本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

創業6年目で考えた本と「本」のこと

私が経営する株式会社ツークンフト・ワークスは、1月11日をもって創業6年目に突入した。
出版プロデュース事業を起業して丸5年を経て、従業員時代には体験したことのないさまざまな風景を見ることができた。
道半ばとはいえ、ここまで来ることができたのは、ひとえに、私や会社とつながりをいただいた皆様の力にほかならない。いくら感謝しても足りないほどだ。
6年目を機に、事業を通した創業時の過去といま、未来の行動の中核をまとめてみる。

3年目でパンデミックに遭遇
創業は2018年1月11日。
退職した会社の有休消化真っ最中だった。
寒い雲り日、電車で埼玉の司法書士事務所へ登記に足を運び、書類を作成し、開業の申請を行った。
開業直後、ノートPCを片手に都心のコワーキングスペースやカフェ、Wi-Fiのある図書館を渡り歩いていた。
そのとき手掛けていたのはもっぱら会社のホームページ作成だった。WordPressテーマを購入し、突貫で自社サイトを作成した。
創業初の仕事は、業務委託による本づくりだった。
書籍の企画やディレクション、版元への成果物の納入が主だった。
業務委託契約が終了した1年後からは完全なフリー経営者として本づくりを手掛けることになった。
経理・総務・営業・マーケティングといったすべてのことを一人でやることに目が回る思いだった。この時期からまさにナマの経営に直面し、会社勤め時代、いかに自分が企業の従業員として守られていたのかという現実に日々直面していた。冷や汗ものの体験もたびたびだったが、同時に、起業しないとまずお目にかかれないことが多数で、いまでも続く貴重な勉強のはじまりがこの時期だった。

2019年末、経営者であるとともに編集者として理想の本づくりを追求しようとあくせくする最中、中国武漢での新型コロナウイルス騒ぎが報道された。
社会におかしな雰囲気が漂い出したのが2020年の1月ごろだった。
奇しくも2月には、作家の高嶋哲夫さんを囲んだ読書会の司会を引き受ける機会があった。
『首都感染』や『ミッドナイト・イーグル』といった代表作品を参加者と語り合いながら、高嶋さんとは武漢のことを話し合っていた。このときすでに、騒ぎの収束までにはそれなりの年数がかかることや、パンデミック後には世界が一変することなどがご自身の口から語られていたことは、いま思うと衝撃的だった。

日本もしだいに危険な雰囲気に包まれることになった。
飲食店の閉店や都心への外出自粛令などで、目に映る風景はまるでSF映画のようだった。
そして、ようやくこぎ出した新規事業ではあったが、創業3年目にてさっそく事業内容の転換が迫られる事態に直面した。
メディアの報道に惑わされる日本人の姿が生々しく、本づくり以外で言葉でなにか働きかけることはできないかと、仲間と新しいコミュニティを立ち上げたのはこの時期だった。
仕事で書籍という成果物をアウトプットするだけではなく、企画を媒介に著者さんと版元と読者をつなぐ出版プロデューサーとしての働き方を強く意識しはじめたのもこのころだった。
それまではオンラインでのイベントや勉強会はまだ少数派だったが、コミュニティ運営をオンラインに切り替えた時期はこのころだった。

DX、そして戦争
2020年から2021年にかけ、パンデミックがしだいに日常と同化してきた。
企業ではリモートワークが進み、東京都内の人口が漸減する状況に突入した。そんな中、一度もオフラインで会わずに本をつくるという編集制作スタイルが確立し、実際にそのような形態で4冊の本を出版した。
この時期には、「DX」と「スタートアップ」に出会う貴重なきっかけに恵まれた。
日経ムック『DXスタートアップ革命』の制作を手掛けることができた。これがきっかけで、2021年からDXに焦点を当てて出版プロデュースを行い、『DXビジネスモデル』をはじめ、さまざまな本を世に送り出すことができた。
コミュニティ運営においては、数学やアートなどに目を向け、メンバーとの学びや交流を深める足掛かりをつくってきた。

2022年2月にはロシアとウクライナが戦争をはじめた。パンデミックの余波や米中関係の悪化などを背景に、世の中はますます先行き不透明な厳しい状況になってきた。
そしていまは、この5年間で行ってきた出版プロデュースとコミュニティ運営の仕事の双方を強化しようと、次の行動としてなにができるのかを計画している。

