日本が年々国際競争力を失う中、たびたび「イノベーション」という言葉が引き合いに出される。
先日とあるセミナーに参加し、印象深い公式をお見せいただいた。
それは
クリエイション × オペレーション = イノベーション
である。
いまの日本人は、アイデアを形にアウトプットすることよりも、既存の手順に従って物事をオペレーションすることにたけていると言われている。
これはIT書籍プロデュースの仕事をしているとよく見えてくる。
20年以上前は、プログラミングでなにをしましょうか、なにができるのか、というテーマの書籍が多く発刊されていた。
近年は、Webデザインの作例やアプリのオペレーションをどうするか、という書籍が売れる傾向にある。
前者は読者に「問い」を投げかけており、後者は「答え」を投げかけているという違いがあることがわかる。
ビジネス書でも同様だ。
手順や具体的ノウハウという「答え」が書かれている書籍は売れる傾向にある。
ノウハウを通して期待や夢、勇気といった、ポジティブな心の状態を手に入れられそうな書籍である。
問いが書かれた書籍はなかなか売れづらいく、新刊として世に出てくることは少ない。
抽象的で読者に頭を使わせるゆえに、多数の読者の共感を呼ぶことが難しい(売れづらい、作りづらい)のが大きな理由である。
問いを扱った世に出回る書籍の多くは、難しい古典ばかりだ。
問いから生まれるクリエイション
物を創るとは、そもそもなんだろうか。
それは、問うこと、である。
目前の答えをコピーするだけで、ものを創ることはできない。
創造は思考の過程から生まれる。
読者に問いを投げかけるという、書籍が本来持っていた大きな役割が失われつつあるのは残念である。
しかし即効性とスピードが重視されるいまの社会、書籍に限らず、反射的に相手に購買されるものが商品価値が高い、と評価されるのは事実である。
問う、ということは、経済活動の外側に置かれているものである。
前述のクリエイションとオペレーションの好例として、本田宗一郎と藤沢武夫の名前がよく出される。
前者は典型的なクリエイション(0→1)の人で、後者は出てきたものを商品化しビジネスとして回すオペレーション(1→10)の人だ。
日本企業のクリエイションの産物がいまでは古いものばかりになった。
それを多数のオペレーターでもって何十年も使いまわす、といった国になってしまった。
国際競争力が低下するのも当たり前だ。
創意工夫は個人の幸福感と生きがいに
管理職や経営者は創意工夫という言葉が大好きだ。
この言葉を従業員に向けてよく口にする。
現場で課題を発見し、個別に独創をもって解決しなさい、である。
言い換えるとこれは、1人の人にオペレーターとクリエイターの双方のスキルを求めているのに等しい。
日本人は創意工夫という言葉のもとに、業務命令に忠実に動きながら、部分最適化することを得意としている。いわば、ダブルバインドという厳しい状況の中でも創意工夫を実行する特異な能力を持っている。
そう考えると、日本人にも実はまだ隠れたクリエイターがたくさんいる。
ただそれが、数字に出てきづらく、なかなか社会に浮上してこない。
大昔のクリエイターが残したビジネスを後生大事にオペレーションし、問題の部分に現場が創意工夫で穴をふさいでいった。
日本人には、強力な部分最適化能力が備わっているのである。
極論を言うと、気合と根性でビジネスに勝つ、みたいな、世界でも珍しいノリである。
現場の担当個人が精神を働かせ根性を発揮してよいのが、日本の悪さでもあり、良さでもある。
その点に目を向けると、いっそのこと、個人が仕事に思い思いの創意工夫を加えながらそこに喜びを感じ、働き、生きがいを発見していくことが、これからの日本人の新しい生き方ではないだろうか。
狭く閉鎖的な国土で独自の文化を築き上げた日本は、おそらく歴史的にも、個人が思い思いの創意工夫をしながら喜びを感じ、生きがいを発見していく、を実行しながら、商業や文化を築いていったように思える。
言い換えると、組織や仕組みといった制約が少なく、個人や地域の裁量が大きかったのが、日本文化の特徴だ。
江戸の徳川幕府に目を向けてみる。
各藩に足かせをはめて巧みに支配した独裁権力という意見がある一方で、手綱を引きながらも、地方の各藩に自治権を持たせた一種の連邦国家を運営していた、ともいわれる。
昭和の戦後教育により、敗戦国日本の統治体系は歴史的にすべて間違っていたという文脈が日本人の中に植えつけられるにあたり、前者のような意見が一般化してきたのであろう。
徳川幕府には賛否両論があるが、少なくとも、長い間国家の侵略や内戦、疫病の危機を乗り越え、民族の存続を自力で保持し続けたという意味においては、運や偶然、立地条件だけでは片づけられない、完成した支配体系である。
日本人に個人の自主性や主体性がないという意見は、いったいどこから出てきたのだろうか?
