本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナーレポート:6月29日(金)開催「人にしっかりと伝わる アクティブ・ライティング入門」~第5回分科会 本とITを研究する会セミナー~

6月29日(金)、「人にしっかりと伝わる アクティブ・ライティング入門」と題し、株式会社ツークンフト・ワークスの三津田治夫を講師に、会議室MIXER(日本橋本町)にて第5回分科会セミナーを開催した。

ライティングを受け身ではなくアクティブに行うことに焦点を当てた本セミナー、会場から多数の質問やコメントが飛び交う対話の多い場になった。

今回は会場から出てきた反応やそのやり取りから、印象的なものをまとめてお届けする。

◎講義では熱心な対話が続いたf:id:tech-dialoge:20180713125015j:plain

ライティングを阻むボトルネックとは?
文章を書くには、「テーマ選定」と「時間管理」、「モチベーション維持」の3つが大切である。その中で最もボトルネックになるものはなにか、という質問に答えた。ライティングが進まないときの一番のボトルネックは「テーマ選定」である。テーマとはすなわち「行き先」。行き先がわからなければモチベーションは続かないし、それに伴い時間管理の意識も欠如する。そのため私は、このセミナーでの説明や著者さんたちとのやり取りにおいて、「なにをテーマにするか」を第一に明確化するようにしている。そしてさらに、「なんのためにそのテーマを取り上げるのか」を明確にする。「なにを」と「なんのために」を不明瞭なままライティングを進めると、往々にして破綻する。たとえば本エントリーの「なにを」は「6月29日(金)のセミナーを」であり、「なんのために」は「出来事の記録とレポートのために」である。

上記の「時間管理」に関連し、「ライティングの時間をどう配分するか?」、また「書き上がりまでの時間をどう見積もるのか?」という質問があった。

「時間をどう配分するか」は換言すると、自分に与えられた限られた時間をどのようにライティングの時間に配分するかで、職業文筆家でない限り、本業以外の時間を充てる必要がある。そのうえで「書く場所を選ばない」という発想も重要になる。これを実現する行動として、ノートPCとインターネット接続機器の常時携行やクラウドでのファイル管理は最低限必要であることを説明した。

さらにライティングには、書くだけではなく、推敲・校正、他者の査読(レビュー)が必要になる。「推敲・校正に具体的にどのぐらい時間がかかるのか?」という質問に対し、私の場合だとA4の用紙4ページでライティングに2時間、推敲に2時間、合計でおおむね4時間かかることを伝えた。非常にライティングの早い人、その逆の人、個人差にかなりの開きがあるが、これは一つの例である。

◎講義中盤、ワークの模様f:id:tech-dialoge:20180713125119j:plain

時短を促進する「アジャイル」なライティング
ライティングの時間を短縮するには、「大きな手戻りを減らす」という、もの作りの基本的なルールを応用することが効果的だ。その例として、全文が書き上がってから原稿の査読を実施するのではなく、章単位、もしくは節単位で実施する、という手法を紹介した。ソフトウェア開発で言う「アジャイル」をライティングに応用したもので、細かく原稿をリリースし、レビューアーからフィードバックを受け、その内容を反映して再びリリースするという、イテレーションを繰り返す。これにより大きな手戻りを防ぐことが可能になる。実際に数百ページにおよぶ原稿をすべて書き直し、という事態もときどきある。これにより途中で力尽きてしまい執筆のプロジェクトが中断、という残念な結果も起こりうる。

「途中で力尽きて」を念頭に置くことで、執筆速度(ヴェロシティ)の計測や校閲・推敲、査読時間の見積もりや、時間配分の重要さがわかる。これらを把握することで、1年や2年におよぶ長期のライティング(とくに書籍)にも持ちこたえることができる。

ちなみにこうした「「計測」や「見積もり」は具体的にどうしたらよいのか?」という質問があがったが、これは至極単純な回答。「ストップウォッチで計測する」である。どのぐらいの文字数をどのぐらいの時間で書くことができたのか、計測値をメモする。スマートフォンの機能を使ってもよいし、タイマーつきのデジタル時計やクロノグラフを使って、ライティングにかかった時間を計測する。自分の執筆速度を掴むことができれば、1週間で、1ヶ月で、1年でどのぐらいの文章が書けるかの見積もりができる。私の場合、SE時代の20代、自分の作業時間をクロノグラフで逐一記録していた。これによりシステムのトラブルシューティングや開発にどれだけの時間がかかるのかが正確に見積もれるようになった。

