本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナー・レポート:5月11日(土)開催、「人にしっかりと伝わるアクティブ・ライティング入門」(後編)

セミナー・レポート後編では、Web記事の実例分析やワークショップを通して示された、実践メソッドをご紹介しよう。

「書く」技術を上げるポイントをまとめた三津田治夫講師作成の特別冊子も配布された。そばに置いて、繰り返し利用したい。

伝えるための媒体の選び方
「書く」メディアには、書籍、雑誌、POD(プリント・オンデマンド、オンデマンド出版)、電子書籍、Webサイト、ブログ、SNSなどがあり、発信難易度や発信スピード感、そして受け手の信頼性・信憑性に違いがある

たとえば、書籍は、発信難易度が高くて発信スピードは遅く、受け手の信頼性・信ぴょう性は高い。一方、SNSは、発信スピードが高くて発信難易度は低いが、受け手の信頼性・信ぴょう性は低い。いまは1部から出版できるオンデマンド出版があるほか、発信が簡単なSNSから火がついて派生することもある時代だ。メディアの特性を選んで書こう。

セミナー後半では、アクティブ・ライティングのポイントが、実例をあげてわかりやすく解説された f:id:tech-dialoge:20180525183541j:plain

企画から原稿完成までの7ステップ
ステップ1:企画を作る

企画は、与えたいものと世の中のニーズのすり合わせだ(セミナーレポート前編参照)。タイトル・テーマ・読み手の想定(年齢層・職業・ペルソナ)をして、アウトラインを書き出しながら考えるのがコツだ。思いついたことは、常々クラウド上のメモなどに残しておくようにするといい。

ステップ2:企画を人に見せる

周囲の人に企画を見せたり、Webなどのオンラインで発表して反応を見よう。見せる相手の人選は重要。ブログやSNSも利用して、信用できる人、好意で読んでくれる人を探そう。講師自身も、フェイスブックに短く書き、反応がよかったらブログに書くというようなことをしている。

ステップ3:執筆のスタイルを決める

単独で書くか、複数で書く共著にするかを決める。ただし、人数が多くなると管理が大変であり、取りまとめ役を置く必要がある。

文章を構造的に捉え、このステップを踏めば、伝わる文章が書ける!f:id:tech-dialoge:20180525152339j:plain

ステップ4:執筆時の作業内容の洗い出し

調査・取材→執筆→実例や画像など掲載用サンプルの作成→図表の作成→校正→推敲の手順がある。時間が足らず、校正や推敲はスキップされることがあるが、実は、ライティングと同じくらいの時間が必要だ。この有無が原稿のクオリティを決めるので、絶対に削らないこと。どうしても時間が足らないときは、レビューを飛ばそう。

ステップ5:原稿のレビューを考慮

知人や関係者にレビュー(下読み)を依頼して原稿の精度を上げる。SNSで呼びかけてもいい。共著の場合は、回し読みも有効だ。有名な著者さんもされており、著書の奥付に名前が記されていることもある。ライティングは1人でやっているように見えるが、実はそうではない。

ステップ6:執筆期間を見積もり、完成予定を作成

試し書きをしながら執筆速度を計測しよう。協業の場合は、できあがった予定を、外部と共有することも忘れずに。一般的な書籍執筆は、3か月~1年を要する。

ステップ7:執筆を開始し、完成原稿をアップ

ステップ4「推敲」やステップ6「完成予定」などを考慮しながら原稿を書く。図面を引いたら、一心不乱にひたすら書く文章の基本構造は、章→節→項→目の入れ子構造になっている。起承転結など物語構成を考えたり、身近なところから書き始めて、最後は視野を世界に広げるなどすると書きやすい。書けないのは、図面がないからだ。

書いているとあれもこれもと迷ってしまいがちだが、文章は書けば書くほど伝わるというのは勘違いだ。

推敲では、できるだけノイズを削り、読み手をハッピーにする文章に仕上げよう。感謝のメールがたくさん来ているなどとイメージしながら進めるといい。字面にも注目。漢字を減らして読みやすくすることも必要だ。

執筆とレビューが終わったら、アップ(入稿)する。

Webの「いいね!」機能で読まれるコツを見つける
ウェブではSNS機能が付いているものが多く、「いいね!」の数で人気のある記事かどうかがわかる。これを参考に、読まれる記事を分析してみるのもいい。文章だけでなく、コンテンツ全体を見ると、見出しや写真の重要さも発見できるだろう。

タイトルは簡潔であるほどいい。1画面に1~2本の見出しは欲しい。結論が分からないからこそ、読んでみたいと思わせる見出しもあるが、基本的には、文章の全貌がわかる見出しが望ましい。文章の最後の要約を使うのもコツだ。漢字が少なく、センテンスが短いと読みやすい。

ただし、お金を払って「いいね!」を獲得している場合もあるので考慮を。

Webの分析、推敲のビフォア・アフター、見出しをつけるワークで、実践メソッドを体感f:id:tech-dialoge:20180525152504j:plain

自分の存在意義を問いながら書こう
「書く」きっかけは、認められたい、売りたいという個人的、即物的欲求でよい。目標があれば書き進められるし、書き進めるうちに、即物的欲求が、昇華していく。文章がうまければ読まれるとは限らない。最も重要なのは、あなたが与えたい内容だ。どう相手をハッピーにさせるか、どう共有するかが重要なのだ。

『ティール組織』という本が売れている。自分の存在意義を問いながら仕事をすることがビジネスに成功をもたらすと説いているが、「書く」ことも同じ。与えたいことを徹底的に考えることや主体性・熱意が大切なのだ。自発的に「書く」機会を作ることは、とてもいいことだと思う。

積極的な「書く」がポジティブな「明日」を作る
ノーベル賞を受賞したガルシア・マルケスが『物語の作り方』で語っている。「理想を高く掲げて、一歩でも近づこうとすること。他人の意見に耳を傾けて真剣に考える勇気を持たなくてはいけない。そこから一歩踏み出せば、自分たちがいいと思っているものが本当にいいものかどうか確かめられるようになる」と。「書く」ことを通じてそれを実践して欲しい。積極的な「書く」が、コミュニティの活性化、顧客や仲間との関係の深まり、安定した収入などポジティブな循環を生む。ひいては素晴らしい明日を作るだろう。

前田 真理

セミナー・レポート:5月11日(金)開催、「人にしっかりと伝わるアクティブ・ライティング入門」(前編)  

