本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

読書会の記録:「大人の寓話」の古典を堪能:『山椒魚戦争』(カレル・チャペック著)

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今回は、チェコ文学の巨匠、カレル・チャペック山椒魚戦争』を取り上げた。
チャペックの作品では、ロボットという造語をはじめて使った戯曲『R.U.R』(ロッサム博士のユニバーサルロボット)が有名である。
チャペックは、第2次世界大戦前という時代にロボットという概念を言語化した、いうなれば鬼才である。

名作のあらすじ
山椒魚戦争』のあらすじは次の通り。
あるときインドネシアで人間の言葉を理解し器用に手を使う山椒魚が発見された。
その利用価値を見だした人間が、山椒魚に海底から真珠を探してくることを教え込む。
すると山椒魚はそれをよく理解し、真珠を大量に採集してくる。
それに目を付けた事業家は山椒魚による真珠事業に乗り出す。
事業は見事成功、山椒魚も人間もWin-Winの関係を構築する。
同時に、山椒魚は知性を持ちはじめる。

ある日、アメリカで陸地が広く水没するという大規模な地震が起こった。
続いて地震は中国とアフリカで起こる。
のちに犯行声明が山椒魚総統から発せられ、事件は知性を持った山椒魚の仕業であることが発覚。
彼らには生活のための浅瀬が必要であり、それには人間が住む陸地を奪うことが必至である。
各国の人間はこれに反撃を加えるものの、山椒魚海上封鎖を行うなど海域争奪戦に乗り出す。
すると山椒魚に利権が発生。
山椒魚内部でも紛争が起こる。
山椒魚も人間同様、しだいに人種と階級の差別をしはじめる。
そしておのおのが激しく対立し、闘争は泥沼化する。
エンディングでは「いずれ山椒魚たちは内戦を始めて滅亡するだろう」というメッセージが投げかけられ、そして最後に、「そこから先は誰にもわからない」という言葉で作品は幕を閉じる。

グロテスクな外観の両生類に仮託したアンチユートピア小説
人間の山椒魚を利用してやろうという利己心と、尽きることのない欲望、さらには飼い犬に手を噛まれるように人間は山椒魚に反逆され、山椒魚たちも知性とともに利権と差別を人間から模倣して人種階級闘争をはじめ、滅亡の道を進みゆく。
人類史の興亡を山椒魚というグロテスクな外観の両生類に仮託したアンチユートピア小説である。

会場では相も変わらず闊達な意見が飛び交った。
作家として小説だけではなく戯曲、童話も書くチャペックは多才で、SF文学の旗手でもあり、その知識の広がりや教養の深さ、ブラックユーモアから、日本の作家にたとえると小松左京に近い、という意見があがった。

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また、山椒魚という水棲の動物を人間にたとえた寓話的な構造が面白いという意見は複数あがった。
本の作りとしてもよくできている。
新聞記事が挿入されていたり、急に日本語が出てきたり、事典のように精細な図版が掲載されていたりと、おおよそ小説には似つかない表現が多い。
チャペックの先進性や斬新さが、視覚表現からも見て取ることができる。

ファシズムの時代である1935年に書かれたこの作品の中には、反全体主義や反大国主義の描写も多い。
山椒魚が増えすぎて生活のできる領土(浅瀬)が減少して生きていけなくなったり、山椒魚どうしが種の差別をはじめたり(領土の奪い合い)、教育を通して山椒魚の平均化をはかったり(全体主義)という描写は注目に値する。

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作品の主人公の生活圏を海に設定した点が興味深い。
ちなみに、チェコスロバキアにはどこにも海がない。
この国に存在する大きな水は川であり、プラハを流れるヴァルタヴァ川、スメタナ交響曲で知られるモルダウが、彼らにとっての海のメタファーである。

アンチユートピア小説が人類に向けたメッセージはつねに「世の中は悪くなっている。だから気を付けろ」である。
言い換えると、「満足はよくない」という、知識人が民衆に向けて鳴らした警鐘である。
日本に目を向けると鎌倉時代、世の中はもはや終わりという「末法思想」が世を席巻した。
日蓮は『立正安国論』を執筆し、「日本は蒙古に攻め取られ大変なことになる。だから流行りの新興宗教は捨てて、私の信仰に従いなさい」と説教し、死刑をまのがれ、さらには佐渡流刑から奇跡的な生還を遂げ信者を率い、日蓮宗の一大教祖になる。
民衆の危機感と日蓮の投げかけるアンチユートピアがおおいに合致した結果が宗教という新たな物語を生み出した。

