本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

読書会の記録:伝記文学から人生の「陰と陽」を考えた『人類の星の時間』(シュテファン・ツヴァイク著)

f:id:tech-dialoge:20190421154140j:plain

伝記文学の古典中の古典
今回は趣向を変えて、ドイツ語圏から伝記文学を取り上げました。
シュテファン・ツヴァイクといえばオーストリアの大作家で、『マリー・アントワネット』や『ジョセフ・フーシェ』はいまでも文庫で手に入り、気軽に読むことができる。
今回取り上げた『人類の星の時間』はみすず書房の単行本として手に入る、ツヴァイクの伝記アンソロジーである。1人物につき数十ページの分量でドストエフスキートルストイゲーテといった文学者、ナポレオンやスコット大佐といった偉人、サイラス・W・フィールドといった決して有名人ではないが明らかに時代に足跡を残した人物まで、各時代各ジャンルから幅広い人選がなされている。

読書会に今回参加した6人で、読後の意見を交わした。
2時間におよぶ意見交換に結論は導き出されず、あえてまとめるとすれば、ツヴァイクはすごい、塩野七生よりも面白い、深い教養に裏打ちされたレトリックの産物だ、などといったポジティブな印象論に終始した。

ツヴァイクが目撃した、歴史的な一つのプロセスが終わった瞬間
そんな議論の中で気になったのが、「『人類の星の時間』で取り上げられる評伝の切り口は、成功した人物における失敗、失敗した人物における成功、という、陰影に光を当てた点に特徴がある」という意見だった。
たしかに、処刑が恩赦され命拾いした瞬間のドストエフスキー
生活になに不自由ない大作家・大富豪が家出をして客死した瞬間のトルストイ
命がけで南極到達一番乗りを目指すがアムンゼンに先を越された瞬間のスコット大佐。
大陸間通信を実現するべくアメリカ大陸とイギリスで電線を結ぼうと失敗を何度も繰り返し、ついに通信が成功した瞬間を見たサイラス・W・フィールドなど、すべては成功と失敗という陰影の瞬間である。
いうなればこの陰影が成立した瞬間こそが、ツヴァイクが目撃した歴史的瞬間、つまり「人類の星の時間」なのである。

確かに、オリンピックの競技が始まる前は、誰もメダルを取っていない。
競技が終わったその瞬間に、メダリストが登場する。革命がはじまる前に英雄はいない。
革命が終わったその瞬間に、建国の英雄が登場する。
言い換えれば、歴史的な一つのプロセスが終わった瞬間が「人類の星の時間」だともいえる。

変化の速い現代、毎日が小さな「星の時間」の連続
このように考えると、変化の速度が恐ろしく早い現代、毎日が小さな「人類の星の時間」の積み重ねなのかもしれない。
1995年からIT関連の出版に携ってきた私は、そんな瞬間を山ほど見てきた。
Windows95が登場した瞬間、ADSLが大衆化した瞬間、iPhoneが発売された瞬間、ジョブズが死んだ瞬間……。小さな「人類の星の時間」は、数え切れないほどだ。

ツヴァイクの作品はレトリックに満ちており、書き出しの1行や、前書きの一字一句はいずれも見事なものばかりだ。
さまざまな外国語に通じたツヴァイクは、膨大な数の原文文献にあたって作品を書き上げている。

人類の星の時間』を読み終え、面白そうなので、ツヴァイク全集第9巻『デーモンとの闘争』に収録されたクライストの評伝を読んでいた。
クライストはゲーテの少し後に出てきたドイツの作家で、日本では翻訳が少なくなじみが薄いが(戯曲の『こわれ甕』が有名)、本国ではカフカにも敬愛された夭折の作家として非常に有名である。日本の作家にたとえると、中島敦に近い存在かもしれない。

そんな、日本語での情報が少ないクライストの評伝をむさぼるように読んでいた。非常におもしろく、ぐいぐいと引き込む文体で、クライストの34年という短い人生をツヴァイクは見事に活写する。