査読には人選が重要であることも指摘。「読んでもらいたい人」に近い属性の人に査読してもらうことが、ライティングを短時間で終わらせるためのベストプラクティスだ。逆に、読んでもらいたい人から遠い属性の人に査読してもらうことは、意外なコメントが得られるという半面、手戻りが増える可能性もあるので要注意である。

文章の価値を高める「コンテキスト」と「コミュニケーション」
文章にはコンテキスト(文脈)が大切である。これに関して会場から、「自分はある人の文章に深く共感できるのに、それに賛同する人が少ないときがある。ある教授の解説はよくわかるのに、他の人はわかりづらいという、大学の講義でも似たようなことがある。それはなぜか?」という質問があった。これはまさに、コンテキストの問題である。その人が書き手(や教授)とコンテキストを共有したから、その人は文章や講義に共感できている。コンテキストとはその人の人生観や世界観、価値観など、その人が持つ人間性や身体性が色濃く反映した「価値」である。文章においても、言葉の流れや表現方法、章や節の配列の優先順位などによって、コンテキストが形成される。文豪やベストセラー作家は、多くの読者とコンテキストを共有する。ゆえに彼らは、文豪、ベストセラー作家と呼ばれる。このコンテキストにはいろいろな性質があるが、大きく分けて、時間をかけて大量な読者と共有されるコンテキストや、短時間で大量な読者と共有されるコンテキストの2つがある。文学で言い換えると、前者は古典文学で、後者は大衆文学である。

ライティングとはコミュニケーションのツールであることも指摘。
すなわち、自分との対話、読者との対話を促すためのツールである。
親子関係を例にとっても、大学の論文の査読を通して父子関係がよくなったり、メールを通して普段は話さないことを伝えられるようになったり、ライティングという行為で人間同士の関係性を大きく書き換えてることができる。最近ではめっきり使われなくなった「ラブレター」も、まさに、ライティングという行為を通した人間同士の関係性の書き換え、である。同様に、ライティングはビジネスにおいても重要な役割を演じている。クライアントへ送付するメールマガジンやWebコンテンツなども、ライティングという行為を通したビジネスにおける人間同士の関係性の書き換えである。

ポジティブな循環の形成がブランディングを成功に導く
「本で自己ブランドを作ることは本当にできるのか? できるのであれば、それは自分で作るのか、人に作ってもらうのか?」という質問があった。

商業出版では一般的に出版社が著者のブランディングを行うが、最近は経費節減のためにそれができない出版社が増えてきた。その意味も含めて出版社は著者の持つ社会的影響力を重視する。著者のSNSでのフォロワー数や発言数を気にする出版社が多い理由の一つにはこれがある。

「本で自己ブランドを作ることは本当にできるのか?」に一言で返答すると、答えは「Yes」である。かつては出版社や新聞社、放送局、広告代理店などのメディアを使うことだけがブランディングの手段だったが、いまではネットを使った自己ブランディングが容易に可能になった。本という自分の身体から出てきた言葉のメディアが作られれば、自己ブランディングはさらに現実的になる。SNSやWebを通し、自分の書いた本の抜粋を紹介し、作品をPRし、その本を読んでもらうことで自分という人となりを知ってもらう。この行動がポジティブに積み重なることで、自己ブランドが形成されていく。この積み重ねの中でリツイートや口コミの輪が広がれば、さらにブランドは形成されていく。そしてブランドが強固になれば、それが企業家であれば事業ブランドが高まり、文筆家であれば愛読者や原稿の発注が増えるなど、ポジティブな循環が形成される。こうしたポジティブな循環の発生を念頭に置いたアクティブな活動は重要である。

最後に、会場からの要望として、「本づくりの際に編集者は筆者にどのような働きかけをするのか。本の販促のこと知りたい」という声が上がった。どこかの機会で取り上げられたらと思っている。

三津田治夫

「人間を手段にしてはいけない」を説く古典名著:『人倫の形而上学の基礎づけ』(エマニュエル・カント著)

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これはいわば、『プロレゴーメナ』の実装編である。
訳者による前書きで「『人倫の形而上学の基礎づけ』を先に読んだ方がよい」とされている通り、その読み方をお勧めする。

『人倫の形而上学の基礎づけ』は豊富な具体例が添えられ、一つの事柄がいろいろな方面から語られていて、わかりやすい。難解といわれるカントの理論をより身近に感じさせてくれる作品だ。

人間を手段とすれば強盗も殺人も成立する
本書の特徴は、ア・プリオリの法則を人間の本性に適用したところにある。
カント曰く、すべての人間はア・プリオリに、幸福を追求する欲求を持っている、という。この定義を起点にカントの倫理学が展開される。

ポイントは2点。
一点は、人間を手段にしないこと。仮に人間を手段にしてもよいという論法が成り立てば、目的のためならば人からものを盗んだり、人から命を奪うことも許されてしまう。

