本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

コミュニティと共産主義、そして美しい造本は、多彩なエクスペリエンスを与える:『ヴォルプスヴェーデふたたび』(種村季弘著)

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1980年に刊行されたこの本、楽しみながら味読した。
19世紀後半にドイツに作られた芸術家コミュニティ、ヴォルプスヴェーデをめぐるエッセイ集。

現在でもドイツはブレーメン郊外に観光地として存在するヴォルプスヴェーデ。詩人リルケが一躍有名にした村である。
自然に還れ、芸術は自然の中にあるをスローガンに、ユーゲントシュティルの画家ハインリッヒ・フォーゲラーがこの村の運営を行った。リルケをはじめ、のちに彼の妻となる彫刻家のクララ・ヴェストホフ、画家のパウラ・モーダーゾーン・ベッカーなど、名だたる芸術家たちがこの村を本拠地に自由闊達な創作活動を繰り広げた。

リルケはのちにこの村を去り、ロダンとの親交を通して世界的詩人として名を挙げる。同時期『ヴォルプスヴェーデ』を発表し、小さな芸術家村の名前を世界に広く知らしめた。

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ヴォルプスヴェーデの運営者、いわばコミュニティリーダーであるハインリッヒ・フォーゲラーは、村の支援者から経済的支援が途絶え、のちにロシアに移り共産主義に身を投じトロツキー派として活動を展開するが、スターリンが政権を握ることで国を追放される。命からがらドイツに帰還するも、失意の晩年を迎える。
ハインリッヒ・フォーゲラーの半生をキーワードでくくるとすれば、創作、コミュニティ、共産主義、の3つである。

創作とコミュニティとはいまでこそわかりやすい概念で、ものづくりの場としてのコミュニティ、協創の場としてのコミュニティ、という考え方がある。
共産主義というと、計画経済や情報統制、プロバガンダなど、日本人にはいまの北朝鮮から受けるイメージが強いが、元を正せば「共産」というぐらいで、働く人たちが助け合いながら生産活動を行い、成果物を平等に分け与え、それを世界に広げましょうという、共存と世界平和の発想から来ている。これもまた、現在のコミュニティという概念の基礎をなしている。

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生産した作品を商品化し、貨幣化し、村を回すという経済的循環の形成が、ハインリヒ・フォーゲラーのようにうまくいかないと、支援者の撤退とともに活動は終焉を迎える。

言い換えると、王侯貴族がパトロンとなって芸術家たちを養っていた時代はとうに終わっていた、ということである。芸術家が精神的のみならず経済的にも自立する時代が、ハインリヒ・フォーゲラーの時代にはすでに来ていたのだ。が、彼はその時代をキャッチすることができなかった。逆に、この時代を巧みに泳ぎ渡った芸術家の名前として即座に思い浮かぶのが、『三文オペラ』の劇作家ベルトルト・ブレヒトである。

20世紀初頭のこの時代、いまの時代になんとなく似ている気がしている。
創作活動を貨幣に変換することはいつの時代にも困難だが、貨幣化までの資金を援助する人物の存在もまたいつの時代にも重要、ということがわかる。いまでは、クラウドファンディングがあったり、さまざまなスタートアップの方法や情報交換のコミュニティなどがあり、活用の機会も多い。このように、創作活動を貨幣化するための敷居は確実に下がっている。これはいい時代傾向である。

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『ヴォルプスヴェーデふたたび』に戻ると、この本の内容はもとより、造本が実に素晴らしい。
箱入り上製本は、昨今の書籍制作原価削減でなかなかお目にかかれなくなったが、上製本には、ならではの妙味や美学がある。手に取ったときの肌感覚、書籍を箱の中からストンと落としたときに感じる重力の感覚、そして、表紙を開いて現れる見返しの図案の美しさを楽しむ感覚。

一冊の本からこうしたさまざまな感覚の体験が現れ出る。つまり、さまざまな表情の「エクスペリエンス」を感じることができる。エクスペリエンスを与えてくれる本だからこそ、手にして嬉しいし、読んで嬉しいし、蔵書して嬉しい。
本には、書かれた文字から得られる思考的なエクスペリエンスと、物体に触れるという触覚的なエクスペリエンス、物体を所有するという物欲的なエクスペリエンスの、3種類がある。本来、本は、知識欲と物欲という2つの所有欲が密接に結びついた独特の価値を持っているものだ。これも、この本を通して私が言いたかったことである。

