【前編】からの続き。
評伝に現れたカフカという人物と作品
今回も読書会の会場からはカフカに対する自由な発言が飛び交った。
この自由を許容する懐の深さはカフカの魅力だ。
一方でこの自由を許容するカフカの懐の深さに制約を与えたのも、過去の名だたる評論家たちの仕業である。
とはいえ、カフカは作品自体から浮かび上がってきた作家というよりも、彼を取り巻く評論家や編集者、周囲の人物たちとの交流によって浮かび上がってきた作家だといっても間違いではない。
その意味で、なんだかんだいって、カフカを難しいものにしてきた先人たちの言葉を看過するわけにはいかない。
そして私自身、カフカを読んで最初はわけがわからなかったのだが、あるときから作品の魅力に響くようになり、それに続いて、カフカを論じる人たちの言葉にも共感するようになってきたのだった。
つまり、カフカの難解さがほどけてくれば、自然と評論家たちの言葉もほどけてくるはずだ。
そんな観点から、以下、先人たちの言葉を通し、カフカという人物と、『審判』を中心とした彼の作品に迫ってみることにする。

機械的で詩的、戦慄的で愛らしいカフカ
まず、『存在の絶えられない軽さ』で日本でもなじみの深いチェコの作家、ミラン・クンデラの発言から。カフカの作風に関して象徴的な言葉を紹介する。
「「極端に非=詩的な世界」ということで私が言いたいのは、個人の自由、個人の創造性の場所がもうなくなり、人間がたとえば官僚制、技術、歴史などといった超=個人的な諸力の道具でしかなくなる世界である。」
カフカがとらえた極めて機械的な世界の本質を、極めて詩的なイメージで再構築させたところに彼の意味があるという。
「「極端に詩的なイメージ」ということで私が言いたいのは、カフカがこの世界の非=詩的な本質と性質を変えることなく、無限の詩的想像力によってその世界を変貌させ、作りなおしたということである。」
機械やシステム、人間とが共存する入口の時代にカフカが生きたことによる表現スタイルと、いまの生成AIによるIT文化が人間の中に織り込まれている現実との重なりが見える理由は、ここにある。

次は、カフカの親友であり作家、編集者の、マックス・ブロートによるカフカ伝『フランツ・カフカ』から。
「ありとあらゆる態度のうちでも最も危険な態度(じっさい生死にかかわるものだ)を、執拗に固執しようとするのを見れば、心に戦慄を覚えずにはいられないのだが、その戦慄のただなかにさえも、愛らしい微笑が現われるのだ。
それは、カフカの作品を異色あるものにしているひとつの新しい微笑であり、極限の事物のまぢかにある微笑、いわば形而上的な微笑にほかならない。」
「戦慄のただなかにさえも、愛らしい微笑」とは、カフカを表現するのにふさわしい言葉だ。
『審判』で展開される理由不明の逮捕シーンや『変身』の家族とのやり取りは、戦慄であり、かつコメディである。

『審判』の謎解きのカギは婚約破棄にあった
今回選書された『審判』については、作家で評論家のエリアス・カネッティが優れた論評を残している。
以下、『もう一つの審判』から、作中の意味不明性やコメディを取り出した個所を紹介する。
「ヨーゼフの逮捕は彼のよく知っているある住居で行なわれる。それは彼がまだベットの中、すべての人間にとって一番親しみのある場所にいる時に始まる。
その朝起こることは、まるで未知の人が彼の前に立ち、そのあとまもなく二人目の人が彼に逮捕を知らせるというのであるから、それだけにいっそう不可解である。
しかしこの知らせは差し当ってのもので、本来の儀式張った逮捕の行為は、居合わせた人たちのうち誰ひとり、K自身もここにはなんの用もないはずのビュルストナーの部屋で監督を前にして行なわれるのである。」
なぜ隣人のビュルストナー嬢の部屋で逮捕劇が行われたのかよくわからないし、さらに、これをきっかけに主人公Kはビュルストナー嬢と恋人のような振る舞いに出たりもする。
カネッティは、逮捕という屈辱的な出来事が「K自身もここにはなんの用もないはずのビュルストナーの部屋で監督を前にして行なわれる」と、衆人監視のもとで行われることを示唆する。
「彼は自分が縛られていると感じた。しかも他人のなかで。これに関してすでに日記のなかから引用された箇所はこうである。