そしてもう一点は、自分の行動原則(カントは「格率」という言葉を使っている)を自然にかなった普遍的法則と合致させよ、ということ。これはかなり厳しい指摘だ。

たとえば、人は守れない約束をしてはならない。なぜならば、それは人が幸福を追求するという普遍的自然法則に適合しないから。守れない約束をするという行為は、その時点ではその人個人の利益(一時的な信用の獲得や快楽)になろう。しかしこれが社会的に一般化することで、不正や不実がまかり通り、社会自体が成立しなくなる。ゆえに、これは普遍的自然法則に適合しない。

そこで登場するキーワードが、「自律」である。
自発的に、自分の意志で行動することにのみ、理性が伴う。
他人からの命令による行動を「他律」と呼び、そこに理性は伴わない。
言い換えれば他律とは、自分が手段とされ、他人を目標とすることだ。
カントの言葉を引いてみる。

「人間は物件ではなく、したがって単に手段としてのみ用いられるものではなく、あらゆる行為において常に目的自体として見られねばならない。ゆえに私は、私という人間を勝手に扱って不具にしたり病気にしたり殺したりすることはできないのである。」

自律こそが自由の本質である
理性は自分の中にしかない。
決して他人から命令されるものではない。
再びカントの言葉。

「自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である。」

結局のところカントのいう形而上学は、自由の概念が根本にある。
自由のために自律せよ、と、カントは言う。
自律があってこそ自由があり、自由があってこそ倫理がある。
そしてそこには、人間の恣意や心が介在しない善なる意志がある。

のちカントは、カント理論の抽象度を高めたさらなる実装編『永遠平和のために』を書き上げている。

カントの卓越したところは、学問を理論にとどめず、「実用」にした点にある。
彼によると、学問とは事物を人にわかりやすく整理し、人に伝えるための技術であると言う。そしてその本質に「実践」がある。

反論を承知で言ってしまえば、カントを読んでしまうと、ニーチェハイデッガーも、カントの赤ちゃんのように思えてならない。

偉大な巨人の作品に触れさせていただいた印象だった。

三津田治夫

カントの思想探検に最適な名著:『プロレゴーメナ』(エマニュエル・カント)

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強烈に素晴らしい書物と巡り会った。
『プロレゴーメナ』は、カントが自ら語っているが、代表作『純粋理性批判』の手引き書のようなものである。
200ページちょっとで読め、かつ、内容密度が大変に濃く、読み応えがある。

形而上学の入門書としても読める
形而上学とは、自然を超越したもの、自然の上にあるメタなものを追求する学問である。
この形而上学を「非経験(ア・プリオリ)の世界」と「経験の世界」という2つの世界に分離して解釈したのが、カントの最大の発見であり、発想の転換である。
これが俗に言う、カントの「純粋理性」である。

ア・プリオリの世界とは端的に言うと、「時間」と「空間」の世界。
時間と空間は、人間が個人的な学習や経験を経ることなく知り得るものである。
コップが高いところから落ちれば割れるし、時間が経てば草花は成長し枯れる。
アプリオリな認識とは、こうした共通の認識である。

このように、世界には個人的な学習や経験を超越した(ア・プリオリな)事物が存在する。
人間の経験と共に、その経験を超越したア・プリオリなものを、形而上学の範疇に入れ、形而上学を再構築し、理解しましょう、というのがカント理論の骨格。
カント以前は、形而上学とは個人的な経験や空想が唯一の判断基準で、ともすると形而上学は学問を離れオカルト的な領域にまで手足を伸ばしていた。
カントによると、「『純粋理性批判』が普通の学校形而上学に対する関係は、科学が錬金術に対する関係、あるいは天文学が予言をこととする占星術に対する関係とまさしく同じである。」という。

カントの純粋理性の枠組み
カントの純粋理性に基づいた形而上学の枠組みは、以下の構造になっている。

経験の伴わない(アプリオリな)純粋直観の世界
 ↓
感覚(感官)の世界
 ↓
経験的直観の世界
 ↓
現実的印象の世界
 ↓
経験の世界
 ↓
悟性(理解)の世界
 ↓
統合された経験の世界
 ↓
真理

すべての出発点を、感覚や感性を超越したア・プリオリな純粋直観の世界とすることで、人間の恣意や性癖、空想といった、理性を離れた世界のみで事物を把握するという事態が回避された。

