本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナーレポート:「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」 ~豊かな対話の場を共有~

2017年8月26日(土)TKP新宿ビジネスセンターにて、「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」~第1回 本とITを研究する会セミナー~が、満員御礼にて無事開催されました。その一部始終をお届けします。

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●AIは情報の「予測」と「分類」をしているだけ

登壇者は株式会社クロノスでエンジニアとしてAIソリューションの開発と啓蒙を行っているの大石宏一氏。

「AI(人工知能)は怖い?」という世間的風潮に対して「AIは決して怖いものではない。単に情報の予測と分類をしているだけ」と定義したうえで、AIの基本となる学習の種類として「教師あり学習」「教師なし学習」「強化学習」「GAN」の4つを説明した。

まず「教師あり学習」は、午前中の株価の変動から午後の株価のそれを予想するといったような、学習のための情報を必要とするもので、人間の「算数」に近い。
教師なし学習」は、学習のための情報を必要とせず、予想はできずに類似データの分類のみを行うもの。人間の「図工」に近い。
強化学習」は出てきた結果を評価し、優れた結果に対して報酬を与え、AI自体にさらに優れた結果を出させるという学習方法。
最後に「GAN」(敵対生成学習、ギャン)は、学習データを使い、結果生成AIが結果判定AIからフィードバックを受けながら、結果生成AIが処理の精度を高めていくという学習方法。航空写真から地図を作るサービスはGANで実現されている。

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 ◎GANでモノクロからカラー写真を生成

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出典:https://arxiv.org/pdf/1611.07004v1.pdf 

●「ディスカッション・パートナーとしてのAIが欲しい」など興味深い発言
大石氏がプログラミング支援AIの開発を計画した際、膨大なデータが必要になることと、数日という非現実的な処理時間がボトルネックであったことを例に、AIソリューションの開発にはだかる共通の課題を説明しながら、次のテーマに移った。

冒頭の基礎解説を受け、参加者は5チームに分かれ、「こんなAIを使ったサービスが欲しい」をテーマにディスカッションと発表が行われた。

最初のチームは「仕事のタスクに優先順位付けをするAIが欲しい」という発表。会社の傾向値を与えるなどして、従業員に対し最適なタスクの割り振りをAIができるのではないか、というアイデアである。作業内容によってはかなり実用性の高いアイデアだ。
「ライティングの仕事を一人でしているので、ディスカッション・パートナーとしてのAIが欲しい」というアイデアは面白かった。ライティングのみならず個人事業主なら誰でもこうしたパートナーは欲しいはず。
また、認知症の患者に対して的確な傾聴ができるAIや、ジムのコーチ、契約書の自動修正ができるAIもあるのではないかという、バラエティに富んだ発表もあった。
商品として提供しているサービスへの問い合わせに自動応答するAIで、しかも、傾聴し、情緒的な対応も可能なものが欲しい、という発表もあった。「傾聴、情緒」という、AIにあえて人間的な挙動を求めるアイデアは興味深かった。大石氏によると、アパレル系のオンラインチャットですでにこのようなサービスが実現されているが、全自動で対応するよりも人間が介在した方が売上げが高いという事例があったらしい。
冷蔵庫の中身をスキャンして自動でレシピを作ってくれ、さらにはユーザーの体調データも加味してその人の健康に最適化したレシピを生成するというAIが欲しいというアイデアもあった。そのまま商品化できるのではないかという秀逸なアイデアだ。
最後は、こちらも健康関連で、人の体調がよくなるか悪くなるかを予測するAIが欲しいという発表。企業の従業員に適用すれば人的リソース管理に使えるし、休暇のリコメンドを従業員に通知するなどのサービスも可能となる。一方で人間特有の「ずる休み」もできなくなるという側面もチーム内から指摘された。