三津田治夫

セミナー・レポート:1月30日(火)開催「設計の謎の“本質”を探る」~第4回 本とITを研究する会セミナー~

今回は『システム設計の謎を解く 改訂版』の出版を記念し、「設計の謎の“本質”を探る」と題し、著者の高安厚思氏にお話しいただいた。

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設計の基本知識からシステム設計とアプリケーション設計、モダンな開発と設計手法、開発プロセスと設計まで、4つの話題を柱に、本で書かれなかったこと、また、本を書く動機となったことなどが語られた。

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気づきや発見の多い内容だったが、とくに、「文書は時空を超える」の言葉が印象的だった。ドキュメントにも「設計」が必要なほど、物作りになくてはならない重要な要素だ。物作りという観点で、規模は違えど、システム設計も、本作りと通じるなにかがあることを感じた。

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高安さん、これからも日本のエンジニアたちに「謎」を与え続け、「考える勇気」の素を送り続けてください!

三津田治夫

日本をアジア史から再確認し、未来を考える 『一外交官の見た明治維新』(上・下)(アーネスト・サトウ 著)

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通訳士として、親善の仲介役として、日本の政策に進言する参謀として、幕末の日本に配属された若きイギリス人青年外交官の目から見た、幕末から明治初期にかけての日本の姿がリアルに描かれた名著。

この本を支える2つのリアリティ
この本のリアリティは2つの支点で支えられている。
一つは、実体験を持った人の筆によるものなので、実に生々しい。目の前で本物の幕末が展開されているような印象さえ受ける。
そしてもう一つは、作者が外国人であるという点。
とかく幕末は、日本文化を決定的に切り分けるエポックであると共に、一つのノスタルジーとロマンでもある。
誰かに文書化され大衆に認知されたものが史実として残る。その意味で日本人の手により書き残された幕末像には、それなりのバイアスがかかっていると理解できる。
この考えに立脚すると、イギリス人のアーネスト・サトウが見た幕末像にこそ、西洋人というバイアスがかかった目の付け所や描写が多い、という見方もできる。だからこそ、おもしろいし、リアリティを感じる。日本人のバイアスのかかった幕末のリアリティとの差分を読み解くことで、実際の幕末を注意深く思い描くことができる。だから本書の内容は興味深い。

西欧帝国主義史の中に描かれた日本
興味深さの最大の理由は、日本の外から、しかも、イギリス人が幕末を描いた点にある。幕末に日本人がどういった志や考えのもとで列島内で動いたのかという歴史的な動向が、イギリス人の目で、一つの「アジア史」として描かれている。つまり、イギリスやフランスがアジア各国を占領した西欧帝国主義史の中に、日本の明治維新も、アーネスト・サトウの視点によってしっかりとはめ込まれているのだ。

1854年にペリーが黒船で来航し開国を迫った目的がビジネスにあったことは頭に入れておきたい。開国後の日本にイギリスとフランスがやってきて各港で海外物流が活発になった。イギリス人が薩摩藩士に殺害される生麦事件が起こったのが8年後の1862年で、この年にアーネスト・サトウは日本にやってきた。この物語は、生麦事件から1863年の薩英戦争、1864年にかけての下関戦争、そして1868~69年にかけての戊辰戦争を背景にした記録を中心に描かれる。

薩英戦争と下関戦争では薩摩藩長州藩がイギリス軍や連合国軍の武力に直面し、これでは太刀打ちできまいと、反発から転じて彼らを尊敬する態度へと身をひるがえす。こてんぱんにやられても相手を憎まず、きれいな言い方をすれば「相手の力を敬う」精神構造を日本人は持っている、と、ペリーの来航以来、西洋人は身をもって知った。
「強い者にはしっぽを振るふりをするのが上手な日本人」ともいえ、換言すれば「日本人の備えた高度な処世術」である。

黒船来港以来幕末の志士や藩士が佐幕か勤皇か将来の身の振りに右往左往している一方で、西欧列強諸国はアメリ南北戦争の中古の武器をせっせと日本に送り、日本人同士を戦わせていた。ここに、西欧帝国主義史の中に組み込まれた日本の姿を直視した。