「罪人のように縛られていた。もし本当の頭で僕を縛って隅に坐らせ、警官たちを前に立たせ、ただこんなやり方で僕をじろじろ見物させるだけだったら、その方がまだ腹が立たなかったろう。しかもこれが僕の婚約式だったのだ……」
二つの事件に共通の不愉快なことはその衆人環視の中ということである。」
上記でカネッティが引用している日記とは、カフカがベルリンで行われた恋人(フェリーツェ・バウアー)との婚約破棄を述べている日記である。

「曝された」婚約破棄事件とプライバシー侵害の問題
「二つの事件に共通の不愉快なこと」とは、『審判』で行われた屈辱的な逮捕劇と、ベルリンで行われたフェリーツェ・バウアーとの婚約破棄を指す。
いずれも「曝された」ことで、カフカは深く傷つき、その痕跡は彼の作中に彫り込まれている。
この事件に関し、カフカが1914年10月末から11月初めにかけてフェリーツェ・バウアーに宛てた長大な手紙が残されている。
そこには次のようにある。
「ぼくはまた今もう、あなたがBI嬢〔ブロッホ]を連れてきたことに反対しませんし、彼女あての手紙でぼくはあなたをほとんど辱しめたので、彼女は出席する権利がありました。
しかしぼくがあの時はまだほとんど知らなかった妹さん〔エルナ]も来させたことは、理解できませんでした。しかし二人の出席はほんのわずかしかぼくをまごつかせませんでした。」
ベルリンでの婚約破棄劇に、フェリーツェ・バウアーが親族だけではなく友人や初対面まで連れてきたことに、カフカは頭にきているのである。
ここで書かれている「BI嬢」とはフェリーツェの友人グレーテ・ブロッホのことで、彼女はカフカとフェリーツェをとり持つ仲介役。仲介をしてもらっているうちにいつからかカフカと恋仲になってしまうという不思議な間柄だった。
しかも、「ぼくはあなた(フェリーツェ)をほとんど辱しめた」という恨み節までグレーテ・ブロッホに書き送っていたのである。
フェリーツェとしては結婚意欲が高かったので、ベルリンでカフカと会ってうまくまとめようという意図で親族や友人を招いたのだろうが、それがカフカには裏目に映った。そんな構図が浮かび上がってくる。
こんなふうに、大量に残されたカフカの手紙もまた、彼の「作品」をなしている。同時に、プライバシーなどあったものではないという悲劇的な側面も持つ。
マックス・ブロートはカフカから死後に手紙を廃棄することを求められていたが、それに反し、一切を出版した。
そうしたプライバシーに対する感覚に、前出のミラン・クンデラは怒りをあらわにしている。
「私の眼にはブロートの不謹慎さには、どんな弁解の余地もないと見える。彼は友人を裏切ったのだ。友人の意志に反し、その意志の意味と精神に反し、彼が知っていた友人の慎ましい人格に反した振る舞いをしたのである。」
そのうえでクンデラは「作家としての恥辱ではなく、たんなる一個人としての恥辱、他人、家族、見知らぬ人間たちの眼に自分の内奥の事柄が引き出されることの恥辱、客体にされてしまう恥辱、「彼のあとまで生き残る」かもしれない恥辱だった。」と、カフカのありうべき心情を伝えている。
ブロートへの嫉妬から生まれた誤解
実際、ナイーブなカフカだったから、ましてや身ぐるみはがされ曝され拡散されることなど、耐えられるわけがない。
とはいえ、こうした手紙の数々が残された事実は、カフカを愛する世界中の作家や評論家、愛読者を育てることに貢献した。
カフカ個人にとっては大変な屈辱を天国でも味わっているのだろうが、その半面、作家・アーティストとして歴史的な財産を我々人類に残してくれたのは、まぎれもない事実である。
クンデラのブロートへの怒りとカフカへの共感は十分理解できる。
しかし私は、クンデラのブロートに対する「深い嫉妬」がそうさせたのだと考えている。
マックス・ブロートは次のように言う。
「私が多くの点でカフカに学んだとすれば、カフカもまたいろいろの点で私を先達と仰いだのだった。もっとも、たいていの場合カフカは、私から焚きつけられると、当の私が想像もしなかったほどの深さと広さにその火を燃えひろがらせた。」
マックス・ブロートはカフカの友人で流行作家だった。知り合った当初カフカがものを書いていることなどブロートは知らなかった。