5月11日(金)、会議室MIXER(日本橋本町)にて、「人にしっかりと伝わるアクティブ・ライティング入門」が開催された。

ITの発達が、あらゆる人に「書く」必要性をもたらしている昨今、「書く」悩みを抱える人は多い。第4回分科会となるセミナーには、幅広い年齢・職種の方が会同。本の執筆を目指す経営者、デザイナー、広告営業職、大学教員など、バラエティ豊かな参加者の多角な視点も、セミナーを充実したものにした。

講師は、「本とITを研究する会」代表・三津田治夫氏。編集者の視点から、アクティブな姿勢で、伝わる文章を書く術を伝授。講義とワークを通じ、参加者は大きなヒントを得たことだろう。

「書く」ことは、言葉へ積極的な働きかけ

意外かもしれないが、本とITには深いつながりがある。ITは情報を伝える技術であり、その原点は印刷。活字と活版印刷は、14世紀にドイツのヨハネス・グーテンベルクが発明。印刷機械は、ワイン絞り機を改良したものだったという。 

アイディアはあるのになかなか書き出せない。読んでくれる人がいるのか自信がない。いつまでに書き終わるかわからない……など、「書く」ことに様々な悩みを持つ人がいるが、その問題点は、「テーマ」「自信」「時間」の3つに集約される。 

「書く」ことは、言葉にかなり積極的に介入しなければ辛いものだ。しかし、それができれば、書けるようになる。つまり、「書く」とは、言葉にアクティブに関与することなのだ。 

歴史を振り返ると、時代の変革期には、言葉が積極的にかかわっている。たとえば、明治維新後の日本は、人々の言葉への働きかけにより作られた。日本初の国語辞典を編纂した大槻文彦、西洋の哲学用語を日本語に置き換えた西周蘭学を学んだ勝海舟など。言葉へ働きかける力が人間を動かし、世界を作った世界は言葉でできているの。言葉は、再現性・保存性・移動性に優れたコミュニケーションツールだ。変革の時代こそ、言葉への積極的な働きかけが求められる。 

時代はいま、あまり変化のない時代から、変化の時代へ突入している。20代の人が生まれたころから大きな変化が始まっており、40代後半から50代の中には、戸惑っている人が多いのではないか。そんないまを、変革の時代と定義している。言葉に関わることが重要な時期だからこそ、このセミナーを機に、ぜひ書く技術を身につけてほしい

「書く」ことの深堀りからセミナーはスタートf:id:tech-dialoge:20180522203343j:plain


受け手をハッピーにするために書こう

編集者視点から「書く」ことを見てみよう。メディアは、人とコンテンツのマネジメントでできている。コンテンツは、言葉・画像・音声でできている。コンテンツが完成するまでには、人間・時間・お金のリソース管理が必要だ。

与えられた時間内、コスト内で、受け手に向けてコンテンツを完成させるためには、文字や人に対していつも積極的に働きかけ、クオリティ管理する必要がある。

編集という言葉への積極的な働きかけにより、出版物やWebコンテンツが成立するのだ。そうして生まれるコンテンツは、受け手をハッピーにすることがゴールだと考える。いまは、一億層編集者の時代とも言われる。職種にかかわらず、ぜひそのマインドを持ち帰って欲しい。 

伝わる文章の基盤「テーマ」は、自分の中にある

書けない人の中には、テーマ設定で迷う人が多いが、企画はどのように作ったらいいのだろう? テーマの源泉は自分の中にしかない。流行っているから、人に言われたからではダメ。自分の中から湧き出てくるものでなければ書けないものだ。つまり、本当に書きたいことと、書かなければならない内容とを重ね合わせることが重要だ。

「テーマ」=「与えたいこと」とも言える。まずは「与えたいこと」を発見しよう。その手法は、まずは与えたいことを付箋に書き出し、それを「与えたい度」と「有益度(ニーズ)」で分類「与えたい度」と「有益度(ニーズ)」の交差点にテーマはある。この作業は最も重要で、最も時間を要する。しかし、難しく考える必要はない。与える側と受け取る側、いわば料理の作り手と食べる人と考えれば分かりやすいだろう。

大切なのは、「与えたい」を探すにも自発性が重要であるということ。それは歴史も証明している。明治維新フランス革命しかりだ。

お客さんに提案書を出す際も、上司から命令されたからではなく、自分の「与えたい」を探そう。あなたには必ず「与えたい」ことがある。その提供で人をハッピーにしよう。


アクティブ・ライティングは、自分の内外双方への積極的な介入からf:id:tech-dialoge:20180522203459j:plain


テーマを文章に落とし込む技術

伝わる文章を書くには、軽んじがちだが、作文の基礎の基礎である「てにをは」をしっかり使い分けることが大切だ。日記やブログなどで、見えたものや感じたものを積極的に文章に書き残し、言語化する癖をつけよう

見て、感じるためには、意識的に多ジャンル本を読むことや、意識的に街に出ることがおすすめ。散歩・美術館・博物館・勉強会・読書会などに出かけてみよう。実際に文章を書いたら、Webや電子書籍、オンデマンド出版などで、文章を発表し、読み手の反応を見ながら文章修行をしよう。その際、特定の人を傷つける表現には、十分注意して欲しい。

文章作成に役立つおすすめテキストも紹介f:id:tech-dialoge:20180522203606j:plain


日本語の作文技術』『実戦・日本語の作文技術』 本多勝一著(朝日新聞出版)

演劇入門』 平田オリザ著(講談社

物語の構造分析』 ロラン・バルト著(みすず書房

考える技術・書く技術』 バーバラ・ミント著(ダイヤモンド社


アクティブ・ライティング
を実践するには、書くきっかけを自己内部から徹底して掘り起こし、積極的な情報収集と内省をひたすら繰り返すことが必要。日記やメモなどでもよいので、とにかく考えて「書く」癖を付けよう。文章は心と体からできている。考え、動いていれば、文章技法は、後からついてくる

(実践メソッドは、後編で)

前田 真理

「非宗教的な精神性」が組織と人類を豊かにする:『ティール組織 ~マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現~』(フレデリック・ラルー著)

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英治出版『ティール組織』は600ページ近い大著でありながら発刊早々で異例の3万部を突破したという、近年まれに見る話題のビジネス書だ。事業のイノベーションに参考になる例がありそうで気になるので、早速買って読んでみた。

