本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

『コンビニ人間』を読んで考えた「自分らしさ」を追求する手段としての「教養」と「感性」

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このごろよく使われるキーワードに「自分らしさ」がある。
2016年に第155回芥川賞を受賞し、その後文庫化され累計100万部を突破したベストセラー『コンビニ人間』。この作品を読んだ人は本ブログ読者にも多いはずだ。

主人公は30代半ばの独身アルバイト女性。子供のころから社会に適合しづらい行動原則を持っており、あるとき、「父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなくてはいけないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。」と自らに誓う。

こうして新しい一歩を踏み出した彼女が人生の活路として見出した仕事の場が「コンビニ」である。
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」により多くが滞りなく完結するコンビニでの作業において、彼女は充実した生活を送ることができる、という物語である。
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」で生きることは、本当に充実し、幸福なのか。
そして「自分らしい」のか。
この作品からの問いかけはさまざまな解釈が生じるが、私はそう解釈した。

「自分らしさ」を失わない人間とは誰か?
「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」とは実に奥が深い。
これを理性的で自律的にコントロールできる人間が、現代の社会人である。言い換えると、「真似」や「指示」が外部からではなく、「自己内部のもの」との同化に成功した人物こそが現代の社会人だ。

では、「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか」をしたうえで、「自分らしさ」を失わないとは、どんな人間だろうか。
私は、「自分の感性が響いている人」と考えている。

学びとは真似ること、ともいうが、自分の感性を響かせることで模倣は自分の血肉となっていく。

「誰かの指示」も自分の感性を響かせることで自己実現の意思と合致させ、自分の血肉となる。この原理で成功を収める経営者や会社員、組織人、芸術家、芸能人は多い。

「自分らしさ」を失わない理想的な人間とは、たえず「自分の感性が社会と響いている人」ともいえる。

「自分らしさ」を追求する手段としての「教養」と「感性」
現代社会は「自分らしさ」を求め社会と「感性」を響かせたいがゆえに、迷ったり、心を病んだりする人も多い。近年のキーワードに「共感」があがる点にも納得がいく。

では、「感性」とはなにによって磨かれるのだろうか。
その大きな要素は「教養」だろう。
美術館に行ったり音楽を聞いたり、茶の湯をたしなんだり、短歌をしたためたり、これらの行動で「教養」と同時に「感性」も磨かれていく。

池上彰著の『おとなの教養』や文響社の翻訳『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』がベストセラーになっているのも象徴的である。

かつては、教養を身につけることでどんな実利があるのか、教養で年収はいくら上がるのか、という声があった。その寄り戻しであろうが、実利や年収といった物質の次元ではなく、より抽象度の高いものに人々は価値を見出してきている。それが、いまの社会だ。

このブログを読んでいただいている方の多くはITに関連した人たちである。

サービスやソリューションを世の中に提供し、きわめて社会性が高い頭脳労働に従事するIT関連の人たち(エンジニアさん、デザイナーさん……)にこそ、意識的に感性を磨き、教養を身につけていただきたい。

「本」とともに教養を深め、「自分らしさ」が求められることを
近年の教養ブームは一過性ではなく、人間がより本質に近づいてきた証拠であると私は思っている。

そして、教養に最も安価で深く入り込めるツールこそが「本」である。

ちなみに、本の力でITにかかわる人たちにエネルギーを与えることをテーマに活動している「本とITを研究する会」の趣旨は、ここにある。

活動を通して「自分らしさ」を求め、感性と共感、教養の時代を、ともに楽しみながら成長していきたい。

三津田治夫

「ボヘミアン・ラプソディ」と「ゴルトベルク変奏曲」が見せてくれた、「体験」を進化させるテクノロジーの力

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映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットで、空前のクイーンブーム到来と言われている。第91回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、1月時点で累計興行収入100億4168万7580円、観客動員は727万904人に到達したそうだ。
クイーン世代の中高年に限定されず、子供からお年寄りまで、まさに老若男女を問わず感動の渦に巻き込んでいる。