人は最も重要な資本だったこと
経営は総合格闘技といわれる。良質な本を読んだり優れた成果をつくり上げた先達の言葉を聞いて、それをマネできるようなものでは決してない。書籍やDVDを参照しながら空手や剣道を学ぶに等しく難しい。
しかし、一つだけいえることがある。
良質な本や優れた成果をつくり上げた先達の言葉には、比類のない情熱が込められている。その情熱は、力強い勇気を与えてくれる。
まる5年間、ぶらさずにやるべき事業を続けてこられたのは、多くの良質な本に触れられたことに加え、天才や偉人と呼ばれるに等しい、優れた成果をつくり上げた人たちと交わることができたのが大きい。
まさにこれらは、貨幣や不動産のようにお金で買うことができない、貴重な資本である。
とある大先輩が口にした「上質な人脈を保持せよ」という言葉は、いまでもしばしば思い出す。
偶然な出会いの連続がもたらした結果であったが、6年目のいまになってようやくこれに深く気付きはじめた。

これから私が事業を通して実現したいこと、できることはなにかと考えた。何度考えても、本のこととコミュニティのことは離れない。
本のことから考えてみた。
出版プロデューサーとして、本を作っているだけで読者に価値が届けられているのかとは、つねに自問自答する。
本はもともと、読者の課題を言語化し、共通言語を提供することで対話を促し、対話により課題の本質をあぶり出し、課題解決という行動への勇気を与えるツールだった。
しかし、出版業界の縮小と読者が抱える課題の多様化という、双方の矛盾により、対話と本質究明という、本が持つツールとしての重要な機能が失われてしまった。
改めて、自らの起業の動機に立ち返ってみると、この矛盾がそもそものきっかけだったことを思い出した。

本で「本」を届ける
「本」という言葉には、人が文字を読むため書籍という意味から、本質の「本」、本来の「本」、本当の「本」、本物の「本」、本能の「本」、本尊の「本」、資本や元本の「本」まで、さまざまな意味がある。
「本」とは、見た目やイメージ、表面、表層、表象の反意語である。
つまり、外観に包まれた中身が「本」である。
このように「本」を因数分解していくと、出版プロデュースで扱う書籍としての本の本質がよくわかる。
また、本と「本」の2つがあることもわかる。
前者は書籍としての本、後者は単語の意味としての「本」である。
その意味で私は、出版プロデューサーを改め、「「本」プロデューサー」でありたい。
書籍がもともと持っていた、読者に物事の本質を届けるためのツールとしての本をつくること。
そして、SNSやコミュニティというツールを使って書籍を相互補完し、読者などの受け手に物事の本質を届ける。
これが、私が手掛ける「本」プロデューサーの仕事だと認識している。

とくに昨今、YouTubeなどのネット動画が社会への影響力を高めている。
情報伝達のために優れた媒体だが、これはあくまでもテレビやWeb派生の、見た目やイメージを瞬間的に受け手に伝えるための手段である。
受け手に本質に迫るための勇気を与えられる可能性まではたしかにある。しかし、その先へのハシゴがすっぽりと抜け落ちている。
世の中の多くは見た目やイメージに支配されている。
見た目やイメージはもちろん重要だが、これらは単体では成立しない。見た目やイメージは、本質と対になって初めて成立する。
本質の伴わない見た目やイメージほど危険性が高いのは、言うまでもない。
極端な例をあげれば、詐欺師の多くは見た目が美しい服装とルックス、聞こえの良い言葉を持った人たちである。彼らは本質とマッチしない見た目やイメージを材料に成果を手にする。
詐欺とは言わずにも、すれすれの線で、美しい服装とルックス、美しい言葉で本質を見えづらくし、人の心を操作するという手法はいつの時代でも利用されている。
このようなイメージ操作で、人が本質から目をそらし続けさせられた結果が、世界から大きく遅れを取ったいまの日本人ではないだろうか。

私が「本」プロデュースの事業を通してできるところは、本質と見た目の橋渡しにあると考えている。
本質から目をそらすとは、たとえば、いま社会を取り巻く物価高の問題がそうだ。
戦争や外交などさまざまな要素が絡み合ってこのような事態が訪れている。
このような問題に直面し、人はしばしば「難しい問題」と口にする。そして、逃げてしまう。もしくは、理解と解決を延ばしにしてしまう。難しいのは当たり前。簡単な問題などはない。