10分間という限られた時間で広がりと深みのある意見が発表された。

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●IoTの登場でAIのビジネス利用がより現実的に
同氏による後半のスピーチのテーマは「IoT」。
「モノのインターネット」と言われるIoTは、家電などさまざまな機器がインターネットにつながり、これらがAIと組み合わさることで多様なサービスが提供される。例としてハウステンボスの「センサーつきゴミ箱」が取りあげられた。ゴミ箱の内部がセンシングされ、ゴミを回収する時期が容易にわかるシステムだ。これにAIが加われば、ゴミ箱の配置や容量の最適化が可能になる。
IoTの持つ課題として、通信とセキュリティの問題がある。つねに通信環境が求められるIoTでは、海上や地下といった電波状態が不安定な場所での利用は不利になる。さらに、クラッキングが行われればデータの漏えいや改ざんにより、誤動作や大惨事の原因となる。
IoTの登場によりAIのビジネス利用がより現実的になってきたが、費用対効果が見えづらい、システムの開発工数に対して支払いが発生するのか、システムが課題解決した価値に対して支払いが発生するのかという判断も難しい。こうした課題も山積である。投資マインドが希薄な日本人は、課題解決よりも開発工数に対して支払うという傾向が強く、これもまた日本のAIビジネスの発展の足を引っ張っている。
会場には新刊『徹底図解 IoTビジネスがよくわかる本』を執筆された富士通総研の執筆陣の一人にご参加いただき、ディスカッションに彩りを与えてくれた。
 

●「AIの象遣い」になろう
大石氏はAIに関する最近の話題を2つ語ってくれた。
一つは、「AIが発展するとそれが汎用的になるという意見もあるが、むしろ“パーソナライズ”されてくるだろう」という話。AIが家族に使われていれば、その家族に特化した言葉や文脈を共有し、その家族ならではのAIとして学習されるはずという意見だ。
もう一つは、GoogleのAlphaGO(アルファ碁)や電脳戦のニュースなどから「人間対AI」という敵対的な図式が人々のイメージの中に刷り込まれているが、「象を上手に使って重いものを運ぶ人たちがいるが、現代人にとってAIはこの人たちの象に相当する。現代人はAIの象遣いになるべき」という同氏の発言には会場一同ハラ落ちした。
 

●AIが人間のイノベーションを加速させる
AIに関する事例や現実的な話を受け、「AIビジネスの加速のために必要なこと」をテーマに2度目のディスカッションと発表が行われた。

最初に発表したのは、SEと弁理士が属する変わり種チーム。「AIが人間のイノベーションを促進する」とし、イノベーションとは人間が起こすものであり、そのためには異分野の人たちのコラボレーションが重要である。こうした人たちのつながりをAIがコーディネイトすることでAIビジネスが加速するという。なんとも奇抜なアイデアだった。
AIはソリューションとして未成熟なので、まずは事例を増やしていくことが重要、という意見もあった。そもそも発展途上の技術だから、汎用化やビジネス化という基盤作りが先という、いたって本質的なことが語られた。
また、「AIに仕事が取られるという悲観論自体がAIビジネスの加速にブレーキをかけている」という意見も興味深かった。むしろ「AIが人間にもたらす豊かな人生」を提示できるようになればよいはずで、人間はやりたいことをやり、嫌なことはAIが肩代わりしてくれる。そういったイメージ作りが大切である。私はふと、ルトガー・ブレグマンの著作『隷属なき道 ~AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働~』を思い出した。
最後の発表では、「AIから人間はまだまだ恩恵を受けていない。現実で恩恵を受けてイメージをプラスに転じることが大切」という、上と近い意見だった。高齢化福祉社会にとって人間の思考活動を代替するAIは利便性が高く、その意味で人口減少が続く日本に親和性が高いと言える。AIにそうした親和性のある半面、「日本の投資文化の不足」が足を引っ張るだろう、という危惧も指摘された。

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●AIで国力を高め、セキュリティやプライバシーの問題を克服すること