徳川幕府の260年を「沈滞の260年」と描写
幕末の日本を見たアーネスト・サトウの言葉を借りると、「とにかく大名なる者は取るに足らない存在」であり、彼らには「近代型の立憲君主ほどの権力さえもなく、教育の仕方が誤っていたために、知能の程度は常に水準をはるかに下回っていた。」という。「このような奇妙な政治体制がとにかく続いたのは、ひとえに日本が諸外国から孤立していたためであった。」と分析。そのうえで「政治の機構がひじょうに巧妙にできていたので、どんな小児でもそれを運転することができた」「こうして政治は沈滞したが、それが政治の安定とはき違えられたのである。」と結論づけている。すなわち、徳川幕府の260年は、安定の260年ではなく、「沈滞の260年」なのである。これぞまさに、変化を進化ととらえ、安定を停滞ととらえる西欧的な価値判断である。

幕府の将軍を、英文では英国のQueenと同じ「陛下」と呼んでいたが、言葉の上で将軍と女王が同格になってしまうので、これでは日本を天皇を君主とした共和国として認め、将軍をその代行者としたいイギリスの意図とは外れてしまう。そのため天皇にはEmperorという訳語を与えたという。このエピソードはとても印象深かった。外交とは、理屈や理論を通して交渉し、相手とこちらをすりあわせる、ということである。天皇や将軍といった他国の機構を自国の言葉で定義し、「外交の言葉を作る」という行為自体が帝国主義の下地にあることが理解できた。日本の皇族はしきたりや振る舞いをイギリス王室にならっているという理由は、幕末のこうしたエピソードからもうかがい知れる。

江戸の無血開城のエピソードで勝海舟は「慶喜の命を守るには戦争をも辞せず」としながら、「そんなことになったら天皇に不名誉を与えるから、内乱を長引かせるようなことは西郷の手腕で阻止されることを信じる」と述べているところも印象深かった。かなり過激な口調で火蓋を切りながらも、「天皇に不名誉を与える」と日本人の心を包括して話の抽象度を上げるという、無血開城を導いた勝海舟の政治手腕が、この小さなエピソードからも響いてきた。

幕末がラストに近づくと、土方歳三などを乗せ北海道に向かったフランス軍の率いる開陽丸が登場するが、作者は彼らを「徳川の海賊」と表現する。

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この、イギリス人による日本幕末史は、帰国してずいぶん経って調べ、書きまとめられたものらしい。このアーネスト・サトウという人物の知性や行動力には驚嘆せざるを得ない。当時の日本は恐ろしい剣術を持った尊王攘夷の武士がたくさんおり、白人があちらこちらで斬り殺されていた。危険な日本列島をアーネスト・サトウは徒歩や籠、船舶を利用して駆け巡り、日本とのつながりを結ぶきっかけを作った。

西欧式帝国主義や戦争侵略とは違った形で、日本は西欧列強とのおつきあいを開始したという、アジアでも特殊な事情がこの本からよく理解できた。アジア史における日本の立ち位置を知ることは、今後の日本を考える際に、価値の高い材料になることは間違いない。

三津田治夫

セミナー・レポート:1月17日(水)開催「伝える力がイノベーションを起こす、ビジネスと人材を変革する言葉のマネジメント入門」

2018年1月17日(水)、本とITを研究する会新春第一弾のセミナーとして、「伝える力がイノベーションを起こす、ビジネスと人材を変革する言葉のマネジメント入門」を、ビリーブロード株式会社・神田イノベーションルームで開催した。そのセミナーレポートをお届けする。

「いま、イノベーションが大切な理由」
今回は二部構成で、前半は事業コンサルタントとして経験豊富な、ビリーブロード株式会社取締役の小関伸明氏により、後半は編集者で本とITを研究する会代表の三津田治夫によりセミナーが行われた。