己の弱さを知ることから生まれる心のエネルギー
人は弱い存在である。
だから、逃げや先延ばしをしてしまう。
しかし知っておくべきは、強がる必要はまったくない、ということだ。
逃げや先延ばしをしている自分の弱さを正直に認め、それを言語化することだ。
ここから、本質への接近が始まる。
そして本質へ接近する際には、自他との対話を閉じないこと。
対話とは、一定の場によって生まれる。
立場や肩書が他人の言葉を制圧するような場では、決して対話は生まれない。
その対極にある場が、真の対話を生む。
過去が回答を与えてくれない混迷の時代にこそ、対話が未来を生む。
上記の物価高を例にとっても、絡み合ったさまざまな問題の一つに目を向けるだけでよい。
逃げや先延ばしといった思考停止とは縁を切り、自分の力がおよばない場所にも目を向けること。これが、本質への接近であり、これから生きるための心のエネルギーになる。
本質へのアプローチは流行やトレンドを理解するためにも役立つ。
プログラミング教育を例にとっても、仕事に役立つから、教育カリキュラムにあるから学ぶのではない。数学から生まれた技術でできたプログラミングという作業を通して、生活習慣や言葉、人種、宗教を超えた、論理的で普遍的な万国共通の言語と思考を身につける、というところにある。
同じように本質へと目を向ければ、私たちが義務教育で学んできた国語算数理科社会を学んだ本質が理解できる。これは、思考とコミュニケーションのツールを手に入れるための学習である。
言い換えると、本質を知るとは、一つは、自分の置かれた状況を認識し、言語化すること。もう一つは、学習や常識、習慣など、一般的に変形され認知されていた物事を分解し、言語化し、本質に戻す(再定義する)ことである。

繰り返すが、人は弱い存在だ。
だから、本質は知りたくない。
生命の本質である死を日々考えながら生きている健常者は少ない。
経営難の大企業で、倒産危機を日々考えながら働く従業員も少ない。
そんなことを考えていたら、楽しい日常が台無しになる。
なにより、面倒くさい。
だから、逃げや先延ばしをしたくなる。
人は弱い存在ゆえに、本能として逃げや先延ばしを用いる。これにより生命や身体の自己保全を図る。
しかしそこには限度がある。
目前に迫った津波を、「これは絶対に津波ではない」と自己説得したり、他人の行動を見て「みんなもそうしているから」と同調したりという、生命にかかわる自己保全もある。
そこで、本質を知ることは役に立つ。
知があれば、目前に迫ったものが津波かどうかの判断が自力でできる。
他人の顔色を見ながら判断するという行動原理から自由になることができる。
本質を知ることで、未来へ生きるための扉が開かれる。
つまり本質を知るとは、知を持つ、ということだ。

三津田治夫

組織と自律、思考停止を考える

DXという単語に伴い、近ごろはリスキリングという言葉もよく耳にする。
企業がいままでの組織人を、変化の激しい世の中に対応できる新しい組織人へと教育する。
これが、リスキリングと呼ばれている。

DXもリスキリングも、とくに日本の大企業においては、成功事例をあまり耳にしない。
その理由は、「自律しない組織」での成功体験があまりにも強烈だったからだと分析する。
「自律しない組織」とは、いわゆる「軍隊式トップダウン組織」である。
1990年代まで、企業では、程度の差はあれ従業員は上司の命令に絶対服従だった。これに従わなかった従業員は懲罰人事を食らうのが当たり前だった。
絶対服従の見返りとして、日常生活の安定と老後の安心が保証されるという、強固なメンタルモデルが組織人の間に構築・共有されていた。

しかしいまや、企業は「見返り」に相応した賃金や退職金を支払えない。決裁が重層的に入る軍隊式トップダウン組織のスピード感では、高速に変化する市場ニーズに対応するにはあまりにも非力だ。

軍隊式トップダウン組織と思考停止の構造
そもそも、軍隊式トップダウン組織には本質的な問題がある。それは、人間の本能である恐怖心理で人を支配する、という問題だ。
集団で孤立する、家族や仲間が危険にさらされる、生活が変化する、個人のアイディンティティや社会的ステータスが奪われる、命が奪われる、などの、人が本質的に持つ一連の恐怖心理を用いて人を支配する。
人は恐怖に直面すると、思考停止に陥る。
思考停止になった人間は他人に支配される。
つまり、恐怖と支配はセットである。
思考停止に陥ると、人は判断を放棄する。
判断を放棄した人は、事物の判断を他人にゆだねる。
このとき人が依存するのが、他人の言動や、他人が作ったキーワードである。
もしくは、過去に他人がつくった常識や過去の標準である。
思考停止した人は、言葉や過去に支配される。

国家をあげて思考停止を支援
宗教も、思考停止の仕組みを持っている。
とくに、最近国会で議論されているカルト宗教は、思考停止の巧妙精緻な仕組が組織を下支えしている。
この仕組で信者を依存させ、操作し、運営資金を獲得し、組織を拡大させ、信者を増やす。

軍隊式トップダウン組織を持った企業たちには、かつて「会社教」という言葉が与えられていた。一種の宗教団体ともいえる。

そもそも日本では、政治家とカルト宗教の関係は深い。
同様に、「会社教」を持つ企業とも関係が深い。
いわば、国家をあげて思考停止を支援していたという現実と構造が浮かび上がってくる。