あるときカフカがものを書いていることを知り、その原稿を目にすることで、作品の中に深く引き込まれていった。しかも、生きたカフカとリアルタイムの交流を続けながらである。
クンデラからしたら、この状況はうらやましくて仕方ない。その意味でブロートは、大変な幸せ者である。
カフカの死後にブロートは原稿のいっさいを引き受け、彼の遺言に反して編集・出版した。それに際しても数々の作家や評論家により、ブロートの編集方針に対し「この見出し付けは捏造だ」「章構成の並びが恣意的だ」などネガティブなコメントが多数あった。しかしこれもまた、クンデラと同様の嫉妬である。
そうした意見が世界中を取り巻いていたことから、近年ではカフカのオリジナル原稿そのままを撮影した『審判』も出ている。高額なので買うことは断念したが、読んだ人の話によると、世間でいわれているようなブロートによる恣意的で捏造的な編纂は見られず、カフカの意図を読者に届く形にまとめ上げられているという。だからこそ、これだけの数の読者が世界中に育っているのだ。
作家とプライベートを共にし、その人となりを個人的に知った編集者が、恣意や捏造といった利己心を動かすということは考えづらい。
しかし、上記のような嫉妬に加え、当時ブロートはユダヤ人としての政治的活動を展開していた。そのことからも、「カフカを利用した売名行為」という意見が出ていたことは一面として理解できる。

マックス・ブロートへの愛憎
ブロートに次いで近い友人に、20歳年下の詩人のグスタフ・ヤノーホがいる。
彼は父親がカフカの同僚で、「息子がものを書いているから見てやってくれないか」と職場で紹介された青年詩人だ。
ヤノーホは手記の中でカフカとの対話を豊かに描いており、しばしばエッカーマンの『ゲーテとの対話』と比較される。
『カフカとの対話』の中で、マックス・ブロートに関するカフカの発言を次のように報告している。
「そこなのですよ。マックス・ブロート、フェリクス・ヴェルチュ、そうした友人たちが皆、私の書いたものを何かと取り上げてしまう。そして、いつの間にか出版契約を結んでしまっては私を驚かすのです。」
知る人の間ではカフカの作品に評価が高かった。しかしながら法律家であるカフカは、個人的な心情と相まって、コピーライトを無視した友人たちの行為には立腹していた。
さらに続ける。
「私はその友人たちに不快を与えたくない。そこで、もともと全く私的な手記や筆のすさびにすぎぬものが、結局出版されてしまいます。私の人間としての弱点の個人的な証拠書類が、印刷され、しかも売りに出るのです。」
ここでもまた曝されるのである。「人間としての弱点の個人的な証拠書類」が。
「マックス・ブロートを筆頭に、友人たちがそれを文学に仕立て上げようと妄想しているためであり、私に、孤独の証言を破棄するだけの力がないためです」
作家自身の評価と周囲の評価との激しいギャップが読み取れる。「曝されたくない」というカフカの本心を鑑みると、この低い自己評価は決して謙遜ではない。
カフカは、作家としてビッグになりたいという野望がある人物ではなかった。
むしろ「小さく」いたかった。
友人に対する発言に「誇張して言っている」というカフカの留保が付け加えられているものの、本心であったことは間違いない。
マックス・ブロート悪者説を生み出したゆえんの1つである。

作品に結晶した「結婚」という最大の屈辱
いろいろと晒されてしまったカフカのプライバシーだが、その中でもクライマックスの、フェリーツェへの手紙から再度紹介する。
1914年7月12日の婚約解消から数か月後に書かれたものだ。
「アスカーニッシャー・ホーフ(ベルリンの婚約破棄の会談場所)でも、ぼくは強情さから沈黙していたのではありません。あなたが言ったことは大変明瞭だったので、それを繰返す気にならないくらいです。……」
「しかしそこには、人が相手に向って言うことがほとんど不可能であるようなことも含まれていました。」
カフカがフェリーツェから具体的にどんなことを言われたのかは記録になく想像の域を脱することはできないが、相当こてんぱんに言われたはずだ。しかも親族友人といった援軍付きである。カフカは全方位射撃を食らったような痛みを、彼らしく「沈黙」で表明していたのだ。