これが、カント哲学のもたらした脱構築であり、最大のパラダイムシフトである。

ヘーゲルフッサールなど、カント以降の大哲学者はほぼ全員大なり小なり影響を受けている。
身体(時間)と経験(空間)という認識の方法は、フロイトがかなり影響を受けており、世界人類を視野に入れたコスモポリタンな思想や「批判」を軸にした分析の手法はマルクスが強く影響を受けている。

上記の、『プロレゴーメナ』でカントは純粋理性の世界を教育的に解説した。
そして次に、『人倫の形而上学の基礎づけ』(中公新書に併載されている)で、カント理論をいかに現実社会に適用するのかを、具体例を交えて語っている。

カントの入門書として、ぜひ一読をお勧めする。

三津田治夫

時代を操る毒にも薬にもなる「神話」という魔術:『現代議会主義の精神史的状況』(カール・シュミット著)

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某月某日、読書会初の試みとして、政治学を取り上げた。
カール・シュミットといえば名著『陸と海と』があり、このイメージから、本文が100ページほどでAmazonにも在庫があったので、『現代議会主義の精神史的状況』が取りあげられることになった。
読書会での論調は、作品に深くはまってカール・シュミットの著作集にまで手を出したというポジティブな意見から、この本の意味も価値もまったく理解できない悪書だという意見まで、見事に真っ二つに分かれた。
本読書会21回目にして、まとまりのつかない、かつ紛糾直前、予定調和を抜きにしたダイナミックな展開になった。

波乱に満ちたカール・シュミットの半生が投影された危険な作品
1923年に発表された『現代議会主義の精神史的状況』は、矛盾をはらむ行間に真実が織り込まれた、ある意味危険な作品である。
まず、作者の経歴から見てみよう。

カール・シュミット1888年生まれのドイツ人。
1919年からのワイマール共和国時代に議会制民主主義と自由主義を批判し、1933年にナチスが政権を握りワイマール共和国が崩壊すると、同時にナチスの御用学者になる。1936年にはナチスを批判したとして追放。第二次世界大戦後はソ連軍に逮捕され尋問のうえ釈放。その後アメリカ軍の手に渡りニュールンベルク裁判で不起訴、釈放。戦後はプレッテンベルクという小さな町で1985年に96歳で亡くなるまで政治学者、法学者としてひっそりと活動を続けた。

◎ドイツ・ワイマール共和国の版図(色がついている部分、Wikipediaより)f:id:tech-dialoge:20180619193337j:plain

◎ドイツ・ワイマール共和国の構成(Wikipediaより)

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『現代議会主義の精神史的状況』を読んでみると、ヘーゲル批判、マルクス主義共産主義批判、民主主義・自由主義批判という、3つの批判の柱があることがわかる。

ヘーゲルに関して、こう言う。
ヘーゲルの哲学は、善と悪の絶対的区別を基礎づけることができるようないかなる倫理をももたない。それにとって善とは、弁証法的過程のそのときどきの段階において理性的なるものであり、それゆえに、現実的なるものである。善とは、正しい弁証法的な認識と意識性の意味において「時宜にかなっていること」である。」
ヘーゲルに従えば善と悪を区別する判断軸はどこにもなく、タイムリーなトピックでさえあれば現実的で理性的で正しい、ということになる。そうした曖昧さから独裁が芽生えるとしている。

「世界史がたえず進展してゆくべきものだとすれば、事物に反するものを力によって除去することが永遠に必要であり、それゆえに独裁は永久的となろう。ここでもまた、ヘーゲル哲学によればあらゆる出来事に存する一般的な二面性が、とりわけヘーゲル哲学そのものにひそんでいることが示されている。すなわち、その発展段階は、独裁を廃棄しうると同時に、その永久性をも説明しうるのである。」
「世界史の進展」を妨げる非現実的なものは除去されるべきものであるから、その現実性の保持のためにも、「理性的な独裁」が容認されるのである。

自由平等博愛のもとで革命が起こり、その後に現れたのは民主主義でも自由主義でもなく、独裁と恐怖政治だったフランスを例にあげ、こう言う。
「ルソーがはっきりと続けて言っているように、一般意思は真の自由と合致するものであるから、敗れた者は自由でなかったことになる。このジャコバン的理論でもって、周知のように、多数者に対する少数者の支配をも正当化することができる。」
「真の自由と合致する」合理的な独裁が成立することを歴史が証明していると筆者は述べる。

啓蒙主義を「公開性の光は啓蒙の光であり、迷信や狂信や権謀術数からの解放である。啓蒙専制主義の体制においてはすべて、公開の意見〔公論〕が、絶対的な矯正手段の役割を演ずる。啓蒙主義がひろがればひろがるほど、専制者の権力は大きくなることができる。」と、公開性と民主主義はイコールでなく、むしろこれらは独裁者の権力を拡大させる装置となることを指摘。そして独裁により「自由の強制、公開性の強制」が生じ、独裁が独裁自身をさらに強化させるという。ちなみに公開性を共同体の動力源として重視するユルゲン・ハーバーマスカール・シュミットの大の論敵である。