最後は全体のQ&Aでセミナーが締めくくられた。
日本のAIの技術レベルに対する質問は、一言「低い」との回答。欧米に圧倒的に劣っており、日本はAIエンジンを作る側でなく、使う側である。中国やインドは学術的にAIを追求しており、彼らはディープラーニングの「次」を探しているという。その意味でインドや中国は手強い技術競合国とも言える。
AIにホワイトハックをさせて、システムのセキュリティの脆弱性を判定させるというアイデアはどうかという質問では、政府は国策としてセキュリティ人材を増やしたく、その意味で人材確保の困難なこんにちにそのアイデアは有効だろう、という回答だった。
また、人間の挙動をもとに万引き犯の予測など不審者を判定するAIや、テキストの解読による性格判断のAIは、いろいろな危険性が孕むのではないかという質問もあった。「犯人捜し」において誤判定が発生したり、テキストの解読による性格判断は、文字データだけでなく入力した人の国家や人種、宗教といった属性により読まれる文脈がまったく異なってくる。
「犯人捜し」と聞いて私は、ハリウッド映画『マイノリティリポート』を思い出し、「属性により読まれる文脈がまったく異なってくる」では、中年男がAIと恋愛をしてしまう映画『her 世界でひとつの彼女』を思い出した。
 

   * * * * *

以上2時間、大変な熱気の中でセミナーは無事閉会となった。
こんなにも発言し、意見と意見が科学反応を起こす場はなかなか見られず、これだけ豊かな場を形成していただいた参加者の皆様には頭の下がる思いだった。

「対話」とはソクラテス以来、哲学の種であり科学の種、創発の種であった。
このような活動を通して日本人が対話でエネルギーを高め、日本人が本来持つマインドと技術の力が盛り上がってくることを、私は、心から願っている。

三津田治夫

満員御礼にて、セミナー、無事終了しました

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8月26日(土)、満員御礼にて「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」~第1回 本とITを研究する会セミナー~ https://goo.gl/74tiZf が無事終了しました。
この場を借りて深く感謝、お礼を申し上げます。
皆様とお目にかかれ、本当に嬉しかったです。
また、ディスカッションが予想以上に熱いものになり、よかったです。
皆様の発言で会場に豊かな場を作っていただき、心から感謝します。

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哲学的な対話がなされる場に直面し、こんなに考えている人が沢山いる、日本もまだまだ捨てたものではない、という気持ちにとらわれました。
AIというテーマ自体も、対話をしやすいものだったと認識しています。
第2回以降も計画中です。

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またお目にかかれることを楽しみにしています。
今後ともなにとぞ、よろしくお願いいたします。

三津田治夫

自由と奴隷制の原理から覚醒するプロセスを考える:『自由への大いなる歩み』(マーチン・ルサー・キング著、岩波新書)

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キング牧師というと非暴力でアメリカ公民権運動を貫いた偉人である。
最近では、トランプ大統領の白人至上主義者的発言が指摘されたり、彼の父親が実はKKK(白人至上主義結社)のメンバーだったと暴露されるなど、米国内では改めて差別の問題が問われている。

日本国内では格差社会が常態化し、格差という枠組みの中で自由が奪われた生活が強いられた人たちは数多くいる。自由とは身体と心という、人間の本質を支える大切な要素であり、その人のクリエイティビティを支配し、その人の人生を定義づける。

そんな視点で、今回は、キング牧師の『自由への大いなる歩み』を読んでみたい。

なんか不自然だけど日常だから変えたくはないし、現状を我慢していればひとまず生活は成り立つから黙っていよう。
アメリカの人種差別は、黒人のこうした心理状況下で機能していたと、著者のキング牧師は言う。
雇い主やリーダーは白人だから、差別の原理に従って生きていけば、日常はひとまず過ごせる。
いわゆる、「奴隷は奴隷の解放を望まない」、である。
なぜなら奴隷は奴隷でなくなると、奴隷という生きるアイディンティティを失ってしまうのだから。

ガンジーの無抵抗主義の勝利という時代背景に出てきたアメリカ公民権運動でのムーブメントが、バスのボイコット運動だ。
当時の路線バスは、黒人が乗る場所と白人が乗る場所が分けられていた。
出入り口も分けられており、それを守らない黒人は乗車拒否された。
怒った黒人たちは、「バスに乗るぐらいなら歩く」という抵抗に出た。
さらに黒人たちは、大量にマイカーを持ち寄り、ボランティアの運転手を募り、それを定期的に運行し、自前の交通手段を作ってしまった(いまでいうカーシェアリングに近い)。
それを見た白人の運輸関係者は激怒し、さまざまな法規制を設けて黒人の運動を潰そうとする。

