本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

株式会社ツークンフト・ワークスは、創業8年目を迎えました。

本日、2025年1月11日(土)をもちまして、当社株式会社ツークンフト・ワークスは創業8年目を迎えることになりました。

ここまで来られたのは、事業活動を支えてくださった著者様ならびに読者の方々、パートナー企業様、デザイナーさんなど出版プロフェッショナル、書店の方々、公私にわたり活動を支えてくださった皆様が、共に歩んでくださったことにほかなりません。
月並みになりますが、ここをもって、深くお礼を申し上げます。

あっという間で長かった8年目を迎え、10年目までも目前となりました。
改めて、当社が一体何者で、なにをする企業なのかを考えてみました。
当社起業の原点に立ち返り、本年は以下2点に注力して活動を行ってまいります。

①ITのための「技術継承」を行う
②身体性が見えるアナログ仕事を行う

以下、それぞれについて書かせていただきます。

①ITのための「技術継承」を行う
日本のデジタル競争力の伸び悩みはたびたび報道されています。
スイスの国際経営開発研究所(IMD)が2024年11月に発表した「世界デジタル競争力ランキング」で日本は31位、「デジタルスキルの習得」にいたっては67位という結果でした。
IT教育を熱心に行う先生方、解説動画や資格試験の種類は増え、勤勉で学習熱心な日本人がITを学ぶ機会に事欠かないのにです。
なにかがすっぽり抜け落ちているはずです。

最近よく耳にするのは「IT関連の資格試験がビジネス化している」という言葉です。もちろん、資格試験は人の社会的なスキルを底上げする素晴らしい仕組みですし、寄付やボランティアなしに人が動いている限りビジネスは必須です。
しかし、もしかしたら、手段から目的がすっぽり抜け落ちてしまっているのかもしれません。

IT出版においては、出版不況など業界構造の変化から、読み継がれる定番技術書籍や、技術を詳解したしっかりとした本を出しづらくなってきています。ここに、すっぽり抜け落ちているなにかがあるという仮説を当社は持っています。

こうした現状を憂慮し、自費出版でIT書籍の出版を行う人たちも増えてきましたが、ページ数が100を超えるとまとめきれない、共著の扱いが難しい、などの限界があるという相談を受けることもありました。

IT書籍における商業出版の機能と目的は、本づくりのプロたちが「出版物を通して技術を継承する」ところにあります。それを実現するための手段としてビジネス(商業)があります。
目的と手段の構造がゆがむことで、出版物を通して技術を継承するという行為自体が回っていないのではないかと当社では考えています。

上記のようなことからも、株式会社ツークンフト・ワークスでは、社会に資する「技術継承」をミッションに、業界のエキスパートたちを筆者にお招きし、出版活動を実施してまいります。

②身体性が見えるアナログ仕事を行う
①に関連し、②にも力を入れ、技術継承を行います。
技術とは、AIプログラミングやメディアなどの人工物を、人間というアナログの身体が生み出すための知見と手段です。
人間の身体が生み出したメディアの原点を、当社では「本」であるとしています。本を原点に、技術継承につながる技術共有、技術伝達の仕事に注力します。

人間は言葉という技術を共有することで初めて、文化という独自の意識を形成しました。そして文化を中心に、宗教や科学、芸術、商業といった、さまざまな生活圏を手にしてきました。
半面、科学の発展において、巨大IT企業が力を持ち、本来人間に自由とつながりをもたらするはずのITという存在が、いまや権力と分断という言葉へと置き換わりつつあります。これはAIの進化を通し、日々加速しています。
ITが発展すればするほど、ITは人間と一体化し、ITの存在は見えづらくなります。そうしたITの未来を見据え、「本」や、人間同士の対話・接触といったアナログの活動に、AIやオンラインといったデジタルを意識的に活用しつつ、力を入れたいと思っております。

ITにより、数十年、もしくはそれ以上、世の中は変革と再編を繰り返していきます。むしろこれからの平穏は、変革と再編の中から生み出されるものとなっていきます。

ITが取り巻く変革の世の中、当社8年目もいままでと変わらず、なにとぞごひいきのほど、よろしくお願い申し上げます。

株式会社ツークンフト・ワークス
代表出版プロデューサー 三津田治夫

都内で80年代を回想するレコード・イベント、「メタルDJ大会」を開催

10月12日(土)、都内でイベント、「メタルDJ大会」を開催しました。
この日は同級生のTRANSGRESSOR元Bass、KIKUちゃん(Akihito Kikuchi:享年55歳)の一周忌命日で、彼と共にした80年代音楽シーンを回想しながら、彼を偲ぶ会でもありました。