私はど真ん中のクイーン世代よりは少し下で、小学生時代にクイーンの存在を意識しはじめたのはアルバム『Jazz』がリリースされたころで、まともに聴いた『The Game』がリリースされたのが中学生のとき、「レディオ・ガガ」を武道館で合唱したのは高校生のときだった。以来、35年以上クイーンを愛聴している。

クイーンとバッハの間に存在する共通点
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を11月から通算4回観て、そして新年、縁あってバッハの「ゴルトベルク変奏曲」(BWV988)を聴く機会があった。深く心を動かす双方の出会いに、思わず強烈なつながりを発見した体験をここに記しておく。

そのつながりとは、「音楽とテクノロジー」である。
ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットになったのは、シナリオや演技、細部の作りこみが大きいが、最大の要因は、その音響である。デジタル技術を総動員し、フレディ・マーキュリーのヴォーカルそっくりさんを使ってその音源を加工したものまで含まれている。テクノロジーはデジタルとアナログの境界をあいまいにし本物と偽物の境界をあいまいにするが、もはや、その偽物は「作品」にまで昇華している。そうしたデジタルの力を最大限発揮した映画が「ボヘミアン・ラプソディ」である。

もう一つ、「ボヘミアン・ラプソディ」は映画ならではの特性をフル動員した作品である。通常の上映だけでなく、ドルビー・アトモスやIMAXなどの特殊音響設備での上映(ラストの「ライブエイド」の音響が圧巻)もさることながら、「応援上映」という声出しOKの実にアナログな形態まで取り揃えている。クイーンとテクノロジーの共演は、自宅のブルーレイではまず不可能な「体験」を、この映画を通して惜しげもなく提供してくれているのだ。

そして新年、新たに出会ったのが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(BWV988)である。
クイーン同様、バッハにも心が深く動かされた。
ゴルトベルク変奏曲」はグレン・グールドの後期の録音しか聞いたことがなく、ルーテル市ヶ谷ホールで出会った演奏家の高橋望さんによる「ゴルトベルク変奏曲」は、「こんな曲だったとは……」という、心が揺さぶられる体験、まさに新たなバッハとの出会いであった。

そして、バッハとテクノロジーをつなぐものがある。それは、楽器である。
クラシックの楽器が一通りそろったのがバッハの時代である。
オルガンやチェンバロなど、その時代の古楽器をベースに、楽器は進化を遂げてきた。
バッハは作曲家として時代を画した大人物(ここでいうバッハとはJ.Sバッハで、子孫らと区別して「大バッハ」ともいう)だが、当時はオルガンの調律師としても優れた技術を持っていた。いうなれば作曲というソフトウェアの開発と、オルガンの調律というハードウェアの保守という、二つの技術的なスキルセットを備えた人物である。

クイーンは映画館とステージで表現、バッハはCDと教会で表現
ドルビー・アトモスやIMAXといった特殊な音響体験を提供する場が現代では映画館であるが、バッハの時代は教会で音響体験を提供していた。教会はいうまでもなく宗教的な設備で、集客し、コミュニケーションし、情報交換の場を提供するコミュニティである。そうした場で牧師が聖書を読み、神を語り、傾聴の体験を深めるためのツールとして、オルガンや声楽が使用された。晩年のバッハは教会専属職業音楽家で、布教という、人の心を動かす「体験」を醸成するための楽曲を多数作り上げた。その作品は楽譜という言語で記述されているからこそ、宗教という枠組みを飛び出して現代にまで形をとどめている。楽譜のライティングだけではなく、楽団のディレクションをしていたというバッハのリーダーシップも、彼の天才性を物語る能力の一つである。

バッハの曲は、実に緻密に、数学的でロジカルな楽譜で構築されている。それ故に、さまざまなアーティストがさまざまな解釈を施すことが可能であり、膨大な解釈の演奏が許されている。そして、時代が変わり楽器が進化した現代でも、バッハは演奏され、愛聴され続けている。

映画のタイトルにもなった初期クイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」は、映画の中で、クラシックをベースにした前代未聞のロックを作るのだとフレディが制作者に激しくプレゼンする場面で描かれている。「ボヘミアン・ラプソディ」はオペラの要素を交えたれっきとしたクラシック派生音楽だが、多かれ少なかれ、ほとんどの西洋音楽は、バッハやモーツアルトなど古典派クラシック音楽の作曲技法をベースに作られている。