国会での議論では、マインドコントロールの防止や被害者救済の解決策を見出そうとしている。
法案が通ったところで、「国家をあげて思考停止を支援」の現実と構造がなくならない限り、思考停止の巧妙な仕組みは手を変え品を変え何度でも現れる。
これには国家も社会もうすうす気づいているだろう。
しかしこの30年を振り返ってみても、「国家をあげて思考停止を支援」の構造は、社会の激変に反してあまり変わっていないように見える。

日本の二つの成功体験
日本には、世界の激動の中に飲み込まれることから逃れ、奇跡の急成長を遂げた2つの成功体験がある。

一つは、明治維新
大政奉還により明治天皇を絶対的な権力者としてトップに立て、強固な軍事組織を早急に作り上げ、西欧列強によるアジア各国への支配を回避した。明治政府は急成長して西欧列強に接近し、自律的な独立国家であることを守り抜いた。

もう一つは、戦後昭和の高度経済成長。
敗戦後の日本において、軍隊式トップダウン組織で企業は猛烈に働き経済を右肩上がりに持ち上げ、国家は奇跡の復興をなし遂げた。
そして戦後40年にも満たない1980年代、世界の売上トップに日本企業が名を連ねるまでに経済が成長し、頂点にまでのぼりつめた。

いずれも、日本人は思考停止の構造による軍隊式トップダウン組織をもって、奇跡の急成長を遂げることができた。
こうした大きな成功体験が体に染みつき、思考停止の構造による組織の「空気」に、日本人はまだ依存している状態にある。
それが、政府与党がカルト宗教や会社教と仲良し、という現実として表れている。

いまや、思考停止の構造による軍隊式トップダウン組織は、機会獲得し急成長するための道具ではなくなった。機会獲得に目を背け、「失敗を回避する」ための道具といった、その本質がむき出しになった。

思考停止を操る感性の大切さ
ここまで、思考停止のネガティブ側面をあげてきたが、ポジティブな側面が対極にある。
一心不乱に働いたり学習したり運動したりという行為も、思考停止の産物だ。
ただし、一心不乱のスイッチのオン・オフが自律的に行われていることが大前提である。
他人の命令や判断に全面依存しないこと。
自分が他人に操られつつあるかどうか、思考停止の危機に陥りつつあるかどうかを観る、自問自答する感性は最も重要である。
これは「日本人に自律ができるのか?」という問いにも重なってくる。

自律を促す組織は、従業員に思考停止状態でリスキリングを一心不乱に学ばさせるのではない。
思考停止をオフにして、知恵を自律的に取りに行くマインドにスイッチを入れることも同時に学ばせる必要がある。
言い換えれば、「自由」を学ばせることである。
果たしてこれを企業という営利団体が手掛けて大丈夫なのだろうか、
という疑問はある。より本質的な、児童教育がになう課題だと思う。

  *  *  *

戦争やインフレはまだ続く。
エネルギー問題や核の問題など、次の危機が訪れる構造が背後に控えている。
こうした、どうにもならない危機の中で、人がしばしば陥る心理状態がある。
これが、思考停止である。
思考停止により判断という自律的な行為を失った人は、社会と共に負のスパイラルに陥る。

自分の思考停止の状態に気づくこと。
そして、自律的に知恵を取りに行くマインドにスイッチを入れること。

いまという時代を生き抜くための、一つのベストプラクティスである。

三津田治夫

当社株式会社ツークンフト・ワークスは創業6年目を迎えることができました。

本日、2023年1月11日をもちまして、当社株式会社ツークンフト・ワークスは創業6年目を迎えることができました。
ここまで来られたのは、会社や私とつながりをいただいた皆様のお力にほかなりません。
この場をもって、深く感謝いたします。
足踏みを続ける出版業界と世界の変化のギャップに違和感を感じ、時代にフィットした「出版」にチャレンジしたいと、起業に踏み切ったのが2018年1月11日でした。
その後2年もせずに新型コロナウイルスが現れ、さらに2年後には戦争がはじまり、これでもか、という具合に世の中が変化しています。
創業当初に掲げたチャレンジという言葉を振り返ってみても、甘すぎ、と思わざるをえない状況です。
毎年1月11日になると、漠然と「今期は○○をやりたい」を掲げるのですが、6年目になって初めて、やりたいから「できるはず」に、ようやく少しずつ変化してきました。
今期は原点に帰って、さまざまな方策をもって出版プロデュース事業の強化とコミュニティ運営の強化を実施します。そして7年目の新しい風景を見ようと考えています。
たかが6年目、されど6年目ですが、日々学習とアウトプットであると認識しながら、新たな一歩を踏み出してまいります。
これからも変わりなく、ご指導ご鞭撻をいただけましたら幸甚です。
ひきつづきなにとぞ、よろしくお願いいたします。

