本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

2月24日(水)、プロジェクト「知活人」のWebサイト・ローンチイベント、無事終了

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2月24日(水)、プロジェクト「知活人」のWebサイト・ローンチイベント、無事終了しました。

http://www.chi-iki-jin.jp/

皆様お忙しい中、活発な意見交換とともに、たくさんのご参加を、ありがとうございました!
また、たくさんの祝辞もいただき、深謝いたします。
今後とも引き続き、なにとぞ、よろしくお願いいたします。

三津田治夫

ウィズ・コロナの物流から見えてきた、仕事・価値・「個」の本質【第1部】 ~キーパーソン・インタビュー:エルテックラボ代表、菊田一郎氏~

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< 第1部:自動化とAI、ジャーナリストとしての来歴 >
 

2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により、世界はまれにみる大混乱に陥った。
緊急事態宣言やリモートワークの導入により街から人が消え、店舗は時短営業を余儀なくされ、閉店が相次ぎ、日常が一変した。
ヨーロッパでは都市のロックダウンや海峡の封鎖が行われ、アメリカでも市民の暴動などの混乱が起こった。
これにより人とモノの移動・接触という日常生活の行動に制約がかかり、経済活動は大きな打撃を受けた。
この顕著な打撃に、人とモノの移動をつかさどる産業、物流の世界も襲われた。
そんな中、外出に制約がかかった分、私たちの物流への依存度はさらに高まった。
コロナ禍による経済停滞の中、物流の世界を通し、仕事やお金、生き方をめぐるさまざまな本質があぶり出されてきた。

今回は、エルテックラボ・物流テック研究室代表のジャーナリスト、菊田一郎氏をお招きし、「ウィズ・コロナの物流から見えてきた仕事・価値・「個」の本質」をテーマに、3部に分けてお話を聞かせていただいた。

自動化は人間から「尊厳ある仕事」を奪うのか? 

(聞きて:本とITを研究する会 三津田治夫 ……以下(三))

 (三)
新型コロナウイルスの影響で社会は一変しました。
先日、私が主宰しているコミュニティのリモートディスカッションに参加してくださった、ホームレス支援をされている方の話が印象的でした。
炊き出しをしていると、今まで見たことがないような人が来るようになった、と。
スーツを着ている人や家族連れといった、前日まで一般的な生活をしていたとしか考えられないような人がやって来る。
世の中は本当に激変してしまったのだ、と再認識させられました。

菊田さんは世の中の変化を物流の視点から長年見られてきたと思うのですが。
今回はこれまでに見たこともないくらいすごい、ということでしょうか。

(キーパーソン:エルテックラボ代表 菊田一郎 ……以下(菊))

(菊)
そうですね。
コロナ禍で仕事がなくなった人もいらっしゃって大変だと思うのですが、物流業界は以前からずっと人手不足が続いていたので、時給は上がっていたんです。
ドライバーの時給も上げないと来てくれない、とくに繁忙期は。だから大問題になっていたんです。 
去年(2019年)だったか。
北海道で時給を上げてもフォークリフトを運転する人が集まらない現場がありました。
これに関係者はみんな、かなりの危機感を持ちました。
北海道ではじゃがいもなど農産物の収穫ピークになると、そちらの時給のほうが高くなるんです。
フォークリフトオペレーターは農業のほうにいってしまうので、物流に人が集まらなかったという状況がありました。
そういうこともあって、日通さんは無人フォークリフトを導入していました。
コストは5年でペイできるかどうかと話していましたが、そうでもしないと現場が回せない。
そこまで追い詰められていたんです。
今はコロナ禍で人の需給も緩み、一時的に危機的状況ではなくなっています。
しかしコロナが収束すると、総労働人口が減る中でも、まだしばらくは人手不足が続くでしょう。

この数年、そうした物流現場の危機的な人手不足感から、どんどん仕事の「自動化」が進んできました。
たとえば、「歩かない・考えない・探さない」ピッキング※注1)の仕組みが代表的なものでしょう。
それを今、DX(※注2)や物流自動化の流れで、多くの企業が一生懸命取り組んでいます。
この仕組みがあれば、確かに誰でもできる、今日来た人でもすぐできるようになります。
そのような流れは、働かせる方にとっては好都合でしょう。バイトだっていつ辞めるかわからない。
しかしここに問題があると私は思います。
「誰にでもできる」のだから、近い将来、自動化による省人化と労働人口の減少で人手不足が解消されたそのとき、「誰にでもできる」仕事の給料は、間違いなく下がります。
雇い主側にしてみれば好都合と思うかもしれないが、非正規労働者の給料が下がり続ければ、結局は彼らの製品やサービスを買ってくれる市場が縮小することになります。
人口縮小に輪をかけて、市場が収縮してしまう。
それはまずいのではないか、ということです。