クイーンと商業、バッハと宗教
バッハは「宗教」を背景に音楽をあまねく人に伝えてきたが、クイーンの背景に「商業」がある点にも改めて気づかされた。
かつて芸術作品は宗教という権力を背景に作られ、伝えられてきたが、いまの芸術作品は商業という権力を背景に作られ、伝えられている。ここでいう「いまの芸術作品」とは、「ボヘミアン・ラプソディ」といった商業映画や商業音楽を含めた、クリエイターが創作し商業的に流通させているものすべてを指す。

ゆえに、宗教的なものが芸術的であるとは断定できない。
商品としての芸術作品は世の中にあふれかえっている。
その意味でアップルの創業者スティーブ・ジョブズも、商業とテクノロジーを通して自分のアート作品を伝えた人物である。

現代のアートを推進する商業とテクノロジー
宗教が数々の戦争と悲劇を生み出したように、商業も同様である。資源を巡った戦争や環境破壊、商業支配による個人の自由や人権の侵害など、課題は後を絶たない。それだけ、モラルや法規制を支配した宗教や政治を飛び越え、商業は世の中を支配している。世界経済で力を持つGAFAのように、ここまで商業が権力を持った時代はいままでなかったのではなかろうか。つまり商業も宗教同様、毒にも薬にもなる。

宗教という権力を背景に芸術作品と時代を作り上げたバッハと同じく、商業という権力を背景に芸術作品と時代を作り上げたクイーンは、300年後には「クラシックアーティストの一人」として語り継がれることであろう。

そして商業を通してテクノロジーは芸術作品を進化させ、映画はVRやARのような技術を導入し、観客の体験を日々高度化させるであろう。

しかしながら最後に、バッハとクイーンの決定的なスケールの違いを示しておかなければならない。それは、クイーンを天才的なアプリケーション開発者にたとえるとするなら、バッハは何百年も使える普遍的なフレームワークを開発した天才エンジニアである。彼が残した楽譜があるからこそ、アーティストは演奏というさまざまなソフトウェアを開発し、エンドユーザー(リスナー)に提供できるのだ。クイーンのような天才の演じる一回性の音楽ではない。誰が演じてもバッハはバッハである。そうしたフレームワークを残したバッハは、偉大である。

クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」とバッハの「ゴルトベルク変奏曲」との「胸アツ」な出会いで、テクノロジーを巡ったさまざまなつながりが見えてきた次第である。

三津田治夫

バウハウスを訪ねる旅(後編) ~ライプツィッヒ~

ライプツィッヒ
バウハウスを訪ねる旅の最終目的が、この、ライプツィッヒだった。
ライプツィッヒはバウハウスにゆかりの深い街、というわけではないが、この街に住む友人の母親がバウハウス作品のコレクターであり、生家がバウハウスの建造物であるという、まれな体験を持つ人だ。
ライプツィッヒの友人を訪ね、その自宅も訪ねた。

友人の母親のガブリエーレ・シュヴァルツァーさんは1929年生まれの元医師。ヴァイマール共和国が成立したのが1919年だから、彼女の子供時代の人生と重なる。
友人も母親と同じく医療の世界で働き、現在は脳外科医をしている。

◎友人と母親のガブリエーレさん
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ドイツの統一直後、維持費があまりにもかかるという理由で、バウハウスの素晴らしいアンティーク建築を泣く泣く手放したという。

ライプツィッヒ近郊のツヴェンカウにいまでも現存する。現在はコレクターが購入し、空き家になっている。友人の案内で、ツヴェンカウの元自宅に連れて行ってもらった。

◎ツヴェンカウの友人旧宅の前で
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◎ツヴェンカウの友人旧宅の全景
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第二次世界大戦空爆でも、バルコニーの一部が破壊されただけで、「ほぼオリジナル」。ここもまたユネスコ文化遺産に登録していただきたい物件だ。

外観は正方形のサイコロ型で、元オーナーのガブリエーレさんいわく、「街の異端建築」だったらしい。簡素な住宅街に突如と現れた前衛芸術だ。

この家を建てたのがガブリエーレさんのお父様のラーベ氏で、現在でも「ラーベ氏邸」と呼ばれている。ラーベ氏も開業医を生業とし、建物の1階の半分が診療所で、その他が居住空間になっている。