当日のセットリストは以下です。


Shellshock / TANK
Woman in the madness / THE DATURA
Universe (Live in Hibiya-Yaon) / SILVER MOUNTAIN
Death Heaven / TRANSGRESSOR
Stuck In Limbo / TRANSGRESSOR
I am (I'm me) / TWISTED SISTER
Impact / MARINO
Shot in the Dark / VOW WOW
Black Diamond / KISS
Kill the King / RAINBOW
Am I Evil / DIAMOND HEAD
Women in Uniform / IRON MAIDEN

会の締めくくりは、上記アイアン・メイデン「Women in Uniform」で、9日後の10月21日、これを歌われた初代Vo.のポール・ディアノがお亡くなりになりました。

いろいろと、印象が深い会でした。

会場で密に音を聴き、当時を語り、たいへん貴重な時間でした。

そして多数のご参加、ありがとうございました。

三津田治夫

読みました:『ポルノグラフィア』(ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ著、工藤幸雄訳)

ゴンブロヴィッチブルーノ・シュルツやヴィトキエヴィッチと並んでポーランド文学の異端派として名が知られている、南米アルゼンチン亡命の作家。
彼の作品は『フェルディドゥルケ』に3回挑戦したが理解ができなかった。
そして『ポルノグラフィア』は彼の作品に対する4回目の挑戦。
ようやく作品から理解を手にすることができた。
理解までにたどり着く労力はカフカ並みに時間がかかった。

 『ポルノグラフィア』は、マルキ・ド・サドから残虐性を取り除き、カフカの作風(登場人物の言動、展開の読みづらさ)を合わせたような作品。
中年コンビと若いカップルが主人公で、第二次世界大戦中が舞台。
中年コンビが若いカップルの戯れを観察する覗き趣味に走ったり、コンビのリーダーが策略のシナリオを作りカップルに三角関係を工作したり、ポーランド反乱兵が闖入したり、シナリオが次第に狂気を帯び、カップルを巻き込んだ殺人計画へと発展する。

個人の嗜好が高じた結果としての変態趣味と凶器によるサスペンスが入り混じり、現代人にも通じるメンタリティを見事に言語化しており、古さを感じさせない。
ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
以下本文から、作品の象徴的な言葉を引用する。

「私は何か事が終わったときにいつも感ずるような幻滅感を味わった――実現ということは、いつでも何か得体の知れぬ、漠としたものであり、意図そのものの大きさと純粋さは失われる。」

作家の屈折した心理描写をポーランド語から日本語にした工藤幸雄の名訳。1960年の作品。

三津田治夫

新刊『チームでの未来戦略の描き方 はじめてでもできるDX・事業変革プロセス入門』の見本が到着

『チームでの未来戦略の描き方 はじめてでもできるDX・事業変革プロセス入門』インプレス刊)の見本が到着いたしました。

ITエンジニア観点からの、事業開発・変革のためのDX(デジタル・トランスフォーメーション)ならびに戦略、プロセスを描いています。

DXとは帳票のデジタル化やパソコンの部署導入がゴールではなく、いままでにない事業を作る未来への取り組みであるという課題を、豊富な図解とともに、実行のしやすさを考慮し、ステップごとに解説しています。

著者である前川直也さんの長年蓄積された知見を結集した渾身の力作です。
ブックデザインは装幀家の大橋義一さん。

本作が日本企業のDXを底上げし、事業開発・変革の一助になることを、切に願っています。

書店で、ぜひお手に取ってご覧ください。

当社株式会社ツークンフト・ワークスでは、2021年からDX・新規事業に関する企画に注力し、取り組んでいます。
Webでは講談社オンラインで、新規事業家の守屋実さんと数理物理学者で渋滞学者の西成活裕さんによる以下対談を当社でプロデュースさせていただきました。
興味深い対談ですので、こちらもぜひご一読ください。

 


皆必要だとわかっているのに、なぜ日本のデジタル化は「渋滞」するのか?
新規事業家と渋滞学の専門家が語る(前編)
https://gendai.media/articles/-/94595

IT人材が足りなさすぎて自社のDX化を外注に丸投げして起こる悲劇
新規事業家と渋滞学の専門家が語る(後編)
https://gendai.media/articles/-/94596?imp=0


三津田治夫

2024年8月24日(土)開催:第48回・飯田橋読書会の記録『覚書 幕末の水戸藩』(山川菊栄著) ~水戸から眺めた明治維新のオーラル・ヒストリー~

その昔、頭の冴えた女性が社会に出てくると、攻撃的、闘争的というイメージが強かった。
長らく続いた世界的な男尊女卑の反動から、こうした女性の男性化という戦略で、女性たちは男女同権を勝ち取ろうと努力をしてきた。
個人的には1970年代「中ピ連」などウーマンリブ運動のイメージ、学生時代には女子にやられてしまう男子の悲哀を描いた太宰治の『男女同権』を読み、男女同権思想とは怖いものだな、と思ったりもした。