山椒魚戦争』は大人の寓話である
一方で、会場から出た言葉で、「危機感をあおると物語は売れる」があった。
ノストラダムスの大予言』や小松左京の『日本沈没』も、「危機感をあおると物語は売れる」の結果である。
山椒魚戦争』もこれに近しいものがある。

しかし会場からは、「実際に世の中はそう悪くなっていない」という理性的な発言もあった。
なるほど、である。
天然痘は撲滅し、社会から極端な格差や貧困、飢餓は日々減少してきている。
それでも人間は、「戦争と飢餓はなくそう」を、永遠に唱え続けなければならない。
気づいていないだけで、戦争と飢餓にとってかわる新たな危機に、人間はすでに遭遇している。

会場で一致した見解は、「『山椒魚戦争』は大人の寓話である」であった。
絵本のような、イメージのつきやすいわかりやすい描写で、しかも、「○○思想、××主義」といった、「教条」に作品をはめ込まない。ここがチャペックの偉大さである。
言い換えると思想に軸がなく、ふわっとした平和主義、反権力主義思想が作中に漂っている。
だからこそ、100年近くたったいまでも、国境や時代を超えて読み継がれている作品であるともいえる。

最後に、チャペックは『山椒魚戦争』を通し、海という「環境」の破壊を取り扱った作家であることを指摘する。
山椒魚が知性を手に入れて人間化し自滅の道を歩む物語は、海と陸という二元構造の中で進んでいく。
「教条」に作品をはめ込まない分、チャペックは海という一つの宇宙を作品の中に構築し、その宇宙を背景に教条を超えたメッセージを読者に伝えようとした。

この作家は、戦後に生きていたらいったいどんな作品を書いていたのだろうか?
誠に興味に尽きない。

三津田治夫

隙のない二枚目男と、囲われ者の悲劇の美学(後編) ~『雁』(森鴎外 著)~

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前編から続く)

この作品で、作者が描いた運命のはかなさを誰もが読み取ることだろう。

一つは、救うはずで不本意に殺してしまった「雁」の存在で、これは「鯖の味噌煮」と関係する。鯖の味噌煮も偶然に出てきたもので、これがなければ「私」は岡田を誘って外出しなかった。

偶然通りすがった岡田が瀕死の紅雀に遭遇し、それを救出したのことを、お玉はヘビ(末造)に食われる紅雀(お玉)に自分の姿を重ね合わせ、一気に情熱の炎が燃え上がった。

そうした情熱の炎を、鯖の味噌煮が一気にかき消してしまった、というのである。
これは作者が意図した仕掛けであるが、なんだかどうも、私が読むに、違和感がある。

なにごとにも、当時(明治時代)の読者の神経を鑑みなければいけないが、それにしても、鯖の味噌煮ごときで女(人間)の運命が決定してしまうなんて、あまりにも切なくはないか(この切なさが、この作品の売りでもあるのだが)。
しかしどうも、この作品を冷静に読むと違和感が残る。
最後まで首をひねったのは、あれだけ情熱的になったお玉が、どうして最後になって身を引くような仕草を取ったのか、ということだ。

お玉は、父親のために高利貸しの妾になる決意をしたり、岡田への告白まで男のことをひたすら思い続け、用意周到にその準備までする情熱家だ。
そんなお玉ならば、無縁坂を岡田と「私」の二人が通り過ぎようが、岡田だけを捕まえて「ちょっと」と声をかけてもいいだろう。
もしくは雁を捕まえて帰宅するあとにも、遠巻きに眺めていずに、「私が料理するからうちで雁を食べましょう」と声をかけたっていいだろう。
それだけでも関係に一歩前進が見込まれる。その際に渡欧先の住所を聞いたっていい。
お玉ほどの情熱と積極性があれば、そのぐらいはできまいか。

しかしふと思うのは、岡田の渡欧である。いまとはまったく感覚が異なるから、当時のドイツとは、いまでいう火星とか金星ぐらいの、「まず行けないところ」と考えてよい。
それゆえに岡田とお玉の別れは永遠なのだ。

この作品にはいろいろと考えるところがあるが、明治の文学に一律に感じることは、"不自由"や"制約"である。
人間に向けた制約が異様に多い。

つねに明治の文学がはらむ制約は、「西洋」と感じる。
明治人の西欧への物理的・精神的コンプレックスは、数多くの制約を生んでいた。
漱石は西洋的なエゴイズムに対して呵責ない攻撃を加え、江戸文化への淡い憧憬を抱いた。二葉亭四迷は西洋から入ってきた
官僚社会を、アイロニカルに取り上げた。