まず、巻末の「本書に寄せて」を見て驚いた。
かのインテグラル思想の権威、極言が許されればスピリチュアルの親玉、ケン・ウィルバーが寄稿していたのだ。
ケン・ウィルバーの代表作『無境界』の帯に書かれている「トランスパーソナル心理学」とは、人間どうしは個別な人間性を超えて抽象度の高い精神でつながっている、という仮説に基づいて展開される、ユングの流れをくむ新派の心理学だ。心霊や超自然現象、UFOや易学も研究したユングの流れを組むというぐらいだから、トランスパーソナル心理学には、一部で「オカルト」と呼ばれる要素も少なからず含まれていることはここで言っておく。

なにが言いたいのかというと、『ティール組織』という研究や調査の集大成でできたビジネス書の源流をたどってみると、実はスピリチュアルやオカルトに行き着くという点が非常に興味深いのである。しかもその本が累計3万部を超え販売されているということは、それだけの数のビジネスリーダーがこの領域に関心を示している、というあかしでもあるのだ。もしくは、「過去の成功」や「過去のデータ」がほぼ通用しなくなった現代において、ビジネスリーダーたちのもはや藁にもすがる気持ちの表れ、なのかもしれない。同時に言えることは、いまのビジネスに求められるものは、過去の事例やデータの反復ではない。これからおこりうる未来に焦点を当てること、である。これがまさしく、イノベーションに応用できる考え方だ。

「全体性(ホールネス)」とは、仏教でいう「縁起」である
前置きが長くなったが、『ティール組織』では、文化や組織の発展段階を色にたとえる。暴力と恐怖で人を支配する最も原始的な組織形態を「衝動型」(レッド)とし、現代の組織形態は多様性や文化を重視した「多元型」(グリーン)で、さらに進化した組織形態が、「自主経営と全体性(ホールネス)、存在目的」を重視する「進化型」(ティール、青緑色)である。本書では「進化型」の「ティール組織」をいかにして実現するかの考え方と方法を、欧米企業の膨大な事例を取りあげながら説明している。

前述の「自主経営と全体性(ホールネス)、存在目的」に関して、とくに日本人にとって「全体性(ホールネス)」はわかりやすいだろう。本文にあるように、組織の運営において絶対性ではなく、「ほかの人々との関係における全体性(ホールネス)」を重視する。日本人になじみが深い、仏教用語の「縁起」である。「ご縁」ともいわれるが、こうした人間どうしのつながりや偶然性を重視する考え方は、日本人ならすっと腹落ちするだろう。

訳者があとがきで「進化型のコンセプトを学ぶことで機能不全の(日本の)ハイコンテクスト文化を進化させることができるのではないか」と書いているように、「ティール組織」では、言葉による規約や定義の外にある、「精神性」ないし「非言語」の領域に重きを置く。聖書にも「はじめに言葉ありき」とあるぐらい、欧米ではあらゆるものが言語化され、定義され、規約される。そうした文化が当たり前にあるからこそ、法律を作ったり、プログラミング言語や複雑なシステムをつくったりができる。このマインドは残念ながら日本人のDNAには組み込まれていない(目下獲得中といったところ)。ゆえに『ティール組織』を読んで、「なんでこんなことをいまさらいうの?」と疑問を持つ日本人は多いかもしれないし、逆に、日本人ゆえに共感を持つ人も多いかもしれない。

互いの成長と承認が組織を豊かにする
言葉による規約や定義ではなく、人間の心の状態(精神性)に重きを置く「ティール組織」では、「自分の才能を発揮し使命を果たすことの方が報奨金や賞与よりも重要」な「内在的欲求で動く人に価値を置いて」いる。
また、「権力の獲得を、誰かが持つとほかの人の分が減る、という「ゼロサム・ゲーム」とは見ていない。全員がお互いにつながっていることを認め合い、あなたが強くなれば私も強くなれる、と考えている」と、「ティール組織」では「知識のない人から取る」「安く買って高く売る」といった、いままでの資本主義ないし競争社会の考えとはまったく一線を画している。すなわち、「成長と利益は目的ではなく、一日の終わりにその実現に向けた集団的な努力がどの程度進んだかを示す単なる指標に過ぎない。」のである。

「なにをいまさら、理想論を……」と思われる方も多いだろうが、上記を実装した事例は多数『ティール組織』の中に書かれている。ぜひ、手に取って読まれるとよい。そしてまた欧米は、幾多の理想を掲げ、社会実装し、挫折し、また理想を掲げ、社会実装し、挫折し……、を延々と繰り返している社会でもある。そうした循環や弁証法的発展の一例が、『ティール組織』であるともいえる。では、先を続ける。

「自己の存在意義を徹底して問う」が組織を強くする
人の心の状態に重きを置く「ティール組織」では「モチベーション」に着目する。たとえば、「人は、本当に意味があると確信できる目的を追求しているときには、効果を高めたいと思うものなのだ。」と、組織においても個人においてもつねに「目的」を問い、確信することに価値を置いている。これにより人は自分らしさを失わず使命感を獲得し、それを原動力として組織活動へ変換できる、という考え方だ。そして使命感を深めることにより、「自分自身の中の、そして外部世界とのつながりを通じて全体性を取り戻せる」のである。使命感の深まりは言葉や制度を超えた精神的な「全体性」(ホールネス)へとつながり、全体性は新たな使命感や原動力を生み出す「場」となる。つまり、「人々が自分の目的を人生の中心に位置づけるほど、組織の通気性が高くなる」のである。

また人のモチベーションを削ぐものとして、「判定(ジャッジメント)と統制」による従来型の評価システムを例にあげる。「ティール組織」ではむしろ「私たちが心から熱望していることは何か?」「世界になにを提供できるのか?」「私たち独自の才能は何か?」「何が障害になっているか?」「どうすれば、会社の中でもっと自分らしく生きられるようになるだろう?」という問いへの答えが、評価されるべき軸なのである。

言葉による規約や定義は組織社会を作り上げることに成功したが、文明の発展の中で組織社会は人の心の状態にネガティブな影響を与えるようになった。そこから脱却するためのソリューションが「ティール組織」である。組織社会を構成する言葉による規約や定義の代表例として「役職」があげられるが、「役職に社会的名声が伴っていると離れられなくなる。そしてたいてい自分がその役職「そのもの」であると勘違いしてしまう。」と、組織社会は勘違いや錯誤を生む温床ともなりえる。昔のロシア文学に、出世欲にとりつかれた男がその象徴である勲章欲しさのあまりに気が狂い、ある日突然自分が勲章に変身してしまったと思い込むという話があったのを思い出す。

