本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

バウハウスを訪ねる旅(前編) ~ヴァイマール/ベルリン/デッサウ~

今年2019年は、ヴァイマールでバウハウスが設立されてちょうど100周年。これを記念して、本サイト「本とITを研究する」にて、2011年にバウハウスを訪ね歩いた際のレポートを二度に分けてお届けする。

1世紀前のクリエイターたちが、どのような環境で現代芸術の源流と言われるバウハウスを創出したのか、思索を巡らせる材料になれば幸いである。

一言だけ、100年前のドイツはナチスドイツが政権を握る直前の、動乱の時代であったことは前置きしておく。現代の「動乱」と重ねて読んでいただけたら幸いである。

*  *  *

日常生活が芸術にあふれているとは、心を豊かにする満足感がある。
日用品に持つ喜びがあったり使う楽しみがあったら、無味乾燥な生活に潤いが出る。

日用品に芸術品の価値を与えれば、芸術品を安価に大量生産でき、世の中を芸術で満たせるのではないか。

そんな運動が20世紀の前半にドイツで起こった。
バウハウス」と呼ばれる芸術学校を中心に起こった運動で、大きなものは建造物、小さなものはコーヒーカップや調味料ケースまで、すべてがデザイン性と機能性を追求した「作品」として生産された。

バウハウスには「建築現場」という意味があり、何年もの月日をかけて建造する中世の教会建築の工房をイメージするとよい。

教会には外装を手がける石工や内装を手がけるステンドグラス職人、オルガン職人、木彫家、外装に設置する石彫装飾職人など、多種の職人が寄りあって多数の工業的要素と芸術的要素が絡み合い、建築が行われる。彼らは建築現場に設置された工房で働き、何年もかけて手作業を行う。

中世の建築現場を現代産業の現場に置き換え、芸術活動へと昇華させたものが、バウハウスである。

バウハウスには建築を専攻する学科、食器を専攻する学科、家具を専攻する学科、さらには基礎的な知識として色彩研究を専攻する学科など、多数細分化されている。

各学科の教師は、講師や教授とは呼ばれずに「親方」(マイスター)と呼ばれる。各国の第一人者がそれを請け負った。ロシア人画家のワシリー・カンディンスキーユダヤ人画家のオスカー・シュレンマー、また、パウル・クレーやミース・ファン・デア・ローエなど、数多くの著名芸術家らが親方として名を連ねていた。

いまの周囲に目を向けると、建築物や自動車、スマートフォンなど、あらゆるものにデザインがあり、かつ機能があることがわかる。こうしたものと無意識のうちにつきあっているのが現代人だ。かつては、デザインはアートの世界にあり、機能は工業の世界にあり、双方が分離して存在していた。それを統合し、体系化したのが、バウハウスである。

バウハウスは1919年、ドイツ・ヴァイマール共和国で生まれた。
バウハウスはヴァイマール、ベルリン、デッサウと校舎を転々とし、最終的には「反社会的」という名目でヒトラーに解散が強いられた。

以降、バウハウスを求めて歩いた旅の記録を、写真とともに紹介する。

ヴァイマール ~バウハウス発祥の故郷~
ヴァイマールといえば、ゲーテが晩年を過ごし、彼の親友シラーも住んだ街。フランツ・リスト音楽学校があり、バッハが過ごし、ロシアの文豪プーシキンが執筆のために滞在した文化都市だ。

国立劇場の前に建つゲーテ/シラー像

f:id:tech-dialoge:20190126184634j:plain

ヴァイマールの中心地には晩年のゲーテが劇場監督を務めた国立劇場がある。その向かいには有名なゲーテ・シラー像がある。そしてその像の正面には、ヴァイマール・バウハウス美術館がある。

◎ヴァイマール・バウハウス美術館
f:id:tech-dialoge:20190126184716j:plain

入り口横には映写室があり、バウハウス創始者、ヴァルター・グローピウスの生涯を記録した映画が流れている。
バウハウスの発祥地の割には小さな美術館だ。
出るときにはミュージアムショップでバウハウスの作家の手で作られた「エッグメーカー」を購入。ウィルヘルム・ヴァーゲンフェルトが作った現役の製品である。

バウハウス謹製のエッグメーカー
f:id:tech-dialoge:20190126184756j:plain

ベルリン ~バウハウス第二の故郷~
ドイツの首都ベルリンのバウハウス資料館は作品にも見ごたえがある。
クリンゲルヘファー通りにあり、北に少し歩くと映画『ベルリン天使の詩』で有名な「勝利の塔」がある。

◎ベルリンのバウハウス資料館
f:id:tech-dialoge:20190126184855j:plain

美術館の建造の奇抜な造作が目を引く。
館内には、建造物の模型をはじめとした、作品の展示物が多数ある。

ベルリンにはアレクサンダー広場付近に国立博物館があり、そこに行くとヴァイマール共和国時代からナチス時代に突入するまでの「ナチスの記録」が詳細に展示されている。これらの展示と絡めてみると、バウハウスの歴史背景への理解が深まるだろう。

デッサウ ~ユネスコ世界遺産の校舎が素晴らしい~
デッサウは、バウハウスの巨大な校舎が現存する街として有名。
旧東ドイツ時代、第二次大戦で爆撃を受けた校舎は放置され、見るも無惨な姿であった。東西ドイツ統一後、1996年にユネスコ世界遺産に登録され、なかば廃墟であった校舎の再建に莫大な費用が投じられた。

バウハウスの校舎
f:id:tech-dialoge:20190126184933j:plain

実に美しい、機能美を感じさせるモダンな建築である。
周囲の建造物もすべてバウハウス様式に見えてしまう。

内装ももちろんバウハウスで、エレベーターホールの蛍光灯からパイプ椅子まで、すべてがバウハウスの作品だ。

◎食堂
f:id:tech-dialoge:20190126185009j:plain

◎エレベーターホール
f:id:tech-dialoge:20190126185031j:plain

校舎から少し歩くと、「親方」(マイスター)の官舎が並んでいる。
部屋を見るのに入場料が5ユーロと結構高めだった。

後編に続く)

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain