
皆さんはエドガー・アラン・ポーという名前を聞いて、思いうかべることはあるだろうか。
私は中学一年、ポーの作品が初の海外文学体験だった。
きっかけは、当時本などまったく読まなかった私にあるとき、図書室にあったポプラ社の江戸川乱歩にのめり込んだ時期があった。
『怪人二十面相』や『電人M』『青銅の魔人』『黄金仮面』といった、少年探偵団シリーズに熱中した。
テレビ番組『少年探偵団 BD7』が好きでよく見ていたので、少年探偵団という名前だけは知っていた。
団次郎が演じる怪人二十面相の言葉や立ち居振る舞いが不気味で、日本人離れした神秘的なルックスが眼にこびりついている。
こんなふうにテレビ番組から江戸川乱歩にたどり着いたあるとき、母親が「エドガワランポと同じ名前の小説家が外国にいて面白い小説を書いている」と、書架から分厚いポオ全集の1冊を持ってきた。
「『黄金虫』が面白いから読んでみたら」というので、読んでみた。
短いのでなんとか読み通すことができたが、なんで虫が出てくるのかがよくわからず、頭蓋骨に糸を通して計量するなど不思議な話で、やはり少年探偵団のほうが断然面白いな、と思っていた記憶がある。
しかしながら、こうした遠い思い出が強く印象づいているということ自体、江戸川乱歩の印象と共に、ポーへの個人的な印象が強いことははっきりと言える。
30代、40代、50代と、年齢を重ねながらポーの作品はたびたび開いてみた。
そのたびに、面白い作家、不思議な作家、という印象の域を出ることはなかった。
今回の読書会を通して、ポーに対する新たな印象は得られるのだろうか。
そう思いながら会に臨んだ。
世界のクリエイターに影響を与えた創造のインフルエンサー
簡単にポーのことを説明する。
1809年、ポーは旅役者の両親のもとアメリカ北東のマサチューセッツ州ボストンで生まれ、のちに雑誌編集者として活動する。
ページの余白埋めや回収できなかった原稿の差し替えを書くうちに名を成し、数々の出版社とのトラブルや女性問題といったネガティブな対人関係があとを絶たず、1849年、毀誉褒貶のなか40年という短い生涯を終えた。
彼は詩から小説までオリジナリティの高い作品を多く書き残した。江戸川乱歩にペンネームを与えるほど、彼はミステリーの領域において特異な才能を発揮した。
アメリカ文学者としては希少で、フランスの詩人シャルル・ボードレール(1821~1867年)に影響を与えたことで知られている。
その他音楽の領域でも、クラシックではドビュッシーに、現代音楽ではルー・リードやデヴィッド・ボウイに影響を与えている。
しかしながら彼の短い人生で、よくもここまで後世に影響を与える創作をアウトプットできたものである。月並みな言葉が許されれば、彼はとんでもない天才なのである。
一口にアメリカ文学といっても、広大な土地に多様な人種で構成された作家たちから成り立っており、一概に語ることは難しい。
17世紀イギリスからピューリタン(清教徒)が上陸して以来、旧大陸から移民が訪れ、18世紀にはイギリスから独立し、19世紀には南北戦争が終結。
現在は50の州、3億3千万の人口から構成され、2026年には建国250年を迎える巨大連邦国家が、このアメリカである。
アメリカで代表的な作家を何人かあげてみたい。
ほぼ同時代人の『白鯨』でおなじみのハーマン・メルヴィル(1819~1891年)はニューヨーク出身で、『華麗なるギャツビー』のフランシス・フィッツジェラルド(1896~1940年)は北西部ミネソタ州生まれ、『老人と海』のアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961年)は中西部イリノイ州生まれである。
純粋な移民作家には『ロリータ』のウラジーミル・ナボコフ(1899~1977年)がロシアの(のちにスイスへ移住)、ノーベル賞作家のアイザック・シンガー(1903~1991年)がポーランドの生まれである。
その他ミステリーや純文学、SF、ハードボイルドなど、アメリカには多様な作家と作品がひしめいている。
アルコール、ドラッグ、幻想文学
ポーの不思議なところは、オリジナリティの高い作風を数多くアウトプットしたところにあり、そのうえで全作品の根底に「非日常の奇妙さ」が流れている点にある。