書簡や日記の大胆な切り貼りが伝記を構築することも
しかしいくつか気になった点があった。訳者の注として、ツヴァイクは原文を書き換えているという、所々の指摘が気になった。
ツヴァイクはクライストの評伝を書くためにさまざまな書簡や日記を引用しているが、それを大胆に切り貼りし、モンタージュしているらしい。
評伝とは、いささか乱暴な言い方が許されれば、時間や空間を超えて言語を切り貼りし、新しい人物像や歴史像をあぶり出す作業、ともいえる。
その切り貼りが許容される境界線が見えづらい。ともすると、評伝はねつ造になる。
私は原典に当たったわけではないのでどれだけの度合いでクライストの文章が切り貼りされたのかはわからないが、ツヴァイクはそれだけ危うい度合いで評伝にかかわっていたということが、訳者の注から読み取れた。

歴史とは歴史作家が作るものとはよくいったものだ。『マリー・アントワネット』や『ジョセフ・フーシェ』で彫像された歴史的かつ典型的な人物像はツヴァイクが作りあげた。以前の読書会で『台湾海峡』(龍應台著)を読み、なるほど歴史とは教養とレトリック(文章、文体、文脈)で作られるのだと認識した。今回ツヴァイクを読み、それを改めて認識させられた次第だ。

◎『人類の星の時間』の目次
===========================
■不滅の中への逃亡 ――太平洋の発見 1513年9月25日
ビザンチンの都を奪い取る ――1453年5月29日
■ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 ――1741年8月21日
■一と晩だけの天才 ――ラ・マルセイエーズの作曲 1792年4月25日
■ウォーターローの世界的瞬間 ――1815年6月18日のナポレオン
■マリーエンバートの悲歌 ――カルルスバートからヴァイマルへの途中のゲーテ 1823年9月5日
■エルドラード(黄金郷)の発見 ――J・A・ズーター、カリフォルニア 1848年1月
■壮烈な瞬間 ――ドストエフスキー、ペテルスブルグ、セメノフ広場 1849年12月22日
■大洋をわたった最初のことば ――サイラス・W・フィールド 1858年7月28日
■神への逃走 ――1910年10月の末、レオ・トルストイの未完成の戯曲『光闇を照らす』への一つのエピローグ(終曲)
■南極探検の闘い ――スコット大佐、90緯度 1912年1月16日
■封印列車 ――レーニン 1917年4月9日
===========================

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

趣味から美学、崇高、自然まで、スリリングで難解な論考を展開:『判断力批判』(上・下)(カント 著)

f:id:tech-dialoge:20190413095231j:plain

カントを知るには『純粋理性批判』と『実践理性批判』という巨大な山脈があるが、その最後に控えているのが『判断力批判』である。
カントの「批判シリーズ」の最終作で、遺作。

まずカントの言葉で誤解しやすいのは、「批判」の語意だ。
日本語で言う批判とは「否定」や「非難」ととられることが多いが、カントの言うそれは「精査」や「吟味」である。
状況をさまざまな方向から評価し、これがいいのではないか、あれがダメなのではないかと精査し、吟味し、判断する。
それが「批判」(クリティーク)である。

判断力批判』でカントが取り組んだ問題もまたすごい。
カントが晩年にいたって取り上げた研究題材は、人間の「趣味の問題」である。

人間には各人各様の「趣味」があり、それは個人的な趣向やセンスによって決定される。
そして、趣味の一段上にもレイヤーがある。それは、「美」という概念。
趣味とはいたって個人的なものだが、美とは、他人と共有できる趣向やセンスである。
美しい花や美しい女性、美しい景色など、たいていの美意識は他人と共有できる。

そしてさらに上のレイヤーがあり、そこには「崇高」という概念がある。
崇高とはつまり、人間の手ではなにもなしえない偉大なことであり、畏れでもある。
たとえば、巨大な滝や超新星の爆発など、人間の力を超越したエネルギーや変化を目にすることで、人々は崇高の意識を共有する。

導入部のお話は趣味から入り、美や崇高の概念の研究へと向かい、下巻では美や崇高の概念に覆い被さる「自然」についての究明に移る。

「自然」とはなにが原因で発生したのか。果たして自然とはなにかの結果であるのか。
自然とは人間を生かすための手段であるのか。あるいはその逆か。
無条件で存在する絶対存在とはあるのか。
そうした形而上学的で難解な論考が延々と続く。