◎VUCAワールドにおけるイノベーションの重要性を強調する、小関伸明氏f:id:tech-dialoge:20180119180237j:plain

第一部は、「いま、イノベーションが大切な理由」と題し、VUCAワールドと呼ばれる、複雑化して誰も先を見通せない現代を指摘するところからはじまった。
あらゆる業種で市場参入のハードルが下がり、商品やサービスがオーバースペック化、陳腐化が加速、過去の体験や前例が通用せず、人手不足と人材不足が同時進行するという、従来のやり方では通用しない、現実を打破する手法として「イノベーション」を取り上げた。
イノベーションとは、「従来のモノ、仕組み、組織などを改革して社会的に意義のある新たな価値を創造し、大きな変化をもたらすこと」である。経営理念に必要とされる意識改革、ともいえよう。
イノベーションにはいくつかの分野がある。その中で目下求められているものは、顧客の潜在課題を発掘して解決する「ビジネスモデル・イノベーション」である。
はとバスマクドナルドなど、いままで当たり前で気づかなかった顧客の潜在的課題を発見し、その解決に取り組むことで復活を遂げた企業がいくつもある。また、メルカリやラクスルなどの新興企業においてもビジネスモデル・イノベーションは事業を加速させる手段として取り入れられており、すでに数々の実績を上げている。

ビジネスモデル・イノベーションの源泉は「顧客の潜在課題の気付き」
現場レベルで求められるものは、「仕事は指示通りに無駄なく効率的に行うもので、失敗は悪いこと」の真逆をいく発想である。つまり、自らが気付き、考え、行動するという発想である。ここからアイデアの種が生まれ、ビジネスモデル・イノベーションを実現する芽が育つ。単に経営者が「アイデアを出せ」と命令しても、たいていは出てこない。それ以前にこのような種が生まれ芽が育つ土壌をつくりだすことが、経営者に与えられた重要な課題である。そこで経営者は、「なんのために」という自らの経営課題を本質から洗い出し、それを経営理念に落とし込む必要がある。
ビジネスモデル・イノベーションの源泉は、「顧客の潜在課題の気付き」である。顧客の潜在課題を発見し、解決するためのサービスを生み出すには、複雑化・スピード化したいまの社会、中長期計画や売り上げ目標といった数値に基づいた従来型の経営手法だけでは対応できなくなっている。

◎「1on1」でミッションを自分の中から発見するf:id:tech-dialoge:20180119180123j:plain

そこで経営者に求められるものが、「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の徹底的な洗い出しと共有である。これらはおのおの、自分たちがいつか実現したい社会的使命、どのようにミッションを実現するのか、日々どのように考え行動するのか、と翻訳することもできる。これらを経営者は洗い出し、言語化し、アウトプットする。これをもってスタッフやクライアント、パートナーと共有するのである。

その出発点である「ミッション」は自分の中から発見する。それには、内省法や対話法、セルフストーリーやマインドマップの作成など、さまざまな手法がある。これらの手法を駆使してミッションを発見し、言語化する。

◎「人材とビジネスの変革を同時に進めるメソッド」を紹介f:id:tech-dialoge:20180119180030j:plain

ミッションさえ見つかれば、ビジョンとバリューは具体的なものなので、比較的容易に言語化ができる。言い換えれば、このミッションを探すことに時間と労力を要する。

「言葉のマネジメント・スキルの獲得」をゴールに
後半の第二部においては、「言葉のマネジメント・スキルの獲得」をゴールに、経営者から掘り起こされたミッション、ビジョン、バリューをいかに言語化し、メディアを通して人に伝え、共有するかという方法が解説された。

◎「言葉のマネジメント・スキルの獲得」をゴールに第二部を担当する三津田治夫f:id:tech-dialoge:20180119175915j:plain

この内容は、2017年に実施されたセミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」を経営者向けにアレンジしたダイジェスト版である。詳細については以下をご覧いただきたい。

「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/01/04/113614
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/16/133139

セミナーでもお伝えしたが、いま、携帯電話やスマートフォンの普及でメディアが身近になり、誰もが言葉を操り、メディアを駆使し、情報発信ができるようになった。かつて、情報発信ができる人は、新聞記者や作家といった、一部の職業の一握りの人に限られていた。そうした制約が取り払われた現代は「1億総編集者の時代」と、私はお伝えしている。だからこそ人には編集力が必要であり、経営者やリーダーにとってはそれがなおさらである。
いまのような複雑かつ不確定な時代の変革期として、我々の歴史に明治維新があることも、セミナーでお伝えした。明治維新後の日本(参考記事)は、日本語辞書をつくった大槻文彦や哲学者の西周文人政治家の勝海舟などが持つ、「編集力」が築き上げた。編集力とは言い換えれば、言葉のマネジメント力である。変革期における言葉のマネジメント力の重要性は、このように歴史がすでに実証している。