殺人事件の真犯人が猿だったり(『モルグ街の殺人』)、生きたまま埋葬された人物が独白したり(『早すぎた埋葬』)、ドッペルゲンガー(自分の分身)をライバルに競い戦ったり(『ウイリアム・ウィルソン』)、気球に乗って月に行ってしまったり(『ハンス・プファールの無類の冒険』)という奇抜な構想、絶望した人間とカラスとの対話という突飛なアイデアを精妙な韻律の詩に乗せる(『鴉』、後述)など、単なるストーリーテラーではなく、単なる詩人でもない。そしてその起源の本質がどこから来たのかもはっきりとわからない。
たとえばロシア文学なら民話などフォークロアが本質にあったり、ドイツ文学なら童話や伝説、聖書などの物語が、日本文学なら源氏物語や万葉集が本質にある。
しかしポーは作風の本質がわからない。
アメリカの原住民に取材したという話も聞いたことがない。
その意味でも大変ミステリアスな作家である。
しかし、一つ発見したのは、ドイツロマン派の影響をそれなりに受けている点である。
ポーのエッセイを読むとフリードリヒ・フーケ(1777~1843年)の『水妖記 ウンディーネ』(湖に棲む妖精と若い騎士の物語)がたびたび引用されている。
フーケは『影をなくした男』のシャミッソー(1781~1838年)や『砂男』のE.T.A.ホフマン(1776~1822年)の同時代人で、ドイツロマン派の全盛期に活躍した作家である。
この年代を調べていると、ドストエフスキー(1821~1881年)に多大な影響を与えたロシアのニコライ・ゴーゴリ(1809~1852年)の名前に突き当たった。
『鼻』や『外套』といったドッペルゲンガーや狂気ものをよく書いたウクライナの幻想文学作家、詩人である。
偶然ポーと同じ年に生まれており、ポーよりも3年長く生きている。
また、ドストエフスキーにいたっては「本質的にメニッペアに近いエドガー・ポーの短編小説もまた、ドストエフスキーの関心の的だった。」(『ドストエフスキーの詩学』(ミハイル・バフチン著、望月哲男訳))とあるように、ポーが短編作品に好んで取り入れた明暗対比やブラックユーモア、幻想、雑多な登場人物といった性質に対し、ドストエフスキーは関心を示していたという。
こうしたことからも、ポーの生きた時代が、幻想文学的な文芸世界が一つのトレンドであったことがよくわかる。
この時代の世相を眺めてみると、産業革命とぴたりと重なっていることも見えてくる。
当時の蒸気で動く自働機械は、いまでいう機械学習や生成AIのような超ハイテクであった。
蒸気機関は人間を助けるのか、はたまた人間性や仕事を奪うのか。
人はその理解不可能で不可思議な自動機械に、たえず不安や不気味さを心中に抱いていた。
その不安の影が、幻想文学やミステリーといった文芸作品として姿を現したのである。
ポーの人生のラストは、泥酔の中不可解な死に方をしている。彼は大酒飲みで、ドラッグにも手を出すといった堕落的(デカダンス)な作家だった。
ネガティブな対人関係はアルコールとドラッグの問題に起因し、同時に、彼の突飛な着想や詩想もまたアルコールとドラッグからきている。
いわゆるトリップ状態で創作に臨んていたのである。
ちなみに日本では、アルコールとドラッグにのめり込み後世に影響を与えた短命作家に、『人間失格』や『斜陽』などを著した太宰治(享年38歳)がいる。
ポーと比してスケールや影響力の差はあれど、少なからずトリップ状態とクリエイティビティの関係を駆使した大作家であることはよくわかる。
ミュージシャンがアルコールとドラッグにしばしば手を出すのもこれに通じる。

会場から出たさまざまな言葉
今回の課題図書は『黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集I ゴシック編』(新潮文庫)を取り上げた。
巽孝之の名訳で以下作品が収録されている。
『黒猫』
『赤き死の仮面』
『ライジーア』
『落とし穴と振り子』
『ウィリアム・ウィルソン』
『アッシャー家の崩壊』
今回の出席は、主幹のKN、定例メンバーのKM、HN、HH、そして紅一点のAM(以上敬称略)、そして私の6人という、久々にしっぽりとした少人数構成となった。
以下、各作品から出てきた参加者の発言をまとめてみる。
「『黒猫』は面白かった」
「とてもインテリである」
「よくこんなアイデア思いつく」
「ポーはすべて面白い」
といったポジティブな意見が多かったのは、彼の作品の「わかりやすさ」にあると感じる。
「コトバの深みがある」
「詩が味わい深い」
「リズミカルで独特な英語」
とあるように、ポーは読者の感情に訴えかける情景設定や言葉使いの高度なテクニックを持つ。
「19世紀初頭アメリカ南北戦争直前、メディア勃興の時代を象徴する作家」