下巻も終わりに近づき、ようやく読了かと読み進めていくと、最終章が「次の課題」ときた。「この男はまだ考えたいのか!」と、永遠に思考を続けるカントという人物の偉大さに脱帽し、また、驚いた。同時に嬉しくもあった。

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

セミナー・レポート:4月3日(水)、株式会社C60秋葉原オフィスで「「エンジニアのための「おとなの速読」入門講座」 ~第18回 本とITを研究する会セミナー~」が開催

4月3日(水)に株式会社C60秋葉原セミナーラウンジにて、「「エンジニアのための「おとなの速読」入門講座」 ~第18回 本とITを研究する会セミナー~」が、同社代表の谷藤賢一氏を講師として開催された。

◎株式会社C60秋葉原セミナーラウンジにて、満員の会場f:id:tech-dialoge:20190404200821j:plain

エンジニアに向けた速読のメニューを紹介した本セミナーは、満員御礼で活況を呈した。

そもそもエンジニアはたくさんの本を読み、たくさんの文章を読む。
つねに文字と接している職業が、エンジニアであるともいえる。

◎速読のトレーニングをはじめる参加者たちf:id:tech-dialoge:20190404200931j:plain

セミナーが「おとなの速読」と題するのは、元々このプログラムが子供向けに開発された「I SO(いそ)式速読」というところから発する。つまり、iSO式速読の大人版である。

参加者には、TCP/IPディープラーニング、またVue.jsを扱った正統派のIT書や、ドラッカー稲盛和夫のビジネス書の古典を持参する人など、さまざまだった。また、速読に興味を持ったきっかけが、プロジェクトマネジメントの試験だったという参加者もいた。PMBOK(ピンボック)の分厚い仕様書を読むことに非常に苦労し、そこから速読への関心が高まったという。

◎持参した本で実際に速読にチャレンジする参加者たち。真剣そのものf:id:tech-dialoge:20190404201023j:plain

速読の簡単なトレーニングをし、トレーニング前と後とで読めた文字数を計測すると、会場でも20~50%の読む速度のアップが見られた(一方で、トレーニング後に速度が低下する人もいた)。

速読のポイントとして、字面を並列に追わないこと、頭の中で音読をしないことがあげられる。
レーニングを通して文字をビジュアルとして脳の中に投影し、イマジネーションを高めることで、文字が流れるように頭の中に入り、読んだ文字から声が聞こえたり、においが嗅げたりするという効果が生まれる。会場からも、「坂道を下るように文字が読めた」「著者の声が聞こえた」「風景が見えた」「心が揺り動かされた」など、さまざまな声を聞くことができた。

◎コンビのお菓子選びにも実は無意識のうちに「速読」が使われている(人は商品名の字面を追わない)f:id:tech-dialoge:20190404201120j:plain

文字から音や匂いがというと一見怪しげに聞こえるが、これは、心理学でいう「共感覚」である。
作曲家のモーツアルトは、街の音や鳥のさえずりなど、耳に聞こえるものはすべて音符に変換され認識されていたという有名な逸話がある。それと類似の現象が、この速読の中で起こっている。

◎参加者が持参した『マスタリングTCP/IPf:id:tech-dialoge:20190404201212j:plain

◎会場には著者さんもご来場。献本をいただきましたf:id:tech-dialoge:20190411111113j:plain

速読を身につけることで、飛ばし読みをせずに、本の中身を理解しながら、大量の本や文書を読むことができる。これにより「積読」の解消はもちろんのこと、業務のマニュアルや文書、メール、Webなど、目前を通過する大量な「文字」の処理が格段と楽になる。

* * *

今回、エンジニアに向けてこのようなセミナーを開いたのは、エンジニアには仕事の文字だけではなく、文学や哲学、歴史など、たくさんの本を読み、いわゆる「余計な知識」をつけていただきたいという願いも込められている。

とくに昨今、リベラルアーツという言葉が示すように、文系・理系という分画がなくなっている。性別や人種、国境、宗教、会社組織、地方自治体という分画までもが日増しに溶解し、曖昧化している。

このような時代の中、技術でリーダーシップをとるエンジニアにこそ、たくさんの本を読み、自らの意識の境界線を取り払い、より多くの人に横断的な価値が求められるサービスを提供していただきたい。