いまではこのような運動は進化してフェミニズムという言葉で表現されるようになってきたが、今回取り上げる山川菊栄(1890~1980年)は、日本のフェミニズム運動のさきがけとなる婦人問題評論家、作家、政治家である。
平塚らいてうが1886~1971年、伊藤野枝が1895~1923年なので、ちょうど2人の中間の時期に生まれた人物だ。
山川菊栄の特筆すべきところは、その血筋と知性である。
水戸藩士で水戸弘道館の初代代表・青山延于(あおやまのぶゆき)の曾孫として武家に育ち政界にも進出。片山内閣のもとで労働省の初代婦人少年局長を務めた。

水戸弘道館とは、第九代水戸藩徳川斉昭(とくがわなりあき)によって設立された、日本の右翼思想(尊王攘夷)育成の総本山ともいえる学術施設である。
方や青山延于の血を引き継ぐ山川菊栄は、マルクス主義者の山川均(1880~1958年)と結婚している。右から左までレンジの広い知性と教養をお持ちのインテリだ。
山川菊栄」でGoogle検索すると、レコメンドの上位に「美人」や「かわいい」が出てくる。こうしたキーワードは気になるものでクリックして若かりし日のお写真を拝見すると、確かに知的で美しいお顔をしている。

今回取り上げる『覚書 幕末の水戸藩』は、山川菊栄の知性と教養、人間的魅力にあふれる作品である。
冒頭に「覚書」とあるぐらいで、本作は、水戸藩とのつながりが深い水戸人の山川菊栄が、血縁や近隣から直接聞いたり、家系に残る書簡文献を紐解いて書き綴った幕末のドキュメンタリーである。
本作、1974年に第2回・大佛次郎賞受賞を受賞している。

水戸から幕末を俯瞰した歴史絵巻
『覚書 幕末の水戸藩』の面白い点を一言で言い表すと、本来義務教育で教えるべきレベルの、現代日本のベースである近代日本史が鮮明に浮かび上がってくるからだ。

いま「水戸」と聞いて、なにをイメージするだろうか。
茨城県の県庁所在地、東京から北に離れた地方都市、納豆で有名、ぐらいだろう。
実家葛飾の幹線道路に国道六号線水戸街道があり、歩道橋の青看板に「水戸まで100㎞」と記載されていたことが子供時代の記憶に強い。

そんな水戸であるが、実は近代日本史の出発点において重要な位置を占める土地である。
まず、水戸藩といえば、藩主が徳川家直系の徳川御三家の1つである。
そして、水戸藩徳川斉昭の七男徳川慶喜江戸幕府最後の将軍で、1867年11月に京都で大政奉還を行った。翌年の9月には元号が慶応から明治へと改められる。
さらに、前出の水戸弘道館は、国家護持のため鎖国継続を支持する尊王攘夷運動思想の情報発信を行った中心。鎖国を撤廃し開国を宣言した徳川慶喜の父親が設立した施設である。
つまり水戸とは、水戸藩という一つのエリアで、「開国」と「鎖国」という、幕末の日本列島を震撼させた対局思想が共存する台風の目だったのである。

水戸藩が推進する尊王攘夷運動の根幹には、徳川家康の孫、水戸黄門でおなじみの徳川光圀(1628~1701年)による『大日本史』がある。
大日本史』は、天皇家の歴史を描き日本という存在を記述することで日本人とは誰であるのかを確立し、ひいては西欧列強の攻撃から日本人が一丸となって列島を守ろうという意図に基づく歴史著作だ。

水戸藩に隣接する日本海沿岸には欧米からの捕鯨船が続々と現れた。産業革命で不足した燃料のクジラを捕獲するためである。
1824年、12人のイギリス船員が水戸藩の大津浜に上陸した。この大津浜事件が尊王攘夷運動の引き金となる。
16年後の1840年にはアヘン戦争が起こっており、当時のアジア各国は物資獲得を求めて現れる西欧各国に警戒心を持っていた。
そんな中での事件だった。

水戸藩尊王攘夷に対する開国派には彦根藩井伊直弼がいる。彼は「桜田門外の変」で水戸藩からの脱藩者たちの手で暗殺されている。アヘン戦争の20年後、1860年3月のことである。

さらに水戸藩内での活動は激化し、尊王攘夷運動義勇軍天狗党が結成される。
1864年水戸藩出身の徳川慶喜に開国の撤回を直訴しようと、天狗党は筑波から京都へと進軍する。
しかし、慶喜は軍隊を率いて天狗党をせん滅するという行動に出る。そして352人の天狗党員が処刑された。
これが天狗党事件のあらましである。

天狗党事件に関しては『魔群の通過 天狗党叙事詩』(山田風太郎著)に詳しい。
同作はかなり『覚書 幕末の水戸藩』を参考にしており、山川菊江が周囲から聞いた天狗党の話や、明治維新後隠れて余生を過ごした天狗党残党のエピソードなどが記述されている。山田風太郎はこれらエピソードから流れ出てくる党員たちの体温を感じながら創作に織り込んでいった様子が想像できる。