株式会社ツークンフト・ワークス 三津田治夫
https://www.zukunft-works.co.jp/

未来の天才プログラマーが『MQL4プログラミング入門』に熱心に取り組む ~フリースクール「にじLabo」にて~

登校支援型フリースクールにじLabo」に、当方から『MQL4プログラミング入門』
『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』を献本させていただきました。
同校の「孤立してしまった子どもたちの“自律”に向けたお手伝い」というメインテーマに共鳴しました。
代表の田巻典子先生のFacebookエントリ写真を、ご本人の許諾をいただき、以下に再掲いたします。

『MQL4プログラミング入門』に取り組み、調べ、学んでいる暖くんの姿に驚きました。

暖くんは小学6年生。
未来の天才プログラマーが本書の読者から育ってくれるのが、とても楽しみです。
そして、プログラミングの技能が、暖くんのアイデンティティを支え、彼の人格を育てることを心から願っています。
以下、同Facebookエントリから、記事再掲です。
田巻さん、本と子供たちと学びのレポート、本当にありがとうございました。

三津田治夫

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先日のオンライン対談に参加してくださった出版プロデューサーの三津田さんが監修された書籍「MQL4プログラミング入門」が出版されたとの投稿を拝見したとき、暖くんの顔が思い浮かんだ。
彼のパソコンに関する知識は、群を抜いて優れている。
幼少期からパソコン機器に関心が高く、自分なりの方法で知識を深めてきた彼
学校生活では対人トラブルが多くなり、次第に学校に通えなくなってしまってからは、パソコンに没頭したという

内容が気になってコメントすると、二日後にラボに書籍が届くというマジック?
出逢いって、本当に素晴らしい。

小学生には、ちょっと難しいみたいだよ。って伝えると、
「難しくなきゃ、ぼくの勉強にならないよ!」と、笑顔でそう返してくれた。

本を開くと、早速パソコンを開き、試行錯誤しながら操作する。
また次の日も、本を読み、分からないところはスマホで調べ、操作に没頭する。

難しさに手応えを感じている様子
難しいと感じた時に、それが「嫌いなこと」であれば簡単に投げ出すけれど
彼にとって「好き」であり「興味がある」から粘り強い。

そんな彼を見ながら未来の姿を想像した。

彼が社会生活を営む上で「人間関係」にフォーカスを当ててしまえば
きっと、課題ばかりの人生になってしまうだろう。

けれど、好きなことを存分に活かせる場であれば、そこから自分に自信をもち、心に余裕がもて、視界が広がり、相手の気持ちにも寄り添える。
彼は今、スキルの上達とともに、心もかなり成長している
それは自信を持つとか、人に優しくするとかだけでなく、自分の弱い部分にも向き合えるようになってきた。

トラブルになることをあらかじめ予測し、自分なりにコントロールできている姿は、出逢った一年前には想像もつかなかった。
集団主義の学校教育の中で同じ年に生まれただけでカテゴライズされ、「みんなと同じこと」を強いられ「みんなと仲良く」を求められ続けたら、彼はきっと自分を追い詰めすぎて、彼のもつ輝きも塗りつぶしてしまったかもしれない。
どちらが良いとか悪いとかではなく、一人ひとりそれぞれに合った環境が必要だということ。

「それができるなら…」って、大人はよく苦手なことに目を向けがちだけど、苦手を克服するための指導よりも、得意を伸ばすことで総合的に自己を高められた子は、彼だけじゃない。
好きなことがどれだけ自分を支え、心を癒し、人生を豊かにすることか…
好きなことに救われる子は、ごまんといるだろう。

即効性を求めるのではなく、なんとなく気づく程度の小さな変化が、確実に成長している証。
この子たちには、時間はかかっても、じっくりと前向きに自分の生きる未来は自分で切り拓いていってほしい。

そのきっかけを作ってくれる大人とは、これからもたくさんたくさん出会わせてあげたいと願う。

「先生はこっちからまず勉強しなよ」
一緒に送っていただいた「ゼロから理解するITテクノロジー図鑑」を渡しながら、彼は笑顔でそう言った。

三津田さんへ感謝を込めて。

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『MQL4プログラミング入門 ゼロからはじめる自動取引システム』が発刊されました

新刊『MQL4プログラミング入門 ゼロからはじめる自動取引システム』の見本が届きました。
そして書店でも配本されました。
メンサ会員でプログラマー木村聡さんによる著作です。
株式などの自動取引プログラムを書くためのノウハウが詰まった内容です。
プロのプログラマーが書いたこのジャンルでは本邦初の書籍です。
自動取引という実利が伴うコーディングを通して、プログラミングがしっかりと学べます。
ソースコードもきれいでとても読みやすいです。
ぜひお買い求めください。

三津田治夫

「複雑」とはなにか?