「速読」により、一人でも多くのエンジニアに「本」が読まれることを、心から願っている。

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

駐輪場+シェアリングエコノミーの「みんちゅう」サービスが藤沢市と提携

3月28日(木)、神奈川県藤沢市役所にて、株式会社アイキューソフィアが提供するサービス「みんちゅう」が、同市と提携を結んだことが発表された。

f:id:tech-dialoge:20190329185535j:plain◎株式会社アイキューソフィアの中野里美代表取締役社長

「みんちゅう」は駐輪場にシェアリングエコノミーを導入したサービス。
過去の取材記事(「日本初の駐輪場シェアリングサービス「みんちゅう」のビジネスモデルを分析する」)があるので、詳細はこちらをごらんいただきたい。

f:id:tech-dialoge:20190329185643j:plain◎中野里美代表と鈴木恒夫藤沢市長が提携書を交換。ご当地ゆるキャラ「ふじキュン」と

プレス発表が行われた市役所庁舎では、鈴木恒夫藤沢市長と同社の中野里美代表による提携書の交換が行われた。

f:id:tech-dialoge:20190329185757j:plain藤沢駅には広重の「東海道五十三次」のレプリカが展示

「みんちゅう」サービスとして、藤沢駅の北部と南部で計200台の駐輪場が提供される。サービスの導入により「不法駐輪の一掃」を同社は目指すという。そこから派生した駅前の美化や商店街の活性化、余剰土地活用サービスなどは、「チリツモ」が山となるシェアリングエコノミーの試金石になるだろう。

これからどれだけの「山」ができあがるのか、今後の動きにも注目したい。

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

ITエンジニアの「悔いのないキャリア」の築き方とは? ~キーパーソン・インタビュー:テクノブレーン株式会社会長、能勢賢太郎氏~

AIやディープラーニングブロックチェーン、画像・音声認識技術、自然言語処理など、さまざまな要素技術が飛び交う複雑化した社会で、いま、ITエンジニアの持つべきキャリアやその考え方はどういったものか。そして、ITエンジニアが悔いのないエンジニア人生をおくるにはどうしたらよいのか。

人材スカウト事業を27年間営む、テクノブレーン株式会社会長の能勢賢太郎氏に話を伺った。

テクノブレーン株式会社会長の能勢賢太郎氏f:id:tech-dialoge:20190315121452j:plain

---- ●この事業を始めたきっかけ
はじめに入った人材スカウト会社でIT担当だったこともあり、1992年に元上司と操業しました。IT特化型の人材スカウトという業種は日本で当時としては珍しかったです。

1990年代の初頭はミニコンオフコンが流行っていました。
クライアント・サーバーから、インターネットに向かっていく、ITがワサワサしていた本当に面白い時代でした。管理工学研究所やジャストシステム、ノベルなど、元気のいい会社が多かったですね。

---- ●経営者としてITエンジニアに伝えたいこと
ITエンジニアにはいつも、「技術の波を捉えること」が大切だとお伝えしています。
社内のテクノロジーと社外のトレンドの差分をつねにウォッチするという習慣が大切です。
知らぬ間に技術トレンドに取り残されてしまうITエンジニアは多いです。
社内ばかりに目を向けているとそうなりがちです。
とくに、中高年は安定志向が強いと感じます。
社会にアンテナを張ることが大切です。

もう一つお伝えしたいのは、信念と覚悟です。
技術の変化は急速です。
知らないうちに技術のトレンドが変わっていることは多々あります。
自分はどういったエンジニアとして、どういった技術で生きるのか。
自問自答し、プロのエンジニアとして選んだ道を自覚できるようになっていただきたいです。

最後に、「自分のピークを見極めましょう」とはよくお伝えします。
エンジニアが最高に忙しいときが「ピーク」です。
そんなときには、自分のキャリアをじっくり考える余裕はありません。
多くの場合、エンジニアのピークは30代後半。
体力も知力も最高の時期です。
このときのエンジニアの売値は最も高いです。
いったん手を休め、自分のピークを見極め、一つ視点を上げて自分のキャリアを見つめなおしてください。