「『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー著、1818年刊)の同時代作家というところが興味深い」
「イギリスの作家ロアルド・ダール、アメリカのスティーブン・キングに影響を与えている」
「泉鏡花を彷彿させる」
と、冷静な作家論も出てきた。
アメリカという広大な土地に情報を行き渡らせるためには新聞や雑誌といった当時のメディアが、いまでいうネットだった。
高速かつ大量に情報をばらまく手段である。
そうしたメディアの時代にポーは乗っかり、作品を大量発信した。しかも、ミステリー、幻想文学という、読者の目をアッと引くような特異なストーリーと内容をもって。
こうした彼の作風に関し、
「『黒猫』はキモチ悪い」
「オドロオドロしい」
「恐い物見たさという好奇心をそそる」
「文体は、ちとよみづらい」
といった意見が出てきた。
「これでもか」というぐらい読者に心理的圧迫を与える心地悪さは、まさに彼の作風の真骨頂である。
「彼が見た幻覚そのものが作品なのでは」
という意見があがった一方で、
「アルコールやドラッグが本当に創作の役に立ったのか?」
特異な創作の本質がもっと他のところにあるのではないかという声も出てきた。
「人に妄想を与えるライジーアとは、想像を絶するほど魅力的な女性だったのではないか」
と、女子参加者からの意見は印象深かった。
作家は妄想を膨らませ女性を神格化させ創作の力にレバレッジをかけるという手法を用いるが、ライジーアという女性はその意味でポーにとっての材料であったのだ。
女性問題の多かったポーだから、そのぐらいの扱いで女性に接していたことは想像に難くない。
そして最後は、
「女子的にポーは好きになれないかも」
「ある意味“俺様ワールド”」
といった、女子からの発言が一刀両断で、なるほどであった。
直観的にもポーの尋常でない女性への向き合い方が女性の感性には文体から響いてきてしまうのであろう。
「私とポー」
メンバーによる意見交換の最後は、定例で「私と作品」で締めている。
まず、
「私はポーが好きだ!」
という率直な意見から、
「子供時代に短編を読んでいた」
「子供時代の共感と出会った」
「読書の原体験としてポーがあった」
と、短編作品が多い作家ゆえに、私の読書体験のように、子どもにも取りかかりやすく、読書の原体験としてポーを持っている人が他にもいたことが嬉しかった。
「女性を取り変えひっかえ」
「へんな人」
「付き合いたくない」
という、ポーの作品というか、彼の生き方や人間性に反感をもよおす意見が出てきた一方で、
「うっとりとさせる恍惚感が彼の詩の中にはある」
と、ポーという人間性には疑問符が付くが作品には間違いなく共感できる、という声も聞こえてきた。
「宇宙こそ神のプロット」 ~創作への向き合いと詩~
前出の『黒猫』『赤き死の仮面』『ライジーア』『落とし穴と振り子』『ウィリアム・ウィルソン』『アッシャー家の崩壊』といった超有名短編作品は個別に読んでいただく、もしくはWebなどであらすじを検索していただくことにして、ここではあえてこれらには触れず、論文的エッセイと詩に焦点を当ててみたい。
まずは、ポーが自身の創作哲学を深く埋め込んだ作品『ユリイカ』(牧野信一、小川和夫訳)から引用する。
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たとえば、小説においてプロットを構成する場合に、われわれはいろいろの事件を配列しますが、その任意の一つが他の任意の一事件に依拠しているのか、それともそれを支えているのか、きめられないように、配列しようとつとめるべきであります。
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物語を構成する出来事の因果関係を言及している。
この因果関係が崩されているところに、ポーの作品の奇妙さの種が隠されている。
彼はそれを計画的に行っているのである。
そして次のように続ける。
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この意味においては、むろん、プロットの完璧ということの達せられぬのは当り前であるし、事実上達せらるべき筋合のものではありません――その理由はただ一つ、それを構成するのが限られた智力であるがためです。
神のプロットは完璧であります。そして宇宙こそ神のプロットであります。