さらに続ける。
「あなたはプラハでぼくのことをいろいろ訴えましたーーそれは不安でした、いつも、いつも繰返し不安でした。……そして結局あなたがアスカーニッシャー・ホーフで言ったこと、それはこれらすべての爆発ではなかったでしょうか?」
結婚に関し観衆の面前で癪に障る決定的なことを言われ、これはさすがに辛かった。
カフカが最も言われたくなかった言葉、すなわち「家長にもなれないなんて、男のくせに甲斐性ナシ」に類する罵詈雑言が吐かれたはずだ。
「男であるならオレのような男であれ」と、家長である父親から刷り込まれ続けてきたカフカのメンタリティに、強烈に障る言葉である。
一般人なら、愚痴を言ったりお酒を飲んだり、ストレス発散に走る。そして発散できないとそれが蓄積され、心身の健康に問題をきたす。
カフカにとってのストレス発散は、作品の執筆だった。むしろストレス発散を通過し、瞑想や祈りの世界にまで、発散は高度な領域までに到達していた。ゆえに、個人的な屈辱がアートにまで昇華したのだ。
カフカは大変なモテ男で、フェリーツェをはじめ数々の恋人と愛を交わしたが、家庭を持つこと(家長になること)は決してなかった。
カフカと家庭に関しては『父への手紙』によく書かれているので、
作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(1) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~
を参照していただきたい。
知性に富んだモラリストだったイケメンのカフカ
二枚目で人を惹きつける知性に富んだカフカのモテ度に関し、ヤノーホは次のように伝えている。
「カフカは生涯を通じて、婦人たちの心をひきつける存在だった。彼自身は自分のそうした影響力を信じなかったが、そのような力があったのは事実なのだ。」
彼はサロンなど小さなコミュニティで存在感を発揮することに喜びを感じていたことを伝えている。
「ベルタ・ファンタ夫人のサークルにおいて、また夫人の居心地の良い自宅において、カフカはたいそう人気があった……
カフカが人気を博したのはひとえに彼の人柄とタイミングの良い発言と談話による。」
コミュニティの潤滑剤として、彼は自作の朗読をした。少部数出版のいわゆる同人誌作家である。
「カフカの人間そのものが周囲に働きかけ、ひっこみがちではあったが、身分ある人々は早くも彼を見どころのある人間と見てとったのだ。」
こうしたことからも、ブロートをはじめ、慧眼の数々の人物がカフカの魅力に惹かれて集まってきた。
そして彼の死後、出版メディアの力が、一人の同人誌作家を、文学の歴史を書き変えた大作家へと拡張させたのだ。
ヤノーホからの最後に、彼の父親によるカフカの美談を引用する。
「建築場の切石昇降機に左脚を砕かれた補助工の老人が私に言ったことがある。『あれは法律願問じゃない。あれは聖者です』
ーー補助工は私たちの方からほんの僅かな年金をもらうことになっていた。彼は私たちに訴願したのだが、法律上の形が整っていなかった。最後の瞬間にプラーハの名のある弁護士が彼を訪ねていなかったら、老人はきっと訴訟に失敗していたろう。」
石切場で不慮の事故に遭った職人を、カフカが職場の保険局に便宜を計らい、保証代金を支払わせたのだ。
「弁護士はーー不具になった老人からは一文もとらずにーーこの補助工の願書を専門家の立場から補足し、不憫な男の正当な要求を勝訴に導いてやったのだ。この弁護士に依場し、助言し、支払いをしたのがーーあとで分ったことだがーードクトル・カフカだった。」
ヤノーホは「こんな風にドクトル・カフカが舵をとったのはこれが一度じゃない。」と父親の言葉を付け加えるところからも、カフカは社内でもモラリストとして一目置かれていたのだ。
無名作家とはいえ、信頼できる人物たちから一定の評価を得ていたカフカに、文学青年ヤノーホは憧れを抱いていた。そうした憧れがカフカに対する神格的なバイアスを働かせていたのだろう。しかし、バイアスを間引いたとしても、人となりは穏やかで、愛と優しさに富んだカフカの人間性が伝わってくる。
私は何人かの歴史的な人物に会ってみたいと思っているが、その中の一人にはカフカがいる。
実際カフカって、どんな人?
