本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

こしがやエフエム「モーニングライブハッピー868」にて、対談が放送されます

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きたる11月9日(月)の8時20分~8時30分、こしがやエフエム「モーニングライブハッピー868」にて、私の対談が放送されます。
その収録にスタジオにお邪魔しました。
監修させていただいた書籍『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の紹介、11月開催のワークショップ「越谷技博」の案内、株式会社ツークンフト・ワークスの活動など、7分ほど収録しました。

録音は2度行いましたが、収録、楽しかったです。
病みつきになりそうです^^
局に舞い込むメールやリスナーの電話が多く、地域の力を強く感じました。
パーソナリティをつとめる女性陣ともお会いし、彼女らのやりたい・ワクワクドリブンの仕事の姿勢には敬服しました。
こういう力が地域にエネルギーを与えるのですね。

スタジオに入ってふと思い出したのは、小学校と中学校のとき、放送委員会に入っていたこと。
給食のときのBGM流しと、朝礼のマイク設置、アンプ操作などをやっていました。ケーブルが校庭の石灰で真っ白になり、リールに巻き付けるのに手や体がどろどろに汚れた記憶があります。

ご対応いただいたパーソナリティの高橋さん、棟方さん、ありがとうございました。

周波数は、ハローハッピー86.8MHz、です。
ネットラジオでも聞けますので、ぜひ、お楽しみに!

https://koshigayafm.co.jp/

三津田治夫

第31回飯田橋読書会(withコロナ・バージョン)の記録:『人間・この劇的なるもの』(福田恆存著)

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今回は「読書会withコロナ・バージョン」と題し、初のZoomによるオンライン読書会を飯田橋読書会において開催した。

半年ぶりの生存確認も兼ねたチェックインでは、リモートワーク三昧のKMさんや、ゲームばかりやっていたMさん、普段から家にいるからあまり変わらなかったというHNさん、外食がなくなったというAさん、フルリモートワークのHさん、コロナ禍で消費と蓄財に明け暮れたKNさんのお声を聴き、画面越しに元気なお姿を見ることができてよかった。

チェックインを終え、今日のお題である『人間・この劇的なるもの』に話が及ぶ。

福田恒存はすごい」
「一見、なにを言いたいのかわからない難しい本だ」
福田恒存は完全な演劇人」

など、作品に対するさまざまな第一印象が各人からあがった。

演劇人としての福田恒存
話題は演劇人である福田恒存からはじまる。
本書の中ではシェイクスピア論がしばしば展開されている。
シェイクスピアは日本では江戸幕府が始まったころの演劇人。
少しあとの演劇人にフランスではモリエール、日本では近松門左衛門がいた。
シェイクスピアを出発点に世界の演劇を見渡した。
江戸時代といえば作家の井原西鶴がおり、「作品」が多数輩出された時代である。
なぜこの時代に作品が集中したのだろうかという疑問が出た。
それに対し、「都市に人口が集中し、商業が成立したことに関係するだろう」という、商人文化と作品の関連を指摘する声もあがった。

福田恆存劇団四季のために書き上げた『解ってたまるか!』は金嬉老事件を扱った作品で、HNさんとKNさんが軽井沢で自主合宿を実施し、DVDで鑑賞していたという。そのうえで「福田恒存の演出は眠くなる」という発言もあった。

思想と保守論、現代の知識人とは?
会の中盤では、福田恒存の思想と保守論、現代の知識人について話題が移った。
保守思想家である福田恒存は、「自由・個性・平和」という単語を軽薄に扱うことを嫌い、多数の知識人を批判した。

そこで、「なぜいまは知識人がいないのか?」という本質的な疑問が呈された。
それに対する発言、「現代は知識がサブカル化した時代」は印象的だった。
知識とは本来、メインカルチャーであるはず。
しかしこれが、いつからかサブカルになってしまった。
一体どういうことだろうか。

「メインとサブの境がなくなった時代。」
「大知識人が求められなくなった現代。」
「大知識人のいない現代。」

さまざまな意見があがった。
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリや『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンドが現代の大知識人なのか、という問題提起もされた。

再び保守に戻る。
特別に変わったことを言っていない福田恒存は、よい意味の「保守」である。
彼のよって立つ場所は「常識」、すなわち保守である。
彼の保守思想は、戦後民主主義に流されてしまった人を痛烈に批判する。
その意味で鶴見俊介は常識人であり、彼の中に福田恒存との共通項を見たという声もあった。
福田恒存対談・座談集』という作品があり、この中には三島由紀夫との対談も収録されている。非常に興味深い。

「いまでも読める昭和」という発言は興味深かった。
昭和といえば、「愛のコリーダ裁判」や「サド裁判」「チャタレイ裁判」など、作品を扱った裁判が目白押しで、「いまじゃないよな」という声が方々から聞こえてきた。
作品や表現のあり方が激変したのが、この、昭和という時代だったことを再確認した。

型と伝統、若さとイノベーション
「伝統の延長でしかない未来」という言葉を、若者は、いわれてもわからない。
こうした未来を否定する態度は、ある種の革命至上主義である。
『人間・この劇的なるもの』は、過去を破壊して新しいものを作ることを唱える本ではない。
保守主義思想の本といわれるゆえんはここにある。
保守主義とは「個性、自由」という言葉への批判でもある。
言い換えれば、「型」を重視した考えである。

「型」とは奥が深い言葉だ。
文化とは様式であり、型である。
言語自体が型である。
だから、私たちは本来、型から逃れられない。
人間の思考にも「型」がある。
とはいえ「型」とは、固定的ではない。
時代と共に変化する。
日本語による思考という、言語に縛られた思考の「型」もある。
人の認識は、言語に依存している。

このような「型」を認識しながら、そこに入ることは「保守」、である。
若さゆえの未熟さが、「保守」という言葉に反発する。
福田恒存に対するかつての若者の印象は「こんな右寄りの本は読めない!」であったという。
しかしいまとなっては、「型」が新鮮な時代であることも確認できる。

身体という本質を直視した、人間回帰の本
保守や「型」などをめぐり、多様な発言が飛び交った。
が、この作品の根本たる保守思想は、演劇人としての福田恒存の存在が大きくかかわっている。

演劇とは、身体の芸術である。
身体とは、私たち人間が共通に持つ、決して逃れることのできない「型」である。
この、生身の身体という「型」の中で、舞台や脚本、時間という制約下で表現する芸術が、演劇である。
本作品を通して「身体に帰れ」と作家が叫んでいるように聞こえる。

「~思想」「~主義」「~論」など、戦後の人たちは「コトバ」に支配されて生きてきた。
そうではなく、もっと根源的な「身体」に目を向けよ、と作家は訴える。

それに気づかされたのは、作者がたびたび語る「味わう」という表現であった。以下、引用する(太字は三津田が付与)。


===
見るというのは、たんなる認識でも観察でもなく、見たものを同時に味わうことにはかならぬ。
===

世界の一片しか見ることができない人間の認識を、作者は次のように表現する。

===
意識は過去・現在・未来の全体を眺めわたせる地位にありながら、しかも限られた枠のなかだけしか見ようとしないから、その間の時間の経過を強烈に味わうことができるのだ。
===

時間の経過を通して、限られた枠中の実体を人は「味わう」のである。
また、こうも描写する。

===
私たちが個人の全体性を回復する唯一の道は、自分が部分にすぎぬことを覚悟し、意識的に部分としての自己を味わいつくすこと、その味わいの過程において、全体感が象徴的に甦る。
===

人は世界の一部でしかないことを自覚しながら味わうことを通して、一部としての自分が世界としての自分と一体化する。

人間は身体的な存在であるからこそ、五感をフルに動かし、世界の一部的な自分を、世界全体へと調和させることができるのだ。

コトバでは決して到達しえない、人間の奥底に備わる「感性」の力である。

「常識とはなにか」を考え直す貴重な機会
最後のまとめとして会場からあがった発言は次のとおりだ。

「個性と生き方の本」
「人生演じていてなんぼであるが、どう演じるか、が、問題だ」
「古びていない保守のいいところ表している」
「テレビやマスコミに決して流されない、“しっかりと考えなさい”が込められている本」
「保守の価値。保守と伝統が気になった」

このように、総じてポジティブな意見だった。

読書会のだいご味は、開会時の意見と閉会時の意見がまったく異なることだ。

複数の人間が一冊の書物に取り組むことで、作品を真摯に受け止め、一つの共通認識が形成される。
その共通認識は決して強制ではなく、作品から浮かび上がってきた雰囲気から各自が自由に受け取ったものである。

読書会は言葉の会である。
とはいえ、非言語のコミュニケーションが重要な位置を占める会である。
そんなことを、今回はオンライン読書会を通して確認できた。
オフラインでもいち早く開催できることを願っている。