(三)
そこでベーシックインカム※注3)などの議論につながるということでしょうか。

(菊)
欧米ではそういった危機感があるので、ベーシックインカムの議論がすでに出ていますね。
2019年ノーベル経済学賞のアビジット・V・バナジー※注4)&エステル・デュフロ夫妻(※注5)は、ベーシックインカム導入を推奨しています。
それに対してジョセフ・スティグリッツ※注6)はその議論に触れながら、反対の立場に立っています。
私もスティグリッツに賛成です。
ベーシックインカムがあれば仕事をしなくても、とりあえず最低限の収入が入ってくる。
その上で、空いた時間はもっと文化的な生活をすればいいのではないかと、デュフロ夫妻は言っています。
ですが、それは少し違うんじゃないかと私は思います。

人は働くことによって社会に参加し、貢献する。
わたくしの働きが世の中のためになっているという自覚が生まれる。
そしてそれが生きがい、働く喜び、人間の尊厳に結びつく。
生産的なことはなにもしなくていいよという状況について、「それで人は充実できるのか?」という疑問を私はぬぐえません。
あからさまなベーシックインカム自体には、賛成しかねます。
たとえば、スティグリッツは、街の清掃をはじめ、公共がそういう仕事をつくるべきだと言っています。
私も社会に役立つ仕事を見つけ、みんなで取り組む方向を支持します。

AIはどこまで信じてよいのか?

(三)
ところで、仕事の自動化に関し、近年はAIが大きな影響力を持っていますよね。
仕事において、人や心よりも、情報やAIの存在感が日増しに上位にきているように思えます。

(菊)
ある意味そうですね。
ビッグデータを分析すればすべてが分かる、というような風潮になっているので。

(三)
物流の世界では、量子コンピュータ最適化問題解決も含めてかなり進んでいますが、AIについて、その点はいかがでしょうか。

(菊)
AIについては、言いたいことはたくさんあります。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を書かれた新井紀子さんのウェビナーを聞きましたが、彼女は「結局AIって人間がつくるんですよ、全部」と言っています。
データの重みづけを全て人間が判断して、それを何重にも積み重ねる。
さらに碁の対戦マップを読ませたりといったプラスの経験をさせて、特定の知能だけを肥大化させていくのです。
たとえば、彼女たちが開発したAI「東大君」は何万単位もの問題を解かせて、東大の入試の正しい答えを見つけることだけに特化したものです。
それも人間が教師データを選び、重みづけをしたうえで、膨大なデータを全てインプットして判断させています。
だから、新井さんは「AIが人間を越えられるわけがない」と言っている。
しかも特定の、数人の判断というバイアスがかかったデータベースによって、アルゴリズムが構築されます。

私も一時期シンギュラリタリアンになりかかりましたが、少なくとも今の仕組みでは全方位的な知力・知識と使命感、暖かい感情を持つ人間を超えることはできない。
構造的に、数学的に、現在のAIは少なくともとてもそんなレベルではない。
ですが、AIにはあることに特化した能力があります。
たとえば、不動産や融資の判断、倒産確率の推定など特化したテーマでは十二分に利用価値があります。

これによって「いらなくなる人」が出てくるのは明らかです。
事務系の人、銀行員なんて本当に危ない。
だから、AIを夢物語のように信仰するのはあまりにも無邪気である一方、使いようによってはとても有効で、部分部分では軽く人を凌駕していくでしょう。
とくに先ほど言われた量子コンピュータを使った最適化問題解決。
セールスマンが30件のお客さんをどう訪問するのが最も効率的か、といったようなことですね。
それは物流の配送ルート最適化と同じです。

物流分野でほかにも、需要予測において期待ができます。
たとえば気象データなどのさまざまなビッグデータとリンクすることで、AIが物流で活きる分野は当然あります。
気温データと地域のイベント情報の連携などで、AIの活躍には期待しています。

(三)
そうしたリンク可能なビックデータは、大手コンビニチェーンなんかも持っていますよね。

(菊)
あとは「AIの判断がなぜこうなったかのかが分からない」というブラックボックス化の課題があります。
これは怖いです。

旧名「バトラー」という、有名なインドのグレイオレンジ社が作ったニトリなどが導入している物流ロボット「レンジャーGTP」があります。
Amazonでも使われているタイプの、棚を持ってくるロボットです。

あれもAIが順次、自分の動きをどんどん改良していくんです。
でも学習により動きが変わっていくとき、「なぜこれがこう変わったのか」は人間には分からない。
とくにユーザーには全然分からない。