読書会の会場から、「カフカってどんな人物だったのだろう?」という疑問が上がっていた。
本エントリーのラストは、ブロートからの引用で締めることにする。私の個人的なカフカ像に重なる。
「私(マックス・ブロート)はかつてのカフカの同僚で、現在は要職についている一人の役人と話を交えた。(カフカの元同僚の話によると)フランツ・カフカはみんなに好かれ、およそ彼には敵というものがなかった。
勤めに対する誠実さは模範的であり、仕事も高く評価されていた。
「われわれ役所の者たちのペット」だったというのだ。」
「ペット」という表現が妙に的確である。読み方によっては陰性な作風も陽性な側面を持つように、彼の人格も陰陽両面そのものであった。
そして、職場や友人たちの前では「ペット」だった。
カフカは「変身」の一つとして、自分をしばしば小動物にたとえる。
短編『父の気がかり』の主人公オドラデクの例が作家の願望を一言で表している。有機物だか無機物だかわからない糸巻きのような小動物で、カサカサ音をたてながら家の中を動き回っている。父に気がかりにされているオドラデクこそカフカの変身体である。
マックス・ブロートはカフカの死を次のように伝えている。
「それからカフカは全身の力で氷のうを引っぱがし、それを床に投げてこう言った、「もういためつけてくれるな、時間を延ばしたところでどうなるというんだ。」ーークロップシュトックが注射器をちょっと消毒しようとしてベッドのそばを離れたとき、フランツは「行かないでください。」と言った。クロップシュトックが「行かないから大丈夫。」と言うと、フランツは小さな声で「だけどぼくの方が行ってしまう。」と答えた。」
死という人間の力が及ばない瞬間に対して、最後の最期まで詩的な表現を失わなかった。
死の直前にいたっても、カフカの陰性と陽性は分かつことなく、40年間、離れることなく一体をなしていたのである。
* * *
さて、次回もまったく趣向を変える。
大変革が続く世界で日本も新しい国家を構築しようとしている。
そんな時代を読み解くテキストを取り上げようと、プラトンの『国家』(上・下)を選書した。
副読本は、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』(全4巻)である。勇気ある参加者にはぜひ通読いただきたい。
紀元前の古典を通して、日本という特殊な島国・国家の未来を豊かに語ることはできるのだろうか。
次回も、お楽しみに。
●主要参考文献:
『もう一つの審判』(エリアス・カネッティ著、小松太郎/竹内豊治訳、法政大学出版局刊、1971年)
『裏切られた遺言』(ミラン・クンデラ著、西永良成訳、集英社刊、1994年)
『フランツ・カフカ』(マックス・ブロート著、辻瑆/林部圭一/坂本明美訳、みすず書房刊、1972年)
『カフカとの対話』(グスタフ・ヤノーホ著、吉田仙太郎訳、筑摩書房刊、1967年)
『決定版カフカ全集』(新潮社刊、1992年)
FRANZ KAFKA Die Erzählungen Originalfassung, Fischer, 1996
Franz Kafka Tagebücher 1910-1923, Fischer, 1983