共産主義への時代的嫌悪感から生まれた独特な論調
「哲学とサーベルとの同盟」によるフランス革命はナポレオンの没落で清算され、合理主義的独裁の可能性が出現し、「その担い手は急進的なマルクス主義社会主義」であると結論づける。

そのうえでマルクス主義共産主義を「通俗的マルクス主義は、その思考の自然科学的な精密性、唯物史観の法則に従ってある事物がやってくる「鉄の必然性」について、好んで書いている。」とし、「法則」や「鉄の必然性」という、あたかも科学的・客観的に見える物語をマルクスは弄しているという。そうした姿勢で「マルクスは、ブルジョワを貴族的および文学的な怨みの感情の領域から、ひとつの世界史的な存在へとひき上げた。」と、ブルジョワ没落の物語を文学から社会学の次元に持ち上げることで共産主義という「神話」を作り上げたとしている。

そして「ブルジョワジーとプロレタリアの間で燃えあがる闘争の当事者たちは、現実の【具体的な】闘争にとって必要な具体的な像を手に入れなければならなかった。具体的な生の哲学が、そのために精神的な武器を提供した。」とあるように、神話は、革命を実行するための精神的エネルギーとなる。そして「弁証法的な必然」によって革命は起こる。

スパルタクス団蜂起、銃撃戦の様子(1919年1月12日、Wikipediaより)f:id:tech-dialoge:20180619193509j:plain

1917年、共産主義革命はマルクスの故郷ドイツではなく、ロシアで起こることになる。それに続かんとばかり1919年にスパルタクス団による暴力蜂起がドイツで勃発するが、ワイマール共和国政府により鎮圧。多数の犠牲者を残してドイツ共産主義革命は失敗に終わる。こうした時代背景からも『現代議会主義の精神史的状況』が発表されたワイマール共和国体制ドイツの1923年は、まさに反共産主義の世相だった。

これらをふまえ、選択肢としての民主主義・自由主義を、次のように定義づけている。
「近代議会主義とよばれているものなしにも民主主義は存在しうるし、民主主義なしにも議会主義は存在しうる。そして、独裁は決して民主主義の決定的な対立物ではなく、民主主義は独裁への決定的な対立物ではない。」と、近代議会主義と民主主義もイコールではなく、議会を模した独裁は十分にありうるという。そのうえでこう結論づける。

「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権的でも分権的でもありうる。」

議会とは一つのフィクションであり、そのフィクションをもてあそぶ民主主義ほど危険な体制はないのである。

3つの批判を下支えする「神話」の魔術
ヘーゲル批判、マルクス主義共産主義批判、民主主義・自由主義批判の三拍子がそろい、国家を独裁するマルクス主義的な科学的発展と共産主義、そして民主主義を否定する、国民に選ばれた「平和政権」であるナチスが、ワイマール共和国を飲み込む思想的な下準備ができたのである。

これら3つの柱を下支えするものはなにか?
カール・シュミットが繰り返し口にする「神話」である。

「真の生の本能の深みから、偉大な熱狂、偉大な精神的決断および偉大な神話が生ずる。熱狂した大衆は、大衆のエネルギーを駆りたて、殉教への力や暴力行使の勇気を大衆に与えるところの神話像を、直接的な直観からつくり出す。」と、フランス革命ロシア革命という過去直近の革命を指してこう述べるのだが、皮肉にもこれと同様の原理がナチスでも実装されることになる。

このように革命や独裁を批判しながらも、「討論し妥協し交渉をする商議は、なによりも重要な神話とそれに伴う偉大な熱狂を、裏切ることである。」と、民主的な対話を否定し独裁を容認するような矛盾に満ちた発言もするところにカール・シュミットの危険性がある。

過去直近の革命を参照しながら「人間の生がもっている価値的なるものは、理屈からはでてこない。それは、偉大な神話像によって魂をふきこまれて闘争に参加する人間が闘争の状態に立ったときに生まれる。」と、「ロジカルでない神話」こそが革命の原動力であると説く論調はワイマール共和国の崩壊に結びつく。すなわち、ナチスへと。

そして同時代のファシストであるムッソリーニの演説を引用し、「「われわれはひとつの神話を創造した。神話は信仰であり、高貴な熱狂である。それは現実であることを必要としない。それは起動力であり、願望、信仰、勇気である。われわれの神話は民族、偉大な民族であり、われわれはそれを具体的な現実にしようと欲する」。この同じ演説でかれは、社会主義を、劣位の神話とよんでいる。」と、過去の革命で用いられた神話を超えた「優位の神話」こそがワイマール共和国のパラダイムを書き換えるのだと示唆する。

