本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

読みました:『世界インフレの謎』(渡辺努著) ~経済解決はトリクルダウンか賃金アップか? 介入か対話か?~

COVID19による人間の移動の制約でグローバル物流が分断され、世界の物の動きが停滞した。物不足、世界インフレが発生。さらには戦争が追い打ちをかけ、状況を複雑化させている。
この問題を起点に、本作の論旨が展開される。

パンデミック終息後もいまだ世界インフレが続く。
これは、世界伝播した恐怖心が根底にある「心の傷」がもととなる。
パンデミックという記憶が人間の行動に制限をかけている。
そしてパンデミックの特徴は、「突然の発生」と「世界的な同期」である。

慢性デフレ賃金据え置きの日本
予測不能な事態が重層的に発生し、世界的なインフレが発生する一方で、日本は相変わらずのデフレである。
世界インフレの中、日本だけが10年以上の価格据え置き賃金据え置きが続いている事態は異常である。日米間の金利差も激しい。

その本質に、日本人のマインドがある。
これかでもか、というほど続く長期のゼロインフレが日本人に「物価は上がらない」というマインドを植え付けた。

インフレは、「物価は上がるだろう」という、消費者のインフレ予想(マインド)によって発生する。
アメリカのようなインフレ予想の高い国の消費者は、安価な商品を探しに他の店には行かない。なぜなら、「物価は上がるのだから、他の店に行っても商品は高額だろう」と予想するからだ。

逆に、日本人は他の店を探す。なぜなら、「物価は上がるわけないから、他の安い店を探そう」と予想するから。

その行動原則を日本の商業主は知っているので、物の価格を上げない。なぜなら、上げると買われなくなってしまうからだ。それがひいては、賃金据え置きという、世界経済と反した状況へとつながっている。

2016年に赤城乳業アイスバーの値上げを発表した際、経営陣が消費者に謝罪するシーンを動画放映し、このことがアメリカ人の目に奇異に映った。

値上げは、従業員の給与上昇に直結するポジティブな行為なのに、なぜ経営陣が謝罪するのか、と。
海外の人がとらえた、「物価上昇は社会の罪」としてインフレを許さない、日本人のマインドの縮図である。

日本でトリクルダウンは起こらなかった
物価上昇のメカニズムには二つがある。
一つは、賃上げした金額を商品に上乗せして物価が上昇するパターン。上記の、アメリカなど海外がこれだ。
もう一つは、収益の余剰分を賃上げに充て、従業員の購買力がアップして物価が上昇するパターン。企業が儲かれば従業員に給与として還元され、従業員の購買力が上昇するという理屈だ。いわゆる、トリクルダウンである。

異次元緩和の日本政府がこれを狙ったが、物価・賃金据え置きという結果は、見ての通りだ。
このように、もう一つのパターンである、トリクルダウンは相当難しい。
たびたび問題となった、なぜ企業ばかり儲けるのだ、内部留保を従業員に還元しろ、という市民の声は記憶に新しい。政府の異次元緩和の成果がアウトプットされていないゆえの不満の声である。

とくにトリクルダウンを狙う場合は、物価が上昇する物語の共有をお膳立てするのが難しいという。

二者択一で回らない経済
インフレとは、「予想」という人間の心の中で発生するマインド、いわば心理学の問題から発生する。
インフレのコントロールには日銀の介入(オペ)が強力な武器とされている。
そして同時に、政府の話し合い、生産者や消費者への働きかけが重要であるという。

この、政府介入に加えた「対話」という意見には、基本とはいえ、いまさらながら、なるほどと思った。

対話もオペレーションの一つと言えばそうである。
ただ、対象には相手の数が膨大で、複雑多岐にわたっているため、時間もコストもかかる。ゆえに、対応は後手に回る。

2009年にギリシャが起こしたデフォルト(債務不履行)を思い出した。
これは、労働者人口の約4分の1が公務員であったことと、年金など社会制度の手厚さが過剰であったことが原因とされている。

ようは、生産性のないものにお金を使い過ぎた、である。
つまり、プレイヤー(営業マンや選手)ではなく、バックオフィスやサポーター(間接部門やコーチ)にお金を使い過ぎたのである。

これは、政府に仕える公務員が安泰で、社会福祉が充実してさえいれば国家が潤う、という図式のもとで成り立っていたはずだ。
経済の原理ではないが、賃上げが先か、収益が先か、の問題に近い。

企業にたとえたら、営業マンが先か、人事が先か、といったことになる。
営業マンに給料をたくさん払えば会社が儲かるか、人事に給料をたくさん払えば会社が儲かるか、という二者択一である。
そういった二者択一が不可能なことは明らかである。
なぜなら、社会(環境や人間)は日々変動しているからだ。

上記のギリシャの件も、公務員の安泰さと社会福祉の充実に過度に重きを置いた結果の破綻で、これは、1989年の共産主義国家(公務員が安泰で社会福祉が充実が社会の繁栄をもたらすという想定)の崩壊にも近い構図だ。

現実社会の激しい流動性に対して、作り上げた仕組みや組織の緩やかな流動性がついていけなかった結果だ。

対話とは、コストのかかる最強のテクニック
類似の考えから、世界インフレや日本慢性デフレといった経済問題への処方箋は、介入か、対話か、といった二者択一ではないことがわかる。

しかし、介入はオペレーションなど仕組の解決としてなんとかなるとしても、対話はあまりにも複雑で難しい。そこに破綻が生じる。

となると、人間に与えられた課題は、変化をとらえ、対話という至極複雑なテクニック、言葉を持った生き物にとっての基本であり、有史以来つねに課題とされてきた、対話というテクニックを磨き続けることである。

アジャイルソフトウェア開発宣言の以下の言葉を思い出した。

計画に従うことよりも変化への対応を
プロセスやツールよりも個人と対話を

過去の事象を振り返っていうのは言うがやすしだが、経済においても、ソフトウェア開発においても、最善解を得るためには、変化をとらえることと対話がキモである。

本作を読むことで、これらの重要性を改めて感じ、言語化することができた。

三津田治夫