それでも運動は拡大する一方で、少しずつ、白人もその運動に加わるようになってきた。
運動は紛争に拡大し、キュー・クラックス・クラン(KKK)など白人の過激派たちは黒人を襲い、キング牧師らの自宅には爆弾が仕掛けられた。

自身や家族の生命の恐怖にさらされながら、黒人たちは徹底して非暴力主義を貫き通した。
非暴力主義と無抵抗は同一ではない。
非暴力主義とは、「暴力を使わない抵抗」であるとキング牧師は言う。
非暴力主義を通して、暴力を使う人間に、暴力とは生産性のない愚かな行為であることを自覚させる、という戦法である。
キング牧師も結局は暗殺されてしまうのだが、彼はこうした運動や、「I have a dream」というすばらしい言葉を後世に残した。

彼の年譜を見ていた。
享年39歳ということを初めて知って、驚いた。
こんなに短い人生だったのかと。
『自由への大いなる歩み』では、ヘーゲルマルクスなど、哲学や社会学に関する見解がところどころで語られている。
彼は神学と哲学を身につけたインテリである。
文体も非常に明晰で、当時の世相や自分が考えたこと、行動したことなど、非常によく書かれている。
最終章の非暴力理論は、理論と信念が切実な長文で語られ、心が打たれる。

常識や社会性への抵抗は非常識で、そして、反社会的な行動である。
非常識で反社会的な運動が、あるときから、社会性を帯びる。
そんなあるときとは、差別を受ける人間たちの自我が目覚めた瞬間である。
自我が目覚め、覚醒し、社会が変わる。
そんな歴史的瞬間を感じることができた、貴重な一冊だった。

上記が、『自由への大いなる歩み』の大枠である。

自由であるとはどういうことか、人が社会に働きかけるとはどういうことか、人がものを創り上げるとはどういうことか、こういったことに興味のある人たちには、ぜひ読んでいただきたい。そして、個人の感性で、感じてもらいたい。さらに、その感性を行動に移してもらいたい。人類が、自由と奴隷制の原理を直視しし、それを修正していく社会的プロセスが克明に描かれた、素晴らしい本だった。

三津田治夫

第3次人工知能ブームは、私たち人類に「問い」を投げかけてくれた

第3次人工知能ブームの与えた貢献は、人類の未来の可能性や利便性を高めるといった期待以前に、私たち人類に「問い」を投げかけたという点にある。

つまり、「知性ってなに? 人間ってなに? 身体ってなに?」と、AIは、人が自問自答し、人が哲学的になるきっかけを与えてくれた。「考える前に動け」の論法がまかり通っていたバブルの時代から考えると、こんな哲学的な時代が来るとは、夢にも思っていなかった。

これは、いい時代だと判断している。
哲学的な時代とはつまり、対話的な時代でもあるので。

最後に、偉大な科学者の言葉から引用する。

「重要なのは、問い続けることだ。好奇心はそれ自体に意味がある。」-アルベルト・アインシュタイン

三津田治夫

日本ロボティクス黎明期の記録② ~フロントエンド・プログラミングの新しい形~

「UXデザインワークショップ」として、2016年7月、都内でPepperプログラミングのワークショップが開催された。

「ロボット演劇」を編み出した平田オリザさんの演劇・演出の手法が、いかにPepperプログラミングに有効かが、さまざまなワークと共に伝えられた。

Pepperはこうやって人間に近づく
http://www.sbbit.jp/article/cont1/32456

かつて、フロントエンド・プログラミングといえばWebプログラミングを指していたが、しばらくしてそこにスマートフォンタブレットが加わり、いまやドローンやロボットまでもが、「フロントエンド・プログラミング」の対象とされている。フロントエンド・プログラミングの定義は、これからも日々変化していくだろう。

日本におけるロボティクス黎明期の貴重な記録として、ここに共有します。

三津田治夫

いまを予見する貴重な講演の記録。ノーム・チョムスキー教授が示す、人間のこれからあるべき姿 ~来日講演『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』に行きました~