---- ●失敗しないキャリアづくりの考え方
キャリアづくりに「失敗しない」はありません。
むしろ失敗は学習のチャンスです。
逆に、成功は怖いです。
失敗に気づかず5年10年と時間が経過しているのは危険です。
キャリアづくりは、失敗して当たり前と思ったほうがいい。
失敗は、課題を発見できる絶好のチャンスです。

失敗を課題発見へと転換するには、自分の置かれた状況を客観的に見ることが大切です。そのためにも、情報収集してください。
情報収集には異業種との交流や専門の人材担当者との面談も有効です。

情報収集にサーチエンジン検索を使う方は多いですが、これはお勧めできません。
自分の好みにマッチした情報ばかりを取りがちで、正確な情報が得られません。
人間系の情報収集をお勧めします。
そのうえで、自分なりのキャリアづくりの選択肢を持てるようになっていただきたいです。 

f:id:tech-dialoge:20190315121539j:plain

---- ●キャリアプランとライフプランの正しい見方・作り方のヒント
エンジニアにとってキャリアプランとライフプランは表裏一体です。
それをふまえたうえで自覚していただきたいのは、「技術は消滅する」です。
1980年代、世界一だった日本の半導体産業は一瞬にして消滅しました。
世界中の誰もが、日本の半導体産業を崩せる国はないと思っていました。
それが一瞬です。
これはいまのソフトウェア産業とまったく類似していますね。
昔は中国やベトナムが日本のオフショア開発先でしたから。
いまでは単価が上がり、その逆です。
ベトナムが日本に発注している時代です。

テクノロジーは根底から変わるものです。
今日のことが明日も続くことは、テクノロジーの世界にはまずありません。
テクノロジーの変転を受容し、その道のプロとしてあえて斜陽産業に身を置く判断もありです。
そうした覚悟があるか否かが、エンジニアとして納得した仕事が続けられるかを決めます。

日本の半導体産業は他国に崩されたとはいえ、大手メーカーで半導体はまだ小さく生産されています。そうした現場でプロとして覚悟し生き残ることも、一つの選択肢です。
COBOLのエンジニアにも突出した技術を持つ人への需要はまだあります。
これらは極端な例ですが、エンジニアが決めるべき覚悟の、わかりやすい例です。
そのためにも繰り返しますが、情報収集は大切にしてください。

企業側にも、技術に対してどういった思いでエンジニアを採りたいのか、明確にしていただきたいです。人事部の採用告知だけでは、担当部署の長がどういった思いでエンジニアを採用したいのかまではわかりません。だから私は、その本心を、採用部署に出向いてヒアリングします。

エンジニア側にも、キャリアに対する自覚を高めていただきたい。
自分がどういった思いでエンジニアリングに向き合っているのか、自問自答してください。

企業の数だけ技術への思いはあります。
ですがそれがエンジニアに伝わっていないケースが多い。
企業とエンジニアの双方が、自らのエンジニアリングへの思いを明確にしていただきたいです。
エンジニアは、自分の思いを受け止めてくれる会社で働いてください。
企業は、自社の思いを受け止めてくれるエンジニアを採用してください。
これが互いにとっての最高の幸福です。
互いの思いが結びつくことは、転職マッチングではまず不可能です。
エンジニアリングに対する互いの思いを深め、気づきのきっかけを与えるのが、私たちの役割です。

---- ●近年のエンジニアに求められるスキルの傾向
エンジニアに対する高い技術への企業の要求は年々高まっています。
たとえば、AIやブロックチェーンの技術を扱うには、数学の知識が必須です。
私たちが企業からのリクエストに応じ、エンジニアさんにお声がけする際には、学術論文や講演内容を精査することも増えてきました。そのうえで、リクエストに近いスキルを持ったエンジニアさんにお声がけしています。
最近は理系の大学院生に人気が高い傾向があります。
高い技術への要求の高まりがこうした形で顕在化しています。

---- ●理想とするエンジニアのキャリア
エンジニアのキャリアに特定の理想はありません。
「この要素技術を手にすれば業界で生き残れる」という公式もまずない。
半導体をはじめ、消え去っていく技術をまのあたりに見てきました。
技術の流れは誰にもわかりません。
社内外の情報を丹念に収集し、その情報をもとに、考える癖をつけてください。
エンジニアごとに、キャリアは千差万別です。
エンジニアとしてどう働き、生きるかを考えることで、自分個人の理想を見つけてください。

