2019年12月13日(金)、「相田みつを美術館」(有楽町東京国際フォーラム)にて、「有楽町のナイトミュージアム観覧&相田一人館長の作品秘話に耳を傾ける夕べ ~第41回本とITを研究する会 大人の遠足特別編~」と題し、作品観覧と講演が開催された。
本とITを研究する会のメンバーのために閉館後の夜、特別に開館していただき、相田みつを作品の観覧時間を挟んで、相田一人館長の特別講演が「一生勉強 一生青春 父 相田みつをと美術館を語る」をテーマに行われた。
◎「相田みつを美術館」入り口。夜間の特別開館
話題はクラシック音楽から現代音楽、社会学、映画までと多岐にわたり、相田館長の各方面に造詣の深い、博覧強記の一面をのぞかせる、非常に興味深い講演だった。
そうした語り口で、父相田みつをの作品や父子関係を、表面的ではなく、とても深い次元で語られた。
同時に、「表現とはなにか」「人に伝えるとはなにか」に関し、さまざまな疑問を私たちに投げかけてくれた。
◎相田みつをの代表的な作品
講演のオープニングでは、相田みつをの代表的な作品、
「うつくしいものを 美しいと思える あなたのこころがうつくしい」
の解説からはじまった。
これは「戦争や虐待、いじめを醜いと思えるこころ」であるという。
うつくしいものを率直に美しいと思えるこころは、醜さをキャッチできるこころでもある。
講演のオープニングとエンディングの解説は、いつも同じに決めているとのこと。
「オープニングとエンディングで皆さんが同じ作品に触れていただくことで、どんなふうに感じられるか?」という問いかけが込められているという。
そしてこれは、オープニングとエンディングを同じアリアで挟んだJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の影響を受けていると説明する。
会場では相田館長が愛聴するバッハの『平均律クラヴィーア曲集』のCDが流されたのだが、偶然、このCDのピアニストでありバッハ研究家の高橋望さんご本人が来場されていた。
2020年1月18日(土)に東京都台東区 東京文化会館小ホールで開催される「ゴルトベルク変奏曲2020」の告知をいただいた。
◎ピアニストでありバッハ研究家の高橋望さんがご来場
また、高橋望さんは数理物理学者の西成活裕さんと「バッハと数学」について対談する機会があり、西成活裕さんが相田みつをのファンであることを知り興味を持ったという。
偶然とご縁の連鎖に驚いた。
自己顕示と自己嫌悪の塊、相田みつを
相田館長から見た父親「相田みつを」は、自己顕示と自己嫌悪の塊だったという。
仕上がった作品を一度として「よし」として認めることはなかった。
人一倍表現をしたかったのに、アウトプットに関する満足はない。
言い換えると、自己顕示と自己嫌悪の双方の振れ幅が大きかった作家であった。
これが、後述する「作品のダイナミックレンジ(表現の幅)の広さと現代」に関係するのではないか、が、今回の講演のメインテーマである。
◎講演中の相田一人館長
現代音楽として次に紹介された楽曲は、左とん平が歌う1973年の作品『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』である。
「このブルースをきいてくれ」と、左とん平は絶叫する。
作品を受け手に与えるという行為は本来、自分の体内から発する自分の言葉を通した「このブルースをきいてくれ」ではないか。
1990年代にリメイクされた同曲を対比させながら、相田一人館長は会場に疑問を投げかけた。
リメイクはよくできているが、なにか迫力に欠ける。
歌い手自身の深いところから湧き上がってきた言葉として響いてこない。
これは「表現のダイナミックレンジの広さ」の違いにあるのではないかと指摘。
同じことは、ベルリンフィル・ハーモニーの戦前の指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと、戦後から1980年代にかけて活躍したヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するベートーベンの演奏の違いにも言及した。
仕上がりは美しいのだが、表現の振れ幅が狭い。
ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』の冒頭にある「中世の人々の喜びも悲しみも、現代人よりもダイナミックレンジが広かった」という件を引用し、個人の感情の振れ幅が狭いことが戦前すでに述べられていたことを相田館長は指摘した。
(後編に続く)