『起業家ビル・トッテン: ITビジネス奮闘記』(砂田 薫 著)は、書名にビル・トッテン氏の名前と、サブタイトルに「ITビジネス奮闘記」とあるので、同氏をフューチャーした起業物語かと思ったが、実は違う。
1960年代から2000年代までの日本のIT史をビジネスという側面から切り出した、多数のインタビューに基づいた貴重なドキュメンタリーである。
ビル・トッテン氏は日本ではケント・ギルバートのような論客として活躍しており、IT界からはこうした人がときどき出てくるが、それが外国人というのは初めてではないだろうか。
この方は、ソフトウェア流通会社アシストの経営者として、日本に「パッケージソフト」をアメリカから持ち込み普及させた、日本のIT業界の商流を塗り替えた人物である。のちのソフトバンクのような会社のオーナーである。
日本では膨大な開発運用費をかけたソフトウェアを経営管理に使っている企業がいまでも多数あるが、「それは違うんじゃない」と、大昔から声をあげて活動したのがビル・トッテン氏である。
メインフレーム時代に活躍したCICSやA-AUTO
個人的にも、1990年代にお世話になった大型汎用機(メインフレーム)向けのソフトウェア、IBMのオンライン処理管理「CICS」や、自動運用管理「A-AUTO」など、さまざまなパッケージソフトの名前が登場する。
A-AUTOに関し、以下本文から引用する。
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「A-AUTO」はジョブ・スケジューリングと呼ばれ、ひとつの仕事を実行するプログラム(ジョブ)を流す時間や順番を制御する機能を備えている。簡易言語に代表されるソフトウェア開発の効率を向上させるツール、情報の蓄積・検索・保存を行うデータベース管理システム、そして自動運用管理ソフトがメインフレーム用ツールの三大分野となっている。
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「自動運用管理ソフト」とは、Windowsにタイマーを設定して定期的にソフトを動かす機能があるが、それに近いものとイメージすればよい。そうしたソフトが「メインフレーム用ツールの三大分野」の誰もが使うパッケージソフトの一つとして、各企業に導入されていたのだ。
A-AUTOは私も仕事で毎日使っていた。
日中のオンライン時間には帳票プリントの「ジョブ」(ソフトウェアによる複数の処理)が自動的に動き出したり、オンラインが閉じると「夜間バッチ処理」が動き出し、処理の前後にIBMの「Cテープ」がバックアップ要求を出してきたり、それに従ってオペレーターのおじさんたちが専用のカセットテープを出し入れしたりなど、A-AUTOは会社の業務処理の中核をつかさどっていた。
ちょうど私がSEになった1991年ごろにCテープが導入された。
それ以前には「ウルトラマン」シリーズなどでよくお目見えするオープンリールがメインで使われており、パンチカードもまだ残っていた。
Cテープは小さいとはいえ、オーディオ用カセットテープ(古い……)の4倍ほどのサイズ。さらにCテープ機器(テープハンドラ)は1台で大型冷蔵庫2/3ほどの巨大サイズ。ダウンサイジングが進んだいまではほぼ想像のつかないスケール感が「コンピューティング」の時代だった。
もっと言ってしまえば、CPU(中央演算装置)はいま私が使っているノートパソコンの中央に小さく乗っかっているが、上記大型汎用機においては「マシン室」という冷房完備の大部屋があり、そこにドカンと巨大なCPUが置かれていた。
佐藤正美氏の1980年代の取り組み
そもそも、私がビル・トッテン氏を取り上げた本作になぜ目を向けるようになったのか。
『事業分析・データ設計のためのモデル作成技術入門』(技術評論社刊)をお書きいただいた佐藤正美さんから、私との企画会議の際にたびたび彼の名前を聞いていたからだ。佐藤正美さんも1980年代以降の日本のコンピューティングをけん引してきた大変な方である。
本作後半を読むと、普段会議で耳にしていた、佐藤正美さんに関する記述が多数ある。
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佐藤は、トッテンの返事を待たずに立て直しを成功させる条件として「勤務態度に何もいうな、会社へは行かない。二つ目は名刺にコンサルタントと書く。三つ目は秘書を付けろ。四つ目は専用の部屋が欲しいので会議室を占有する。五つ目は僕のいうとおり組織を変えろ」という五項目をあげた。
「普通の社長だったら怒りますよ。とんでもない条件でしょ。管理職でもなくてたかだか一社員にすぎないんですから。ビルさんはしばらく考えて、わかった、そこまで言うのならやれ、と言ったんです。アメリカから帰ってきた日は今でもよく覚えています。三二歳の年の四月一六日でした」
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いまとなっては経営者にここまで言ってしまうエンジニアをあまり見かけないが、1980年代当時は、それを言うエンジニアと聞く経営者がいた。そんな日本のIT業界が自由でパワフルだった時代を読むことができる。
究極のダウンサイジングを予見したビル・トッテン氏
メインフレーム向けのパッケージソフトで時代を築き上げたビル・トッテン氏も、次のような未来をすでに予見していたという。
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トッテンは「メインフレームは終わる」と確信した。そして、社長室の佐藤正美に「君は明日からメインフレームの仕事を止めなさい」と言った。「どういう意味ですか」と聞く佐藤に、「メインフレームは恐竜ですよ。死にますよ」と答え、UNIXとC言語に関する何冊もの解説書を読むように勧めたのである。それ以外にも佐藤は、コンピュータ支援ソフトウェア工学(CASE)の研究に携わり、ロバート・ホランドのインフォメーション・エンジニアリングの考え方を学んだ。
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いわゆるダウンサイジングとオープン化である。
オープン化というと「なにそれ?」になるかもしれないが、昔は、ハードウェアとソフトウェアがセットで販売されており、いまのようにハードウェアを買ってソフトウェアを自由(オープン)にインストールするという考えはなかった。
「コンピュータ支援ソフトウェア工学」に目を向けた点も、まさにいまの先取りである。ITエンジニアたちが普通に使っているIDE(統合開発環境)は、以前は「RAD環境」(高速アプリケーション開発環境)として超画期的な存在であったし、流行りの「ノーコード開発」も、この「コンピュータ支援ソフトウェア工学」の思想が源流にある。
ビル・トッテン氏という人物の経営や営業スタイルをを通して、どんどん小さく・安く・日常になったコンピュータをめぐる60年の歴史を一気に振り返り、その背景と多くの人物の苦労と成功が手に取るように読むことができる名作。ITエンジニアには先人との共通言語を持ち技術力を高めるための教養として、ぜひ一読をお薦めする。