もしそれが人に関わることだとしたら、とても危険です。
最近では人事面接、採用の面でもAIが導入されていますが、「なぜこの人を選んだのか」が分からない。
ソフトウェアを作り込んだ人間の好き嫌いが反映されているんですよね。
男性を優位にするとか、若い人でないと嫌だとか。
AIにそういう好みが反映されることになってしまう。

NECの遠藤信博取締役会長は、ホワイトボックス化することが重要だとよく言っていますが、なぜAIがこういう判断をしたのかが分かる仕組み作りに取り組まれているそうです。
分野によっては、AIのホワイトボックス化は絶対必要だと思っています。
人間に関することであれば、差別的なことにつながりかねません。
AIへの過信は危険です。

ジャーナリストとしての基盤をつくった、働く庶民との対話

(三)
今日はテーマのひとつとして、人間・菊田さんご自身のことをお聞かせいただきたいです。
なぜ物流の世界でジャーナリストとして活動をされているのか。
なぜこういう視点をお持ちなのか。
可能な範囲で結構ですので、お聞かせいただけないでしょうか。

(菊)
私は親父が銀行員で、当時の一億総中流のなかで生きてきました。
育ちは犬山。大学は名古屋で少し離れていて。
名古屋から地下鉄で本山駅まで行って、大学まで歩いて20分。片道1時間半かかっていました。
4年生のはじめまでは実家から通っていたのですが、「俺はこのまま家にいて親に縛られて養われていたらダメになる」と思って、家を飛び出しました。
親には前日まで何もいわず、リッチな友達に20万円借りて安アパートに契約。
それで「俺、自活するから」って、家を出たんです。

せっかく大学に入ったんだからちゃんと学問して、自分で働いて自分で食うんだって始めたんですけどね。
自分で食うためには週に3日以上働かないといけなくて、勉強できないんですよ。
そこでもう完全に壁にぶちあたって。
そうこうしてるうちに、3年後に結婚することになる家内と付き合いだして。下宿先のすぐ近くにいたんでね。

(三)
大学を卒業してすぐに結婚されたんですか。

(菊)
僕はちょっと留年をしましてね。いわゆるモラトリアム。
このまま社会に出ても俺はダメだ。なんとか自分で道を見つけるんだ、といった感じで。
小説を書いてみたり、作曲してみたりして。
でもちゃんと卒業しなきゃダメだと、当時家内が言ってくれましてね。
これは今でも感謝しないといけないのですが、それで、無理やり卒業しようと決意したんです。

でもすでに秋、就職戦線は終盤を迎えていた。自分でできることは書くことくらいしかなかったので、「ルポライター募集」という新聞広告を見てその会社に飛び込んだんです。
その時の経験が今の私のひとつのかたちになっています。
商店主や中小経営者のところに「取材に行きますから」とアポイントをとる。
お話を聞いて「素晴らしいお話をありがとうございました」って言いながら、「じゃぁ4万円です」って(笑)。
記事掲載でお金とるんです。
美容院のお姉さんとか、町工場の社長とか。
し尿採取業のおじいちゃんからは、「人がやらない仕事をやってそれで俺はお金を儲けたんだ」って話を聞いたり。

(三)
まさしく商いの街でのお仕事ですね。

(菊)
その会社の名古屋支店はすぐ閉鎖になっちゃって、東京本社から大阪に半年間飛ばされるんです。
1日に5件、6件行かされて、通信費交通費は全部自分もち。
ほんとにブラック。超ブラック企業(笑)。
歩合制だから、記事がとれなかったら月給は最低賃金法適用の8万円でした。

取材ではそうした庶民の人たちの頑張った話をいろいろと聞くわけです。
「いろんな人に支えられてね……」って。その話を30分とか40分とか聞くんです。
で、その人が取り止めもなく話したことを一応記事みたいにして、その場で僕がまとめてしゃべる。
そうするとすごく感動してくれるんです。
ちゃんとツボにはまったことを聞けていたときは本当に感動してくれて、4万円でも8万円でも出してくれたんですね。

(三)
その場で記事を書いて読み上げるのですか?