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今回は、事業コンサルタントと編集者のタッグという、異色の組み合わせにおいて「言葉」を学んだ。このような形で、さまざまな形態のセミナーを通し、いまの時代を豊かに生き、成長する方法を模索、共有できたらと思っている。また対話の機会が持てたら幸いである。

三津田治夫

1月17日(水)、新春第一弾セミナー「伝える力がイノベーションを起こす、ビジネスと人材を変革する言葉のマネジメント入門」を開催

きたる1月17日(水)、本とITを研究する会の新春第一弾のセミナーとして、「伝える力がイノベーションを起こす、ビジネスと人材を変革する言葉のマネジメント入門」を開催いたします。

今回は「イノベーション」を起こすための「伝える力」をテーマに、“事業コンサルタント”と“書籍編集者”という、前代未聞のタッグによる二部構成でお届けします。

「前代未聞の」と申しましたが、実は、イノベーションにおいてリーダーの持つべき「伝える力」のベースとして、編集/ライティングの力は重要です。

ビジネスを創出し、創出したビジネスを顧客やスタッフなどパートナーと共有し、社会に新しい価値をもたらすために、あなたはどのような行動を取るでしょうか。そこでおそらく、あなたはパートナーに向かって、ビジネスに対する考えを話し言葉や書き言葉で投げかけるはずです。その際、言葉を投げかける方法として求められるものが、言葉のマネジメント、つまり、編集/ライティングの力です。

言い換えれば、現代のリーダーに求められるスキルは、ビジョンとミッション(ビジネスに対する考え)を洗い出し、それを言語化して相手に伝える、言葉のマネジメント能力です。

事業コンサルタントと書籍編集者が本セミナーに登壇する理由はここにあります。
セミナーの前半では事業コンサルタントとして経験豊富な小関伸明氏による解説を通し、自分の中からビジョンとミッションを掘り起こし整理する、その方法をお伝えします。そして後半では、書籍編集者の三津田治夫がビジョンとミッションを言語化し、整理し、編集/ライティングにより言葉をWeb/Blog、SNSで発信し、顧客やスタッフ、パートナーたちに伝え、リーダーの意思を共有する方法をお伝えします。

事業コンサルタントと書籍編集者の手がける仕事は、決して離れているものではなく、むしろこれら組み合わせは、いまの時代に求められている一つのスキルセットです。

セミナーに興味のある方は、以下サイトから詳細をご確認、参加ご登録ください。

セミナーの詳細と登録サイトはこちらです→】
https://goo.gl/M3iQUD

当日お目にかかれ、直接対話できることを、スピーカー一同、心から楽しみにしています。

最後に、本コミュニティが主催してきたセミナーの実績を以下に列挙します。興味のある方は、こちらもご一読いただけたら幸いです。

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セミナーレポート:12月16日開催『AIとロボットに未来はあるのか?』~AIエンジニアとロボティシスト対談の夕べ~(前編)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/01/09/132529

セミナーレポート:12月11日(月)開催「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2018/01/04/113614

セミナーレポート:「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」(11月11日(土)開催)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/16/133139

セミナーレポート:「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」 ~豊かな対話の場を共有~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/30/221455
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三津田治夫

セミナー・レポート:12月16日開催『AIとロボットに未来はあるのか?』~AIエンジニアとロボティシスト対談の夕べ~

3回目のセミナーは再びAIを軸に、今回は「ロボット」をテーマに、TKPガーデンシティPREMIUM秋葉原カンファレンスルームにて開催した。
スピーカーには「AIサービス提供者・プログラマー・エンジニア」という立場からLINE株式会社の橋本泰一氏を、「ロボティシスト・ロボット工学者」という立場から東京藝術大学の力石武信氏をお招きし、異なる才能を持つお二方に登壇いただいた。前者は産業界でサービスを届けるエンジニア、後者はロボットで舞台芸術など社会実装を行う技術系アーティストである。

セミナーの概要とスピーカーのプロフィールなど
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/67056

◎会場の様子(TKPガーデンシティPREMIUM秋葉原カンファレンスルームにて)
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スマートスピーカーの普及がAIの未来をけん引する

