本とITを考える

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本やニュースを読みながら、ITの未来を考えていきます

善良な農民が大犯罪者に転落する数奇な人生:『ミヒャエル・コールハースの運命』(ハインリヒ・フォン・クライスト著)

f:id:tech-dialoge:20171213204523j:plain

今回な趣向を変えて、19世紀のドイツ文学を読んでみた。

妻と子供を愛する健全な農民ミヒャエル・コールハースの、数奇な人生を描いた作品。

ミヒャエル・コールハースが手塩にかけて育てた馬を連れ国を出ようとすると、国境で不当な通行税を請求される。通行税の肩代わりに馬を置き、現金を持って馬を取り返しに来ると、馬は姿を消し、無残な使役馬に使われていた。事実を探り馬を取り戻そうとミヒャエル・コールハースは妻と共に調査を続ける。交渉のために疑わしき悪徳領主のもとに乗り込んだ妻は門番からの攻撃で怪我を負い、ふとしたことから命を失ってしまう。

妻の死をきっかけに、ミヒャエル・コールハースは復讐の鬼と化す。

彼は村の農民たちを連れて、ドイツ中、悪徳領主を追跡する旅に出る。悪徳領主がかくまわれているのではないかと町々でに火をつけて回る。町では市民を扇動して軍隊を組織し、ドイツを戦火の嵐へと巻き込む。内戦の首謀者であるミヒャエル・コールハース乱暴狼藉を説得する際には大権力者であるマルチン・ルターが登場。内戦の主犯としてミヒャエル・コールハースは逮捕され、ついに彼は断頭台の露と消える。

一匹の馬がきっかけに善良な農民が戦争の鬼と化し、ドイツ中をはちゃめちゃにしてまで自分のプライドを貫徹しようとした男の、波乱以外のなにものでもない人生。歴史的な実話に基づいているという。憎悪と運命をテーマにしたドイツ文学作品というと、ロッシーニのオペラでもおなじみなシラー作『ヴィルヘルム・テル』が有名であるが、ミヒャエル・コールハースの世界に勧善懲悪はなくさらに強烈。憎悪と運命を心と必然に照射した戦いの描写がすさまじい。

運命の力に、人間の力は足下にもおよばない。運命の冷酷さを物語った見事な中編。新訳が出ると実に嬉しい。

三津田治夫

努力が花開く、黄金時代のサラリーマン文学:『ザ・ゴール』(エリヤフ・ゴールドラット著)

f:id:tech-dialoge:20171206130415j:plain

数年前ある著者さんから、「これは面白いから」と薦められて手に入れ書棚に放置されていた本を、一気に読んでみた。結論だけ言うと非常に面白く、ビジネス小説の枠組みを超えた大作であった。

舞台は1970年代を思わせる工場。著者が唱える、ToC、つまり、「ボトルネック(制約)を味方に付ける」という生産性拡大のための理論(トヨタの「カイゼン」にかなり近い)を、とある工場長の視点で面白く書き上げている。恐らく、数名の小説家と組んで書いたのではないかという、絶妙なストーリーテリング

工場を閉鎖するぞとなかば脅迫じみた上司からの宣告に戦々恐々とする工場長や、数ヶ月の奮闘でカイゼンが達成し工場長は見事出世。同時に部下も1階級ずつ出世するという、ある意味「みんなの努力が花開く、のどかな時代のサラリーマン像」が、人間模様や会社組織との関係において鮮明に描写されている。

生産性拡大の対象がロボットやプロセスであったりと「システム」にフォーカスされ、人格や属性には目を閉じている点が興味深かった。当たり前といえば当たり前だが、仕事をしくみ化しスケールさせるためには、属人化や人格、精神論による生産性の向上などはあり得ないということである。

いまとなっては工場における生産性のカイゼンは飽和状態に達しており、近年のIndustrie4.0やIoTの登場により、他社の工場どうしで生産物や情報を共有したり、低価格でプロトタイプの生産を請け負う工場や3Dプリンタの登場など、生産のパラダイムは大きく様変わりした。そうした様変わりの差異を検証するという意味でも、この『ザ・ゴール』は読むに値する。