これら2冊を読むと、物語としての天狗党事件、史実としての天狗党事件の両側面を見ることができ、幕末理解への解像度は高まる。

会場からの声 ~水戸、明治維新尊王攘夷
読書会の会場からはどのような声があがったのだろうか。
幹事のKNを筆頭に、KM、HN、HH、SK、KS、SM、紅一点のYKに水戸出身のKH(敬称略)、そして私という、総勢10名の大読書会になった。

まず、率直な感想から。

「読んでいて文章が心地よかった」
「日常から歴史が描かれているのが面白い」
「語りが織り込まれたリアルな物語」

本作に対する感想は総じてポジティブだった。
作品の、作家の文体や人間性を通した歴史観に依るところが大きい。
一方で、昭和の現代文と作者が保有する古い手紙や文献の引用が混在し、読みやすさの点でいささか難易度が高いという意見もあがった。

「「そうろう文」がよみづらい」
「2回読まないと分らない本」

作者の家系との対話、自身の記憶や隣人の言葉を多く引いている点で、調べ書きした歴史書とはまったく毛色が異なり、生々しさとリアリティが高い。血の通った言葉として文章が響いてくる。

「江戸から明治へとどう変ったのかが鮮明にわかった」

という意見や、

「歴史を書くのに100年かかるとはいうが、本作を通してそれを実感した」

という意見も聞こえた。
本作が発刊された1974年は明治維新から106年が経過している。
年月を経ないことには、生きた人間の感情や空気感から、歴史の実態をゆがめて語ったり、あるいは口を閉ざしたりという状況が起こる。
近年、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件のことが語られるようになってきた。これらも「歴史」の領域へと入りつつあるからだ。そしてまた震災や事件から100年を経たのちに、新たな「歴史」として、情報が文字と意識に刻まれる。

「登場する藩主や幕臣が人間臭くて実によい」

という発言も、本作の性質や特徴を表している。
山川菊栄があたかも見てきたような水戸藩内部の筆致が、武士の息吹を感じさせる。

幕末の水戸藩の武士たちの生活ぶりも書かれていて興味深い。

「百石以下の武士は内職できた」
「金がない武士の生活が見えた」

ふと、水戸納豆は彼らの内職から出てきたもので、「天狗納豆」の語源は天狗党なのではないかとふとつぶやくと、会場から「その通り」との声が上がった。
調べると、天狗納豆の創業者は勤王水藩士の血を引いているらしい。
平和なお茶の間の朝食に登場する納豆の語源が天狗党だったとは、なんとも物騒である。

尊王攘夷思想は非文化的で理解できない」

というように、右翼系の思想には一定の嫌悪発言が発せられるが、歴史的に考えれば、海外から資源を取りに多数の船が現れたあの恐ろしい時代の、日本人として独立して自律して生きるための最善の思想的ソリューションが尊王攘夷だったのだろう。

藤田東湖尊王の大人物であることがよくわかった」

藤田東湖(ふじたとうこ)は徳川斉昭の側近で水戸学の大家。本居宣長国学を参照し、水戸弘道館の基本コンセプトを明文化した人物だ。
1855年安政の大地震で母親をかばって圧死するという晩年が本作でも描かれている。

天狗党は人から貨幣をまき上げていた悪人集団だった」

なぜこういう集団が発生したのかという、人心が荒廃した幕末の水戸藩の風景も克明に記されており、一読の価値がある。
「治安が悪い」という言葉があるが、幕末の水戸藩にはこうした言葉が当てはまる。

新選組初代筆頭局長の芹沢鴨天狗党出身」

という指摘も興味深かった。
行き場を失った彼は新選組を結成するも、内ゲバであっけなく殺されてしまう。

テロリズムの歴史は水戸学の流れにあるという歴史の一端が読めた」

新選組というテロ集団に水戸藩士の芹沢鴨が運命をゆだねたのは悲劇的で、このあたりから水戸学と幕末日本との根底に流れる深い関係が読めてくる。

「水戸」に関する発言は多かった。
今回の選書をされたKHさんが水戸出身者で、生まれ住んだ人にしか語りえない肌感覚に満ちた発言が印象的だった。

「維新その後の水戸がよくわった」
「いろいろな意味で水戸が「特別」であることが理解できた」

現地出身者でもなかなかわからないことが本作を通してわかったという。
あの時代の水戸藩のことは現地であまり語り継がれていないのだ。

「鹿児島とは異なり、水戸に行っても「当時」のものがないのが不思議」

と発言されたように、水戸にとっての幕末は黒歴史である。

水戸城が人々の生活とリンクしているように感じない」
「水戸に参勤交代がなかった点で江戸との交流が薄く、水戸の閉鎖性の根拠がよくわかった」

徳川御三家ゆえに江戸幕府と水戸に深いつながりがあると思われているが、事実はこれに反する。明治維新を通して水戸は飛び地のような存在になってしまったのだ。
幕末というと薩摩、長州、京都、江戸という地名が頻繁に出てくるが、水戸は少ない。