冒頭は橋本泰一氏によるAIの歴史解説。
1956年のダートマス会議からAIという言葉が聞かれるようになり、CやFORTLANなどのプログラミング言語や数々のアルゴリズムパターン認識の技術が発達してきたことが述べられた。
これにより「コンピュータは知能を持てる」という希望がエンジニアの間で共有され、いわゆる「第一次AIブーム」が起こった。
こうしたブームは出ては消えが繰り返され、第二次AIブームでは日本がエンジニアリングを牽引するも産業的にうまくいかず、研究の主体が再び基礎研究に戻る。
データを中心にした統計学を採り入れたAIの研究が進む中、いま私たちが直面しているのが「第三次AIブーム」である。

◎産業界から生の声を伝える、LINE株式会社の橋本泰一氏
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こうしたAIの発展中に登場したのが、日本でもようやく普及を見せつつある「スマートスピーカー」である。
スマートスピーカーはキーボードやマウス、タッチパッドに代わる、音声を使った新しいユーザーインタフェースである。
いわば音声を無差別にモニタリングしているデバイスであり、プライバシーの問題や、デバイスが聞き取った音声は本当に人間のものであるのかという判別の問題も抱えている。

◎橋本氏が語るスマートスピーカーの未来
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会場からの質疑応答で、橋本氏はスマートスピーカー開発で苦労した部分として、音声認識をいかに正確に行うかという点、表記が一つで読み方が複数あるという日本語の扱いが非常に難しい点をあげた。

音声認識の精度の高さはスマートスピーカーの性能に直結するため重要な課題であるが、これは時間が解決するはずである。
また日本語の問題はこれはエンジニアリングで解決するしかない。スマートスピーカーの普及が日本で遅れた原因はここにあるが、これもまた時間が解決するだろう。

「AIにおいて機械学習ディープラーニング以外の研究はされているのか」という質問には、いろいろな取り組みがあるが対抗馬は出ていないという回答で、「AIは“知識とはなにか”を理解しているのか?」という質問には、まずは人間が「理解とはなにか」を判定する方法を持つべきだが、まだそれがなく、AIが知識を理解するにはまだほど遠い、という回答が興味深かった。

ロボットを社会実装し、「人間とはなにか」を問う
力石氏には、ロボットと芸術をテーマに話していただいた。
同氏が手がけられた、深田晃司監督のロボットが女優を演じる世界初の非SF映画『さようなら』や、ハンブルグで上演されたロボットが出演するオペラ『海、静かな海』の動画が紹介され、人間の中にロボットが投入されるコントラストで、作品を通して「人間とはなにか? を観客に問いかけている」という考え方が語られた。

◎ロボットの社会実装を語る、東京藝術大学の力石武信氏
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「人間とはなにか?」の一つの答えに、「他人を理解する心を持っているもの」があげられる。他人を理解する心とは、ストーリーを理解する心、とも言える。そこで「心とはなにか?」という疑問が出る。知的に振る舞うことと心があることは別である。AIやロボットに知的な振る舞いまではできるが、それ以上は難しい。しかし人間を、「他人を理解する心を持っているもの」であるよう「振る舞っている」生き物であると定義したらどうか。となると、ロボットにも、「心があるように振る舞わせる」という発想が生まれる。この考えのもと、力石氏はロボットの社会実装を行っている。

ロボットを動かすためにセンサーを大量に装着したり、心理学や社会学などの科学的な知識を取り入れても、人間とのコミュニケーションを思うように図ることができなかった。そこに採り入れられたのが、アートの領域である。科学的なことは説明性と再現性が高い一方で、ワクワクやかっこいい、気持ちいい、美しいといった、直感的なものが欠如している。科学的な要素にアートの要素を加えることで、人間とロボットのコミュニケーションの質が高まるのではないかという仮説のもと、科学とアートのバランスを取りながらロボットの社会実装に取り組んでいる。

シンギュラリティは人間の仕事を奪うのか?
後半の質疑応答では、本来ロボットとは人間の労働を代替する装置として定義された言葉だが、果たして、AIとロボットは人間の労働を奪うのか。2045年問題としてシンギュラリティが訪れ、人間の進化は激変するのか。これらに対するスピーカー2人の意見が語られた。

◎力石氏が手がけられた、アンドロイドとのインタラクションシステムの例
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まずはシンギュラリティについて。
力石氏は「シンギュラリティは来ない」との見解。
将棋や囲碁の対局もそうだが、人間には人間にしか持ちえない神秘性がある。
AIとロボットは神秘性を持てない。ゆえにシンギュラリティが訪れ、人間を超越するということはないだろう、という。