近所の図書館でこの本を偶然見つけたところ「英米文学」の棚に置かれていた。確かに、これは文学だ。

三津田治夫

12月11日(月)に、セミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」を開催します

12月11日(月)開催の第1回分科会のテーマは「ライティング」(書く)です。

Webやblog、SNS、冊子、雑誌、書籍など、魅力的な情報を発信するために必須となる不動の技術、「書く」テクニックをお伝えします。

人に情報を伝え、行動を成果に結びつけたい、経営者・事業主・リーダーを対象にしています。

申し込みサイトはこちらです。

https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/67931

この機会に、ぜひご参集ください。

ベーシックインカムは人類にユートピアをもたらすのか? 『隷属なき道 ~AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働~』(ルトガー・ブレグマン著)を読む

f:id:tech-dialoge:20171129091931j:plain

古典を取り上げることが多い読書会で、今回の第18回目ではアクチュアルなベストセラーを初めて取り上げた。

ベーシックインカムと労働をテーマに人類のユートピアを探求する『隷属なき道』(http://amzn.asia/6pAsHxy)は、オランダの29歳の歴史学者が書き上げた意欲作だった。

ベーシックインカムというと先の選挙で公約に掲げていた某政党もあり、最近よく耳にする人も多いだろう。ベーシックインカムを簡単に説明すると、生活保護などの公的扶助として、政府が無条件に一定額を国民に一律で配るという制度。これにより、国民が新たな仕事を探したり、創造的な活動に時間を振り向けられるなど、貧富格差の是正で閉塞した社会が活性化する、という発想だ。

それがなにによって実現できるのかというと、本来は人間が生み出していた価値を将来はAIなどのテクノロジーが生み出すであろうという見立て。そこで得た余暇を人間は創造的活動に振り分けましょう、というものだ。

本文中に引用されるケインズの言葉「難しいのは、新しい考えに馴染むことではなく、古い考えから抜け出すことだ。」こそ、この本が示そうとしている大意である。

7人の参加者に囲まれた会場では、労働と貨幣という本書のテーマが非常に身近であることと、本書のそもそものテーマが問題提起であるということから、いつにも増して多様な意見が飛び交った。

まず、ベーシックインカムの導入で公的機関にとっては審査のコストが省け、国民にとっては申請の高いハードルという障壁がなくなり、従来型の生活保護などよりはメリットが多いはず、という意見は多かった。
また、最貧困層が「愚かな判断」をせずに働く手段を手にしたり、過疎地での雇用が期待できるなど、労働そのものに対するポジティブな見解も印象的だった。

一方で、テクノロジーが本当に人間に余暇と貨幣を与えるのかという懐疑論から、財源の確保は大問題という指摘もあった。実際にこの20年間でIT社会が大きく広がったが、余暇や貨幣が増加したという実感を持った人はどれだけいるのだろうか。

『隷属なき道』は、いろいろな未来を提示して読者を扇動する、一種挑発的な内容でもある。たとえば、投資家や銀行家などの金融家を、貨幣を左右に動かすだけの創造性に欠ける人たちで、彼らは「自分は稼ぎがいいのだから価値ある物を生み出しているはず」と思い込んだ属性、としている。そんなことよりも空飛ぶ自動車を開発する発明家の方がよっぽど創造性で、価値が高く、大量な貨幣を生んだこととその人の創造性の価値は別物であると断言している。極論であるとはいえ、これは著者ルトガー・ブレグマンがいいたいことの本丸であろう。

しかし、そもそもベーシックインカムという制度が日本人に受け入れられるのかという疑問には、働き者の日本人には肌が合わないという見解や、日本人は保守的だから変わることすら拒否するという見解、とはいえ日本人は「なし崩し力が高い」から知らぬうちにベーシックインカムを空気のように受け入れているのではないかと、各方面に意見が分かれた。

最後に「ユートピアは実現した途端ディストピアになる」という本質的な批判が複数から聞かれた。人権のユートピアは実現されているが経済のユートピアはいまだ実現されておらず、その意味で『隷属なき道』は経済のユートピアの青写真である。人権に関しては善悪の判断をつけやすくユートピアの定義が比較的容易だが、経済となると「豊かさ」になるので、各個人での定義にばらつきがあり、経済的ユートピアの実現は困難だ。それを実現するとなると、「これが経済的ユートピアだ」というトップからの押しつけとなり、その瞬間、ディストピアに転じる。世界史が示す実例として、旧ソビエト連邦共産主義経済がそれである。

