
世界史の成立が「交換」という切り口から俯瞰的にわかりやすくまとまっている。
節の長さは適度に調整されており、「例えば」が多用されるなど、読者に読ませる工夫は多い。
専門用語やわかりづらい部分は読み飛ばしても十分に理解できる。
次世代を担う人たちにはぜひ読んでもらいたい。超訳すれば高校の教科書になりそうな作品である。
作者はカントとマルクスの本質を理解されている。柄谷的唯物史観として一本筋が通っており、その意味でも読みやすかった。
言いかえると、マルクスとカントの理論を現代風にアレンジして現代人が過去を見たらこうなった、という明解さである。
視座がブレる混迷の時代にこそ読まれるべき本
カントとマルクスから現代を読み解こうとした試論的な『トランスクリティーク』の続編とのこと。本作を読むことで、作者が『トランスクリティーク』で何を伝えたかったのかが少しずつわかってきた。
同様に、イソノミアに人類の自由を見出した『哲学の起源』にも通底するものが多い。
民主主義を真剣に考えた日本人として、いまどき稀有な作者であるという印象を受けている(他にいたらぜひ教えていただきたい)。
国家とは想像の共同体であり、それは「国家の美学化」であるという論調は、ベネジクト・アンダーソンをカント的に解釈し興味深かった。
また本作を読むことで、改めて、マルクスは資本主義をこれでもかというまで赤裸々に暴いてしまった人物だということを確認。
最後に資源問題が取り上げられており、日本の開国のきっかけがそうであったように、19世紀末も鯨油の資源問題で世界が困っていたことを考えると、歴史が繰り返されていることを思い出した。
マルクスの時代との類似性が資源問題で現代ともつながり、それを解決するものが「交換様式D」という未来の流通形態である。考えがシリアスで、学ぶところは多い。
右から左に情報が錯綜し、人々の視座がブレる混迷の時代と言われるいまこそ、読まれるべき作品である。
未来からやってくる交換様式D
上記の「交換様式」は本作の主たるキーワードである。これについて少しだけ説明する。次のようにA~Dまでの4つがある。
A:互酬(贈与と返礼)
B:略取と再分配(支配と保護)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:X
各々について要約する。
「A:互酬(贈与と返礼)」は、武士が殿様から大判金貨などのご褒美をいただいているところをイメージするとわかりやすい。武士は「ははあ」とご褒美をおしいだきながら殿様に忠誠を捧げる、といった交換のイメージだ。
「B:略取と再分配(支配と保護)」は少し進化して、王様が戦争で分捕った領土を支配し、保護(外敵からの保護や生活の保障との交換)してあげる見返りとして農民や商人からの上がりを回収し、臣下らに分け与え、臣下らがさらに下層の臣下に分配するという構造だ。現代にたとえると、ねずみ講はこのイメージに近い。
「C:商品交換(貨幣と商品)」はさらに進化して、一言でいうとビジネスの構造だ。物体やサービスがマネーを介して世界中を循環する。そこにあるルールは、ビジネスの損得勘定とそれを取り囲む法規制や武力だけだ。
「D:X」はさらに進化し、A~Cまでのいいとこ取りだ。たとえば、ITの力で実現しているようなクラウドファンディングや、官公庁が大阪・関西万博のリソースを廃棄せずネットオークションで切り売りしたりなどの交換をイメージするとわかりやすい。交換様式Aの「贈与と返礼」が現代経済に大規模に組み込まれたものが交換様式Dだ。
交換様式Dは、おいそれと国家が公認するものではないとはいえ、ネットがこれだけ社会化した現実を見るにあたり、世界同時革命に類似のことが音もなくじわじわと起こっていることは肌で感じられる。
人を「目的」とする未来の交換社会
『世界史の構造』で作者が訴えたいことは、カントが述べた「人を手段のみにせず、目的にしなさい」に集約される。
以下、本文後半から引用する。
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哲学史においては、カントが感性と悟性の二元論に固執し、ロマン派がそれを乗り越えたということになっている。……
資本制社会では誰でも平等だと考えられているが、現実には不平等である。とすれば、悟性と感性の分裂が現にあるわけだ。その分裂を想像力によって越えようとするとき、文学作品が生まれる。そのような文学による現実の乗り越えが「想像的」なものだということは、誰も否定しないだろう。
ネーションも、そのような意味で「想像的」な共同体なのである。
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つまり交換様式Dは、文学的であり想像的なふわりとしたものが価値の1つとして織り込まれた交換形態である。
「貨幣も国家も想像的だと言えるのなら、交換様式Dが市民権を得たっていいじゃないか」と、作者がつぶやいている声が聞こえてきた。
2010年の作品。