三津田治夫

地域貢献活動の一環として、「越谷技博」にてITワークショップを開催

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DX(デジタルトランスフォーメーション)、IT教育の時代に備え、11月8日(日)、14日(土)、23日(月、祝日)の3日間、越谷で開催する「越谷技博」にて『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』(プレジデント社刊)をテーマに取り上げた、以下2つのワークショップを開催します。

「親子で楽しく学ぶ ITテクノロジーのきほん」
11/08(日) 14:00~15:30
11/23(月) 14:00~15:30

②「わからない人に教えたい人のためのIT入門講座」
11/14(土) 14:00~16:00

①はプログラミング教育を見越した、親子を対象としたワークショップです。アイデアの発想方法(絵を使った物語づくり)から論理思考(物語の文章化)までを、「IT」の視点から楽しく学んでいきます。

②は、大人向けの内容です。具体的には、9月にオンラインで開催した「わからない人に教えたい人のためのIT入門講座」のオフライン版です。

開催場所は、東武スカイツリーライン越谷駅秋葉原から約40分)前の釘清商店、2階セミナールーム(広くてきれい!)です。
ITに触れていただく、ITを知るきっかけを持つ集まりにしていきたいと思います。
また、地方分散社会構築の第一歩にもささやかながら貢献できたらという意味も含まれています。
登録は、以下サイトからお願いいたします。

①「親子で楽しく学ぶ ITテクノロジーのきほん」
https://wazahaku.com/2020/5095/

②「わからない人に教えたい人のためのIT入門講座」
https://wazahaku.com/2020/5096/

ぜひお越しください!

三津田治夫

10月28日(水)に、知と地域のプロジェクト「知活人」オンライン・ディスカッション会を開催します

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本ディスカッション会の趣旨
「知活人」のディスカッションを我々コアメンバーで毎週行っていますが、今回は、このディスカッションへのフリー参加の呼びかけです。
「知活人」のリリースに向けて関心のあるさまざまな人の声を取り入れ、よりよいオンライン・サロンに仕上げられたらと考えております。

どんなプロジェクト?
「知」という驚き(ワンダー)を安心して手に入れ、IT活用で発信・共有できる場を作ります。

概要とコアメンバー
リモートワークという、地域で働くスタイルが急速に広がるいま、私たちは「知活人」(商標登録出願中)という名のプロジェクトにより、同名のオンライン・サロンを立ち上げる準備をしています。
立ち上げのコアメンバーは、三津田治夫(出版プロデューサー、元遠距離通勤者、元バックパッカー)、谷藤賢一(IT講師・著述家、都心で会社を経営する地方生活者)、大橋義一(エディトリアルデザイナー、都会と地方の二重生活を準備している)、岩本修(Webディレクター・著述家)の4名です。

「知活人」の詳細
「知活人」のネーミングは、「知」を核とし、地域で生き、地域を活かすアクティブな人たち、というコンセプトのもとで作りました。
IT活用のリモートワークなどにより地方分散社会に移行する中、会社という身を置く箱の存在意義が薄れ、私たちが個別に持つ「知」への意味が深まっています。
また、コロナ禍で、マスコミによる情報が錯綜し、情報の受け手である自身が持つ「知」の重要性がますます高まってまいりました。
オンライン・サロン「知活人」では、地域での「アクティビティ」(田舎暮らし、地域探索、地域貢献)と「学び」(プログラミング、速読、ライティング、出版、デザイン)と言う2本の柱を中心に、著名人やITエンジニア、クリエイターを講師にお招きしたイベント(オンライン/オフライン)と交流会を定期開催し、メンバーの対話と成長を促す安全な場を提供します。
また「知活人」は、メンバー自身が講師になり、知識を交換する場でもあります。その活動もオンラインとオフラインの双方にまたがります。
同時に「知活人」は、職場でも家庭でもない、サードプレイスでもあり、「知」を通した驚きや発見、感動を自由に分かち合える場です。

最後に、お願いです
「興味がある」「なんとなく面白そう」と、感性に響かれた方は、ぜひ、このディスカッションへご参加ください。
ディスカッションは、「知活人」を作り上げ、日本を元気にするための場です。
「知活人」の立ち上げに、ぜひ力をお貸しください。
(なお、真剣に取り組んでいるプロジェクトですので、冷やかし参加はご遠慮いただけますよう、どうかお願いいたします。)
新しい出会い、忌憚のない新しいご意見の交換をいただけたら、非常にありがたいです。
よろしくお願いいたします。

詳細と参加お申し込みは、こちらです(キャンセル待ちの場合もございます。ご了承いただけたらと思います)。

三津田治夫

「本」とはなにか?

