本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

日本が第1位を獲得。観光魅了度ランキングが意味する、コンテンツの力

先日、世界経済フォーラムが発表した世界の観光魅了度ランキングで、日本が初の第1位を獲得した。
これは素晴らしいと思いつつ報道を聞いていた。
そして、昨年の第1位はスペイン(今年は第3位)だという。
何百年も前の世界大国であったスペインがいまは観光小国へと転じ、その地位を日本に譲った形である。

かつての地位をスペインから日本が奪ったという報道を耳にし、経済大国と言われた日本もスペインのような小国にシュリンクするのか……と、ネガティブな近未来を想像した。

ニュースを知る少し前のことだった。
仕事を通して、年々低下を感じさせずにはいられないここ20年の日本のITの技術レベルに関し、それが印象なのか現実なのか、真相を知りたく、日本の世界的な立ち位置を調査していた。

調査すると、2つの象徴的な結果が見えてきた。
一つは、日本のデジタル政府ランキングが世界第9位(前年7位)という結果で、もう一つは世界主要各国のデジタル競争力ランキングで前年から下がって64カ国中28位という結果だった(おのおの早稲田大学電子政府自治体研究所(2021年度)、スイス国際経営開発研究所(2021年)発表)。
世界の統計からも、日本のITの凋落ぶりが見て取れた。

近年のITの覇気がない印象から、知り合いのITエンジニアたちとは「日本もスペインみたいな国になるのだろう」などと、冗談半分でたびたび口にしていた。近未来の想像は、あながち想像だけでは済ませられなさそうである。

日本にはワンダーな特異さがある
スペインが大航海時代に戻って再び世界を制覇することは考えづらい。政治経済は他国に握られておりスペインが入る術はない。
日本も同様に、お家芸と言われたマネーやテクノロジー、モノづくりの力も、スペインと同様他国に握られつつある。
日本のITやものづくりのプレゼンスの低下や、成長が漸減する日本のGDP(世界第3位であるとはいえ)という現実が、日本の小国化を如実に匂わせている。

近ごろは地政学を扱った書籍が書店で話題になっている。
その関連で『新しい世界の資源地図』(ダニエル・ヤーギン著)を読んでいた。
その本文に日本という単語がほとんど出てこなかったところが印象的だった。
地政学から見ても、日本の世界的なプレゼンスがかげりを見せていることが読み取れる。

これらを踏まえ、観光魅了度ランキング1位が意味するものは、スペインと日本とでは相当異なるし、その結果を冷静に解釈して日本の未来の指針として持つべきではないか、と考えるに至った。

日本の第1位が意味するところは、パンデミックの中で東京オリンピックを開催したことや、感染による死亡者数の少なさなど、さまざまな意見がある。
これらを一言で集約すれば、「日本のワンダーな特異さ」がこの時代の中で世界から評価されたからだと理解している。

特異さの総体はコンテンツを成す
隣国とは基本的に仲が悪いという定説を差し引けば、日本は世界的に好感度が高い国である。

海外に行くと日本人がリスペクトされることは多い。
昭和の時代にそんなことを口にすると「お前は日本礼賛の民族主義者だ。けしからん」などと言われることもあったが、現実として、日本人の海外での他者からの見られ方は、概してポジティブだ。

東西欧米から日本を見て、日本はアジアを統治しようとした脅威であり、原爆によるホロコーストに遭った世界で唯一の国であり、太平洋戦争の敗戦からイタリアとドイツと一線をかくして戦争放棄を宣言した国であり、朝鮮戦争ベトナム戦争の米国の縦として後方支援しながら奇跡的な経済復活を遂げた国であり、地震津波という災害の国であり、清潔で礼儀正しく、時計やカメラからオートバイ、自動車、超高層建築まで、小から大までさまざまなモノを作るのが得意で、映画やアニメ、マンガ、ゲームといったソフトウェア/コンテンツ作りにも突出した力を世界にアウトプットする国である。

日本が観光魅了度ランキング1位になったのは、上記のように構成された総合的要素全体が「コンテンツ」として、海外の人たちから受け入れられている結果である。

クリエイターと売り手の対称性が成長のカギを握る
ニューヨークに行けば自由の女神があり、トルコにいげはガラタ橋があり、ワルシャワに行けば文化科学宮殿がある。バチカンに行けばサン・ピエトロ大聖堂があり、ハワイに行けばダイヤモンドヘッドがある。
観光地には見どころや風情がたくさんあるが、自然から歴史・文化、プロダクトまで、狭い島国の日本においてその数が桁違いに多い。
日本は総体として巨大なコンテンツをなしている。

では、コンテンツとは何か?
自然や歴史・文化と組み合わさったソフトウェアである。
日本人はソフトウェアを大量に持っている。
それでもGDPは漸減し、モノづくりの力もITの力も漸減している。
それはどういった理由からか?
一言で言えば、営業とマーケティング、売り方・見せ方である。

本来リソースの少ない日本人が持つアイデアやコンテンツは、我々が持つ最後の産業である。
日本人の持つアイデアやコンテンツを海外に安価に売り渡し、営業やマーケティングの力を持った人たちに上手に取られる構造に入ることはあってはならないが、起こりうる事態だ。

ある意味営業やマーケティングは、かつての金融ビジネスのような
「知らない人から取る」「知る人が蓄財する」「その蓄財のトリクルダウン
(下層への社会的分散)が期待される」という、幻想の構造の中で機能していた。
従来の資本主義社会でこれがシステム的に起こり得ないことは
トマ・ピケティによって明らかにされた。

営業やマーケティングの担当で、収益の源泉が「コンテンツ」にあることを知らない人は少ないだろう。
一方で、コンテンツ・クリエイターに、自分たちが作り出したもののどこに収益の源泉があるかを知らない人は相当多い。
知ったとしても、売り方をわからない人は多い。
それにより買い手が見つからなかったり、適正な値付けができずに安売りしたり、不安からコンテンツにロックをかけてしまうなど、コンテンツと市場とのアンマッチが起こる。
そこに求められるのは、営業とマーケティングの力だ。
さらに求められるのは、営業とマーケティングの一段高い抽象度に立ち、適正な値付けと市場とコンテンツをマッチングする、プロデューサーの力だ。

モノやアウトプットをつくり上げるコンテンツ・クリエイターには、収益の源泉を編み出す存在であるというプライドを崩さず、同時に、営業とマーケティングとプロデュースの力がコンテンツを市場に送り届ける、ということを意識してほしい。

クリエイターが上ということはないし、営業マンが上ということもない。
マーケターもプロデューサーも同様だ。
それぞれの立場でそれぞれが責任を負う。
四者が対称的な存在として互いの仕事をリスペクトしあう。
そこではじめて、コンテンツは市場へと届けられる。

このフラットな四者対称の成立において、日本のコンテンツ産業は成長し、成長規模に応じ日本の世界でのプレゼンスは高まる。

さて、10年後の2032年、日本の産業構造はどう変容しているのか。
コンテンツのフェアな取引で世界を率いる日本の未来。
ぜひ見てみたい。

三津田治夫