(前編 から続く)
ライプツィッヒ バウハウス を訪ねる旅の最終目的が、この、ライプツィッヒだった。 ライプツィッヒはバウハウス にゆかりの深い街、というわけではないが、この街に住む友人の母親がバウハウス 作品のコレクターであり、生家がバウハウス の建造物であるという、まれな体験を持つ人だ。 ライプツィッヒの友人を訪ね、その自宅も訪ねた。
友人の母親のガブリエーレ・シュヴァルツァーさんは1929年生まれの元医師。ヴァイマール共和国 が成立したのが1919年だから、彼女の子供時代の人生と重なる。 友人も母親と同じく医療の世界で働き、現在は脳外科医をしている。
◎友人と母親のガブリエーレさん
ドイツの統一直後、維持費があまりにもかかるという理由で、バウハウス の素晴らしいアンティー ク建築を泣く泣く手放したという。
ライプツィッヒ近郊のツヴェンカウにいまでも現存する。現在はコレクターが購入し、空き家になっている。友人の案内で、ツヴェンカウの元自宅に連れて行ってもらった。
◎ツヴェンカウの友人旧宅の前で
◎ツヴェンカウの友人旧宅の全景
第二次世界大戦 の空爆 でも、バルコニーの一部が破壊されただけで、「ほぼオリジナル」。ここもまたユネスコ 文化遺産 に登録していただきたい物件だ。
外観は正方形のサイコロ型で、元オーナーのガブリエーレさんいわく、「街の異端建築」だったらしい。簡素な住宅街に突如と現れた前衛芸術だ。
この家を建てたのがガブリエーレさんのお父様のラーベ氏で、現在でも「ラーベ氏邸」と呼ばれている。ラーベ氏も開業医を生業とし、建物の1階の半分が診療所で、その他が居住空間になっている。
非常に便利な作りだったとガブリエーレさんは当時を回想する。 たとえば、戸棚が居住空間と診療所の間の壁に備え付けられており、医療器具や薬瓶を部屋を行き来せずに受け渡しできたらしい。
残念ながら中に入ることはできなかったが、窓からは、壁面に備え付けられたオスカー・シュレンマー の彫刻を見ることができた。
ガブリエーレさんの大晦日 の作業は、この作品を壁から取り外して布で磨くことだったと語る。友人からは「シュレンマーの番人」といったあだ名をつけられ、シュレンマーに関する書籍やスケッチのコレクションを多数所有している。
◎オスカー・シュレンマー の直筆スケッチ
備え付けの家具や作品は家の売却と共にそのまま置いてきたのだが、部屋で使われている椅子類は、現在住んでいるマンションで使われている。これらもすべてオリジナルの作品だという。一体どのぐらいの価値があるものなのか、想像もつかない。
◎ミース・ファン・デア・ローエ作の唐椅子
◎籐椅子に座るガブリエーレさん
ミース・ファン・デア・ローエの籐椅子は現役で使われている。唐の造作が美しい。ガブリエーレさんいわく、すべてオリジナルで修復していない、とのこと。彼女はこの椅子に座って本を読むのが楽しみだという。
◎マルセル・ブロイアーのパイプ椅子
マルセル・ブロイアーのパイプ椅子も現役で使われている。しかしいまや友人のタバコ置き場になっていた。
いまではごく普通にパイプ椅子というものがあるが、当時、金属のパイプを曲げて椅子にするという発想自体がまったくなかった。その発想を現実化し、工業製品化したというのが、バウハウス の活動の大きな成果だといえよう。
バウハウス の芸術思想は次の通りだ。 芸術作品が産業化に成功し大量生産されれば、作品が世の中に広く行き渡り、芸術は一部の人間のものではなく、万人のものとなる、というものだ。
◎回転式のスチール椅子。マルセル・ブロイアー(?)の作品
また、珍しい椅子も見せてもらった。こちらもマルセル・ブロイアーの作品といっていたが、パイプ椅子ではなく、いまでも使われる回転式のスチール椅子だ。
ガブリエーレさん宅の玄関にはかつての自宅の写真がパネルに入れられてきれいに飾られている。玄関の突き当たりが本棚になっており、バウハウス を中心とした数々の芸術書が納められていた。
そもそもなんでバウハウス の建築を彼女のお父様のラーベ氏が発注したのかというと、彼の友人アドルフ・ラーディング氏がその建築家であったという。
当時としてもかなりのお金がかかっただろうし、またツヴェンカウという田舎町のど真ん中にコンクリート の四角い建物を造ろうという発想自体も当時において奇抜である。 「町でも、奇抜で場違いな建物として有名だった」と、ガブリエーレさんは回想する。
バウハウス の建築家に家を建てさせたガブリエーレさんのお父様は、さぞかし前衛的な人物だったのだろう。旧東ドイツ 時代、ガブリエーレさんの仕事仲間が反ソビエト のビラを作って逮捕され、トルガウの刑務所に収容されていたという話も聞いた。ガブリエーレさん自身にもなにか、当時を生き抜いた反骨精神というか、時代に巻き込まれない確固としたなにかを感じさせる。彼女の言葉の端々からそれを感じ取ることができた。
◎ライプツィッヒのニコライ教会
私の友人にしても、秘密警察が幅をきかせる旧東ドイツ 時代に日本人の私と手紙で情報交換をしていたのだから、それはそれでまた前衛的であり反骨精神満ちている。東西ドイツ 統一の前夜には、友人はニコライ教会に仲間と集まり、ライプツィッヒの街をデモで歩き回ったと当時を回想していた。この教会は旧東ドイツ の民主化 、東欧革命、旧共産圏崩壊へと導いた市民運動 の火種となった、歴史的な教会である。
* * *
現代では、高級で一部の人間にしか持ちえなかったものが、日々大衆化している。 かつての書物は、寺院や教会にしかないもので、民衆が手にできるものではなかった。また、自動車も政治家や経営者など一部の階層の人間にしか持つ権利のないものだった。
貴族の趣味として宮廷で聴かれていた音楽はホールで演じられることになり、さらに大衆化し、レコードが出現してホールに行く必要がなくなり、CDの出現でさらに可搬性が高まり、デジタル化により音楽そのものの実体がなくなった。いまや音楽はエクセルのワークシートやワードの文書と同じ、単なる「データ」である。書物もまた、電子書籍 の出現により「データ」に置き換わりつつある。
オペラにしても、正装してオペラハウスに出向くまでもなく、お茶の間でブルーレイ・ディスクをプレイヤーに乗せるだけでよい。
かつての高級で高貴なものはすべからく大衆化し、身近なものになった。
そうした大衆化と工業化の流れを100年近く前にいち早く捉え、アートと技術を融合させ具現化していた先進的集団が、バウハウス だった。(終わり)
三津田治夫
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