を最晩年の肉声で聞いてみたい。
そして今回一人加わった。
山川菊栄である。
生粋の明治人の彼女が体験した幕末とはいったいなんだったのか。
彼女の健全な知性はどこから生まれたのか。
そんな魅力に富んだ人物である。
さて次回は、まったく趣向を変えて、初のアメリカ文学である。
新潮文庫から、エドガー・アラン・ポー(1809~1849年)の短編、『黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集I ゴシック編』を取り上げる。
アメリカの作家に数少ない、フランス文学に影響を与えた詩人、小説家である。
日本の推理小説作家の江戸川乱歩にペンネームを与えたオリジナルとしても有名である。
人間の狂気や生命の神秘をえぐり取った、世界中の作家に推理、怪奇という新コンセプトを与えた大詩人である。
次回は会からどんな言葉が出るのか。お楽しみに。
※参考資料