      * * *

能勢会長とのインタビューで印象に残っているのは、エンジニアのキャリアにセオリーや理想はなく、千差万別。エンジニアの数だけキャリアがある、という言葉だった。それゆえに考えること、自問自答をすることが大切だと強調されていた。

だからこそ、エンジニアには「本」を読んでもらいたい。本は自問自答を促す最高のツールである。2000円も払えばビジネス書は手に入る。文庫本なら1000円もあれば手に入る。納得がいく最高のキャリア構築のためにも、エンジニアには、実用書でも歴史書でも文学でも哲学でも詩でもなんでもよい。自分の心を動かし、自問自答を促す、自分だけの書物と数多く出会っていただきたい。

聞き手:本とITを研究する会 三津田治夫
 

f:id:tech-dialoge:20190315121755j:plain

◎キーパーソン略歴
能勢賢太郎(のせけんたろう)
テクノブレーン株式会社会長。
1960年 パリ祭の日東京に生まれる。
大学卒業後、大手証券会社に入社し、バブル絶頂を迎える1988年に同社を退職。
日本で老舗の人材紹介会社へ転職し、ハイテク、金融、不動産業界を担当する。
1992年 平成不況真っ只中、テクノブレーン設立とともに入社。
2005年1月 同社代表取締役社長に就任。
2019年3月 同社会長に就任。
企業のコンサルティングを担当。
クライアントに対して採用戦略を立案・提案し、研修やセミナーなどを企画・運営する。
また、新規開拓の営業活動や広告代理業も行う。

テクノブレーン株式会社
https://www.techno-brain.co.jp/


 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

読書会の記録:AIやロボットなど「生命を模倣したもの」が多い現代が見えてくるフィールドワーク:『忘れられた日本人』(岩波文庫、宮本常一著)

f:id:tech-dialoge:20190309190450j:plain

宮本常一氏が長年のフィールドワークで獲得した「忘れられた日本人像」をまとめあげた渾身のルポタージュ。

1960年刊。半世紀以上前ですでに「忘れられた日本人」であるから、取材される人物は幕末や明治初期を生きた古い人物たちだ。
そのころ日本人は現在とはかなり異なった行動規範で生活を送っていた。
たとえば、社会的責任から解放された長老が共同体の決定権を握る年齢階梯制度があった。
女性たちが猥談をしながら精を出す農作業の風景。
若い女性が一人旅に出て人生を経験する物語。
文字よりもコトバで語られるものが重要な時代。
コトバを重んじる人ほど時間を気にする逸話、など。

盲目の老牛飼いが女性遍歴を語る「土佐源氏」が白眉
読んでいて感じたのは、盲目の老牛飼いが女性遍歴を語る「土佐源氏」や、夜這いの話など、エロ話が多い点だ。
しかもそれらは自然に語られている。

娘の結婚という「おめでたいこと」につながると、両親は夜這いに目をつぶる。
猥談をしながら農作業に精を出す女性たちにも、これに通底するものがある。
つまり、夜這いを通じた結婚による家族の形成、猥談がエネルギーを与える農作物の生産という、「生命そのものの生産」である。

生命の生産とエロティシズムには親和性が高い。
むしろ、エロティシズムそれ自体である。
近代化と共に生命の生産の場とエロティシズムが完全に分離され、エロティシズムは社会的統制の対象となった。
女性が屋外で猥談に興じることはないし、両親公認の夜這いがきっかけで結婚が成立するカップルもいない。
言い換えれば、農業など「生命そのものの生産」が、日本の産業のメインステージからおろされた。

エロティシズムが社会の表舞台にあった古き日本
いまではAIやロボットといった、「生命を模倣したものの生産」の時代である。
ゆえにエロティシズムは社会の裏舞台へと追いやられたともいえる。

今回の読書会では我々男3名に加え、妙齢の女性2名が参加。
猥談盛りだくさんなこの本がどう読まれるているのか、その反応にちょっとどきどきしたが、皆様大人で、「土佐源氏」などを冷静に談じていた。
自由闊達な議論が繰り広げられた印象的な読書会だった。