そう考えると、鴎外には、西洋文化に対する呵責なき攻撃という、漱石のような激烈な姿勢が見られないのは特徴的だ。

それを踏まえて鴎外の『雁』を読んでみても、西洋へのコンプレックスというものをあまり感じさせられない。
文体は主語述語が明晰で、外国語への翻訳も容易にできるはずだ。
その意味で「世界文学」になる素質も十分にある。

読後感もどことなく西洋文学の雰囲気が香っており(舞台はどう考えても江戸なんだけど)、ウィーンの世紀末文学を思いこさせる。
そういった、鴎外の西欧臭さを読み解く鍵は、鴎外の留学時代の経験にある。漱石と対比してみるとそれがよくわかる。
二人が過ごした留学生活のレベルに天地ほどの差があったのは、有名な話だ。

軍医として1884年明治17年)からの4年間、ドイツに国費留学した鴎外は、ベルリン、ライプツィッヒ、ドレスデンミュンヘンと各都市を歴訪し、細菌学者コッホのもとで研究を行い、学外では社交界と交流し、豪華絢爛な海外生活をおくる。
その間、軍医としても、陸軍一等軍医に昇進したり、プロイセン軍に召還されるなどと業績が認められ、おまけにドイツ人からはモテまくり、ベルリンで妊娠させた女性に日本まで追いかけてこられ、その体験を小説(『舞姫』)にしてベストセラーにまで仕立て上げてしまう。

対する漱石はというと、鴎外が留学した16年後の1900年(明治33年)からの2年間、ロンドンに国費留学したが、鴎外とは打って変わり、生活には華やかさの一片もなかった。
本を買うにも衣食住を倹約するほどの貧困生活が続き、帰国時には心労がたたってノイローゼを発症する。

これだけの海外での貧富の格差が開いたことは、評論家の江藤淳によると、当時の為替レートにヒントが隠されているという。

1895年(明治28年)に日清戦争で日本が勝ち、下関条約により日本は賠償金を手にする。1897年(明治30年)、大金を手にした政府は金本位制の導入に踏み切るのだが、このとき政府は為替レートを、1ドル1円から、1ドル2円という超円安に設定した
(いまでいえば1ドル90円のレートを急に1ドル180円に切り下げるようなもの)。

ちなみに、円安であれば輸出がしやすくなり日本の国力が高まる、というのがその論拠なのだが、円安を異様に歓迎する日本の政財界の意識が、100年以上も昔から綿々と流れ続いているのがよくわかる。

さて、ここでなにが言いたいのかというと、同じ国費で留学していた鴎外と漱石とでは、明治30年に実施された為替レートの切り下げで、海外での貨幣価値に2倍の開きが生じ、これにより、方や貴族のように華々しく、方や極貧、という、極端な経済格差(生活レベルの違い)が発生した。

こうした状況で二人の目に映った西欧像に大きな隔たりがあるのは当然だ、ということである。漱石にしてみればロンドンで人種差別まで体験しているというのだから、なおさらである。
ドイツの各都市で貴族や大学者と交流し、仕事は認められ、白人女性からは引く手あまたで、鴎外はもうなんにもいうことはない。

漱石のように西欧に対する激しい嫌悪感を抱く理由など一つもなく、まさに西欧は鴎外にとってのふるさとであり、あこがれでもある。そういった鴎外の思いを、作品を読みながらひしひしと感じる。
こうしてみてみると、天才たちの運命は、国家の思惑一つと、それに本人が遭遇してしまう歴史的タイミングですべて変わってしまう、ということがわかる。

仮に鴎外がドイツで極貧生活をおくっていたら、帰国後にどんな作品を書いていただろう。完全フィクションだったとしても、『舞姫』を書くことはまず無理だったろう。
そう考えると、ウイーン世紀末文学を想起させる、耽美的な色香が漂うこの『雁』も、鴎外の西欧での「イイ思い」なくして、書くことはできなかったはずである。

(おわり)

三津田治夫

隙のない二枚目男と、囲われ者の悲劇の美学(前編) ~『雁』(森鴎外 著)~

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鴎外の作品は明治文学として漱石と並んでよく取り上げられるが、その中でも『雁』は、鴎外の小説作品として広く読まれている。

明治文学というと鴎外、漱石、とすぐに名前が出るが、「じゃあ彼らの作品といえば」と問われると「『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』『明暗』『草枕』......」と挙げられる。しかし鴎外の作品となると、この『雁』と『舞姫』、付け加えれば『ヰタ・セクスアリス』ぐらいしか名前が挙がってこない。

作家の名前が知られている割には、作品そのものが知られていない作家の代表例である。
ちなみにそれを海外の作家に置き換えれば、サルトルがそうかもしれない。彼の名前は知られているが、作品名をすぐに挙げられる人は少ない。