2021年7月刊の『DXスタートアップ革命』のプロデュースを手掛けた際には「DXという言葉は年内には旬でなくなる」と言われて一年を経たが、今年5月に刊行された『DXビジネスモデル』は3刷となり、発売後4か月で累計1万部を超えた。「DX」というキーワードへの関心はまだまだ高いことがうかがえる。
キーワードという言葉の字面は変わらない。しかし、キーワードが持っている意味の複雑さは日々増している。

複雑の横綱であるIT
今回は「複雑」とはなにかを考えてみる。
思えばインターネットが社会化したころから、絶えずインターネットは複雑であると議論されてきた。
最近ではDXの次なるキーワード、Web3が取りざたにされている。
ブロックチェーンや暗号資産、デジタル・ツイン、メタバースなど、キーワードが複雑に絡み合っている。
学者やエンジニアたちの間では、分散協調管理でブロックを保持することができるのか、暗号の堅牢性など、Web3に関し克服すべき
課題が山積であるとし、懐疑的な見解も少なくない。

振り返ってみても、とくにITに関する新技術は課題の山である。
たとえばECは、1996年ごろは「危なすぎて使えない」とされていた。
クレジットカード情報をインターネットに乗せるなど危険極まりなく、「こうした点に繊細な日本人はまず使わないだろう。せいぜい
使ってもプリペイドカードまで」という見解は多かった。しかしいまでは、ビジネスとECは不可分な存在である。

ADSLはセキュリティや安全性の観点から、人里離れた山村で延々と実証実験が行われていた。実証実験の終わりを見るまでもなく通信
事業会社が東京めたりっく通信などの事業を数々買収し、ADSLを商業化し、インターネット常時接続はもはや当たり前になった。

携帯電話やスマートフォンの発する電磁波は人体に悪影響をおよぼすと言われ続けてきた。「ゲーム脳になってしまう」と、子供たち
からゲームを遠ざけようという運動が根強くあった。古くは「テレビを見ると馬鹿になる」とも言われていた。

新技術との距離の置き方をどうするか、そもそも測定できないから新技術の悪影響すらわからない、といった、実利性と悪影響のせめ
ぎ合いが、テクノロジーとビジネス、とくにITの世界では起こりやすい。

これは食品に似ている。
商業的に優れた食品でも、添加物や農薬にまみれていては人体に悪影響を与える。しかしITにおいては、添加物や農薬に相当するもの
を測定することは困難だ。ここがITの厄介な点である(携帯電話やテレビに近いものがあるかもしれない)。

テクノロジーとビジネスはつねにせめぎ合っている。
新しいテクノロジーが出てくると、意思決定にスピードが重視されるビジネスの世界では、「使える!」とすぐに飛びつかれる傾向が
強い。
そこに学者やエンジニアは難色を示す。
それが、せめぎ合いだ。

「ビジネスがテクノロジーの進化を加速させる」というが、「Web3の世界では複雑さのレベルが高く、そう簡単にはいかない」ともい
われている。Web3はプログラミングから社会インフラまでを含めたいわば総合格闘技なので、いままでのような「なんとかなる」とな
らないというのが、懐疑派の見方である。

複雑を生み出す「言葉」という存在
ITを取り巻く新技術はどこから見ても「複雑」なのである。
テーマに立ち戻って、複雑とはなにか、を考えてみる。
結論から言えば、複雑とは、人間が生み出した言葉(キーワード)、である。

言葉が増えれば増えるほど言葉が体系をなし組織化し、だんだんとわかりづらくなってくる。
わかりづらいものは抽象化され、「なんとなく」の意識へと希釈されて、言葉が意識へと溶けていく。
言葉(プログラミング言語)で人工的につくり上げられたITが複雑であるのは、ITの宿命である。

それゆえに言葉(キーワード)を暗記している人が優秀であり、暗記できていない人がダメだという評価にもつながる。なぜなら、言
葉がないと、意識すら伝えられないので。

つまり複雑とは、人間がつくり出したものに他ならない。
そもそも世の中は複雑だ。
ゲノム解析脳科学はこの100年で急進化した。

宇宙の謎の解明も相当進んでいる。
人工の太陽といわれる核融合の実用化は、時間の問題だ。
ゲノムも脳も核融合も、人間が言葉を生み出すずっと以前から当たり前に存在してきたものだ。

科学は論文と数式で構成されている。
論文や数式があるからといって、宇宙や自然の存在自体はなにも変わらない。
論文や数式といった言葉が作られたから、複雑なのである。