(菊)
メモだけを頼りにアドリブで読み上げるんです。
記事は帰ってから、時間外手当とか一切なく、自分で書くんです。
それで鍛えられたのと、庶民の生き様を聞けたというのは、私のひとつの原点になっています。

(三)
働く人の目線は、この時期に築かれたのですね。

(菊)
泥沼をはいずりまわるような時期で、それで8万円ですから。
大阪時代なんか、じゃりン子チエ※注7)みたいなアパートの2階の一部屋で、3人が雑魚寝するところで記事を書くんです。
いちばん厳しい何週間か、食事は1日に食パン1斤。
朝食に2枚、昼用に会社のトースターで2枚焼いて持って出かけて外で食べる。夜は残った2枚をまた食べる。

(三)
ご自分でそういう体験をされてきたとなると、今の非正規雇用などを見ていると感じることがありますよね。

(菊)
他人事じゃない、という思いはありますよね。

(第2部につづく)
 

< 語句解説 >

◎注1: ピッキング
伝票や出荷指示書に基づいて、保管されている商品を取り出す作業のこと。

◎注2: DX(デジタルトランスフォーメーション)
企業がデータとデジタル技術を活用して組織やビジネスモデルを変革し、価値提供の方法を変えること。
今の時代に即した新しいIT化、デジタル技術を駆使した事業改革を意味する。

◎注3: べーシックインカム
政府が最低限所得保障という形で、一定の現金を定期的に支給する政策。社会保障のより拡張した形態。

◎注4: アビジット・V・バナジー(Abhijit Vinayak Banerjee、1961年~)
インド人経済学者。マサチューセッツ工科大学教授(フォード財団国際教授)。
2003年にアブドゥル・ラティフ・ジャミール貧困アクションラボ(J-PAL)をエスター・デュフロらと共同で創設。貧困行動革新団体の研究アフィリエイト、および金融システムと貧困に関するコンソーシアムのメンバー。
2019年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注5: エスター・デュフロ(Esther Duflo、1972年~)
フランス人経済学者。マサチューセッツ工科大学教授。貧困問題と開発経済学を担当。
専門は、開発途上国におけるミクロ開発経済学
2019年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注6: ジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph Eugene Stiglitz、1943年~)
アメリカの経済学者。コロンビア大学教授。IMFの経済政策を厳しく批判している。
『世界の99%を貧困にする経済』は日本でもベストセラーになった。
2001年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注7: 『じゃりン子チエ
はるき悦巳原作の人情コメディ漫画。1978年発表。双葉社刊。
大阪市西成を舞台に、ホルモン焼き屋を切り盛りする女の子・チエと彼女を取り巻く個性豊かな人々の生活を描いている。


*     *     *

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◎キーパーソン略歴:菊田 一郎(きくた いちろう)
L-Tech Lab(エルテックラボ)代表。1982年、名古屋大学経済学部卒業。
83年株式会社流通研究社入社、90年より月刊『マテリアルフロー』編集長、2017年より代表取締役社長。
2012年より「アジア・シームレス物流フォーラム」企画・実行統括。
06年より東京都中央・城北職業能力開発センター赤羽校「物流の基礎」講師、近年は大学・企業・団体・イベント他の講演に奔走。
著書に『先進事例に学ぶ ロジスティクスが会社を変える―メーカー・卸売業・小売業・物流業18社のケース』(白桃書房、共著)、『物流センターシステム事例集Ⅰ~Ⅵ』(流通研究社)、ビジネス・キャリア検定試験標準テキスト『ロジスティクス・オペレーション3級』(社会保健研究所、11年改訂版、共著)など。
2017年より大田花き株式会社社外取締役(現任)。
2020年5月に流通研究社を退職。
6月1日に独立し、L-Tech Lab(エルテックラボ、物流テック研究室)代表として活動を開始。株式会社日本海事新聞社顧問、ラクスル株式会社アドバイザーなどを務める。

読書会の記録:『最後の親鸞』(吉本隆明)/『歎異抄』(親鸞)

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本会では過去に宗教関連の書籍としてイスラムを取り上げることがあったが、今回は仏教、浄土真宗の宗祖、親鸞の『歎異抄』と、それを扱った吉本隆明の評伝『最後の親鸞』の二冊を取り上げた。

宗教書という扱いづらい題材からか、または偶然か、今回は女性陣が一人も参加することがなく、常連男性陣だけで粛々と会を進めた。

仏典のサブセット「南無阿弥陀仏」の開発者、親鸞
私自身『歎異抄』は3度は読んでいるが、いまだによくわからない。一方で会場では、私の「よくわからない」という意見に反する声が多く、むしろわかりやすいという意見が多かった。親鸞は関連書籍が多く、また日本人のメンタリティにもフィットした身近な宗教家である、ということもできるかもしれない。