さらに「無政府主義の著作家たちが権威と一体性とへの敵対性から神話の意義を発見したとき、かれらは、そうなることを欲せずにではあるが、新しい権威、秩序と規律と階序性への新しい感情の基礎づけに貢献したのであった。」と、ときのファシストを評価しながら、同時に無政府主義者アナーキスト)たちをも評価する。

高度な筆力で綿密な論考や扇動的な文体を駆使しながら、ヘーゲル批判、マルクス主義共産主義批判、民主主義・自由主義批判を繰り広げ、これら批判に対するソリューションは一切提示せず、批判ならぬ「否定」で本論考は終わりを告げる。

ある意味危険な作品と書いたが、付け加えれば、この作品が発表された時代背景を鑑みても、ある意味不気味な作品だともいえる。

*  *  *

カール・シュミットほどの明晰な頭脳と文体をもってすれば、もうなんでも言えてしまうであろう。ヘーゲル批判、マルクス主義共産主義批判、民主主義・自由主義批判までしたのだから、同様のコンテキストでナチスの批判も可能である。これをしてしまったことで彼は党の御用学者から引きずり下ろされることになる。ある意味リベラルな人とも言え、そうした観点からもニュールンベルク裁判で不起訴となったことは想像に難くない。

読書会のメンバーの間では賛否が真っ二つ、毀誉褒貶に満ちた作品であったが、私としては彼の3つの批判、ヘーゲル批判、マルクス主義共産主義批判、民主主義・自由主義批判に「こういう切り口があったのか」と、目からうろこが落ちた。のちの新左翼たちに支持されたという事実にも納得がいく気がした。また、『陸と海と』の印象が強く、たしかに筆の立つ男だと思いつつも、「こういう本も書くのだ」という発見と感心もあった。

そしてこの本を読書会で読んだ意義、いま読む意義は、混乱する日本の政治やアメリカのトランプ政権、朝鮮半島問題などの「いまという混迷の時代の中でどんな未来が出現するか」という洞察を得たところにある。つまり、過去直近の政治改革や経済破綻などから出た残念な結果を超える「未来」とは、どんな「理論」からも出てくることはない、ということである。「理論」に見えるもの聞こえるものほど、その多くは権力に耳心地のよい神話であり、作り事、後付けであると疑って間違いない、ということでもある。

最後に、メンバーの一人一人が個人の意見を発表した。20代の女性営業職メンバーが「『現代議会主義の精神史的状況』を読むことでいまの日本の政治のあり方を考えるきっかけになりました」と発言したのに対し、「就職面接の応答のような模範的意見ですね」とのコメントが大手システム会社の管理職メンバーから入った。就職面接で『現代議会主義の精神史的状況』の書名を出して採用に直結するプラス印象を面接官に与えることは、まずないだろう。本書はそれだけの奇書であるともいえる。

さて次回、第22回目はさらに趣を変え、ドイツから南に下って、ムッソリーニの故郷イタリアの文学へ行くことにする。お題はイタロ・カルヴィーノ著『見えない都市』。すでに読みはじめたメンバーも何人かおり、前半はボルヘス的な内容展開であるらしい。久しぶりの小説を、そして、本読書会で初となるイタリア文学でどんな議論になるのか。次回もお楽しみに。

三津田治夫

おしらせ:6月29日(金)に「人にしっかりと伝わる アクティブ・ライティング入門」を開催します

好評のライティングセミナー、今月は29日(金)に開催します。
言葉に積極的にかかわる書き方「アクティブ・ライティング」を学ぶ2時間のコースです。参加登録ページは以下です。

goo.gl

参加された方全員に、ライティングの要点中の要点がまとめられたカラー・リーフレットを無料進呈します。
ぜひこの機会に、ライティングの扉を開き、いまを自分らしく生きるためのスキル、「アクティブ・ライティング」を身につけていただきたいです。
なお、5月のセミナー・レポートが以下にあがっています。ご参考にどうぞ。

5月11日(金)開催、「人にしっかりと伝わるアクティブ・ライティング入門」(前編)
●5月11日(土)開催、「人にしっかりと伝わるアクティブ・ライティング入門」(後編)

恐怖政治をもたらした自由と平等の革命:『フランス革命』(上・下)(アルベール・ソブール著、岩波新書)