『雁』(がん)とは鳥の名前で、ブルーインパルスみたいに隊列をなして飛んでいるやつ。近頃あまり見なくなったが、昔は江戸川の土手で遊んでいると飛んでいるのを上空に目にしたものだ。

舞台は、上野不忍池のほとりのある「無縁坂」だ。
「私」が、明治13年に起こった出来事を回想しながら語っている。

主人公は岡田という、水もしたたる美男子。体育会系でスポーツ万能、
そのうえ頭脳明晰なインテリだ。
岡田が通学に利用する無縁坂に、お玉という美しい女が住んでいた。
通学中にちょっと顔が合って会釈するぐらいの、顔見知りだった。

以降、お玉の薄幸な来歴がラスト近くまで語られる。
彼女は秋葉原で飴屋を営む父親との二人暮らしで、持ち前の器量から、警らに来ていた巡査に見初められ結婚することになる。
と、そこまではいいのだが、実はその男には妻子がいることが発覚し、お玉はそれを知って自殺まで考える。

近所に顔向けもできず、父子は転居する。
引っ越し先まで追いかけてきた男がいた。高利貸しの末造だった。
彼も、お玉の美しさに惹かれて彼女を求めてやってきた。
末造にも妻子がいたが、彼はある人物を通じて、お玉に愛人契約を結ぶことを求める。
通常、こういうことになったら女は「やめてください」と言ったり無視を決め込むのだが、貧しい父親の姿を哀れむあまり、また、一度"傷物"になった自分のことも省み、末造の提案をすんなりと受け入れる。

考えてみたら、親の生活のために高利貸しの妾になるというのはなんとも切ない。それに、愛人を「斡旋する」人物がいるというのもすごい。
ここでは一人の老婆がその役割を演じる。おそらくこの時代は、花柳界などに、こういった役割を担う人物(老婆)がいたのかもしれない。

さらにまた、こうした愛人契約を決めたお玉の意思に、父親はなんら反論を与えない。末造と一緒に面談に行こうとまで言う。
末造はお玉に無縁坂の家をあてがい妾にし、さらに、お玉の父親にも池之端の家屋を与える。
お玉自身はこれにて生活の安定が確保されたが、"高利貸しの妾"というレッテルが貼られ、バツイチのうえにこの状態で、悔しい生活を送る。
自己の境遇を実感したお玉に、自立心が芽生えてくる。

いままでは末造に遠慮して控えていた父親との面会も、たびたびするようになる。
自分の将来にも悲観しはじめた。自分はどうなるのか。
「自分をいまの境遇から救ってくれる人はいないか」という淡い思いを抱く。

あるとき、末造に買ってもらった紅雀が、アオダイショウ(昔はよくいた、草むらに出現する大きめのヘビ)が鳥かごに首を突っ込み、襲われてしまう。
お玉や近隣の住民は慌てふためき救助を求めるが、そこに通りかかったのが美男子の岡田だった。
岡田は包丁でアオダイショウを一刀両断し、危機から紅雀を救い出す。
周囲から拍手喝采を浴び、岡田は一躍にしてその場の英雄となる。
そうした岡田の姿に、お玉はぞっこんに惚れ込む。
空けてもくれても岡田のことばかり考えている。

まるで人が変わったように情熱的になり、日増しに自分が美しくなっていくことをお玉は自覚する。
家の前を岡田が通ったチャンスに、告白してしまおう。
お玉は決意すると、ちょうど末造が宿泊して数日いなくなると言うから、これ幸いと、女中にも休みを与えて身支度をはじめる。

この日は下宿で「私」の大嫌いな鯖の味噌煮(ここがポイント)が料理に出てきたので、岡田を散歩に誘い出す。
いつものように無縁坂を通ると、お玉がうっとりとした目つきで岡田をずっと見つめている。
岡田はいつものように、目深にかぶった学生帽のつばに軽く手をやり、会釈してさっと通り過ぎた。

不忍池に着くと、石原という学友が「池にいる雁に石を投げてやる」というから、岡田が「かわいそうだから逃がしてやる」と石を投げるが、不運にもその石が雁に当たり、雁は死んでしまう。

その日「私」が初めて知ったのは、岡田は明日ドイツに発つということ。学業を中断し、現地での仕事に就くのだという。
岡田のコートに雁を隠し入れて(料理して食べるため)、下宿に戻ろうとする。
無縁坂では、お玉が遠巻きにこちらを見ている。「私」は女の視線に、「無限の名残惜しさ」を見る。そして振り返ったとき、お玉はもういなくなっていた。