「今、わたしたちはこれらの古い問いについて再考しなければならない。成長とは何か。進歩とは何か。より基本的には、人生を真に価値あるものにするには何なのか」

この意識が、著者の提唱する成長や価値の本質につながる、という結論である。

この本のサイドストーリーとして出版の経緯が魅力的だ。著者を囲むオランダのコミュニティから火がつき、メンバーがボランティアでオランダ語から英訳しアメリカでオンデマンド出版をしたところさらに火がつき、今度はエージェンシーの目にとまり版元からの出版となり、そこでも火がつき世界各国で翻訳されることになった。いわば出版のシンデレラストーリーである。こうした、出版の夢を示してくれたという意味でも、『隷属なき道』は価値の高い作品である。「歴史学者が書いた社会学書籍」と聞いただけでもなかなか出版のハードルが上がるが、こうした実績は嬉しい。今後はこのような経緯による出版が増えてくることは間違いないはずだ。

三津田治夫

古代ギリシャ人から学ぶ、民主主義の本質:『哲学の起源』(柄谷行人 著)

f:id:tech-dialoge:20171121092850j:plain

社会科学エッセイとして珍しくもベストセラーになった2012年の作品。

どんなふうに書かれているのか、また作者がどういった論点で語っているのか、非常に興味があり、読んでみた。

『哲学の起源』というタイトルから得た第一印象は、存在とはなにか、自分とはなにかという哲学の原始的な発生を考える本なのかなということ。しかし実はその中身、古代ギリシャアテネイオニアという、2つの都市文化の対比において、哲人や詩人の言行や他の都市文化の考察を通して解き明かすデモクラシー論。

作者は近代民主主義の問題の原点をアテネに見ており、多数の賢人を生み出したイオニアの共同体思想「イソノミア」をデモクラシーの理想としている。

アテネイオニア的な思想を受け入れながら、それを乗り越えようとした都市だった。イオニアの市民は自由で個人が自律していたが、古代ギリシャ文化の中心となったアテネでは、市民は土地や貨幣に縛られ自由度が低く、官僚的で支配的な文化に退化した。

作者が示す、アテネ的なものとイオニア的なものを、人間・システム・学問・宗教で分類すると、以下のようになる。

イソノミアとは、以下に示した「“イオニア的”なもの」に基づいた共同体思想である。

 ●「アテネ的」なもの
他人からの略奪
他人の強制的な使役
専制支配
官僚制
自然科学を軽視
人間から遊離したオリンポスの神々
超越的な神の概念
神官・祭司が権力を持つ

●「イオニア的」なもの
ソクラテスヒポクラテスピタゴラスヘロドトスホメロスなど、多数の知識人を排出
自由で平等
個人が自律
専制支配がない
官僚制がない
労働と交換によって生活することに価値を置く
勤勉に働くことを評価
物質的労働と精神的な労働の分離を否定
自然学への理解
神々によって説明していた世界の生成を「自然」から理解
天文学や数学を受け入れ、占星術は拒否
自民族中心主義ではない歴史観ヘロドトス
宗教を批判し、自然科学を評価
超越的な神の概念がない
擬人化されたオリンポスの神々を退けた
神官・祭司が権力を持たない
神は土着的で儀礼的な象徴にすぎない

作者は結論として、ソクラテスのあり方に希望を見出している。

ソクラテスは私人(個人として)であり公人(社会的な思想を語る)として、街(アゴラ)に集まる外国人や奴隷といった大衆に分け隔てなく語りかけたイソノミア的な哲人であり、コスモポリタニスト(世界市民主義者)であった。

プラトンは、僭主制国家を生み出したアテネ的なデモクラシーを一掃するために、ソクラテスの「言葉」を編集し、ソクラテスを「哲人王」のモデルに仕立て上げた。ソクラテスのような知的人物が支配する平等な共同体を、理想の国家とした。

上で「アテネイオニア的な思想を受け入れながら、それを乗り越えようとした都市だった。」と書いたが、現実アテネイオニア的な思想を乗り越えることができず、政治経済は腐敗し、それを乗り越えるにはイオニア的な思想に戻らざるを得なかった、というのが作者の見解である。