複雑を超えるもの、それは、感性である
宇宙や自然の偉大な存在にいち早く気づいたのは古代ギリシャ人である。
彼らは森羅万象を論文や数式で言葉として記述した。
それでも言葉に記述できないものを「神」にゆだねた。
古代ギリシャの森羅万象をつかさどる神は、彼らが論文や数式として言語化(複雑化)することができない事象
をつかさどる存在として創り出されたのだ。
なぜ星は光るのか、なぜ生命は誕生するのか、なぜ人は運命に支配されているのか、などの答えは、すべて神にある。量子力学もデー
タサイエンスもなかった時代の知恵である。

複雑とは、言語から生まれる。
言葉から生まれた哲学の原点は、対話にある。
古代ギリシャの哲学者は対話を重んじた。
言い換えれば、対話をすればするほど、複雑さは増す。
逆に、対話から逃げれば逃げるほど、複雑さはなくなる。
対話が疑問を生み、文学や哲学、論理学、数学、物理学、詩学、音楽を生み出した。

ディスレクシア(読み書きに困難をきたす学習障害)の研究者であるメアリアン・ウルフは、著作『プルーストイカ―読書は脳をど
のように変えるのか?』や『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』の中で、人間の脳の進化は言葉(文字・音声)が促したものである
とし、言葉(文字)の集大成であるデジタルの出現により、人間の脳は新しい進化のフェーズに入るであろう、という仮説を導き出し
ている。

言葉は複雑を生み、それに伴い脳は進化し複雑を受容する。そして言葉は新たな複雑を生み、成長した脳はその複雑を受容する。メア
リアン・ウルフの解釈に従えば、人間はこのように成長する。

人間は必ず成長する。
成長の過程で膨大な複雑性を処理し、それに伴う言語能力も飛躍的に伸びる。その能力は、言語暗記能力なのか、運用能力なのか。

言語暗記能力に限って言えば、ネットにつながるハードディスクが記憶する膨大な言葉の数に対して、人間には勝ち目がない。
となると、言語運用能力を高めることしか、人間に与えられた課題はない。
この能力を高めるものは何か。
それは、感性である。
言語化できないものは、感性で判断するのみだ。
この感性を磨くことこそが、複雑さが増した現代において、これからもますます複雑さが増す未来において、重要な力になる。

感性という、測定不可能な人間ならではの能力を磨く。
これが、科学や人間が急成長するいまに意識すべき、価値のある選択だ。

言葉と複雑の限界を知り、感性を磨こう。
そして、感性が響き合う他者を探し、深くつながろう。

三津田治夫

8月6日(土)開催、第39回飯田橋読書会の記録:『巨匠とマルガリータ』(ミハイル・ブルガーコフ著) ~スターリン時代のウクライナ人作家による幻想文学を考える~

第39回を迎えた読書会、現代ウクライナ文学の名作『巨匠とマルガリータ』(ミハイル・ブルガーコフ著)を取り上げた。

2月からのロシア・ウクライナ戦争という時流を鑑み、本作を取り上げることにした。その民族のメンタリティを知るためには文学がいちばんという意図もある。

ウクライナ文学といえばご存じニコライ・ゴーゴリ横綱である。ドストエフスキーに多大な影響を与えたというウクライナの大詩人である。
ウクライナと聞くだけで個人的にはゴーゴリのイメージが強烈で、きっとブルガーコフにも彼のDNAが流れているのだろうと思いながら、『巨匠とマルガリータ』を読んでいた。

スターリン時代に生きたブルガーコフマヤコフスキー
ブルガーコフの著作では過去に『運命の卵』を読んでおり、翻訳は『巨匠とマルガリータ』と同様、ロシア文学者の水野忠夫氏である。
水野氏は私が大学生時代、NHKテレビのロシア語講座の講師としてなじみが深く、毎週欠かさずに観ていた。
笑顔で温和な語り口とていねいな解説に、彼の研究対象であるブルガーコフマヤコフスキーといったハードな作家たちとのギャップに驚きを隠すことはできなかった。

同時代人という意味でも、個人的にはブルガーコフマヤコフスキーはセットの作家であるという認識が強い。
そのため、今回の副読本として、自主的にマヤコフスキーの評伝『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹著)を読むことにした。

ネタバレしてしまうが、本作はマヤコフスキー自殺説を覆し、彼は拳銃で他殺されたという事件検証と彼の著作を交えたもの。マヤコフスキーの女性関係や、当時相当の人気作家でスターリンに目をつけられていたこと、また巻末付録の彼の詩の膨大な引用など、マヤコフスキーの人物や時代そのものに肉迫する貴重な著作だった。

漫画のようなソビエト・ドタバタ・幻想文学
肝心の『巨匠とマルガリータ』であるが、今回の参加者であるKNさん、HNさん、KMさん、SKさん、HHさん、KH、KAさん、SMさんたちからの声は、相変わらず多様であった。