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人間に自由をもたらした革命。
自由・平等・博愛の革命。
もしくは、恐怖政治。
マリー・アントワネットという無意識な人が好き勝手やっていた。
ルイ十六世がダメだった。
実はフリーメイソンの革命だった、など……。

フランス革命はいろいろな読まれ方があるが、一つだけいえることは、それは「持てる者」すなわち「お金持ち(ブルジョワジー)のためのお金持ちによる革命」であり、「持てる者」が社会のリーダーシップを取るという、資本主義の出発点だった。反対から見れば、フランス革命がなければマルクスもいなかったし共産主義もなかった。
「持てる者」理論を簡単に言うと、思想を行動へと移せるのは「持てる者」であり、それ以外の人は「持てる者」についていきなさい、である。
しかしフランス革命時の「持てる者」(=お金を持つ人)といまの時代の「持てる者」の間には決定的な違いがある。それは、「利殖以外にも関心があった」という点だ。

言い換えれば、利殖をするにもフランス革命時代のお金持ちには障壁が多すぎたので、利殖以前にそれらを取り除くことに関心があった、ということである。その障壁がすなわち「封建制」であり、封建制のトップにいる「王」が障壁の根源、ということになる。それがルイ十六世をはじめとした封建貴族の処刑へとつながり、封建主義者(反共和主義者)の処刑により社会をリフォームしていこうという動きが恐怖政治へとつながる。

そしてお金持ちが封建制と同時に目をつけたのが、大衆の不満意識だ。彼らの中には市民ともお金持ちともつかない「小金持ち」(プチ・ブルジョワ)がいて、「不満意識」という共通点のもと、お金持ちと大衆が連帯した。そしてその連帯を実現するために、お金持ちたちは、「思想」を現実社会に実装しようとした。それが、ルソーやロックなどの「啓蒙思想」である。この点もまた、いまのお金持ちとはまったく異なった立ち位置にある。

人民が共有した連帯の物語
「持てる者」とそうでない者が共感し、連帯し、双方にとって気持ちのよい社会を作っていこうという姿勢は、数えてあまりある恐怖政治の犠牲を差し引いても、人類の歴史的な大進歩である。
しかしいまは、フランスの封建時代のような強烈な抑圧は市民にない。さらにいえば、お金持ちと一般市民の間に、「共通の不満」はない。ゆえに、連帯はほぼ無理だ。

つまり、現代のお金持ちと市民の間に、共感や連帯が生まれる基盤はない。だからこそ、現代の「持てる者」は利殖と蓄財といった「自衛」に走る。一般市民やサラリーマンができる自衛とは、わずかな貯蓄と、クビにならない程度に手を抜き働くこと、になる。それによって生産性は低下し、お金持ちはますます自衛に走る。現代のブラック企業の構図が、フランス革命の史実を通してありありと目に見えてくる。つまり、共通の問題点や共通のゴール意識が市民社会の中にない、ということである。それは言い換えれば、切迫した危機感や、切迫した目標、どうしても実現したい理念がないからである。さらに言い換えれば、現代人は物質的に十分恵まれている、ということでもある。もしくは、恵まれていない人は、連帯する影響力や感性がなく、その気力すらない、ということでもある。

日本人が持つ「連帯の物語」とはなにか?
フランス革命には人々に強烈な理念と理想があった。
誰からも約束されていない未来に向かっていくこの情熱は、いったいどこから来るのだろうと、何度も考えた。しかし一言で言えば、フランス封建制という「日常の不満からの脱却」が情熱の原動力である。そうした現実を素直に受け入れなかったのは、啓蒙思想家が残した幸福の物語だ。そしてフランス人が共有した幸福の物語とは、ルソーやカントが唱えた、「自由」の物語である。人間の最も幸福な状態とは、自由な状態、という物語が、徹底的に考えられ、思想として書き上げられ、フランス人のナショナルヒストリーに組み込まれていった。

フランス革命の時代には、人々が共感し連帯する素地が備わっており、起こるべくして起こった革命だった、と考えることもできる。

では現代日本の市民の共感や、連帯の素地とは、いったいなんだろうか。
少なくとも、お金を通じた共感や連帯は、現代市民においてはないはずだ。それよりも、意識的な共感や、島国としての土地による連帯の可能性が高いだろう。言い換えれば、昔の日本人に戻りつつ、いままでにない価値体系の中に暮らす、というイメージではないか。

フランス革命は、現代の革命の原点であると同時に、いまの資本主義社会を読み解くための重要な歴史的ムーブメントである。

最後に、フランス革命のアウトラインを時系列でまとめておく。

*  *  *

●背景
1)ブルジョワジー啓蒙思想の影響
2)フランスの英国に対する経済的劣等があった
3)資本主義の幕開け

●1774年 ルイ16世政策により財政が傾く
アメリカ独立戦争への支援・戦費がかさむ
→貴族の年金の付与がかさむ
→貴族への課税を実施(→貴族の王権への反発が起こる)