言葉は重要。されど、言葉に支配されるな
「進化型組織には、もはや生き残りへの執着はない。」と、「ティール組織」は、マズローの欲求5段階説の最下位に位置する「生理的欲求」を追求するものではないことを明らかにする。経営者が口にする「生き残りをかけて」という合い言葉は「ティール組織」ではありえない。空気を吸うために必死に生きる人がいないことと同様(溺れかかっている人は別だが)、「生き残りをかけて」を合い言葉に高いパフォーマンスを発揮した企業がある、という話はあまり聞いたことがない。

「精神性」に関し、宗教と絡めて次のように結論づける。

「人々は、個人的な経験と慣行を通じて統合と超越を求める。つまり、以前の宗教的な対立を解消し、非宗教的な精神性を通じて現代の物質的な見方を変え、喜びと幸福をもたらそうとするのだ。」

『ティール組織』は、膨大な事例を集めたビジネス書であり、社会心理学の学術書でもあり、啓蒙主義や観念論など世界の知見を集めた哲学書でもある。そして宗教の対立が戦争や惨劇を生み出す現代にこそ、「非宗教的な精神性」が求められる、ということを訴えかけている。かつて日本人は大和魂天皇への忠誠といった「精神」というスローガンのもとに戦争を行ってきた。これに対する反省と罪悪感から、日本人には長らく「精神」という言葉がタブーになっていた。一方で、言葉による規約や定義が作り上げた金融社会は破綻を来し、組織社会は人間の心を疎外し、宗教の対立は戦争を生み出した。そうした時代の背景において、「非宗教的な精神性」が求められるようになったのである。

最後に、「神話」について言及されている点が興味深かったので引用する。

「神話は自民族中心主義的な「選民意識」を生み、女性への抑圧、奴隷制、戦争、環境破壊をもたらしたのだ。」

神話とは信憑性の有無ではなく、その時代の人たちが文句なしに信じ切った物語、すなわち、言葉の集大成のことを指す。資本主義や共産主義国家社会主義も、すべては神話の産物である。『ティール組織』では、神話という言葉の集大成が戦争や差別、環境破壊を生んだという。言葉よりも精神を重んじる「ティール組織」においても、組織を定義する「言葉」が必要であることはまことに皮肉である。まるでフランスの哲学者デリダが「言葉には意味がない」と、言葉で延々と説明しているようなものである。精神性は重要である。しかし、精神性を共有するには言葉という媒体が必要なのである。とはいえ、その媒体に支配されてはいけない、が『ティール組織』のいいたかったことである。

日本の組織から虐待の連鎖を断ち切ることはできるのか?
いま、地球上の資源に限りがあることや、差別や暴力、虐待の連鎖が戦争を生み出すことが世界的に認知されている。アムネスティ・インターナショナルなど欧米の団体が部族の習慣的な儀礼に対して「残酷」「暴力的」などと廃止を求める運動を端で見ていて、「民族の風習に介入するのは、それっていいのか?」と、私はかねてから思っていたが、どうもこれは、「差別や暴力、虐待の連鎖が戦争を生み出す」につながっているらしい。同様に、日本でもセクハラやパワハラという言葉がここ数十年で日常で使われるようになってきたが、組織の権力や性差を利用して力を行使することは「差別や暴力、虐待の連鎖が戦争を生み出す」につながるのである。昔は、部下の女性従業員の体に触れて「コミュニケーション」といったり、部下を密室に連れ込み叱り怒鳴りつけ「教育」とする管理職がいたものだが、これらは「差別や暴力、虐待の連鎖が戦争を生み出す」につながるので、いまはあってはいけないことである。いまの世界において、日本型の「ティール組織」とは果たしてありうるのだろうか。この点も考えさせられた。

*  *  *


スピリチュアルやオカルトは精神の探求ともいわれるが、企業の飛躍的な成長やGDPの永続的な拡大がもはや幻想になったこんにち、ビジネスの世界では、いままで真逆に位置していた「精神性」という、過去事例の反復や短期的な収益の数値化とは別次元の領域に焦点が当てられるようになったわけだ。ちなみに「ティール組織」の源流に思想を供給したユングと袂を分かったフロイトの理論構造は、上下階層をなすピラミッド型(「アンバー」)である。一方でユングの理論は、上下左右内外という複雑な構造をなすマンダラ型(「グリーン」ないし「ティール」)である。この点で、組織構造の発展と心理学の関係が見えて興味深い。

ロックやモンテスキュー、ルソーなどの啓蒙思想が世界に現れ、カントが人の心と存在の関係に扉を開き、ヘーゲルが高みに登りつめる精神性の弁証法的発展を解き明かし、フランス革命が起こり膨大な移民がアメリカ大陸に押し寄せ、マルクスが物質や環境が歴史をつくるという唯物論を唱え資本主義のあからさまな現実を暴き出し、ロシア革命が起こりボルシェビキソビエト連邦を建国し、第二次世界大戦を経て東西冷戦に突入、ベトナム戦争オイルショックベルリンの壁の崩壊による東西冷戦の終焉、リーマンショックによる貨幣経済の限界の露呈、キリスト教イスラムの宗教的対立を経て、現在にいたる。

今後、非宗教的な精神性とビジネスの融合が世界にどれだけの成果をもたらすのだろうか。そして、どれだけの幸福を世界にもたらすのだろうか。未来を考えていると、楽しみである。

◎参考図書

ケン・ウィルバーの代表作
『無境界 ~自己成長のセラピー論~』
『科学と宗教の統合』

「自主経営」の参考になる事例
『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』(ロバート・キーガン著)

トランスパーソナル心理学の入門・概論
『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学』アーノルド・ミンデル著)
『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』(アーノルド&エイミー・ミンデル著)

三津田治夫

セミナーレポート:4月25日(水)開催、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」(後編)

前編からの続き)

顧客の「課題」と「ジョブ」をあぶり出した例として、「ミルクシェイク」が取りあげられる。ミルクシェイクという一つの商品でも、顧客の置かれた状況や属性により、その意味あいはまったく異なってくる。たとえば車で通勤するビジネスパーソンにとって、渋滞時の退屈と空腹という問題を解決するために働いてくれるものがミルクシェイクである。この顧客に対してはストローを細くし粘度の高いミルクシェイクを提供することで、退屈と空腹への問題解決を同時に提供し売上を伸ばすことに成功した事例がある。

◎ミルクシェイクの物語f:id:tech-dialoge:20180511143330j:plain

また同じビジネスパーソンでも、休日には父親や母親になる。そのときには、子供にミルクシェイクを買い与える優しい親になるという、新たなジョブが発生する。ここで演じられるミルクシェイクの役割はもはや退屈と空腹への問題解決ではない。顧客は子供にミルクシェイクをさっと与え、遊びに連れて行きたい。その欲求を満たすためのジョブとして、ストローが太く、粘度の低いミルクシェイクを提供する。