副読本に親鸞の自著『教行信証』を読んだという参加者からは、『歎異抄』は弟子の唯円が筆記した言行録であり親鸞の思想を知るには情報不足という意見があがった。

私は、親鸞の教義である「絶対他力」に関し、なぜ人は他力に頼る必要があるのかとずっと疑問を持っていた。このヒントは、浄土真宗鎌倉時代に繁栄した仏教だという点にあることを、この読書会で確認した。これがどんな時代かといえば、鴨長明の『方丈記』をイメージするとわかりやすい。社会も人心も荒廃し、飢餓や疫病が蔓延し、生きることが地獄の時代である。そして世の中を救う立場である僧侶たちは高尚な地位に上り詰め、民衆と宗教との間に大きな断絶があった。そんな時代だ。鴨長明はそのような世を捨てて、丘の上から俗世をひょうひょうと眺め、方丈にこもり、筆をしたため、淡々とレポートしていた。

人間は生きるためになにもなすすべがなく、唯一の救いである宗教も、難解なお経や教義を暗記する高度な知力、血筋、政治経済力の多寡により支配されていた。市民と断絶された世界に宗教家たちはいた。
そこに登場したのが、親鸞である。

親鸞は、明日をも知れぬ市民に向かい、難解で長大なお経など覚えなくてよいと断言する。南無阿弥陀仏と口で唱えるだけで万人は成仏すると説得する。いわば南無阿弥陀仏の六文字は長いお経の短縮版、サブセットである。この六文字の意味を理解する必要もない。ただ口に出して唱えているだけで誰もが必ず成仏するのである。生きるか死ぬかの瀬戸際を生きる市民は、ただ「信じることを学ぶ」ことが、生きるための最善のソリューションだった。文字の読み書きなどできない市民に信じてもらうことは、南無阿弥陀仏と唱えるだけで必ず成仏する、だけである。そのうえで、自分でなにかをすることなど考えず、「他力」に身を任せること。これにより極楽浄土に行ける。この辺の理論武装は『教行信証』に詳しく書かれている。

鎌倉仏教といえば親鸞のほか道元日蓮がおなじみだが、前者は語学が達者な非常なインテリで大著『正法眼蔵』を著し、後者は南無妙法蓮華経という念仏をサブセットとして編み出し、政治にもコミットするという活動的な僧侶であった。鎌倉という人間が生きづらい時代であったからこそ、また中国大陸からさまざまな思想が輸入された時代であったからこそ、現代にも生きる「新興宗教」が同時多発的に生まれたのであろう。

「信じ切ることのフレームワーク」を人びとに提示した宗教家
実はこの読書会、開いて10分ほどで結論めいたものが出てしまった。エンドまでの2時間は、ほぼその結論の枠を出ることがなかったので、最後にその内容を記しておく。

以下、常連メンバーである技術書の作家さんから出た意見がそれである。
親鸞は“理解のジレンマ”を乗り越え、初心に帰り、人が信じ切ることのメカニズムを分解・再構築し、信じ切ることのフレームワークを人びとに提示した画期的宗教家」というのである。
それをご自身の仕事と重ね、技術書を書き続けていると学習効果で知識がつき、初心者に向けて本を書きたいのにもかかわらず、初心者時代の心を取り戻すことが困難になる、というエピソードを語ってくれた。鎌倉時代の宗教家も、学習過多で、まさにそういったジレンマに立たされていたはず、という解釈だ。
つまり、本来は市民の生きるためのよりどころであった宗教が、しだいに権力を保持するための道具になり、初心に帰ることなく、徐々に市民から遠ざかってしまった。それを親鸞という画期的宗教家が登場し、本来の姿に引っ張り戻した、というのである。
この話はまったく腑に落ちた。

親鸞は仏教思想の難解さを一定のロジックに従って徹底解体し、市民の心の中にまで染み入るまで、理屈抜きにとにかく信じ切られるレベルにまで、ブレイクダウンした人物なのである。

親鸞は日本人には人気の高い宗教家で、今回取り上げた吉本隆明のベストセラー『最後の親鸞』や、五木寛之吉川英治の小説など方々で取り上げられている。親鸞は古くから多数の英雄伝説があり、僧侶が節をつけて芸能風に語る「節談説教」の有名な演題に『板敷山』がある。これは、親鸞が筑波の山中を歩いている最中、親鸞に弟子を奪われたという仇を持つ山伏に命を狙われるが、親鸞の超人的な運動能力と包容力で山伏は回心し、親鸞に帰依するという物語だ。『板敷山』は、CD音源として『唸る、語る、小沢昭一の世界「節談説教板敷山/榎物語」』で聞くことができる。

三津田治夫

編集、この愛すべき仕事(後編)

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(前編からの続き)

編集者のやりがい
ざっと、編集者の仕事の流れを見てきた。
編集という仕事を選んだ限り、やはり、やりがいは欲しい。
どんな仕事でも、給料をもらったり、売り上げがあがったときは、うれしく、ありがたい。そして、この仕事をやっていて良かったという感謝や、喜びに満たされる。
しかし、仕事はお金だけではない。
誇りにつながる、やりがいは重要である。
以下、私の個人的な経験から、編集者としてのやりがいをあげてみる。