非常に便利な作りだったとガブリエーレさんは当時を回想する。
たとえば、戸棚が居住空間と診療所の間の壁に備え付けられており、医療器具や薬瓶を部屋を行き来せずに受け渡しできたらしい。

残念ながら中に入ることはできなかったが、窓からは、壁面に備え付けられたオスカー・シュレンマーの彫刻を見ることができた。

ガブリエーレさんの大晦日の作業は、この作品を壁から取り外して布で磨くことだったと語る。友人からは「シュレンマーの番人」といったあだ名をつけられ、シュレンマーに関する書籍やスケッチのコレクションを多数所有している。

オスカー・シュレンマーの直筆スケッチ
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備え付けの家具や作品は家の売却と共にそのまま置いてきたのだが、部屋で使われている椅子類は、現在住んでいるマンションで使われている。これらもすべてオリジナルの作品だという。一体どのぐらいの価値があるものなのか、想像もつかない。

◎ミース・ファン・デア・ローエ作の唐椅子f:id:tech-dialoge:20190130205234j:plain

◎籐椅子に座るガブリエーレさん
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ミース・ファン・デア・ローエの籐椅子は現役で使われている。唐の造作が美しい。ガブリエーレさんいわく、すべてオリジナルで修復していない、とのこと。彼女はこの椅子に座って本を読むのが楽しみだという。

◎マルセル・ブロイアーのパイプ椅子
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マルセル・ブロイアーのパイプ椅子も現役で使われている。しかしいまや友人のタバコ置き場になっていた。

いまではごく普通にパイプ椅子というものがあるが、当時、金属のパイプを曲げて椅子にするという発想自体がまったくなかった。その発想を現実化し、工業製品化したというのが、バウハウスの活動の大きな成果だといえよう。

バウハウスの芸術思想は次の通りだ。
芸術作品が産業化に成功し大量生産されれば、作品が世の中に広く行き渡り、芸術は一部の人間のものではなく、万人のものとなる、というものだ。

◎回転式のスチール椅子。マルセル・ブロイアー(?)の作品f:id:tech-dialoge:20190130205422j:plain

また、珍しい椅子も見せてもらった。こちらもマルセル・ブロイアーの作品といっていたが、パイプ椅子ではなく、いまでも使われる回転式のスチール椅子だ。

ガブリエーレさん宅の玄関にはかつての自宅の写真がパネルに入れられてきれいに飾られている。玄関の突き当たりが本棚になっており、バウハウスを中心とした数々の芸術書が納められていた。

そもそもなんでバウハウスの建築を彼女のお父様のラーベ氏が発注したのかというと、彼の友人アドルフ・ラーディング氏がその建築家であったという。

当時としてもかなりのお金がかかっただろうし、またツヴェンカウという田舎町のど真ん中にコンクリートの四角い建物を造ろうという発想自体も当時において奇抜である。
「町でも、奇抜で場違いな建物として有名だった」と、ガブリエーレさんは回想する。

バウハウスの建築家に家を建てさせたガブリエーレさんのお父様は、さぞかし前衛的な人物だったのだろう。旧東ドイツ時代、ガブリエーレさんの仕事仲間が反ソビエトのビラを作って逮捕され、トルガウの刑務所に収容されていたという話も聞いた。ガブリエーレさん自身にもなにか、当時を生き抜いた反骨精神というか、時代に巻き込まれない確固としたなにかを感じさせる。彼女の言葉の端々からそれを感じ取ることができた。

◎ライプツィッヒのニコライ教会
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私の友人にしても、秘密警察が幅をきかせる旧東ドイツ時代に日本人の私と手紙で情報交換をしていたのだから、それはそれでまた前衛的であり反骨精神満ちている。東西ドイツ統一の前夜には、友人はニコライ教会に仲間と集まり、ライプツィッヒの街をデモで歩き回ったと当時を回想していた。この教会は旧東ドイツ民主化、東欧革命、旧共産圏崩壊へと導いた市民運動の火種となった、歴史的な教会である。