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最近よく「「本」とはなにか?」という議論を耳にします。
デジタル社会で情報優位が高度化する中、ますます「本」という物体に人の目が向けられているのではないでしょうか。
近年アナログガジェットとしての文具が見直されているのも、この流れに近い感じがします。

そもそも「本」って、なんですか?
では、そもそも「本」って、なんでしょう?
これに答えられる人は少ないです。
たとえば、以下のように定義してみます。

・本とは、文章が紙で束ねられたもの。
・本とは、紙で束ねられた文章が商業流通しているものもの。
・本とは、紙で束ねられた文章で売買が成り立っているもの。
・本とは、印刷された物体。

逆に、以下のような反証もできるのではないでしょうか。

・本とは、文章が紙で束ねられたもの。
 →束ねられていないと本ではないのか?
・本とは、紙で束ねられた文章が商業流通しているものもの。
 →自費出版は本ではないのか?
・本とは、紙で束ねられた文章で売買が成り立っているもの。
 →利益の出ていない本は本ではないのか?
・本とは、印刷された物体。
 →電子書籍は本ではないのか?

物理的な定義や経済的な定義など、「本」は、さまざまな定義が可能なメディアです。池と沼の違いや、沼と湖の違い、腕と手首の違いを定義づけるほど、実に曖昧なものです。

さらに、トップダウン的な思考に切り替えると、本とは「大衆が認めたもの」「政治経済的な権力が認めたもの」「歴史が認めたもの」とも言えそうです。
一方、ボトムアップ的に考えると、本とは「人の手と心によって作られたもの」ともいえそうです。それでは、手とはなんだ(ロボットは手を持っている……)、心とはなんだ(AIは心を持ちつつあるし……)という議論も出てきそうです。しかしここでは、そこまで入りこみません。ロボットやAIが作った本もそろそろ出てきそうですが、現時点で私は、本を「人の手と心によって作られたもの」と定義したいです。
こうした疑問も、ロボットやAIが日常に入り込んできたいまだからこそ、私たちに突きつけられた大きな課題です。これは、かつては哲学者が議論していたような課題です。

人の手と心によって作られたもの
「人の手と心によって作られたもの」という枠組みで考えると、プログラミングやデザイン、ライティングというキーワードも浮かんできます。建築や工業製品、舞台芸術も同様です。成果物がコピペされたものか、自動生成されたものか、どこかから無意識のうちにコピーされてしまったものかという、「創造性」の話にもなります。では、どこからどこまでが創造的で、どこからどこまでが創造的でないのか、という議論にまで広がります。この点もまた機会を改めて考えていきたいです。

三津田治夫

丸善 丸の内本店に『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の自作ポップを持参しました!

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ビジネスの中心、東京、丸善 丸の内本店にお伺いしました。
『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の自作ポップを持参しました。

8月と比べてお客さんの数が格段と増えていました。
うれしい限りです。
3階のコンピュータ書籍売り場の入り口と棚の二カ所に陳列していただきました。

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書店のご担当様には丁寧に対応いただき、その場でポップを設置していただき、感謝します。

イラストで基礎の基礎から理解できるITの世界を本書でお楽しみください。
『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』、ぜひ書店にお越しいただき、手に取ってごらんください!

三津田治夫

9月26日(土)「新時代に捧ぐ 読書の快楽 第3回 ブック・トーク大会」を開催

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9月26日(土)、「新時代に捧ぐ 読書の快楽 第3回 ブック・トーク大会」、あっという間の90分を終えることができました。
本編の後には交流会も実施しました。
今回は、ピアニスト高橋望さんにより以下の書籍が紹介されました。

『ピアニストの思考』(福田達夫、春秋社)
『ピアニストその人生』(園田高弘、春秋社)
『クラシックの愉しみ』(横溝亮一、角川書店
音楽史を変えた五つの発明』(H・グッドール、松村哲哉訳、白水社
宇野功芳対話集~演奏の本質』(宇野功芳音楽之友社

各々の書物は非常に興味深く、音楽書籍を音楽家がレビューすることで、書物の新しい形が浮かび上がってきました。
宇野功芳対話集~演奏の本質』では、先日秩父で高橋望さんと共演された、ヴァイオリニストの佐藤久成さんの往復書簡形式のコラムが掲載されているくだりが印象的でした。
90分では語り切れない内容でした。
また来月にも開催できたらと考えております。
告知しますので、ぜひお越しください。

三津田治夫