◎ビジネス化までの具体的なプロセスf:id:tech-dialoge:20180511143421j:plain

イノベーションを支える3大理論の後者2つ、「リーンスタートアップ」「ジョブ理論」からもわかるように、顧客の置かれた特定の状況や本当の望みはつねに可変で、顧客を「20代男性会社員」「30代主婦」という定量的なレベルで把握することはできない、ということである。そういった文脈中では次々とアイデアを生み出すことが必然となり、それには「選別」ではなく、発見したタネから育てあげる「育成」が最も効果的である。

「ミッション」「ビジョン」という、大きな未来とそれを実現するための方法を明確化し、組織内で共有、課題解決のための仮説検証を繰り返し、タネが見つかったら市場にリリース、成長させていくというサイクルを繰り返す。これが、イノベーションの理論に則った事業の作り方である。

研修では2日間でプロトタイプ作成までを実施
最後に、産業技術大学院大学の研修の模様も紹介された。「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに掲げ書店チェーンを復興させるというストーリーで、社長によるミッションの伝達から研修がスタート。30人の生徒さんたちはその実現のために各自がやりたいことを表明した。類似の思いを持った生徒さんたちごとに5チームに分かれ、顧客の持つ現実とのギャップを未来への願望から現在の願望へと落とし込んでいくバックキャスト法を使い、顧客像をあぶり出していった。

◎研修で行われた、ビジョンとギャップの抽出f:id:tech-dialoge:20180511143516j:plain

顧客像のあぶり出しには、各班一人ずつ生徒さんに顧客役になってもらい、デプス・インタビューを実施。デプス・インタビューには慣れとコツが求められるが、「いつ?」「だれ?」「どこ?」「どう?」という、過去の事実にのみ焦点を当ててインタビューするという、基本的なポイントを学んだ。

◎ターゲットを決めてインタビューを実施f:id:tech-dialoge:20180511143602j:plain

その間にさまざまな情報が集まり、出てくるアイデアも膨大になる。それを事業に落とし込むまでには「発散と収束」により、膨大な数のアイデアをメンバーどうしで精査、現実レベルに収束させていくという作業を繰り返した。

スターバックスのビジネスモデル・キャンバスの例f:id:tech-dialoge:20180511143654j:plain

ビジネスモデルは「ビジネスモデル・キャンバス」に書き出す。それに則りプロトタイプ化し、市場にリリースする(研修ではプロトタイプ作成まで)。ビジネスモデル・キャンバスはビジネスを取り巻くさまざまな状況を簡素に体系化できるツールである。スターバックス・コーヒーを例にあげれば、安心が欲しい人に提供する場として、同社はバリスタという技能を持ったスタッフが香り高いコーヒーとおもてなしという価値を提供する。その実現のため人材育成にコストをかけ、高い商品価値を維持する。これらは一つも欠かすことができず、すべては体系をなしている。同じコーヒー・ショップでもドトール・コーヒーは真逆のビジネスモデルを持っている。これら体系の相違や類似を可視化し事業開発の羅針盤とするツールがビジネスモデル・キャンバスである。

イノベーションの理論と手法で、次々と事業が生み出される可能性は高いf:id:tech-dialoge:20180511143745j:plain

産業技術大学院大学の研修ではこのような流れで学びが続き、机上から数多くのビジネスが生み出された。その模様の詳細は以下にエントリーがあるので、こちらをごらんいただきたい。

◎セミナーレポート:2月24日(土)、産業技術大学院大学オープンキャンパスイノベーションと学びを共有(ワーク1日目)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/01/211028

◎セミナーレポート:「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに、書店復興事業のアイデアを構築(ワーク2日目・前編)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/07/220424

◎セミナーレポート:「想いが伝わる社会を実現する」をミッションに、書店復興事業のアイデアを構築(ワーク2日目・後編)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/03/09/124450

*  *  *

研修後にアップデートされた内容も含め、2日間にわたる研修のダイジェストとして「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」を終えた。いままさに進化を続ける、最新イノベーション理論の一部である。この研修の1日版も目下開発中である。研修がリリースされたころには、さらにイノベーションの理論は進化し、より使いやすくなり、事業により多くの成果が生まれているはずである。

◎参考図書
『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(クレイトン・クリステンセン著、翔泳社刊)

『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』
(クレイトン・クリステンセン、タディ・ホール、カレン・ディロン、デイビッド・ダンカン著、ハーパーコリンズ・ジャパン刊)

『リーン・スタートアップ』(エリック・リース著、日経BP社刊)

三津田治夫

セミナーレポート:4月25日(水)開催、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」(前編)

4月25日(水)、ビリーブロード株式会社神田イノベーションルームにて、「新規事業を次々と生みだせるようになる講座(基礎編)」が開催された。
このセミナーは今年の2月と3月に産業技術大学院大学で2日間延べ14時間にわたり開かれたオープンキャンパス研修のダイジェスト版としてプログラムされたものだ。

ビジネスを取り巻く「スタートアップは楽、成功は困難」という現実
スピーカーは産業技術大学院大学でも講師を務めたビリーブロード株式会社取締役小関伸明氏。
昨今、無料の高機能APIが利用できたり格安なレンタルオフィスが利用できるなど、低コストで新規事業を立ち上げる環境が整う一方で、立ち上げた事業を成功させることが日増しに困難になってきている。予測不可能で先が読めないVUCAワールドの中、企業は、顧客がなにを欲しいのかがわからない。同様に顧客自身も、なにを欲しいのかをわかっていない。テレビが4Kから8Kになろうがタウリンが1000ミリグラムから2000ミリグラムになろうが、そこから市場を動かすヒット作が生まれることはごくまれである。1970年代からバブル崩壊にかけて、数値や性能の比較において商品価値が判断された「比較の時代」は終わってしまったのだ。

◎講義をはじめる小関伸明氏f:id:tech-dialoge:20180509111713j:plainそのような価値体系の転換をいかに捉えるかという、企業にとっての、手探りの時代に突入した。社内ではアイデアコンテストが開かれるなど新規企業を後押しする体制を作ろうとするが、既存の売上規模をどのようにしてリプレイスするかが追求され、事業計画のゴールが予算や計画の遵守へとぶれ、あれもやりたいこれもやりたいで他社からの周回遅れになったりなど、さまざまな要因で新規事業の立ち上げは頓挫する。立ち上がったとしても、顧客の求めるものとのギャップが露見し事業が中止となるという、残念なケースが少なくない。このようなジレンマを解決する策として近年実績をあげてきているのが、1990年代にハーバード・ビジネススクールのクリステンセン教授が提唱した「イノベーション」の理論である。