*  *  *

現代では、高級で一部の人間にしか持ちえなかったものが、日々大衆化している。
かつての書物は、寺院や教会にしかないもので、民衆が手にできるものではなかった。また、自動車も政治家や経営者など一部の階層の人間にしか持つ権利のないものだった。

貴族の趣味として宮廷で聴かれていた音楽はホールで演じられることになり、さらに大衆化し、レコードが出現してホールに行く必要がなくなり、CDの出現でさらに可搬性が高まり、デジタル化により音楽そのものの実体がなくなった。いまや音楽はエクセルのワークシートやワードの文書と同じ、単なる「データ」である。書物もまた、電子書籍の出現により「データ」に置き換わりつつある。

オペラにしても、正装してオペラハウスに出向くまでもなく、お茶の間でブルーレイ・ディスクをプレイヤーに乗せるだけでよい。

かつての高級で高貴なものはすべからく大衆化し、身近なものになった。

そうした大衆化と工業化の流れを100年近く前にいち早く捉え、アートと技術を融合させ具現化していた先進的集団が、バウハウスだった。
(終わり)

三津田治夫

バウハウスを訪ねる旅(前編) ~ヴァイマール/ベルリン/デッサウ~

今年2019年は、ヴァイマールでバウハウスが設立されてちょうど100周年。これを記念して、本サイト「本とITを研究する」にて、2011年にバウハウスを訪ね歩いた際のレポートを二度に分けてお届けする。

1世紀前のクリエイターたちが、どのような環境で現代芸術の源流と言われるバウハウスを創出したのか、思索を巡らせる材料になれば幸いである。

一言だけ、100年前のドイツはナチスドイツが政権を握る直前の、動乱の時代であったことは前置きしておく。現代の「動乱」と重ねて読んでいただけたら幸いである。

*  *  *

日常生活が芸術にあふれているとは、心を豊かにする満足感がある。
日用品に持つ喜びがあったり使う楽しみがあったら、無味乾燥な生活に潤いが出る。

日用品に芸術品の価値を与えれば、芸術品を安価に大量生産でき、世の中を芸術で満たせるのではないか。

そんな運動が20世紀の前半にドイツで起こった。
バウハウス」と呼ばれる芸術学校を中心に起こった運動で、大きなものは建造物、小さなものはコーヒーカップや調味料ケースまで、すべてがデザイン性と機能性を追求した「作品」として生産された。

バウハウスには「建築現場」という意味があり、何年もの月日をかけて建造する中世の教会建築の工房をイメージするとよい。

教会には外装を手がける石工や内装を手がけるステンドグラス職人、オルガン職人、木彫家、外装に設置する石彫装飾職人など、多種の職人が寄りあって多数の工業的要素と芸術的要素が絡み合い、建築が行われる。彼らは建築現場に設置された工房で働き、何年もかけて手作業を行う。

中世の建築現場を現代産業の現場に置き換え、芸術活動へと昇華させたものが、バウハウスである。

バウハウスには建築を専攻する学科、食器を専攻する学科、家具を専攻する学科、さらには基礎的な知識として色彩研究を専攻する学科など、多数細分化されている。

各学科の教師は、講師や教授とは呼ばれずに「親方」(マイスター)と呼ばれる。各国の第一人者がそれを請け負った。ロシア人画家のワシリー・カンディンスキーユダヤ人画家のオスカー・シュレンマー、また、パウル・クレーやミース・ファン・デア・ローエなど、数多くの著名芸術家らが親方として名を連ねていた。

いまの周囲に目を向けると、建築物や自動車、スマートフォンなど、あらゆるものにデザインがあり、かつ機能があることがわかる。こうしたものと無意識のうちにつきあっているのが現代人だ。かつては、デザインはアートの世界にあり、機能は工業の世界にあり、双方が分離して存在していた。それを統合し、体系化したのが、バウハウスである。

バウハウスは1919年、ドイツ・ヴァイマール共和国で生まれた。
バウハウスはヴァイマール、ベルリン、デッサウと校舎を転々とし、最終的には「反社会的」という名目でヒトラーに解散が強いられた。