最後に、これは35年前の話で、「私」が直接体験したことに、のちに知り合うことになったお玉の証言を加味して作り上げた話だ、ということで小説は終わる。

なんとも言えない陰影に満ちあふれた作品であった。そして勝手ながら、お玉はその後どうなったのかとも想像してしまった。
35年前の大学時代の話だから、「私」はもう現役を引退しているし(昔は定年退職は55歳だったから、明治もそのぐらいかもっと早かったかも)、お玉だって結構いい年だ。
こうしてあとになって、昔話として語れるというのだから、「私」もお玉も比較的平穏な余生を送っていることが考えられる。

「私」はきっと大学を卒業して、それなりの組織に入ってそれなりのキャリアを積んでこられたはずだ。
またお玉も、35年前の自分を冷静に語れるというのだから、末造の財産の一部を相続したり、はたまた自分の人生を切り拓いたのかもしれないし(明治時代の女にそれは困難だと思うが)、
なんらかの幸福を手にしていることを願う。
後編につづく)

三津田治夫

新年、あけましておめでとうございます。

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2020年、新年、あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願い申し上げます。

令和初の新年を迎え、日本では東京オリンピックアメリカでは大統領選挙など、世界は相変わらず激しい変化を遂げていきます。
AIやロボティクスなど、取り巻く環境の変化も絶えることはありません。
これからの一年もまた、楽しみです。

皆様の望みが叶う、平和で健康で幸福な一年でありますように。

三津田治夫

2019年12月13日(金)開催「有楽町のナイトミュージアム観覧&相田一人館長の作品秘話に耳を傾ける夕べ」(後編)

前編から続く)

「この、ブルース」を貫く本当の意義とは?
相田館長は版元の書籍編集者であった経験から、「美術館の展示には本一冊作るほどの労力が必要」と語られた。

世のため人のためというきれい事で美術館運営はできず、相田みつを美術館は、相田一人館長の編み上げた「この、ブルース」であるという。
言い換えると、とてつもなく深い自己満足である。

これには、自己満足が突き抜けると、ある時点から「作品」へと昇華する、という意味もある。

◎作品を背景に講演をされる相田一人館長f:id:tech-dialoge:20191227190833j:plain

いまや「この、ブルース」を貫くことが困難な時代である。
そして、表現のダイナミックレンジの幅が狭くなったことは、昨今の出版不況で本が売れなくなったことと関連しているはず、という指摘もあった。

出版物も昨今では、作品というよりも、市場最適化された一つの商品だ。
市場最適化のプロセスにおいて、ダイナミックレンジはMP3音源のようにカットされているのである。

「自己顕示と自己嫌悪の双方の振れ幅が大きかった作家」である相田みつをの出版物がこの時代に累計で1000万部以上売れているという理由は、「この、ブルース」を貫き通した結果に他ならないのだろう。

終盤では、相田みつを美術館を開館したきっかけが語られた。
相田みつをが危篤で集中治療室に入っていた時期、相田一人館長は都内の転倒事故で全治6ヶ月の骨折をし、故郷栃木で危篤の父親の傍ら治療を行っていた。

このとき、アンドレイ・タルコフスキー監督による中世ロシアを舞台にした長編映画アンドレイ・ルブリョフ』(1971年公開)が頭をよぎったという。

イコン画アンドレイ・ルブリョフの息子である鋳物師の青年が、職人チームを率い苦難を乗り越え、巨大な鐘を完成させる有名なシーンがある。

鐘が教会につり上げられ青年が吐く台詞「父はなにも教えてくれなかった!」が、相田館長を美術館の開館へと導いたという。

◎創作中の相田みつをの写真の前で。相田一人館長とf:id:tech-dialoge:20191227190921j:plain

父との永遠の対話としての、「この、ブルース」
「父はなにも教えてくれなかった!」は、裏を返せば、なにかを教えてもらいたかったのではないだろうか。

相田みつをが作家としてなにを考え、なに意図して、なにを作ろうとしていたのか。
息子として、教えてもらった感覚はまったくなかっただろう。

作家である亡き父親との永遠の対話を「この、ブルース」として編纂し、アウトプットし、立体化したものが、「相田みつを美術館」であるということが、相田館長の言葉の奥底から伝わってきた。

ここまで話され、相田館長の「まだ半分しか話していない」という結びが、非常に気になった。

即座に結果が求められるいまの時代、世間はじっくり待ってはくれない。
ゆえにいまの時代、「この、ブルース」を貫徹することは困難である。
では、どうしたら「この、ブルース」を貫くことができるのか。
こうした問題提起と示唆に富んだ講演であった。