イノベーションの理論とは、事業開発において前出の「比較」や「リプレイス」「予算や計画を守る」というキーワードからは縁遠いものだ。一言で言うと、「顧客」とそれを取り巻く「状況」に焦点を当てる事業開発の考え方だ。ここで市場といわず「状況」といったのは、市場のような従来の価値基準で可視化できるものは顧客の周囲に存在せず、そこにあるものは顧客の心理状態や生活状態など、定量化・可視化困難な内面的なものも含まれた状態であるからだ。

日本の企業でも、イノベーションの理論に則り既存のものを伸ばすことと、新しいサービスを生み出すことの双方をマネジメントして成功した事例が数々ある。顧客に最も近いメンバーに決裁権を委譲することで新しいサービスを生み出すことに成功した「はとバス」や、顧客理解を徹底することで個人売買の精神的不安を解消することに成功したメルカリなどがその代表例だ。

成功した企業はいずれも課題は顧客に、つまり、課題は現場にあるという徹底した現場主義が貫かれている点が特徴である。

イノベーションの理論を支える3つの基盤
顧客ニーズが複雑化したからこそ、顧客の中に入って顧客のためのサービスを開発していく、という考えを体系化したものがイノベーションの理論である。これは社会心理学や「もの作り」などさまざまな知見で構成されているが、理論の土台を支える大きなものとして「デザイン指向」「リーンスタートアップ」「ジョブ理論」の3つがあげられる。

◎顧客の視点で問題解決する「デザイン指向」f:id:tech-dialoge:20180509111805j:plain

「デザイン指向」では、顧客に対する観察と共感が重視される。そのために初期のターゲット設定が重要になる。事業提供者が顧客になったつもりで問題解決のアイデアからプロトタイプをつくり、リリースするという手順を追う。その名のごとくデザインの理論から出てきた発想で、プロダクト作りに向いている一方で初期に顧客が設定されていないと話が進まず、プロセスを動かすのに高い感受性とセンスが求められるなど、ハードルは決して低くない。

◎仮説検証を繰り返すリーンスタートアップf:id:tech-dialoge:20180509111848j:plain
2番目の「リーンスタートアップ」は、小さな事業の仮説検証を繰り返し、仮説に妥当性を発見できたらそこから事業を育てていく事業開発の考え方だ。アイデアは正しいのか、課題は本当にあるのか、ビジネスモデルは正しいのかを徹底検証し、ある段階でMVP(Minimum Viable Product)という実用最小限の機能を持ったプロトタイプを作成してリリースする、という作業を何度も回していく。その間の仮説に引っ張られることを防ぐために、「ミッション」と「ビジョン」の設定は最も重視される。行動の前に双方を設定することで、迷走せずに成果達成までの道のりを歩む。これは元々、リリースと修正を繰り返しながら品質を上げていくソフトウェア開発手法の「アジャイル」やトヨタ生産方式からきているスタートアップ技法で、事業開発の手法ではいま最もポピュラーである。

◎「人はドリルが欲しいのではない」の、ジョブ理論の比喩f:id:tech-dialoge:20180509111929j:plain

最後の「ジョブ理論」は、「ジョブ」というキーワードに着目したもの。「人はなんらかの問題解決のために商品やサービスを雇用する」という理論である。顧客に雇われた商品やサービスは顧客の問題解決のために働いて(ジョブ)くれる。顧客の表面的な属性や行動ではなく、全体的かつ深層的なものに光を当てることで、顧客の持つ「課題」とそれを解く「ジョブ」を緻密にあぶり出していく。そのためにはもっぱら、年齢や性別などの定量的な情報を仕入れるのではなく、一対一のデプス(深い)・インタビューから定性的な情報を掘り起こしていくという手法が用いられる。

後編に続く)

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(4) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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 本人にとっての最大の問題、結婚に関する記述が続く。
 次では、父・自分・結婚の関係を、「牢獄」という言葉で比喩している。

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 譬えてみれば、牢獄につながれているのに、逃亡の意図ばかりか--これだけならもしかすると達成できるかもしれませんが--さらにそのうえに、しかも同時に、牢獄を自分用の別荘に改造するという意図をもつようなものです。だが、逃亡すれば改造はできないし、改造していれば逃亡はできないはずです。父上にたいして独特な不幸な間柄にあるぼくが自立するためには、できうれば父上と全然無関係なことを、何かやらねばなりません。結婚は最大の行為であり、このうえない名誉にみちた自立性を与えてくれますが、しかし同時に、父上と最も密接に関係してくるのです。
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 「逃亡すれば改造はできないし、改造していれば逃亡はできない」とは、いかにもカフカっぽい表現だ。

 父親から支配された精神構造から逃避しつつ、その精神構造そのものを改造してしまおうというのは両立させることはまずできない。結婚により父親から離れ精神構造を変えていくのもよいが、結婚という行為自体が「父上と最も密接に関係してくる」のだから、これにより父親から離れることも精神構造も変えることもできない。

 従ってカフカにとって結婚にはいっさいの自由がない、「牢獄」ということである。

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 ぼくにとって結婚は、それがまさにあなたの固有の領分であるために踏み込めない、遮断されたものになってしまいます。ときおりぼくは、世界地図が拡げられて、それをおおい隠すように父上が身体を伸ばしておられる様子を想像します。ぼくの人生にとって問題になりうる地域は、あなたの身体がおおい隠していない、あるいはあなたの背丈では届かない部分だけかもしれないではありませんか。しかもそれは、ぼくが父上の巨大さについて抱いているイメージにふさわしく、ごくわずかの、あまり愉しそうではない辺境でしかなく、とりわけ結婚という沃野はそこにはないのです。
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 「あなたの固有の領分」とは、父親の"家長である"という領分を指す。
 父親が家長の模範となって家長を体現していて、父親は家長としてのおいしい部分も根こそぎ持っていってしまっている。だからカフカには家長になる気がないし、なることもできない。
 結婚という人生の問題が介入することで、カフカという個人の人格が、父親に一気に覆い隠されてしまう。