「水戸学にうつつをぬかし自らの物語を持たない水戸藩の実態が見えた」
「水戸の当時の「空気」が面白かった」
「水戸は幕政には参加しないという、権威と権力が分離している様子はローマを想起させた」

『覚書 幕末の水戸藩』により、我々参加者の間で幕末水戸の存在感は一気に高まった。


山川菊栄の視野と懐の深さ
会場からの発言で、

「女性が水戸をつくった」
「女性が見た歴史、オーラル・ヒストリーは素晴らしい」

という言葉が耳に残っている。
テーマが幕末水戸であるということに加え、山川菊栄が語っている点が本作の最大の価値だ。
知性とユーモアに富み、人間のプライド、武士のプライド、女性のプライドといった、気品が漂う語り口である。

以下、本文から引用する。


これら諸家の報告に共通の特徴は、辻番所の者がこの将軍居城まん前の、白昼の、抜身をふるっての大乱闘を目にしながら狙人を捕えるどころか、気味わるそうにふれない用心をし、自分たちの持ち場からはなれ去ることを願っているような、警察官らしくもない義理一ぺんの、責任のがれの態度である。



桜田門外の変の現場を目撃した記録から、山川菊栄がまとめたものである。
桜田門外の変には雪降る薄暗い中での犯行というイメージを持つが、実際には白昼で、周囲で多くの警備員たちが見て見ぬふりであったという。

以下は、山川菊栄の祖父、青山延寿からの聞き書きである。
青山延寿は1906年まで生きていたから、彼女が15、6歳のときまでいろいろな対話があったことだろう。


後年、明治になってから(青山)延寿は当時をふりかえって、幕府にとっての致命的な打軽は、交易が始まってからの物価の暴勝だったと書いているが、日本のおくれた封建経済で、はるかに進歩した強力な資本主義先進国の経済に太刀打ちすることは困難で、武力で歯が立たないのと同じこと、金銀と共に絹、茶、その他の物資の流出は国民の生活を脅かし、尊養思想をあおるのに力強い役割をうけもった。



明治維新で直面した封建日本対資本主義西欧列強の摩擦の激しさと、日本を支える尊王攘夷思想の役割が簡潔に描かれている。聞き書きの強さが伝わってくる一文だ。

水戸藩の日常風景を次のように描いている。


参動交代の緩和や、諸藩の生活簡易化、過剰人員の減少は飲迎されたかわり、パートや臨時雇いの足軽や人夫の失業者があふれて、ぼくちうちやごろつきがふえるのを防げなかった。


 

治安の悪い風景、つまり、天狗党が形成された風景である。
「失業者」や「ぼくちうち」「ごろつき」たちの自己実現の場としての受け皿が天狗党だった。戦争直後の暴力団組織がこれに近い。

天狗党事件に対する幕府の処置を、山川菊栄は次のようにまとめている。


攘夷は朝廷の命令であり、幕府も実行を誓っているので、幕府はそれを唱えることをとがめるわけにはいかない。そこで幕府は武力をもって良民をおびやかし、金毅を強奪したという点に焦点をおき、筑波の党を専ら流賊と規定して追討を命じ、後には幕府の兵力に手向ったという点で、反乱軍として鎮圧し、断罪した。



幕府は「攘夷」を看板に掲げる天狗党を裁くわけにはいかず、市民からの強奪や幕府兵力への反抗という大儀を設定し、天狗党を反乱軍として裁いたという結末だ。
明治維新後政府は尊王攘夷の道を歩み、日露戦争日清戦争、さらには太平洋戦争へとその思想を推し進める。しかしその背景に水戸藩の影はどこにもなく、薩長が近代日本史の基盤を担うことになることは周知のとおりだ。

最後に、山川菊栄の知性と教養にあふれた、味わい深いあとがきから引用する。


この本はそんな風に子供のころから私が聞きかじった母の思い出話、親戚故老のこぼれ話、虫くいだらけの反古などの中からひろい集めてできた幕末水戸藩のイメージとでもいいましょうか。
水戸といえばテロを連想させるような、あの恐しい血まみれ時代をぶじに生きのびたその故老たちは、みなテロぎらいのおだやかな人々で、あのテロ期の水戸は、ある人々のいうように、水戸人そのものの先天的な体質にあったのではなく、封建制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な、絶望的な世相の一部であったことと思われます。
世の中の移り変りには、ともすればそういうヒステリックな傾向も現れるようですが、それを適当にコントロールするところに時代の進歩があっていいはずです。