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「宇宙こそ神のプロット」とは、いかにもポーらしい表現である。
合理的事物の因果関係など人間が自己都合で作り上げたはりぼてにすぎず、本質は神の手のなかにあるという。
そして宇宙こそが詩であると断言する。
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そして実際、均斉感というものはほとんど盲信的に頼ってよい本能なのであります。これこそは宇宙の――その至上の均斉のゆえに、もっとも荘厳な詩にほかならぬ宇宙の詩的真髄であります。
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言葉が織りなす美しい響きまでも、人間が作り上げた因果律ではなく、神の産物なのである。
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ところで均斉と首尾一貫とは同義語であり、――したがって詩と真理とは同一に帰するのであります。
一つの事物はその真実さに比例して首尾一貫しているのでありその首尾一貫さに比例して真実なのであります。
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ポーは均斉と首尾一貫という言葉を、詩と同じ土俵に乗せ「真理」としている。
『ユリイカ』の中でポーは、宇宙の原理を解き明かそうとする物理学や数学を「詩」と同系列に扱い、言葉そのものが均整をなし、宇宙と一貫性を保った言葉こそが詩であると説く。
数式を用いず日常の言葉だけで宇宙と万物の関係を表現しようとした詩人のゲーテや、宇宙の現象を楽譜に託したモーツアルトの創作への向き合い方に近い姿勢にポーがあることを感じた。
最後に、ポーの詩の名作から、ー断片を紹介する。
以下、"Thr Raven"(日本語タイトル『鴉』)である。
意味はわからなくてよい。
ローマ字読みでよいので、声を出して読んでいただきたい。ポーの伝える、宇宙の息吹が聞こえてくるだろう。
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"Be that word our sign of parting, bird or fiend!" I shrieked, upstarting?
"Get thee back into the tempest and the Night's Plutonian shore!
Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!
Leave my loneliness unbroken!? quit the bust above my door!
Take thy beak from out my heart, and take thy form from off my door!"
Quoth the Raven "Nevermore."
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以下ご参考まで、上記『鴉』の日本語訳を掲載する(福永武彦訳)。
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『よしその言葉を別れの合図としよう、鳥よそれとも悪魔か!』踊り上って私は叫んだ―
『お前は嵐の中に帰って行け、夜の領する冥府の岸へと帰って行け!
お前の魂が語った偽りを証拠立てる黒い羽のただ一枚も残すな!
私の孤独に手を触れずに行け!
私の戸の上の像を離れよ!
この心からお前の嘴を抜き去り、私の戸からお前のその姿を消してしまえ!』
鴉は答えた、『最早ない。』
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次回もさらに趣向を変えて、せっかくポーを通してアメリカと出会ったのだから、昨今のトランプへの政権交代におけるアメリカに向けた世間的関心の高まりから、現代のアメリカ文化について考えてみたい。
そこで俎上に上がった作品は、『アメリカ映画の文化副読本』(渡辺将人著)である。
本作のアメリカ映画紹介を通し、アメリカという広大な土地を保有する若い国家のさまざまな文化を探ってみることにする。
では、次回もお楽しみに。