 最後に、カフカは結婚を受け入れられない理由として、次のように結論づけている。

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 ぼくの結婚にとって最大の障碍となっているものは、ぼく自身のうちにある、もはや抜きがたいひとつの確信なのです。すなわち、家庭を持つためには、ましてそれを維持するには、ぼくが父親において認めてきたすべての性質が必要なのだ、それも良い面も悪い面も全部ひっくるめて、父上のなかで渾然と融合されていたようなかたちで、絶対に必要なのだという確信です。
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 つまりカフカは、"父親になりたくない"。

 自分の父親を通して、嫌というほど"父親"を見せつけられてしまった。そうしたものに自分はなりたくない、というのがカフカの本心である。

 父親から数々の横暴を受け、また父親の人格的な屈折も目にして、「ぼくはそうなりたくないから家庭は持ちたくない」という。この点で、カフカの現実逃避であるということもいえるし、もう一つ言えることは、カフカはとても優しい人間だということ。

 親から暴行を受けた人間は、子供を持つと、多くの場合自分が受けたような暴行を子供にも与えるという。

 しかしカフカのような極度に想像力の高い人間は、「自分はそんなことごめんだよ」と、家庭を持つことを拒否する。

 最もよいのは「自分はひどい目にあったから子供には優しくしてやろう」だが、カフカ流の優しさでは「自分はひどい目にあったから自分は家庭を持たない。息子から人格を奪う父という存在にはならない。」という結論を持つにいたった。

 その優しさゆえに、『父への手紙』を読んでいて改めて感じるには、カフカはいつも「やられっぱなしのいじめられっこ」、という印象を受ける。

 作品の中でも主人公はいつもやられっぱなしである(代表作の『変身』『城』『審判』がそう)。

 『変身』を例に取れば、グレーゴルは変身したことで最後に喜びを見いだすわけでもなく、悲惨な状況に喜び浸るわけでもなく、ザムザ一家に天罰が下るわけでもなく、最後に天から救われるわけでもなく、グレーゴルはころりと死んでしまう。ただ、やられっぱなしなのだ。

 それをカフカ流のリアリズムと評する向きも多いが、私は『手紙』を何度か読んでいるうち、非常に気になる一文に突き当たった。
 次に引用する部分がそれだ。

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 母が重病にかかった折り、あなたが身を震わせて泣きながら、本箱にしがみついておられたときもそうでした。あるいは、つい最近ぼくの病気中も、あなたはそっと隣のオットラ(カフカの妹)の部屋までぼくの容体を見にきて、敷居のところに立ち止まり、ベッドのなかのぼくを覗こうと首を伸ばし、気遣いから手だけを振って挨拶なさった。こういう時、ぼくはやすらかに体を伸ばし、幸福のあまり泣きました。こうして書いている今も、再び涙がこみ上げてくるのです。......
 ......しかし、こうした優しい印象もまた、長い目で見ると、かえってぼくの咎の意識を増大させ、世界をぼくにとっていっそう不可解なものとする結果になったのでした。
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 カフカには、受け入れがたい恐怖と嫌悪を持つ暴君としての父親と、一方では、妻や息子(カフカ)の容体を気遣い、息子に涙ながらの幸福感を誘う優しい父親という、二人の父親がいる。『手紙』の中で"唯一"見られた、父親についてのポジティブな記述だ。

 このことをカフカは「世界をぼくにとっていっそう不可解なものとする結果」と自己分析しているが、私が思うのは、カフカが容易に受け入れられないこの世界に対して優しさを持って接することができたのは、父親への恐怖と嫌悪の一方に、「愛」が共存していたからではないか。

 愛憎とはこのことをいう。

 「愛の反意語は憎悪でなくて無関心」とマザーテレサが言ったように、愛と憎は反発するものではなく、同居する。

 幼児虐待を受け続けても親を加害者と思えない子供がいる。そうした子供は一生親の虐待を隠し続ける。逆に、虐待を受け続けた果てに親を殺してしまう子供もいる。
 双方の違いには、親子に「愛」があるかないか、ではないだろうか。

 父親から虐待を受け続けていたのであれば、ドストエフスキーの小説のように作品中で父親を殺したっていいではないか。しかしカフカはそうしない。

 グレーゴルを直接死に追いやったのはグレーゴルの父親が投げたリンゴの一撃だった。だからといって、父親は殺されたり、より強い力に罰せられたりということもない。

 カフカの父親への愛がそうさせた。

 かといって、作品中でもっと弱い者にやり返して復讐を遂げる、ということもカフカはしない。

 これはカフカの自己愛とともに、世界への愛や望みがそうさせたのだ(そもそも、世界に対してどこにも愛がない人間が大作家になれるはずはなかろうが......)。

 カフカはとことん冷たい作家だと私はずっと思い続けていたが、『父への手紙』を読んで初めて、カフカ流儀の愛と優しさを理解することができた。

 カフカの作品を不条理文学という面から見てみれば、カフカは現代のシステマティック(個人が意図しない、システム的)な「いじめ」を先取りした作家でもある。

 政治家のトップが弱肉強食という野生動物の原理を人間社会に当てはめようとしたり、国民に向かって自己責任という単語を使い出したりしたことで、ここ日本でもいじめが社会的に正当化されつつ(すでになっている?)ある。

 これに伴って貧富が開き、世界的な経済危機と相まって、自殺や犯罪が爆発的に増加した。生きていくだけで精一杯の貧困層だけではなく、食べるのに不自由のない者までが自殺をしたり、犯罪に手を染めたりをしている。

 人間を生かすために人間が開発したシステムが、人間を殺している。

 これは金銭という物質の問題だけではない。人がシステムに圧倒されて、人の目が愛を感じられなくなってしまったからではないだろうか。

 「カフカは天才だから独特の感受性を持っていて、その強靱な精神で過酷な環境下を強く生きていけたのだ」、という人もいるかもしれない。

 しかし私はそう思わない。人間は感受性の振り向けようで、いくらでも愛を感じることができる。これこそが人間が本能として生まれながらに持った知恵だ。

 知恵を使って世界から愛を感じれば(暴君から父子愛を感じ取ったカフカのように)、自殺をするほど追い詰められたり、嫉妬や恐怖心で犯罪に走ったりする人は減る。自分の置かれた立場で、最大のパフォーマンスを発揮し、十分に生きていく方法を発見することができる。

 カフカほど読み手により百様の解釈が許される作家はなかなかいない。娯楽小説として楽しんでもよいし、手紙と引き合わせて作家の人間性や生き方を想像しながら読んでみてもよい。その意味でも、カフカの作品は多くの人に読んでいただくことをお勧めする。

(以上『父への手紙』の本文は、新潮社版『決定版カフカ全集3』飛鷹節訳から引用)