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2014年、上智大学四谷キャンパスで、『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』(Capitalist Democracy and the Prospects for Survival)と題するノーム・チョムスキー教授の講演を聞いてきた。現代資本主義の崩壊やポピュリズム政党の出現、そして、AIが社会を取り巻く未来を予感させる、貴重な内容だった。2014年3月6日(木)の講演をここに記録し、共有する。人間のこれからあるべき姿のヒントになるはずだ。

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チョムスキー教授といえばプログラミング技術の核ともいえる「生成文法」の理論を確立した言語学者で、同時に世界平和を強く訴える政治活動家でもある。9.11のときの発言や行動を通し、もっとラジカルで激しい語り口のアナーキストと思いきや、実際には穏和で冷静に事実を語る好々爺という印象が意外だった。

1日目のテーマは言語学で、今回参加した2日目のテーマは民主主義の未来。ジョン・ロックアダム・スミスといった啓蒙思想家の話を皮切りに、新自由主義ネオリベラリズム)を冷静かつ痛烈に批判する。

チョムスキー教授いわく、『国富論』で「神の見えざる手」を説いたアダム・スミスは資本主義の礼賛者でもなんでもなく、彼ほど資本主義が没落していく姿を予見していた人物はいなかったという。その没落とは、富裕層と貧しい人の間に横たわる貧富格差の拡大で、スミスの予見していた没落は現代資本主義経済の枠組みにおいてすでにはじまっている。

世界経済に混乱をもたらした金融危機がまさにそれで、その犯人を「人類の未来よりも明日のボーナスを大事にする経営者と政治家、そして彼らの間で動くロビイスト」と指摘する。そして、高い失業率と烈しい貧富格差が常態化するアメリカ社会の現状を、「現代の奴隷制」と表現。ウォール街の金融業界を筆頭に圧倒的な富が蓄積され、一方で弱者は搾取され続けるというシステムができあがっている。そうした金融企業が倒れかかっても政府の支援で救済され、利益を手にして彼らは再び富を蓄積する。その支援に使われる原資は、他でもない、貧者から吸い上げた税金である。そして人々から自由を奪い上げる。そうした不健全な循環はアメリカを中心に世界を支配している。

講演のタイトルである『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』(資本主義的民主制と生き残りの見通し)に答える形で、チョムスキー教授は「このままでは未来の展望なし」と断言。それを避けるためには、自由に情報へアクセスできるいまこそ、個人は現状を認知し、連帯し、立ち上がること。いまこそ啓蒙の時代である。「産業革命の時代に現れた啓蒙思想に学び、行動しなさい。われわれはどんな生き物なのかと、いま、問われているのだ」、と締めくくった。

拍手喝采のスタンディングオベーションに続き、質疑応答が開始。普天間移転問題や福島の原発事故など、日本人が抱える問題への見解を巡る、さまざまな質問が飛び交った。
普天間移転問題に関しては「日本人自身の問題だから、自らの責任で解決すること」と、日本人の主体性を指摘。福島の原発事故に関しては、「東電が隠している情報の真実を知ろうとすること。また、代替発電の手段も確立すべき。ドイツにはそれができつつある。日本のテクノロジーが結集すればそれができないわけがない」と回答。
どれもこれもチョムスキー教授ならではの判断と示唆に富むものばかりだった。

私は何度も挙手を試みたが採用されず、学生さんが十分に質問してくれればそれでいいだろうと思っていた。しかし、最後の質問で幸運にもその機会が与えられた。そこで根本的なことを2点、教授に聞いてみた。
1つ目は、自由の問題。「チョムスキー教授にとって、自由の本質とはなんでしょう。自由という言葉は、日本人の間で共有できていないと感じているので。」という質問。
そして2つ目は、「そうした個人の自由を手にするためには、どういった行動と考えが必要でしょうか。」

前者に関してチョムスキー教授は、「自由とは本来誰もが生まれながらに持っているもので、それはルソーの時代から何百年も考え続けられた大問題である。自由とはつまり、他人からいわれたことでない、極めて自発的なもの。自分の意志で考え、行動する、それが自由」、と答えた。
そして後者に関しては、「他人との間に共感を生み、連帯すること。」