●1789年 フランス革命勃発
→第3身分と貴族、国王による内戦(「貴族の陰謀説」が発端だった)
→貴族対農民(旧体制に反対する)の内戦

●1789年 7月14日 バスティーユ監獄襲撃事件
ブルジョワジーが権力を持つことに

●1789年10月 パリ市民がベルサイユ宮殿に集結
●1791年9月 新フランス憲法公布
→土地の国有化

●1792年8月 王政廃止
●1792年9月22日 共和制公布
ジロンド派ブルジョワと同盟)
ジャコバン派ブルジョワ派ながら農民と同盟)

●1793年 ジロンド派ジャコバン派の対立激化
●1793年5月~6月 ジロンド派追放「ジャコバン政府革命」
●1793年~94年 農民による旧体制一掃の要求
→社会政策の実施、ブルジョワの反発

●1794年春 ダントン処刑
ロベスピエールによる恐怖政治

●1794年7月27日 ブルジョワによる、テルミドールのクーデター
ロベスピエールが処刑される

●1795年 新憲法発布 普通選挙制を廃止
●1796年 「財産と労働をと共にする共同体」の共産主義イデオロギーが現れる。バブーフの陰謀。
●1799年11月9日 ナポレオン、クーデターを断行
軍事独裁
フランス革命終了
→欧州および世界にフランス革命の思想が拡散

*  *  *
三津田治夫

セミナー・レポート:5月18日(金)開催、「はじめてのグラレコ・ミートアップ ~共創力を身につけよう~」 ~第6回 本とITを研究する会セミナー~

登録開始から数日で満席になり、その後も11人のキャンセル待ちになった人気セミナーのテーマは、「グラレコ(グラフィックレコーディング)」である。
5月18日(金)、秋葉原ビリーブロード株式会社にて「はじめてのグラレコ・ミートアップ ~共創力を身につけよう~」が開催された。

◎講師が即興で作成した看板が参加者たちをお出迎えf:id:tech-dialoge:20180602180730j:plain

チームで結果を生み出すには議論や意思決定が不可欠。より効率的にする見える化のために、イラストや図表をふんだんに使った議事録「グラレコ」が取り入れられる機会が増えてきた。

今回は「チームの共創力を身に付ける」をテーマに、話題のグラレコの描き方とそのコツ、基礎スキルを身に付けるまでをゴールにセミナーをミートアップ形式で開催した。

講師は、本とITを研究する会のメンバーで、ビジュアル・プラクティショナーとしてイベントや会議の記録をリアルタイムでイラストにまとめる達人、宇治茶更(うじさかえる)氏。セミナーでは講師の持つ技能の一部を初心者でもわかりやすい形にブレイクダウンされ、レクチャーを挟んだ実習カリキュラムとして提供された。

◎ペンの先端f:id:tech-dialoge:20180602180843j:plain

ペンの先端は刀型になっており、この傾きの具合で線の太さが変わる。このペンづかいから実習がスタート。

◎スキルを高めるには作例に触れることが重要。講師が用意した多数の作例を研究中f:id:tech-dialoge:20180602180937j:plain

「困ったときは“困った”と声に出しましょう」という宇治茶更講師のアドバイスのもと、会場内は終始会話はたえなかった。

◎グラレコの練習を準備中f:id:tech-dialoge:20180602181055j:plain

会場内の熱気からも、表現したい人は多く、また、グラレコにより「心の中がアウトプットされた」という感動を得た人も多かった。言葉にできないなにかが、ペンを動かすことで目に見える形になるということは、人の心の不均衡状態を整える効果もあり、心理学的にもとても重要だと思う。

◎練習前の座学でもしっかりと学習f:id:tech-dialoge:20180602181221j:plain

以降、百聞は一見にしかずで、セミナーの模様を写真でお届けする。

◎練習開始!f:id:tech-dialoge:20180602181311j:plain

◎講師が多数の作例を提供してくれたので、安心して練習が進められたf:id:tech-dialoge:20180602181424j:plain

◎配布された教材。ノートに繰り返し描くことでグラレコ力が身につくf:id:tech-dialoge:20180602181504j:plain

◎上達したら、少なくともこのぐらいの色数は使いこなせるようになりたいf:id:tech-dialoge:20180602181551j:plain

◎上達には練習あるのみ。そして練習を続けるには「楽しむ」こと!f:id:tech-dialoge:20180602181642j:plain

三津田治夫