「適当にコントロールするところに時代の進歩があっていい」とは、いまに通じる言葉だ。
長引く大国の戦争、パレスチナでは市民が虐殺され、世界は右傾化し、貨幣至上主義と超貧困が混沌とする。
いま、これを山川菊栄が目にしたら、なにを発言し、どう行動するのだろうか。
彼女はベトナム戦争の行方を追いながら、『覚書 幕末の水戸藩』をまとめていたことであろう。
現代とも重なるところが多い、示唆に富む作品だった。

*    *    *

この世の偉人で、実際に会ってみたい人物が2人いた。
一人は、ワーグナーに出会ったころのニーチェ
はつらつとした知に富んだ素晴らしい青年だっただろう。
もう一人は、亡くなる直前のゲーテ
彼が眺めてきた人生の風景を最晩年の肉声で聞いてみたい。
そして今回一人加わった。
山川菊栄である。
生粋の明治人の彼女が体験した幕末とはいったいなんだったのか。
彼女の健全な知性はどこから生まれたのか。
そんな魅力に富んだ人物である。

さて次回は、まったく趣向を変えて、初のアメリカ文学である。
新潮文庫から、エドガー・アラン・ポー(1809~1849年)の短編、『黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集I ゴシック編』を取り上げる。
アメリカの作家に数少ない、フランス文学に影響を与えた詩人、小説家である。
日本の推理小説作家の江戸川乱歩ペンネームを与えたオリジナルとしても有名である。
人間の狂気や生命の神秘をえぐり取った、世界中の作家に推理、怪奇という新コンセプトを与えた大詩人である。

次回は会からどんな言葉が出るのか。お楽しみに。

三津田治夫

※参考資料






『大学出版』(2024年11月秋号)に、私の読書会論「「師範」のいない読書会」が掲載されました

季刊雑誌『大学出版』(2024年11月秋号)に、私の読書会論「「師範」のいない読書会」が掲載されました。
メンバーたちと11年続けてきた読書会の全体像と、そこから出てきた見解を、私なりにまとめました。

ノーベル賞作家ハン・ガンの名訳を手がけられた斎藤真理子さんや著名な先生方の間に並べていただき、光栄です。
また、こうした出版業界誌への寄稿を通して、業界貢献できるのは、編集者冥利に尽き、感無量です。
記事横の広告が大修館書店であるというのも感慨深かったです。
11月末、以下全国の書店および大学生協に配本されます。
ぜひ手にとって、お読みください。

『大学出版』配布先書店一覧
https://www.ajup-net.com/daigakushuppan/haifusaki

最後に、本件をお取り計らいいただいた法政大学出版局の赤羽健さん東京大学出版会山田秀樹さんに、心から感謝いたします。
ありがとうございました。

三津田治夫

7つの執筆マネジメント ~書くという 実務のトリセツ~

仕事柄、本を書く人たちとのつながりは多い。
中でも、「初めて本を書く」という人たちも少なくない。
初めて本を書く人たちはさまざまな課題を乗り越え、文章を書き上げ、本を作り上げる。
このような人たちと相談を受けながらやり取りするなか、共通の課題を見ている。
それは、「執筆にはマネジメントが必要」である。
今回は、これからまとまった文章や本を書きたいという人たちに向け、さまざまなタイプの著者さんとのやり取りから見えてきた、7つの執筆マネジメントについてお伝えしたい。

執筆のマネジメントとは?
まとまった文章や本を書いた経験のない人は、
「どうやって本を書いているのだろう?」
「なぜ長い文章を書けるのか?」
という、そもそもの疑問を持たれているに違いない。
とくに、プロの文筆家ではなく会社員など本業を持ちながらまとまった文章や本を書く(以降「執筆」と総称する)人も少なくない。
このような人たちは、限られたリソースの中で、どのように執筆しているのだろうか。
そこで重要なのが「マネジメント」である。
計画性をもって自己管理し、執筆する。
これは、ほぼ自己完結した、セルフマネジメントである。

【1つ目】:時間のマネジメント
執筆においてマネジメントすべきリソースの第一は、「時間」である。
本業や家庭との兼ね合いの中で執筆される人は多い。
また、平日に動けない人は休日をまとめて執筆に充てたり、朝型に切り替えて早朝に少しずつ執筆、という人もいる。

「休日にまとめて」タイプの人は、平日は本業に集中でき、休日の長時間を執筆に集中できるという長所がある。
しかし平日には作業が止まるため、前回の作業を思い出しながら執筆を継続する必要があったり、平日に他の課題にマインドが上書きされ執筆のモチベーションが低下するという短所もある。