・読者にありがとうと言われたとき
・著者にありがとうと言われたとき
・重版したとき
・著者さんと打ち上げをするとき
・書店員に喜ばれたとき
・社内に笑顔が増えたとき
・業界から賞をいただいたとき
・満足のいくものが作れたとき

私にとって、読者から「ありがとう」という言葉を聞くことこそが、編集者冥利につきる。「この本を担当してよかった」「編集者でよかった」と、心から思う瞬間である。
私はいまでも、編集者という仕事を選択してよかったと自負している。

編集の仕事のキモは、企画である
日本人は、形ある手に取れるモノを重視する。だから、自動車などモノづくりは強い、という声も聞かれた。同様に、日本人の(手に取ることのできない)コンテンツ文化は高度だという声も聞く。
編集者の仕事は一言でいうと、コンテンツを生み出す助産婦である。ゼロからイチを生む仕事のお手伝いをするプロデュースの仕事だ。
ゆえに編集の仕事自体には、形がない。
具体的なルーチン作業が見えづらい。
原稿整理や印刷所との交渉、版元(出版社)内部での折衝などのルーチン作業はあるが、これらは編集の仕事の中核(価値を生む部分)ではない。

「これ」というはっきりとした作業の中核が見えづらいから、「編集者ってなにをやっているのだろう」という疑問がよく聞かれるのだ。

しかししいて言えば、編集の仕事の中核(価値を生む部分)は、「企画」に尽きる。

企画は、体と頭を使うだけでできる。
大きなビルや設備機器、大人数での協業が必要なものではない。
企画は、体と頭一つでできる。

編集の仕事は可能性のカタマリである
編集者は企画書をつくり、人と人との間に立ち、なんでもする。
理論的には、天皇陛下に企画書を持って行き、執筆を依頼することだって可能だ。そしてその本が世に出され、世の中を変えることもできる。
テレビやWebの影響力は確かに強いが、本の影響力の強さは、捨てたものではない。
そのいちばんの理由は、情報が固定的で残るところにある。
情報が流動的なテレビやWebとは真逆である。

情報が固定的だから長期にわたる読み返しができる。
また、文脈を判断し、論理思考が可能だ。
そして商業出版物にいたっては、編集制作者の査読が入る。これにより、情報の正確性が底上げされる。

このように編集の仕事は、形がないものに価値が発見される時代の職業、企画という形のないものに本としての価値を与える職業であるともいえる。

人と人をつなげ、人と情報をつなげる編集という仕事は面白い。そしていまや、テクノロジーを通して人と人とをつなげることができる。誰もが編集者になれる時代だ。

自分だけの小さな書店を開いてもよい。
そこで仲間と同人誌を作ってもよい。
自分のやりたいことを企画し、モノを集め、人を集め、情報を集め、オンラインやオフラインで勉強会をやってもよい。

なんでも編集し、新しい時代をつくろう。
お金にすることはもちろん重要だ。
しかし、もっと自由に、ワクワクと、行動を起こすことがより重要な時代である。
なにがお金になるのかわからない。
行動を起こすこと。
行動こそ、お金に勝るものはない。

(おわり)

三津田治夫

おかげさまで4年目を迎えました。

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1月11日をもって、私が代表を務める出版プロデュース会社、株式会社ツークンフト・ワークスが、おかげさまで4年目を迎えました。
ここまでやってこられたのは、ひとえに、支えていただいた皆様の力にほかなりません。
この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。


会社勤めを終えて創業したのが2018年。
あのときも、とても寒い1月でした。
さまざまなイベントや勉強会、出版企画、プロデュースを実施し、多様な能力を持った人たちと、新しく深い交流ができました。
こうした出会いには、日々、深謝です。
そして、世界は大きく変わりました。
創業時の思いをさらに深め、「人をつなげて本をつくる」は、これからもしぶとく続けてまいります。
イベントや勉強会など、言葉を通して人をつなげ、アウトプットを導くプロデュースは、すべてが「本づくり」です。
大きく変わった世界だからこそ、言葉と本の重要性は、ますます高まっています。

本づくりの活動がビジネスとして形になることを、4年目には追及してまいります。
人間が生きるも死ぬも、多くは言葉にかかわっています。
そこをブラさずに行きたいです。