そして、参加された人たちが「この、ブルース」を聞いて、なにを感じ、どう行動に反映しようとしたのだろうか。
相田館長の言葉は心に深く刺さった。

最後に、改めて相田みつをの作品を読んでみたい。

 

「うつくしいものを 美しいと思える あなたのこころがうつくしい」

 

あなたにはどう響いただろうか。

文末に、参加者たちが書き綴ってくれたアンケートの結果を掲載する。
美術館での稀有な講演の記録とともに、場を共有した参加者の声を読むことで、おのおのの感性が共鳴したら幸いである。
(終わり)

三津田治夫


■今回の参加目的
・最近、急激にアートに対する興味がわいていました。言葉への興味が「言葉という表現のアート」である相田みつをさんの作品が生まれた経緯を知りたかったため参加しました(髙田信宏さん)。
・相田館長のお話を聞いてみたかったため(桑山貴志さん)。
相田みつをさんのご長男のお話を聞いてみたかった(藤まなみさん)。
・館長自身のお話がうかがえるので興味を持ちました(T.Sさん)。
・入れなくてもいいところを力みすぎ、踏ん張るべきところを踏ん張れない自分がいるような気がしたので、視点を変えてみたくて参加しました(熊王斉子さん)。
・館長の講話を聴いたことがなかったため、興味がありました(Kさん)。
相田みつをさんをあまり知らなかったですが、興味はあったため(K.Tさん)。

■今回の講演内容が具体的にどのような役に立つと思いますか
・感情の刺激、ダイナミックレンジ……、まさにです。自分の興味のある部分が解放された気がしました。「自己満足」、これこそが本質であると自分の中で答えが出てスッキリしました(髙田信宏さん)。
・自己顕示がものづくりの根底にあるということ(桑山貴志さん)。
・話の端々で心に残りました。具体的にすぐには分からりませんが、じっくりとこの先考えたいと思います(藤まなみさん)。
・自己顕示の良い一面が認識できました。また、松下幸之助の「素直な心になるために」をいま読んでいて、松下氏と相田氏の伝えたいことが重なって共時性を感じた。自分が参加する読書会でもメンバーに伝えたい(T.Sさん)。
・良い感じに心のアクセルとブレーキを再認識できた気がします。ものづくりとはまったく縁のない仕事だと思っていましたが、意外にも通じるところがあり、自分の仕事でも、ものづくりをしていきたいと思いました(熊王斉子さん)。
・ダイナミックレンジの話は事例も交えられていて、とても面白かったです(Kさん)。
・素直に生きることが本当にすばらしいことがわかり、今後の人生がさらに豊かになりそうです(K.Tさん)。

■もっと知りたかったこと
・誰に対してデザインするのか?自己顕示との間で考えてみたいと思いました(桑山貴志さん)。
相田みつをさんの父としての人物像にも興味がある(藤まなみさん)。
・話したいことの半分と仰っていたので、残りの半分を聞いてみたいです(熊王斉子さん)。
・みつを先生自身についての話も、もっと聴いてみたかったです(Kさん)。
相田みつをさんが書を書く他にどんなことに興味があったのか、趣味なども知りたかったです(K.Tさん)。

■その他のご意見
・みつを先生が賀来賢人さん似のイケメンで、書のオーラとのギャップにびっくりしました。ものをつくるとはすさまじい事だなと心の中でため息が出ました(熊王斉子さん)。
・とても素晴らしい会でした。楽しかったです!(K.Tさん)。
・クラシック、70年代歌謡、映画など、館長のお話をうかがってまた見聞が広がりま
した。新しい世界、新しい考え方のフィルターを得られるのは刺激的だと思います(T.Sさん)。
・とても興味深い話をありがとうございました(藤まなみさん)。
・このような本質的な話に触れる機会にまた参加したいです(桑山貴志さん)。

2019年12月13日(金)開催「有楽町のナイトミュージアム観覧&相田一人館長の作品秘話に耳を傾ける夕べ」(前編)

2019年12月13日(金)、「相田みつを美術館」(有楽町東京国際フォーラム)にて、「有楽町のナイトミュージアム観覧&相田一人館長の作品秘話に耳を傾ける夕べ ~第41回本とITを研究する会 大人の遠足特別編~」と題し、作品観覧と講演が開催された。
本とITを研究する会のメンバーのために閉館後の夜、特別に開館していただき、相田みつを作品の観覧時間を挟んで、相田一人館長の特別講演が「一生勉強 一生青春 父 相田みつをと美術館を語る」をテーマに行われた。