「朝型に切り替えて」タイプの人は、細切れの時間で成果物を積み上げるという地道な作業を繰り返す持久力が必要になる。
また、夜更かしや飲み会をやめるなど、ライフスタイルを変更する必要がある。
こうした強いマネジメント力が求められるが、早朝の生産性の高さは、さまざまなプロの文筆家が朝型を実践していることや、脳科学がそれを証明している。

いずれも、ライフスタイルやマインドの変更が必要になる。
家族や上司の同意をうる必要(場合によっては説得の必要も)が出てくることも考慮が必要だ。
こうした人間関係の最適化もマネジメントの重要な領域に含まれるが、範囲があまりにも広いため本稿では割愛させてい
ただく。

【2つ目】:執筆速度のマネジメント
次に出てくるマネジメントの対象は「速度」である。
とくに、締め切りが設定された執筆ではこの概念が必須である。
ブログ執筆など外部から与えられた締め切りがないにしても、本業との折り合いを付けるためにも、自分がどのぐらいの速度でどんなものを書けるのかを把握することは重要である。
これこそ、やってみないとわからない、の世界で、書いてみないことにはわからない。
そのときの体調やモチベーション、書く対象の手ごわさや調査時間、本業やプライベートの割り込みなど、さまざまな要因が速度を支配する。
そうした状況をふまえながら、まずは、時計と筆記用具を用意し、手を動かしてみることをお勧めする。
執筆対象のアウトラインを書き、それを文章にブレイクダウンするまでの時間を、文字単位やページ単位で計測し、記録する。
計測には開始時間と終了時間をメモしてもよいし、スマホのタイマー機能を利用して、書けた文字数を記録するのもよい。
ちなみに、スマホのタイマー機能を使って30分ごとにアラームを鳴らし5分の休憩を入れることで、脳の生産性が向上するという手法もある。
上記で作成した記録がある程度たまってくると、「このぐらいの時間でこのぐらいものが書けるのだな」という執筆速度が見えてくる。
これをベースに、執筆のためのスケジュールを作成していく。

【3つ目】:スケジュールのマネジメント
執筆速度がわかってきたところで、次に、スケジュールを作成していこう。
教員や上司、顧客、編集者などがいて、原稿を渡す締め切りが設定されていれば、それに従ってスケジュールを作成する。
スケジュール作成で意外にも見過ごされがちなのは、予備日の概念である。
たとえば1週間に10ページ書けるという執筆速度の場合は、単純計算で1か月で40ページ書けるという理論値は出せる。
しかし現実はそうはいかない。
前述のような割り込みも入る。
また、人間のモチベーションや関心の状態は直線的ではなく、日々揺れ動いている。
こうした自分の外的な要因や内的な要因に目を向けながら、予備日を冷静に設定しつつ、スケジュールを作成し、マネジメントしていく。

スケジュールのマネジメントにはMS Excelがよく使われるが、無償で遠隔利用や共有ができるGoogleスプレッドシートも有効である。
メモ帳などの紙でのマネジメントも可能だが、閲覧性や過去の実績との比較が容易という利便性の高さからも、こうしたデジタルツールの活用はお勧めである。

【4つ目】:意欲のマネジメント
次のマネジメント対象は「意欲」、つまりモチベーションである。
執筆が長期に渡ればわたるほど、モチベーションを保つことは困難である。
しかも本業がある人は、本業のイベントやトラブル、立場の変更から、あっけなくモチベーションをそぎ落とされるという事態に陥りがちだ。
また、プライベートでもさまざまなことが起こりうる。
いわゆる日常が、その人のモチベーションを支配している。
同時に、その人のメンタルといった、内面もモチベーションを支配している。
やる気を出せ、根性を出せと他者から言われても、モチベーションが働かなければ執筆の手も動かない。
まずは、モチベーションの根幹となる、なぜ自分は執筆するのか、執筆してどうなりたいかを、漠然とでも持っておくことが強みになる。
意欲が減退したとき、「なぜ」や「どう」を思い出すことで、必ず行き先が見えてくる。
行き先が見えれば再び歩き出せるのだ。

そのうえでお勧めなのは、執筆環境を変えることである。
部屋から一歩出て、スタバなどWi-Fi環境がある場所で執筆する人は多い。
最近は液晶画面の性能が良いので、強い太陽光さえ避ければ、講演や海岸、山の中など、屋外での作業もできる。
このような特性を活かし、ワーケーションの採用も執筆には有効である。
昔の文学者が、城崎温泉や箱根の保養地で執筆にいそしんだのは元祖ワーケーションである。温泉につかっていると特殊な創造性が開いてくるのかもしれない。
そうしたワーケーションの疑似環境がお茶の水山の上ホテルだったが、惜しまれながら2月に休館になったことは記憶に新しい。