なにが言いたいのかというと、日本人は、これからも個人の創意工夫を追求していくことが正道であり、他人がどう言おうが、これをさらに追求することが幸福への近道では、ということである。
これにより、仕事のやりがいや生きがい、幸福な生き方が個人の間に生まれ、ひいては日本社会もしだいに改善されてくるのではないだろうか。
知と富が溶けて拡散していく時代
1990年代、「従業員も経営者感覚を持て」ということを言う経営者の言葉をしばしば耳にした。
なんだか変な言葉だが、こうした混乱を従業員に与えていたことは事実だ。
そんなことよりも、従業員はプロの従業員になることが重要である。それは、個人で創意工夫しながら働き、仕事に価値を与えていくこと、である。その価値に経営者に気づかれなければ、従業員は雇用契約を解除し、自らの技能を持って、感度の高い理解ある経営者のもとに移ればよい。
一点だけ重要なのは、企業における個人の創意工夫は、個人の中にしまい込まないことだ。
オープンにし、集合知として共有することだ。
ここも日本人の弱いところだろう。
自分で発見した仕事の創意工夫が他人に知られると自分の居場所がなくなると、仕事の手の内を隠しながら働く人は少なくない。
私の新卒時代の職場でも、自分が開発した社内ソフトウェアのちょっとした仕様書やバグ・レポートをいっさい残さない主任がいた。彼はドキュメントを残さずに、自分が存在しないとソフトウェアが回らないという状況を作り出し、ユーザーの質問に逐一こたえることを業務としていた。
業務上で価値を生み出す自信がなかったゆえか、個人的な理由からこのような働き方を編み出したのかは定かでないが、これも一つの保身術である。
知と富が溶けて拡散していくこの時代、個人も企業も、情報や貨幣を自分のために抱え込む、という行動は未来を生まない。知と富は共有すべき財産である。
日本人は集合知との親和性が高い
従業員各人の創意工夫を経営層が集めデータベース化し、事業の成果につなげている中小企業が次第に増えてきた。
ちょっとした接客態度の変更や伝票処理の変更が小さなプラスを生み、それがチリツモになり、経営に影響を与える、という発想である。
日本人はもともとチリツモが好きだ。
古くは、メーカー企業がよくやっていたQCサークルがそうだ。ちなみに私は25歳のとき、業務アプリの分散化をテーマにQCリーダーを任され、一年間こつこつデータやレポートを集め、社内で発表した経験がある。
経営者が従業員に創意工夫のリターンを返さない、もしくは返しているつもりだが伝わらないことにより、従業員はアイデアを隠したり抱え込んだり、そもそもアイデアを出さない、という行動に出る。
昔は、金一封や表彰状がリターンとして使われてきたが、いまの時代はまったく別の形でのリターンが求められているのだろう(こうした課題は労使関係の心の問題であり、DAOの発想が解決していくと予測している)。
日本のオタク精神が次の時代を拓く
個人の小さなクリエイションがイノベーションを生む。
オペレーションの得意な日本人が個人の小さなクリエイション(創意工夫)の力に気づき始めたら、かなりの武器になる。
個人の小さなクリエイションとは、日本のオタク精神と同類にあると私は考えている。
オタクの各人は日本のGDPの底上げを目指して、コミケで同人誌を大量購買するのだろうか?
彼らは、個人的で深くて小さな趣味嗜好にこたえる、個人的で深くて小さなクリエイションを手に入れたい一心で動いている。
1980年代から90年代にかけて、オタクとはある種の差別用語だった(類似に「ネクラ」という単語も存在した)。
当時、個人的で深くて小さな趣味嗜好は悪いもの(オタク、ネクラ)で、大衆的で流行的で広くて浅い趣味嗜好が良いもの(オシャレ)だと評価され
ていた。
しかしいまでは、オタクという単語は市民権を得、産業の基盤をなすまでに至った。
本来日本人は趣味嗜好の判断の自由度が高い。
「仏教的に善だからこうする」「神道的に悪だからこうしない」という発想で行動する人はほとんどいない。
あるとすれば、そのときそのときの空気や、メディアの論調により判断を変えるぐらいで、宗教や慣習による制約が非常に少ない。
日本人は保守的な人種だと言われているが、保守を続けない理由さえ見つければ、さっさと手のひらを返す人種だと私は捉えている。
その振る舞い方に、西欧人には言語化できない特徴があるゆえに、理解されづらいだけだ。
大衆や流行に身や心を任せることは気持ちがいい。
社会に生きる市民としての一体感と自己効力感が得られる。
しかし、ときには個人にかえることも重要だ。
そして、個人的で深くて小さな趣味嗜好の世界にダイブする。
この発想で仕事に創意工夫を積み重ね、集合知として共有していく。
かつては、「小さなものではなく、もっと事業インパクトのあるスケールの大きい発想と行動を」と言われることが多かったが、いまはそんな時代ではない。
小さな創意工夫を集合知として積み重ねる。
それが巨大なデータとしてモデルになったころには、日本にも一つの「成長」が見られるであろう。