以降、バウハウスを求めて歩いた旅の記録を、写真とともに紹介する。

ヴァイマール ~バウハウス発祥の故郷~
ヴァイマールといえば、ゲーテが晩年を過ごし、彼の親友シラーも住んだ街。フランツ・リスト音楽学校があり、バッハが過ごし、ロシアの文豪プーシキンが執筆のために滞在した文化都市だ。

国立劇場の前に建つゲーテ/シラー像

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ヴァイマールの中心地には晩年のゲーテが劇場監督を務めた国立劇場がある。その向かいには有名なゲーテ・シラー像がある。そしてその像の正面には、ヴァイマール・バウハウス美術館がある。

◎ヴァイマール・バウハウス美術館
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入り口横には映写室があり、バウハウス創始者、ヴァルター・グローピウスの生涯を記録した映画が流れている。
バウハウスの発祥地の割には小さな美術館だ。
出るときにはミュージアムショップでバウハウスの作家の手で作られた「エッグメーカー」を購入。ウィルヘルム・ヴァーゲンフェルトが作った現役の製品である。

バウハウス謹製のエッグメーカー
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ベルリン ~バウハウス第二の故郷~
ドイツの首都ベルリンのバウハウス資料館は作品にも見ごたえがある。
クリンゲルヘファー通りにあり、北に少し歩くと映画『ベルリン天使の詩』で有名な「勝利の塔」がある。

◎ベルリンのバウハウス資料館
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美術館の建造の奇抜な造作が目を引く。
館内には、建造物の模型をはじめとした、作品の展示物が多数ある。

ベルリンにはアレクサンダー広場付近に国立博物館があり、そこに行くとヴァイマール共和国時代からナチス時代に突入するまでの「ナチスの記録」が詳細に展示されている。これらの展示と絡めてみると、バウハウスの歴史背景への理解が深まるだろう。

デッサウ ~ユネスコ世界遺産の校舎が素晴らしい~
デッサウは、バウハウスの巨大な校舎が現存する街として有名。
旧東ドイツ時代、第二次大戦で爆撃を受けた校舎は放置され、見るも無惨な姿であった。東西ドイツ統一後、1996年にユネスコ世界遺産に登録され、なかば廃墟であった校舎の再建に莫大な費用が投じられた。

バウハウスの校舎
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実に美しい、機能美を感じさせるモダンな建築である。
周囲の建造物もすべてバウハウス様式に見えてしまう。

内装ももちろんバウハウスで、エレベーターホールの蛍光灯からパイプ椅子まで、すべてがバウハウスの作品だ。

◎食堂
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◎エレベーターホール
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校舎から少し歩くと、「親方」(マイスター)の官舎が並んでいる。
部屋を見るのに入場料が5ユーロと結構高めだった。

後編に続く)

三津田治夫

東京ビッグサイトで開催された「オートモーティブ ワールド2019」に参加

新年初のイベントとして、1月16日(水)から18日(金)まで東京ビッグサイトで開催された「オートモーティブ ワールド2019」に参加してきた。ハードウェアを中心にさまざまな企業が出店していた。その模様の一部を、フォトレポートとしてお届けする。

f:id:tech-dialoge:20190120205137j:plain旭化成のブースではスマートカーがお目見え 

f:id:tech-dialoge:20190120205303j:plain◎会場内を歩き回る四足歩行ロボットを取り巻く人たち 

f:id:tech-dialoge:20190120205417j:plainYAMAHAの大型無人ヘリ「FAZER R」。16リットルの農薬用タンクを2つ装備する 

f:id:tech-dialoge:20190120205521j:plain秋田県の東光鉄工株式会社の産業用大型ドローン。農薬散布に活躍 

f:id:tech-dialoge:20190120205630j:plain◎ジェネクスト株式会社のブースで展示されていたドライブレコーダーの運転判定システム。GPS情報と道路標識情報などをマッチングさせ、法規に従った運転かどうかを判定 

f:id:tech-dialoge:20190120205753j:plainクラボウの「Smartfit for work」は、肌着に身につけたセンサーで働く人の活動状態や体調を管理するシステム。右下がそのセンサー