つまり現代社会におけるデモクラシーもこれに見ならい、知性や自律、自由、平等、自然科学、コスモポリタニズムの思想に目を向けましょう、というのが結論。

この結論は、ゲーテやカントが200年以上前から述べていたこととまったく変わらない。人類を取り巻く環境が日々激変しているというのに、人類そのものはたいして変わっていないという証明でもある。

作者である柄谷行人氏の(『世界史の構造』の)話の進め方を見ていると、モノの交換体系から社会を見ようとしたところにマリノフスキーのようなアプローチが見られるし、事象を構造として捉える姿勢にはレヴィ・ストロースからの影響が見られた。

こういった本は、理解できるできないにかかわらず、多くの読者に読んでもらい、考えるきっかけにしてもらいたい。なにごとにも、理解する以前に、「感じること」「考えること」が重要。とくにいまの時代、ネットでキーワード検索をかければ、あたかも知性のように見える「情報」の断片が、考えることなく、一瞬にして無料で手に入る。考えることの重要さ、知性の重要さを教えてくれた大切な一冊であった。

三津田治夫

セミナーレポート:「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」(11月11日(土)開催)

f:id:tech-dialoge:20171116132749j:plain

11月11日(土)セミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」( https://goo.gl/TbRGEj )を開催し、多くの方々にお集まりいただいた。ここでは、そのレポートをおおくりする。

参加者には、大学教授から法務関係者、Web制作会社の経営者、プログラマー、コンテンツマネージャー、サイト管理者、イラストレーター、大手企業の管理部門担当まで、多彩な職種の方々にお集まりいただいた。参加者からはさまざまな質問が飛び交い、書くこと、文章を世の中に送り出すことへの問題意識は、社会的にも高いことを痛感した。

◎セミナー資料より:「本」から見た文章の構造f:id:tech-dialoge:20171117191922j:plain

 本作りの手法をベースに、アイデア(企画)の出し方から文章の構造解説、文章の作成や校正・推敲の方法、スケジュール作成、共著・協業の方法まで、Webと紙に共通した「書く」技術の総合的な内容を、ワークも含めて2時間にわたり共有した。 

見出し付けや「文章からのノイズ除去」「字面の作り方」を学ぶ

会場からあがった声や反応から印象的だった内容をいくつかまとめてみる。

まず、「見出しワーク」を実施したこと。Webに掲載されていたある金融アナリストの文章に、「正しい見出し」を付けるというワークを実施した。

見出し付けの基本。その文章を読まずにも、見出しを読むだけで内容を類推できるものでなくてはいけない。その意味で「項」の最終段落には見出しの元となる文章が置かれている必要がある。その文章のサマリーが見出しとなる。

もう一つ会場から反応が多かったのは、「文章からのノイズ除去」である。これは編集手法の一つだが、たとえば「過去にこんなことがありました。私がロンドンに駐在していたころの話です。」という文章の「過去にこんなことがありました。」はノイズである。「駐在していたころの話」というだけで、すでに過去の話であることは自明である。

こうしたノイズ除去の作業で文章の長さが削減され、さらに、読み手の思考の文脈を乱さずに文章が読みやすくなる。そうした編集実例を見せた。

また「字面」(文字の見た目)についても参加者の関心は高かった。文章は読むものであり、また、ビジュアルとして見るものでもある。文章中に漢字が多いと字面が黒々となる。それを避ける意味でも、漢字を適宜ひらがなに直す(開く)。たとえば「物」を「もの」としたり、「何」を「なに」とするなど。これにより字面は視覚的に柔らかくなり、見やすくなる。それに伴い、読みやすくなる。

 文章の質を高めるには、「レビュー」にも効果がある

作文技術の説明の中で、文章の「レビュー」の重要性も説明した。専門性の高い文章(技術解説書など)では、書き手は専門用語や独特の文脈を持っている。専門家が読んでも普通に読める文章でも、一般人が読むと「行間が飛んでいる」ことで意味が通らないものも多々ある。そうしたことを防ぐために、文章のレビューは重要である。

文章は一般的に、中高生でも読める水準が理想とされている。可能であれば中高生に一度文章を下読みしてもらうこと。また、まったくの門外漢(たとえばプログラミングの解説文を主婦)に読んでもらうことで文章の質が高まることもある。