以下、『忘れられた日本人』からの私なりの走り書きをまとめてみた。

========================
・近代化により、制度が人間を支配する社会になった。
・家族制や、男女の性的関係(家族制の元となる)がかなり緩かった時代の日本。
・女性は本来自由だった(上記と関連)。
・近代化における「制度」のもとで、性的な社会的制約を設け、家族制を守り、国家を守るという、近代社会の黎明期が記された作品。
・万人が「コトバ」を持つ時代への過渡期が描かれている。
・本来、コトバは恐怖であり、武器であった。
・その意味で現代社会に生きる日本人たちの「心身の自由」は、どこにあるのか? どのように見出せばよいのか?
========================

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain

反骨大河文学を通してインドネシアを深く理解:『人間の大地』(上・下)(プラムディヤ・アナンタトゥール著)

f:id:tech-dialoge:20190301184516j:plain

東南アジアでは日本から最も遠く、また、国土面積が最も大きな国インドネシアは、ビジネスや観光やで日本とは盛んな交流関係にある。
文学の楽しみとは、その場にいながら文字情報だけで、脳内で時間や空間を移動できることだ。
今回はインドネシア現代文学の大家の作品からお届けする。

1898年~1918年までのオランダ植民地時代のインドネシアを舞台にした全4部をなす大河小説の一部。
作品は、日本にはない文学ジャンル、「ニャイ小説」といわれる。
ニャイとは日本語で「現地妻」と訳される。
オランダ人など白人がインドネシア女性を愛人にし、現地に家族を構える。その愛人を、ニャイという。『人間の大地』は、ニャイ・オントロソを主人公とした大河文学の一部である。

いわばインドネシア版『女の一生』もしくは『ブッデンブローク家の人々』。おそらく作者は、これらの作品にインスパイアされて筆を執っているはず。インドネシア文学はヨーロッパ文学に強く影響を受けている。その意味で明治の日本文学と似ているかもしれない。

前半はカフカの『失踪者』を彷彿させるインテリ少年ミンケの活動とニャイ・オントロソとの出会い。後半はミンケとニャイ・オントロソの美貌の娘アンネリースとの恋愛と、ニャイ・オントロソの告白である。
ニャイ・オントロソは、オランダ人の夫ヘルマン・メレマとの独立した関係を手にするため努力を続け、高い教養と判断力で農場経営から資産管理までを女手一つで切り盛りし、娘と息子を育て上げる。

ニャイ・オントロソは生い立ちを告白する。彼女はインドネシア人を両親に持つプリブミ(現地人)で、父親は公務員だった。父親の職場の上司はオランダ人で、職場での昇進と引き替えに、父親は娘(ニャイ・オントロソ)をオランダ人上司に愛人として提出する。そのオランダ人上司がヘルマン・メレマである。両親への信頼と夫婦愛が損失した世界に投げ出されたニャイ・オントロソは、現地妻の「買われた奴隷」としての人生をひたむきに生きる。

ヘルマン・メレマは娼婦に入れあげて突然蒸発し、あるとき娼館で薬物中毒で死んでいる姿が見つかった。そこにヘルマン・メレマの息子を自称する男がオランダから現れ、ニャイ・オントロソの生活が激変する。実の息子であるという彼はニャイ・オントロソの運営する農場の所有権を主張し、一人娘のアンネリースまでオランダに連れていってしまう。法律も人権もなにもない植民地社会に、ミンケは、「ヨーロッパ文化の実体」を直視する。

ニャイ・オントロソの息子も娼館通いで日本人娼婦のマイコから梅毒を移されたり、ミンケの親友のフランス人家具職人ジャン・マレは元アチェ戦争の兵士で片足がなかったりなどのエピソードも交え、ニャイ・オントロソとミンケを中心に、植民地社会にうごめく人々の姿や意識の流れが見事に描かれている。

著者のプラムディヤ・アナンタトゥールはインドネシア革命で投獄され、流刑の島ブル島の監獄で1975年本作品を書き上げた、いわば反骨の文学。
原題はBumi Manusia。版元は「めこん」。1978年の作品。

三津田治夫

 

当ブログ運営会社

f:id:tech-dialoge:20190320130854j:plain