三津田治夫

新年、あけましておめでとうございます。

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新年、あけましておめでとうございます。

今年も、新しい一年がはじまりました。
コミュニティ「本とITを研究する会」が2017年に立ち上がって一年半が経過。
運営会社の株式会社ツークンフト・ワークスは1月11日づけで起業1周年を迎え、二期目に入ろうとしています。

ここまで来られたのは、コミュニティを支えてくれたたくさんのメンバーと、株式会社ツークンフト・ワークスを支えてくれたお客様や支援者様の力にほかなりません。

この場をもって、厚くお礼を申し上げます。

今年で平成は終わり、2020年以降はオリンピックや万博の開催など、歴史的なイベントが控えています。
時代とともに、私たちを取り巻く環境は刻々と変化しています。
それと競うかのように、ITは激しい速度で進化を続けています。
欧州に目を向けると、GAFAの社会支配に対するネガティブな見解が世間を覆い、米国でも合理性を追求したシリコンバレー式経営手法に懐疑的な声が聞かれます。

これらはいずれも、極度に高度化したITがもたらした価値の副産物です。
AIの登場により人びとは哲学的なり、「人間とはなにか」を再び自問自答しはじめたことも、これに近い現象であると私は解釈しています。

時代は変転し、変化の速度は、これからも増していくことでしょう。

短期で価値観が変転するいまの社会。
先行きの見えないこの社会を、いかに生き抜くか。
こうした淡い疑問を抱きながら生きている人は多いです。
反対に、あらゆる情報や技術が世の中に行きわたり、これらを駆使してなんでもできる最高に面白い時代、ととらえる人たちもいます。
幕末の日本同様、激動の時代には、いつでも、こうした両極の人たちが世の中を占めます。

激動の時代の渦中、未来への「不安を受容」しつつ、「未来が見えないからこそ面白い」と楽しめるような人たちが語りあえる場づくりに貢献したい。

そんな思いで「本とITを研究する会」の活動を運営しつつ、日々邁進しております。

これまで、場づくりの手段として、本を書くことや読むことの「学び」、メールマガジンやWebコンテンツの発行、IT書籍制作といった「パブリッシング」を提供してまいりました。

今年も、場づくりを後押しする新しいサービスやコンテンツを開発し、より多くの情報共有と課題解決ができるよう、コミュニティと運営会社に体力をつけていく所存です。

本年もご愛顧いただけたら光栄です。

本年も皆様にとって、健康で良い一年でありますことを祈念いたします。

株式会社ツークンフト・ワークス 代表取締役 三津田治夫

読書会の記録:つかみどころのない不安がうず巻く革命前ロシアの群像劇:『かもめ』(チェーホフ著)

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某月某日、第24回を数えることになった飯田橋読書会。今回は初挑戦、ロシア文学を取り上げることになった。

チェーホフの戯曲には「中心がない」
日本人に愛読者が多いロシア文学ではあるが、しばしば「人名」が敬遠される。たとえばイワンやワーニャ、イワン・イワーノヴィッチなど、これらは同一人物を指す。愛称であったり父親の名前を敬称として付加したりなど、相手との関係性や状況に応じて呼び方が刻々と変化する。その他、通貨はもとより重量や長さの単位など度量衡が日本や欧米とまったく異なり、その点も日本人には読むことの障壁となる。

そんなハンディを覚悟で、チェーホフの名戯曲『かもめ』を読んでみた。
会場ではのっけから「戯曲は苦手」という意見が出現。理由は「いろいろな場面にいろいろな人物が出入りするので感情移入がしづらい」という。なるほど一理ある。

それにチェーホフの戯曲は、シェイクスピアのような高い抽象度や大テーマ、まとまりがない。「中心がない作品」という意見は会場からいくつか出てきて、これにもなるほどと納得した。シェイクスピアの戯曲には明確な中心があるが、チェーホフにはそれがない。言い換えると、読者は任意でどんな登場人物に感情移入してもよいし、どんな読み方をしてもよい。自由度が高いゆえに解釈が難しいのがチェーホフの戯曲だ。

興味深いところでは「80年代に流行ったテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』みたいだ」という意見。たしかにチェーホフの戯曲のさまざまな人物が入り乱れ中心がないつくりは、いまのテレビドラマにも通じるものがある。