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4回にわたってカフカ作『父への手紙』を掲載した。
このエントリーのオリジナルは、2010年9月13日からサイト『心との対話、技術との対話』(現在閉鎖)に掲載したもので、2013年に長野県丸子修学館高等学校演劇部が演じた、カフカの生涯を扱った戯曲『K』の底本として、頭木弘樹さん著の『絶望名人カフカの人生論』と共に使われることになった。

◎『K』の掲載された『季刊高校演劇』f:id:tech-dialoge:20180506164814j:plain

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『K』は、2013年8月2日~4日に長崎市で開催された「第59回全国高等学校演劇研究大会」で文化庁長官賞の優秀賞を受賞し、同8月24日、東京国立劇場において、24回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演での上演を果たした。そのときの模様は、以下YouTube動画で観ることができる。

YouTube「2013 青春舞台 長野県 丸子修学館高校」
https://youtu.be/tKt-s2lasgs

三津田治夫

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(3) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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 前回からの続き。

 職業と学問に関しては期待を持つべきではないという将来への予見を持っていたが、結婚の意義と可能性に関してはそうでなかった。なんとかなると思っていたから、カフカはたびたび結婚を試みた(が、残念ながらすべて婚約破棄の結果になる)。

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 なにしろすでに、小さな子供の頃から、学科専攻と職業については明瞭な予感をもっていたのです。ぼくは、そこから自分に救いが与えられることなど毛頭期待しませんでした。この点ではとっくに断念していました。
 これに反して、ぼくがまるで先見性をもたなかったのは、自分にとっての結婚の意義と可能性にかんしてです。
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 ここからカフカは自身の結婚観を語り出す。

 カフカは恋人と長続きせず、関係が進展したと思えば結婚寸前で毎度破談となる。

 彼の人格がそうさせたというよりも、むしろ、彼を取り巻く父親の目に見えない支配が無意識裏でそうさせていた。

 手紙では次のように書かれている。

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 父上の教育の副産物として述べたあらゆるネガティヴな力、つまり虚弱さ、自信の欠如、咎の意識などが、憤りとないまぜになって凝集して、しかもものの見事に、ぼくと結婚とをさえぎる遮断線となったのですから。
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 カフカは少しずつ、自分の結婚観と父親との関係をひもといていこうとする。

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 結婚し、家庭を築き、やがて生まれてくる子供たちをすべて迎えいれ、この不安定な世界のなかで護り、さらにはすこしだけ導いてやること--ぼくの確信するところでは、これこそひとりの人間にとって無上の成功です。
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 彼もまた社会的な結婚観、つまり家庭を築き子供を養い、引っ張っていくということに、「無上の成功」を見出している。しかしそれはできない、と彼はいう。

 この辺から結婚を巡って微妙な話になってくる。

 文脈から、カフカが父親に性的な事柄を質問したことが読み取れる。

 以下、少しわかりづらい話であるが、引用する。

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 そして父上と話すときたいていそうだったように、どもりながら、例の関心事について話しはじめました。......ところが父上は、いかにも父上らしくごく単純に受けとめ、どうすれば危険なしにその方面のことをやっていけるか、ひとつ忠告してやれるのだが、と言われただけでした。たぶんぼく自身、まさしくそういう返答を引き出したかったにちがいないのですが、そしてまたあの返答はたしかに、肉料理をはじめいろいろな御馳走で栄養過多になり、ほかに身体を使うこともなく、永久に自分のことだけにかまけている少年の性欲に応えるものだったのですが。しかしそれを聞いたぼくは、ひどく体面を傷つけられました。......
 ......それは一方では、ひとを圧倒するような率直さ、いわば太古の原始性をもっていますが、他方ではいうまでもなく、教えの内容そのものからすると、きわめて近代的な無謀さを持っています。
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 「あの返答」とは、カフカが「例の関心事」を、16歳のときにどもりながら話した際に父親から聞き出したものだ。手紙が書かれた当時の36歳からさかのぼること20年前の話になる。
 そのときの父親の発した「あの返答」が、20年来のショックになっているというのだ。

 さらに読んでみる。

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 「彼女は、どうやら選りすぐりのブラウスを着ていたらしいな。プラハユダヤの女たちは、その点はよく心得ている。それにのぼせて、おまえはもちろん結婚を決意した。......わたしにはおまえが判らんね。大の男が、それも都会暮しをしていて、行きずりの女と出会いがしらに結婚するなどという知恵しか出ないものかね。ほかにいくらでも可能性があるではないのかな? もし気遅れしているのなら、このわたしがついて行ってやってもいい」あなたはもっと詳細に、明確に話されたのですが、こまかな点まではもはや記憶していません。
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 「 」内は父親の発言だ。父親は息子が彼女と結婚したがっていることに理解を示さない。
 さらにこう続く。

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 ぼくについて従来から抱いていた総合的判断にもとづいて、このうえなく厭らしく、野卑で、滑稽なことを薦められた。
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 カフカは父親から、「結婚以外の女との関係」を勧めたことがわかる。

 文脈から察するところ、「もし気遅れしているのなら、このわたしが("商売女を買いに行くのに"、もしくは"一夜限りの愛人の獲得に")ついて行ってやってもいい」という意味に取れる。

 いままでの父親からのカフカのあしらわれ方から判断すると、「ちょっと女に惚れたからって結婚までしなくていいだろう。都会なんだからいくらでも女は手に入る。そもそもおまえに結婚など無理なんだから」という意味合いの「このうえなく厭らしく、野卑で、滑稽なこと」を父親が口にしたのは間違いない。

 この『父への手紙』が、恋人との結婚を父親に反対された直後に書かれたということからも、息子としてのカフカが得た心の傷と悲しみは計り知れないほど深いことがわかる。

 そこまで父親から言われてしまうと、カフカのいう次の記述には納得がいき、読む者は同情を隠しきれない。

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 すなわち、ぼくがあきらかに精神的結婚不能者だということです。それは現実には、結婚を決意した瞬間からもはや眠れなくなり、昼夜をたがわず頭がほてり、生きているというより、絶望してただうろついているだけ、といったかたちで現れました。こういう状態を惹きおこしたのは、いわゆる心労ではありません。......不安、虚弱、自己軽蔑などによる漠然とした抑圧がそれです。
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幼児期からとことん父親に抑圧されてきたカフカは、不安と自己軽蔑にさいなまされた「精神的結婚不能者」である。彼はそのように自虐的な評価を下している。

(全4回、次回に続く

三津田治夫