◎「相田みつを美術館」入り口。夜間の特別開館f:id:tech-dialoge:20191224220119j:plain

話題はクラシック音楽から現代音楽、社会学、映画までと多岐にわたり、相田館長の各方面に造詣の深い、博覧強記の一面をのぞかせる、非常に興味深い講演だった。
そうした語り口で、父相田みつをの作品や父子関係を、表面的ではなく、とても深い次元で語られた。
同時に、「表現とはなにか」「人に伝えるとはなにか」に関し、さまざまな疑問を私たちに投げかけてくれた。

相田みつをの代表的な作品f:id:tech-dialoge:20191224220217j:plain

講演のオープニングでは、相田みつをの代表的な作品、

「うつくしいものを 美しいと思える あなたのこころがうつくしい」

の解説からはじまった。
これは「戦争や虐待、いじめを醜いと思えるこころ」であるという。
うつくしいものを率直に美しいと思えるこころは、醜さをキャッチできるこころでもある。

講演のオープニングとエンディングの解説は、いつも同じに決めているとのこと。
「オープニングとエンディングで皆さんが同じ作品に触れていただくことで、どんなふうに感じられるか?」という問いかけが込められているという。

そしてこれは、オープニングとエンディングを同じアリアで挟んだJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の影響を受けていると説明する。

会場では相田館長が愛聴するバッハの『平均律クラヴィーア曲集』のCDが流されたのだが、偶然、このCDのピアニストでありバッハ研究家の高橋望さんご本人が来場されていた。
2020年1月18日(土)に東京都台東区 東京文化会館小ホールで開催される「ゴルトベルク変奏曲2020」の告知をいただいた。

◎ピアニストでありバッハ研究家の高橋望さんがご来場
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また、高橋望さんは数理物理学者の西成活裕さんと「バッハと数学」について対談する機会があり、西成活裕さんが相田みつをのファンであることを知り興味を持ったという。

偶然とご縁の連鎖に驚いた。

自己顕示と自己嫌悪の塊、相田みつを
相田館長から見た父親「相田みつを」は、自己顕示と自己嫌悪の塊だったという。
仕上がった作品を一度として「よし」として認めることはなかった。
人一倍表現をしたかったのに、アウトプットに関する満足はない。
言い換えると、自己顕示と自己嫌悪の双方の振れ幅が大きかった作家であった。
これが、後述する「作品のダイナミックレンジ(表現の幅)の広さと現代」に関係するのではないか、が、今回の講演のメインテーマである。

◎講演中の相田一人館長f:id:tech-dialoge:20191224221227j:plain

現代音楽として次に紹介された楽曲は、左とん平が歌う1973年の作品『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』である。

「このブルースをきいてくれ」と、左とん平は絶叫する。
作品を受け手に与えるという行為は本来、自分の体内から発する自分の言葉を通した「このブルースをきいてくれ」ではないか。

1990年代にリメイクされた同曲を対比させながら、相田一人館長は会場に疑問を投げかけた。
リメイクはよくできているが、なにか迫力に欠ける。
歌い手自身の深いところから湧き上がってきた言葉として響いてこない。
これは「表現のダイナミックレンジの広さ」の違いにあるのではないかと指摘。

同じことは、ベルリンフィル・ハーモニーの戦前の指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと、戦後から1980年代にかけて活躍したヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するベートーベンの演奏の違いにも言及した。
仕上がりは美しいのだが、表現の振れ幅が狭い。

ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』の冒頭にある「中世の人々の喜びも悲しみも、現代人よりもダイナミックレンジが広かった」という件を引用し、個人の感情の振れ幅が狭いことが戦前すでに述べられていたことを相田館長は指摘した。

後編に続く)

三津田治夫

日本文化を再定義した社会派歴史学者の古典名著:『日本文化史』(家永三郎 著)

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ネット社会の現代、史実が限りなく事実であることは常識になりつつある。しかしかつては、史実が露骨に作り上げられる時代があった。
戦前までの日本がその最たるものとし、そこに警鐘を鳴らしたのが本書である。1959年に初版が発刊された古典であるが、歴史とはなにかを知るには格好のテキストである。

日本文化を見事に再定義
家永三郎といえば教科書裁判で名を残した歴史的な学者。子どもたちに誤った史実を伝えることでまた軍国主義に戻ると政府へ警告を発し、その姿勢を一貫して崩さなかった人物である。

作者によると、縄文時代の「物質を材料とする造形能力の高さと、社会を形成していく人間的自覚の低さ」のアンバランスを古代日本人の特徴として指摘。現代日本人の「人間的自覚の低さ」を暗示している表現にもとらえられる。