つたないこと、まだまだ多いのですが、その際には、ご指導鞭撻をください。
今後とも、変わらないお付き合いとともに、4年目もなにとぞ、よろしくお願いいたします。

三津田治夫

新年、あけましておめでとうございます。

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新年、あけましておめでとうございます。
また、たくさんの誕生日の言葉に、心から感謝いたします。
言葉から、たくさんの元気と勇気をいただきました。
毎年1人1人全員に返信できず、心苦しい限りです。
返信と新年のあいさつにかえて、以下、書かせていただきます。
この1年間は、時代の大きな変化を世界の一人として体験することとなり、学びや気づきの連続でした。
8月には、初の監修書籍『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』を発刊することができました。
いまのITの基礎の基礎となるキーワードを網羅し、ITをより身近にする活動に貢献できたと自負しています。
発刊には数多くの関係者からお力添えをいただきました。
この場を借りて、改めて、お礼を申し上げます。
またこの1年間は、オンラインで全国のさまざまな素晴らしい人たちと出会い、深い話をしました。
オンラインでなければまずありえない、貴重な出会いと語りがたくさんありました。
仕事のパートナーとも、いままでにできなかった深い本音を交わすことができました。
50歳も過ぎてこのような体験ができるとは、夢にも思っていませんでした。だた、感謝に尽きます。
出版のことと、対話と学びの場づくりを中心にチャレンジを続けてまいりましたが、この1年はそれら活動を本質的に見つめなおす時期でもありました。
2021年は、「これからどうするのか」という、行動と選択が問われる1年になるでしょう。
同時に、1月11日をもって、株式会社ツークンフト・ワークスを私が起業して4年目に突入します。
ここまで支えていただいた関係者の方々には、深く感謝します。
皆様のお力ぞえなしに、ここまで継続することはできませんでした。
今年はこうした体験への感謝を、形としてアウトプットしてまいります。
出版物の企画も、引き続き、アウトプットしてまいります。
コミュニティづくりの新プロジェクトも、アウトプットしてまいります。
その他新しい未知のプロジェクトも、アウトプットしてまいります。
2021年は、歴史が切り替わる準備期間としての、重要な1年になるでしょう。
そして突然、「こうなりました」と、社会は変わっているでしょう。
1995年からはじまったインターネット普及の際に起こった変化が、まさにこのような感じでした。
しかし今度は、さらにスケールの大きな変化です。
苦難を乗り越えながら、この変化を、健康に、慌てず、俊敏に、ワクワクしながら、生み出してまいります。
2021年、皆様の健康と繁栄を、心からお祈り申し上げます。

三津田治夫

第32回・飯田橋読書会の記録『生物はウイルスが進化させた』(講談社ブルーバックス、武村政春 著) ~ウイルスと生命の本質を探る~

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ZOOMで開催の読書会ニューノーマル・バージョン第2回目。
時宜にかなった話題として、今回は初のサイエンス書を取り上げることとなった。
お題は『生物はウイルスが進化させた』である。

会場からは、
「中身がよくわからない本」
「理解のためにいろいろ読みました」
という声や、
「ホットな話題。いまや生命の定義が揺らいでいる」
という生命に関する本質的な意見。
「これは議論が難しいぞ」
という会の流れを予見した言葉、
「遺伝子であるウイルスが他者の細胞に取りついて活動するとは、面白い存在」
「ウイルスと生命の攻防を確認し、面白かった」
という好奇心に満ちた発言など、いままで取り扱った文学や読み物から出る言葉とは異なった多様な声が聞こえてきた。

思考とイメージを交換するこの読書会ではあるが、テーマがサイエンスなだけに、正確な概念と用語の知識なしに議論することには危険が伴う。
そうしたリスクを承知のうえで、以下記録を書き綴ることをお許しいただきたい。

ウイルスは全滅させない程度に殺す
まず、「ウイルスとは、生き物と共生する」という意見は興味深かった。
私は、「ウイルスは人を殺すが寄生虫は殺さない。なぜなら、宿主を殺してしまうと寄生虫も死んでしまうから」と、小学校5年の夏休みの自由研究で京成金町の保健所まで母親と取材に行き、寄生虫を調べた記憶がある。
ウイルスは宿主を殺す。
ただし、「全滅させない程度に殺す」。
だから、怖い。

2020年1月、新型コロナウイルス武漢で確認された。
当初は
「弱性のウイルスだから恐れる必要はない」
「気温が上がってくるにしたがって感染者数も減るだろう」
という楽観論が主だった。
ところが2月以降、世界を取り巻く情報と雰囲気が一変した。
有名芸能人や政治家など要人への感染や死亡なども加わり、4月7日から5月25日にかけて発令された緊急事態宣言により、新型コロナウイルスに対する恐怖心理は人々の間で確実に定着した。
いわば、新型コロナというウイルスは、人間の肉体のみならず、心にまで感染したのである。