さまざまな属性の男女が描き出す群像劇
『かもめ』は、女優のアルカージナとその息子で劇作家を目指すトレープレフ、アルカージナの愛人で人気劇作家のトリゴーリンと、トレープレフの恋人で女優の卵のニーナを中心に物語が進む。

思い通りに物事がいかなかったり、嘆いたり、悔んだりと、夢のかなわない老若男女が入り乱れ、自分のことばかりを好き勝手しゃべっている、いわば群像劇である。その間、トレープレフは自殺未遂を図ったり、ニーナがたくましく成長の意志を見せたりなど、ドラマっぽい変化は起こる。しかし劇の経過でとくに大きな事件は起こらず、話は淡々と進んでいく。

私は学生時代からチェーホフを愛読し続けてきた。舞台も何度か観た。いちばんの思い出に、大学生時代、当時京橋にセゾン劇場という西武グループが運営する大劇場があり、そこに学生向けの安価なチケットを買い、ロシアの劇団が演じる『かもめ』を観に行ったことがある。翻訳のレシーバー代も惜しみ、新潮文庫の『かもめ』の台詞を丸暗記して芝居に臨んだ。チェーホフの作品は私にとって、なぜか知らないが、読むたびに、観るたびに、心がえぐられる、いわば悪魔的な存在だ。その心理的影響の理由がよくわからないところが、この作家のつくりあげる作品の悪魔的たるゆえんである。

“毒母”を描いた悲劇としての『かもめ』
今回も、読書会の議論半ばで結論めいた意見が出てきた。また、これはまさに、私が思い描いていた『かもめ』像である。つまり『かもめ』は、「アルカージナという“毒母”を描いた悲劇」である。確かに「中心のない」劇ではあるが、私にはこの解釈が「中心」として最も腹落ちする。

その毒母ぶりを表す象徴的な台詞がある。アルカージナは愛人のトリゴーリンの作品をほめそやす一方、「あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど」と、息子のトレープレフの作品を徹底的にこき下ろす。

作品全体として、これは「愛がない」劇であるが、母子関係においてはそれがはなはだしい。アルカージナは欲深く金銭にも細かく、自分のこと以外に関心がない。彼女の態度に関し、いったいなにを目的にここまで息子を足蹴にするのかという疑問すら抱く。

そんな母子関係の中、才能を見切ったトレープレフは幕のラストで自殺する。自殺の描写は一切なく、舞台の裏からかすかに銃声が聞こえるだけ。学生時代に初めて観たとき、この演出には背筋がぞっとした。

チェーホフの戯曲にはしばしば老いに対する嘆きの言葉が出てくる。『ワーニャ伯父さん』の「僕はもう四十七だ。仮に、六十まで生きるとすると、まだあと十三年ある。長いなあ!」の台詞は有名だが、この『かもめ』においても類似の嘆きがしばしば発話される。

アルカージナの兄ソーリンが言う「司法局に二八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。」や、ソーリンに対してドールンの「六二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、--褒めた話じゃないですよ。」、トレープレフの「自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。」など、加齢や老いに対する救いのない台詞が多数登場する。

「つかみどころのない不安」をドラマ化した大作家チェーホフ
『かもめ』は決して明るい劇ではないが、皮肉なユーモアがあり、そしてロシア革命前の「のどかさ」がある。人々は村を捨てて街へと出ていく。なにかが変わろうとしている。しかしうまくいかない。それでも、「うまくいくのではないか」という小さな希望がある。人間がなにか路頭に迷っている感じもする。そんな、変革の時代の中のつかみどころのない不安を、チェーホフの戯曲は見事に描き切っている。

「つかみどころのない不安」は、いまの日本人にも重なる部分が多いと感じる。チェーホフの没後、ロシアは革命を起こし、内戦や粛清で大変な数の人間が命を落とした。「なにかが変わろうとしている」がこんな残酷な形に変わろうとは、チェーホフはすでに予想していたのかもしれない。ゆえに作家はこのような悪魔的な作品を残し続けてきたのだろう。変化に対するつかみどころのない不安は、いまも100年前も、あまり変わりがないのではないか。

三津田治夫