彼岸や盆などの宗教的儀礼も「明らかに仏教の仮面をかぶった民俗宗教の儀礼」ととらえ、日本人は仏教を呪術の一つとして受け取り、鎮護国家思想も日本人の仏教に対する独自解釈の一環であるとしている。

一方、10世紀、唐や新羅渤海が滅び日本との国交が途絶え、いわば鎖国状態の日本において、「後人の容易に追随できない文化をつくり出した」ことを評価する。
日本独自の「かな」の発展が文芸に寄与したことや、物語文学の写実的な表現力は特筆に値し、その真骨頂に『源氏物語』が書かれたのは世界文学の中でも画期的な現象である。

新古今和歌集に対する評価は実に見事だ。
「言葉のあやと幻想の翼をひろげることによって人工的に作為された実体のない観念の産物であった。そこには現実の地盤を失いながらも、過ぎし日の栄華をまだ忘れきることのできぬ斜陽階級の、哀愁にみちた自負の精神があざやかにうつし出されている。」

長い年月をかけてまざまな局面から評価がなされる文芸作品を、歯切れよくひとことで解説することがいまでは当たり前だが、かつてはそうしてしまうことが「芸術を軽々しく扱うのか。けしからん!」ということで、一つのタブーであった。
それゆえ芸術や文化、歴史はオブラートに何重にも包まれ、その都度、人それぞれに解釈されるべきものだった。言い換えればそれは「科学的ではない」。それを家永三郎は、「最大の危機」ととらえている。

戦争で傷ついた日本人への深い愛
あとがきに「過去の日本文化の輝かしい伝統は、世界文化史の一環として、その生命を復活し、日本民族は独自の文化的伝統をもって、世界人類の文化の向上のために寄与することが可能となるであろう。」とあるように、この本は、戦後14年目にして上梓された「本当の日本の復興と世界への仲間入り」という、作者の日本人への深い願いがこめられた作品である。

当時の日本人は敗戦という強烈なナショナルヒストリーを共有しており、中華人民共和国の成立や朝鮮戦争、東西冷戦といった、「戦後」が長らく続いていた。「もはや戦後ではない」といわれたのは1956年の話で、家永三郎はこの言葉を耳にし『日本文化史』を書くにいたったのではないかと想像する。「いや、まだまだ戦後ですよ。みなさん、本書を読んで覚醒しましょう」というメッセージが投げかけられているように思えてならない。

こう考えると、2019年のいまも「まだまだ戦後」なのかもしれないし、あるいは反対に東西冷戦構造もなく、核の傘もなく、アメリカの日本に対する強烈な要求もなく、「とっくに戦後は終了している」ゆえに、日本人は放置状態になり、かえって行き先を見失ってしまっているのかもしれない。

第二次世界大戦以来長い年月、日本人が主体性を持って行動することは「危険」と見なされてきた。日本人が主体性を持った行為は、第二次世界大戦中に日本政府がアジア大東亜共栄圏において取ってきた行動原理であり、その行動原理をエンジンとして持った国家が敗戦へといたった点がその理由だ。

「政治力経済力以外の第3の力」が発生しつつある「中世」としての現代
では、いまの日本人は、どういった主体性を持って、世界の人たちを説得し、行動へと移すことができるのだろうか。

幕末や戦後に見られたような、社会を動かす強い問題意識と熱意、リスクに向かう冒険心と熱意、そして自律心は、いまの日本人からはあまり見られない。

このまま、経済的にも文化的にも斜陽な国家へと陥ってしまうのだろうか。
たとえばスペインやポルトガルオーストリアのように。
いずれもすばらしい国であるが、世界に大きな影響力を与える国とはいえない。
言い方を変えれば、高度経済成長がストップした成熟国家である。

いまの日本の長きにおよぶ停滞は、すでになにかが起こっている最中なのかもしれない。この停滞を「歴史が激変する生みの苦しみの時代、1000年スパンで起こる“中世”だ」という見方もある。

テクノロジーに目を向ければ、社会は日増しに膨大なデータと化している。
音声や言語、映像はすべてデータ化され、AIの力はそのデータを材料に、私たちの想像を絶する膨大なアウトプットを生み出している。
人間の情報そのものや空間までもがデータ化され、意識の共同体とされてきた国家や社会が、もはや「データの共同体」と言われる時代になりつつある。

日本と世界は、従来の政治経済以外の新しい「力」を求めて模索を続け、発見しつつある時期であるともいえよう。換言すると現代は、「政治力経済力以外の第3の力」が発生しつつある「中世」である。
家永三郎の古典作品は、そんな洞察を与えてくれた。

三津田治夫