そんな社会背景を思い描きながら、会場からは「生命とはいったいなんだろう?」という疑問が聞こえてきた。
かつてなされた生命の定義「自己完結したものこそが「生命」である」では、「ウイルスは生命ではない」とされてきた。
しかし「生命は自己複製するもの」という昨今の定義のもとでは、ウイルスは生命である。

生命の定義は時代とともに変遷する。
それゆえ、「生命の定義は拡大せざるをえないだろう」という意見もあった。
「そう考えると、地球外生命体もいるだろう」とし、
「宇宙レベルで見たら自分の人生にはたいした意味はない」
と結論付ける参加者の声もあった。

「生命の自己複製という現象がなぜ起こったのだろうか?」
という、素朴かつ深遠な疑問も呈された。
生命は進化の過程において「目的がない偶然」によって生き残ってきた。
つまり、無目的で有意なものが生き残ってきたのだ。
「高所の植物を食べるという目的のためにキリンの首が伸びたのではない。その環境でたまたま生き残ったのがキリンという生命」である。
一方で、「なにかの目的への力が働いたのでは」という神秘的な発言も聞かれた。私自身、これはまったくわからないが、科学と神秘が紙一重であることを忘れてはならない。

ウイルスに関連する話題がいくつかあがった。
アポロ計画で乗組員は地球帰還後に隔離された。
未知のウイルス感染の懸念からだという。
当時は地球外にウイルスがいるかもしれない、という危機意識があったからだ。
いまの国際宇宙ステーションでのウイルス管理はどのようになされているのか。興味に尽きない。
細菌を殺す善玉のウイルス「ファージ」がいる。
ウイルスは必ずしも悪玉ばかりではない。
また、ヒトゲノムの43%はウイルス由来であるという。

新型コロナウイルスの時代だから、「ウイルス論的に現代思想を語る人が出てくるだろう。若手で書ける理系の著者はいないだろうか……」という、編集者からの声もかすかに聞こえてきた。

ウイルスといえば、「コンピュータウイルス」がいる。
これは必ずしもマシンを破壊するわけではなく、「悪意のこもったソフトウェア」がコンピュータウイルスであるという定義を再確認した。

生命とは一体なんなのだろうか?
最後に「私とウイルス」をテーマに、本会を終えた。
私には個人的にウイルスのエピソードがある。
25年以上も前の話で、運よく完治できたが、私はC型肝炎にかかったことがある。
会社の検診でGOTとGPTの数値に異変が発見された。
当時は自由診療しかなく、自費で3万円を支払い、血液検査を行った。
検査結果を聞きに行くと、C型肝炎ウイルスが発見されたという。
目の前が真っ暗になった。
当時勤めていた会社のオーナーが元B型肝炎の患者で、ステロイドを用いた特殊な療法によって奇跡的に完治した経歴を持つ方だった。
その療法を行った虎ノ門病院を当時の上司に紹介してもらい、私は急遽入院することになった。ちなみに他の病院では「そんなに急いで入院する必要はない」と言われたが、私がかかった病院では、「治療は早い方がよい」と、すぐにベッドを手配してくれた。
その後半年をかけ、インターフェロンという激しい副作用が伴う薬物による治療を経て、ウイルスは消滅し、一命をとりとめた。
この治療が不成功に終わっていたら、健康ないまの私はいない。
肝硬変か肝臓がんによる闘病生活、もしくは死である。
退院後は通院治療していたが、会社のオーナーと待合室で出会うことがあったり、紹介してくれた上司の上司も私と同じC型肝炎で、この方とは待合室で何度も会った。少ししてこの上司は、C型肝炎ウイルスに侵され、お亡くなりになられた。
この経験を思い出すとともに、生命とはなにかという今回の読書会で呈された疑問から、たびたび自問自答する。

最後に、今回はさまざまな書籍の名前があがったので、参考図書として付記しておく。

『進化とは何か』(リチャード・ドーキンス 著)
『我々は生命を創れるのか』(藤崎慎吾 著)
『破壊する創造者』(フランク・ライアン 著)
『ウイルスは生きている』(中屋敷均 著)
『ウイルスの意味論』(山内一也 著)
生物と無生物のあいだ』(福岡伸一 著)

     * * *

次回の課題図書を考えるにあたり、芸能関係の書籍や、再び古典に戻ろうかという意見が出た。
「神戸芸能社」を探る本や、『絶対製造工場』(カレル・チャペック 著)は面白そうという意見も出たが、さまざまな議論を経た末、次回は新春企画として、元祖BL小説『ベニスに死す』(トーマス・マン著)に決定する運びになった。

次回も、お楽しみに。

三津田治夫