「マタイの福音書をベースにした挿話は面白い」
「聖書を理解していたらさらに面白そう」

といった読書人としてのまじめな意見から、

「面白かったが感動はナシ」
「ストーリーとして拡がりが少ない」
「解釈のしようがない」

といった辛口な意見。
対して、

「一気読みしました」
「マンガ的に、純粋におもしろかった」
「これはまさに幻想文学だ」
「展開にスピード感があった」
「ブラックユーモアと劇中劇が面白かった」
筒井康隆スラップスティックを想起した」

といった、理屈抜きに面白い、というポジティブな意見が多かった。
副読本を多数読まれてきたKAさんからは、

ブルガーコフの『白衛軍』はボリシェビキ批判として面白い」

というコメントをいただいた。
個人的にもこれは興味がある作品だ。

長編大作『巨匠とマルガリータ』はどんなお話かというと、上記のとおり、幻想文学である。
会場からも、

「お金、女、悪魔、魔術ショー。カオスだ!」

という意見が聞かれた。まさにカオス、ドタバタである。ヴォランド一味が魔術を使って空を飛んで暴れまわりモスクワ中を破壊しつくすという物語だ。
スターリン時代の1929~1940年という本作が登場した時代背景からも、直接的な作品表現は許されなかった。ゆえに、ブルガーコフ幻想文学という形態をとり主張したいことを表現したのである。

スターリンブルガーコフマヤコフスキーの距離感
会場から「作家とスターリンとの距離感が興味深い」という声もあった。あるときは魔法でお金が出てきたり、あるときは人間の首が取れてしまうというグロテスクな描写が出てきたりという、カオスな状況が作品全体を占める。
スターリン時代のソビエト社会を彼なりの表現方法で描き切りたかったのだろう。

前述のマヤコフスキーは1893~1930年の作家で、ブルガーコフ(1891~1940年)の人生の中にすっぽり入りこんでおり、短命であった。
評伝『マヤコフスキー事件』でも述べられているが、マヤコフスキースターリンとの距離感をうまく取れなかった作家である。
彼はもともとスターリンにかわいがられ相当の人気作家にまで上りつめたが、あるときからスターリン批判めいた作品を発表しはじめた。
スターリンには「かわいがってやったのになあ!」と目を付けられ、暗殺されたのである。
その意味でウクライナブルガーコフの振る舞いは賢かった。

同郷人の先達であるゴーゴリは、思えば帝政ロシアの役人や農奴たちのしょうもない在り方を幻想文学やコメディとして姿で描き出していた。作家として、社会に食い込みながらも賢く生きていくすべを、ブルガーコフゴーゴリから学んでいたのに違いない。

戦争の中で文学はいかに機能するのか
当時の時代を画した作家や思想家を以下のように抜き出してみた。

フロイト(1856~1939年)
ユング(1875~1961年)
カフカ(1883~1924年
・ザミヤーチン(1884~1937年)
ブルガーコフ(1891~1940年)
マヤコフスキー(1893~1930年)
・エレンブルグ(1891~1967年)
・ソルジェニーツイン(1918~2008年)

19世紀後半からフロイト精神分析を世に広め、その後ユングも活躍し、いわゆる「心の世界」が科学や芸術の分野の多くを占めるようになった。
その後を追うようにザミヤーチン、ブルガーコフマヤコフスキーといったロシア革命後の巨匠たちがスターリン体制の中で出現した。
『雪解け』でおなじみのエレンブルグも、スターリンとの距離感を恐る恐る保ち生き永らえた作家のひとりである。
そしてこの後には、『収容所群島』や『ガン病棟』などソビエト批判の内部告発文学でノーベル賞を得た、ソルジェニーツインが登場する。
このように、ロシア・ソビエトと文学の存在は分かちがたい。
そんな文学は、いま、ロシアやウクライナでどのような立ち位置を占めているのだろうか。

巨匠とマルガリータ』を読みながら、ウクライナとロシアの情勢に文学は影響を与えうるのか、いまはネットがすべてなのか、戦争下の彼らのメンタリティはどういったものなのか、など、思いは尽きなかった。

文学は最もコンパクトで、最も濃密で、何度も読むことができる素晴らしい芸術コンテンツである。そんなことも、今回の読書会で再確認することができた。

文学はいま世界を変えるのだろうか。
いつかは必ず変えるだろう。
そう私は信じている。

   * * *

さて次回は、また趣を変え、江戸時代を席巻した思想、陽明学を考えることにする。
課題図書は『近代日本の陽明学』(小島毅)を取り上げる。
本読書会のラスト、話が水戸学にいたり、江戸幕府への外国船の来訪から尊王攘夷思想、天狗党事件、右翼思想の発生などに話題がおよんだ。幕末の志士にも多くの陽明学者が存在する。その流れで、上記課題図書が選択された。

次回はどのような展開になるのだろうか。
お楽しみに。

三津田治夫