自由という、日常でも使われる言葉に対して明確な定義を耳にし、私は2つの両極な印象を得た。

一つは、自由とは、「大きな断絶の彼方にある。」
これを感じたのは、言葉の問題だ。「自由」という言葉を私たちは日常で使うが、その意味は欧米人との間でかなり異なる。日本人の考える自由とは、「自由気まま」や「勝手」といったものに近い。一方で欧米人の考える自由とは、個人の自由を保障する社会があり、そのために戦争や闘争を繰り返して力で得てきたもの、守ってきたもの。つまり、「自由」という言葉に対する体感がまったく異なる。

数年前、東西ドイツの統一を経験しその運動に参加していたドイツの友人に、市民参加型(民主主義なので市民が参加して当たり前といえば当たり前なのだが)のドイツの民主主義を問うたら、「日本に民主主義が入ってきてたかだか数十年。そうすぐに民主主義国家にはならないよ。ドイツの民主主義は運動や内戦を通しじわじわと時間をかけて市民に浸透してきたものだから。」といわれたのを思い出した。つまり、「自由」に対する体感が、日本人とドイツ人とではまったく異なる。彼らにおいては自由とは、身体の活動を通して手に入れ、守るものである。そうした体感が市民レベルでDNAに埋め込まれている。チョムスキー教授の発言から同様の印象を私は受け取った。

そして、その一方で得た印象は、自由とは、「すでに目の前にある。」
生まれながら持っており、自発的なものである自由は、日本人も持っている。ならば、「日本人の持つべき自由は、欧米人が持つ自由とは異なる」ということに気づく。自由が自発的なものである限り、「欧米式自由」の模倣で自由の実現は不可能だ。つまり、自由は自分で手にし、自分で守ること。かつて日本人が確立した自由へいたるメソッドの一つに「禅」がある。しかしこれは個人それぞれが持つ精神的な態度であり、西洋人の考える自由のように、個人の外部へと限りなく拡がり共有する自由ではない。あくまでも個人の自由にとどまる。これは、日本人と西欧人の宗教観の違いも起因するだろう。

しかし、自由を社会的に実現するソリューションとしての、「他人との間に共感を生み、連帯する」、という方法において、日本人はなにができるのかと考えさせられた。おそらく日本でも、SNSなどのネットの力がそれをになうのではないか。そのために個人は考え続け、対話を続けることが重要である。

しかしながら、いくら社会がフラット化しているとはいえ、ノーベル賞級の大学者さんに対面質問し、1,000円も払えばその人が書いた著作が手に入り(岩波文庫の『統辞構造論』は1,140円+税)、それをいつでもお茶の間や通勤電車の中で読むことができる。すごい時代になったものだという感動があった。時代の節目には(たとえば産業革命以降のイギリスやフランス、明治維新前後の日本など)、このようなこと(大変な人物や大変な出版物との出会い)が何度も何度も起こっていたはずである。

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講演が終了し、記念に著作を買おうと、行列の先頭に着くべく書籍販売コーナーに走った。出入り口の横で書籍販売のブースが設けられていたが、行列などどこにもなく、その場で買っているのは私一人。
あの質疑応答の熱さやスタンディングオベーションとの温度差の乖離に、ある種の肩すかしを食らったのは率直な印象である。

それにしても、素晴らしい講演だった。

チョムスキー教授、いつまでもお元気で、世界を啓蒙し続けてください!

※一部の写真はあくまでもイメージです。『統辞構造論』はまだ読んでいません。

三津田治夫

日本ロボティクス黎明期の記録①

2015年、劇作家の平田オリザさんがpepperのプロジェクトにかかわられた件を東京藝術大学豊岡市の関係者に取材し、記事にしました。

志賀直哉にまつわる古風な温泉にpepperとは、なかなか風流なものです。
pepperプロジェクトの背景やその未来まで、本ブログ管理者が以下2本の記事にまとめました。

湯煙の町にロボットがやってきた!(1)~城崎温泉pepperプロジェクト~
http://online.sbcr.jp/2015/09/004113.html

湯煙の町にロボットがやってきた!(2)~城崎温泉pepperプロジェクト~
http://online.sbcr.jp/2015/09/004114.html

日本におけるロボティクス黎明期の貴重な記録として、ここに共有します。

三津田治夫