どんな人にどんな文章のレビューを依頼するかは重要である。また、出版やWebで文章を世に送り出す際には、レビューアーはその文章作りの貢献者として名前を謝辞などに掲載できる。これにより、「拡散」してくれるという利点も発生する。

差別表現には十分に気をつける

質疑応答では「書籍などのタイトルはどのようにつけるか?」という質問があがった。タイトルには「パロディ」や「ブーム」「かたち」という3つのパターンがある。「パロディ」では、たとえばスタンダールの『赤と黒』から加藤シゲアキの『ピンクとグレー』や、「ブーム」であれば『~力』や『~をすると~がすぐによくなる』『3つの~』など、「かたち」であれば書名としてカバーに文字を配置すると格好いいものがタイトルとして採用される、などがある。このように、タイトルには一定のフォーマットがある。

書籍やWebなどで見出しやタイトルを付ける際には、文章全体においてあってはならないものだが、差別表現に気をつけることも重要だ。昨今、差別の定義が大きく変化(LGBT、人種、宗教、疾患……)しており、そうした表現には敏感にアンテナを張り、作文時には注意を要することも説明した。

         *   *   *   *

セミナーを終えて再認識したことは、デジタル社会のいま、「書く」という行為は避けられないという点である。たとえ音声入力の技術が発達しても、「交わされる口語」と「記録される文語」の使い分けは必ず出てくる。その意味でも、記録される言葉、読まれる言葉を「書く」技術は、今後ますます求められることは間違いない。この技術の本質は、書く対象がデジタル(WebやSNSなど)であれ紙(書籍や雑誌など)であれ、まったく違わない。セミナーの参加者たちとの対話や時間・空間の共有から、それを強く感じた。文章の世界は限りなく広く、そして深い。
一人でも多く「書ける」人が増えてくることを、心から願う。

こうした学びや意識の共有の場は、これからも定期的に設けていきたい。

セミナーへの参加とご静聴、重ね重ね、ありがとうございました。

三津田治夫

情熱と実績から見る、詐欺師と英雄の境界線:『ナポレオン言行録』(オクターヴ・オブリ 著)

f:id:tech-dialoge:20171105202622j:plain

ナポレオンとは毀誉褒貶に満ちた不思議な男だ。
男の中の男とか、英雄中の英雄、軍事の天才として、歴史の中に強く記述されている。
フランス革命後、封建制からの解放を旗印にヨーロッパ中を戦渦に巻き込んだ恐ろしい人物ではあるが、一方で攻め込まれたロシアでは市民が歓喜して迎えていたり、ゲーテは同朋民族が何万人も死んでいるのに賞賛していたり、評価が真っ二つに分かれるとは、まさにナポレオンをおいてほかにはない。

いったいこの人物は世界をどう見ていたのだろうか。戦争の口実としてしばしば口にされる、「遅れた人たちを解放してやる」という熱意に燃えていたのだろうか。
この英雄が島流しにあったセントヘレナ島を調べてみると、アフリカ大陸から実に2,800kmも離れている。日本での北端宗谷岬から与那国島までにに相当する距離。八丈島佐渡島の島流しとはまったく比べものにならないスケールだ。

敗戦国の司令官だから一般的には死刑だが、ナポレオンは、「自分には言葉として歴史を残す使命があり、自らイギリス人の捕虜になって生き延びることを選択した」、と語っている通り、負け惜しみとか泣き言の一切ない(女性関係以外は)、まことに英雄らしき英雄である。

彼が晩年に残した言葉がある。

「歴史家に勇気があるならば、当然認められるべくして認められなかった私の何らかの功績を改めて認め、歴史における私の役割を正しく評価せずにはいられないであろう。しかもその歴史家の仕事は容易であろう、というのは諸々の事実が語っているからである。諸々の事実が太陽のように輝いているからである。」

「俺が歴史だぜ!」といわんばかりの言葉だ。
この語り口で戦線布告したり、自分の辞書に不可能という文字はないと部下をぐいぐい引っ張っていったわけだから、人間の持つ情熱-言葉-実績は、いつの時代にも紐ついているということを証明している。

詐欺師と英雄の境目。それは、その人の言葉に実績があるか否かに、他ならない。

三津田治夫