最後に、上記で朝型執筆の有効性は述べたが、「2時間原則」
のこともつけ加えておきたい。
執筆をする際には、最低2時間のまとまった作業が脳に有効で、生産性が高いことは、よく知られている。
2時間以下の作業だと、メモ書きや、情報の断片のアウトプットしかできず、物事を体系化したり構造化したりが困難だ。
この特性を逆手にとって、通勤時間や空き時間を利用して付箋やスマホのメモに情報の断片を蓄積し、早朝や休日にまとめて文章としての体系化・構造化をはかる、という手もある。
ライフスタイル変更を推し進め、21時睡眠4時起床、出勤の6時までの2時間を執筆に充てている、という猛者筆者の話を耳にしたことがある。自分のライフスタイルを客観視し、
変えられるものは変え、脳の特性を知りつつ、高い意欲で執筆に臨んでいただきたい。

【5つ目】:データのマネジメント
紙で執筆する人はほぼいなくなった。
少し前までは原稿用紙にしか書きませんと豪語する文筆家や著述家は存在したが、いまではまずお目にかからない。
書くためのデバイスはパソコンかスマホタブレットで、書かれた内容はテキストや画像のデータとなる。
これら成果物のマネジメントはとても重要である。
なぜなら、デバイスは壊れるからだ。
壊れれば最悪、執筆した原稿データや撮影した写真、パワポ資料は消滅する。
アプリやデバイスはお金さえ払えばいくらでも手に入るが、自分が執筆した原稿は一度失われたら決して元には戻らない。
それだけ、データの消滅は大問題であり、リスク回避のためのデータのマネジメントは重要なのである。

データのマネジメントの基礎中の基礎は、バックアップである。
パソコン内部と同じデータをクラウド上に保管、さらに、外付けHDDやSSDなどの外部記憶デバイスで保管、という方法による多重バックアップである(IT用語で「冗長化」ともいう)。
外部記憶デバイスは大容量なので、大量の写真や動画のデータ、時間さえかければパソコン内部のデータを丸ごとバックアップもできる。
こうしたバックアップの概念を知らない人は意外と多いので、これを機会に知っておくとよい。
バックアップは、いざというときの強い助けになる。
バックアップを怠ってひどい目に遭った人たちをたくさん見てきた。
また、いまだに雷によるデータ消滅の被害もあるから、油断ならない。
GoogleドライブやDorpBoxなど、クラウドで無料利用できる外部記憶環境も多い。
自分が持つデータの大きさや執筆スタイルに合わせ、バックアップのこともぜひ考慮していただきたい。

【6つ目】:レビュアーのマネジメント
マネジメント対象の6つ目は、レビュアーである。
ここが意外と知られていない。
話が広範になるので機会があったら別途取り上げたいのだが、共著のマネジメントも類似の意味で重要である。
レビュアーとは、原稿を読んでくれ、コメントをくれる人である。
執筆した成果物が、他者に読まれるもので評価されるものであるのなら、なおさらレビュアーの存在価値は高い。
このレビュアー、家族や友人ならそれほど大変ではない。
しかし不特定多数の他者となると、マネジメントが必須になる。
最近は執筆の協力者としてSNSでレビュアーを募って執筆する人は増えてきている。
的確な意見、ノイズ的な意見など、いろいろなコメントがレビュアーからは返ってくるが、それもまた事実としての意見である。
レビュアーが入ることで、書き手の閉ざされた脳が開き、リライト対応の如何により、原稿のクオリティは格段と高くなっていく。
そのレビュアーは、人数よりも質が重要であることは言うまでもない。
そこで、マネジメントの有効性が高まるのである。
適切なレビュアーを選択し、誰にどのような視点で原稿を読んでもらい、どんな意見を受け取りたいのかを明確化し、レビューを依頼する。
これが、レビュアーのマネジメントである。
上記のマネジメントのなかでは比較的高度な部類に入るが、
こうしたことも執筆に有効なことは、ぜひ頭に入れておいていただきたい。

【7つ目】:最後のマネジメント
最後に、高次で大切なマネジメントがある。
それは、上でも少し触れた、自分が「なぜ」書くのかを大切にすることである。
世の中には文字でしか伝わらないことがたくさんある。
動画や画像といったビジュアルは具体性と即効性が高く、情報伝達のメディアとして有効である。
一方で、再現性が低い。
アウトプットにはある程度の表現力と編集力を要し、誰もが同じ意味を動画や画像を通して伝えることは難しい。
しかし人間には文字という、再現性が高い共通のメディアがある。
そして声という人間が持つ共通のメディアで、同じ情報を高い再現性で共有することができるのだ。
さらに文字は、動画や画像と同様、芸術作品にまでも高めることができる。
動画、画像、文字は、つねに三位一体で人間とともに生きている。
なぜ文字で書くのか、改めて自問していただきたい。

本稿でお伝えしたノウハウを手にし、共通の「声」となるあなたの文字を、他の人に伝えていただけたら幸いである。

三津田治夫