橋本氏は「来るとも来ないとも言えない」という見解。
いまの流れを見ていると、2020年をピークに「AIって意外とたいしたことないよね」という風潮が訪れるはずで、過去の流れからもAIはブームと衰退を繰り返している。2020年をピークに第三次AIブームが去り、2045年をピークにした次のブームが来るのかというと、それは疑問である。とはいえこの時期には、人間がいままで行ってきた進化とはまた別の方向とスピードで進化を遂げるだろう、との見方だ。

上記見解を踏まえ、AIとロボットは人間の労働を奪うのかという質問に対し、お二方とも条件付きで「それはない」という結論だった。

まず橋本氏は、AIとロボットは「人間の持つ“忙しい”の定義に変化をもたらすだけ」という見方。AIとロボットはいままで人間がやっていた行為を肩代わりするだけで、そうした変化をどの時点でどう受け入れるかが重要である。それには、企業や政府の意向をそのまま受け入れるのではなく、多くのユーザーが広く声をあげ、意見し、AIとロボットがもたらす社会変化をユーザーレベルで最適化していく必要がある。これが、橋本氏の意見である。

力石氏の見解は、経験と分析を繰り返すのはAIの得意分野であり、一方で人間には自分の手がけている行動で理論的に説明のつかないものが山ほどある。ここを磨き、価値にすることが、人間に与えられた課題である。「人間にしかやれないことをやろう」である。

「経験と分析を繰り返すのはAIの得意分野」という意味で、橋本氏は、かつてデータサイエンティストブームが訪れたときに、「AIに代替されていく職種」と予想。実際にそれが実現した。

結論を言えば、2045年にシンギュラリティが来ようが、AIとロボットが人間の労働を肩代わりしようが、「自分たちがどう生きるか」にかかっている。つまり自分たち人間の未来は自分たちが選択するものである。AIとロボットといった周囲の環境に拘束されるものではない。

最後にお二方の話を受け、「AIとロボットがもたらす未来」をテーマに、6つのチームによるグループディスカッションと発表が行われた。最後にお二方の話を受け、「AIとロボットがもたらす未来」をテーマに、6つのチームによるグループディスカッションと発表が行われた。

AIにもロボットにもない、人間ならではの価値を探る
ディスカッション最初のチームは、AIとロボットの普及は所得格差をもたらすはずである。チーム内で就職活動をしているメンバーがいるので、「どの分野に就職すべきかのアドバイスを欲しい」という発表であった。議論の内容が目下の具体的課題に直結した点は興味深かった。AIとロボットは社会の職業マップを大きく塗り替えていくので、そこにも「自分たちがどう生きるか」が問われているはず。就活生にとっては選択に苦しむ厳しい時代だが、見方を考えれば、生き方を多くの選択肢から選ぶことができる自由な時代でもある。

◎グループでのディスカッションを実施f:id:tech-dialoge:20180131180331j:plain

2番目のチームは、AIにコンテキストや意味内容を理解することは不可能なので、意志決定までは無理。「意志決定の領域は人間ならではのもの」という発表だった。AIによる将棋や囲碁のように、もしかしたらAI経営者というものが出てきて、AI経営者同士が収益を競い合う未来がくるかもしれない。

「AIとロボットは道具になるか、よき隣人になるか。そのいずれか」という明快な意見もあった。AIとロボットは道具として人造されたものだから、そのまま使わせていただくか、隣人として愛玩するか、である。自動車はこれに近いだろう。「愛車」という単語もあるぐらいで、自動車もいつしか生活に欠かせない隣人となった。自動車はAIとの融合で、将来はより隣人性が高まるはずだ。

「AIに合わせるように人間が喋るようになるだろう」という見解は、スマートスピーカーに関連する発言だった。AIから結果が返ってくると人間がそれに合わせて話し言葉を最適化する。AIに理解されやすい話し方という、AI時代のコミュニケーション術が確立されるだろう。ビジネスパーソンの間では会話術が永遠のテーマだが、今後は「AIに好かれる会話術」なるノウハウにも価値が出るかもしれない。

AIとロボットにより窓口業務が円滑になるだろう、という意見もあった。その他の受け答えを要する業務も同様である。現在でも企業では無人受付が主流になってきており(昔は小さな会社でも受付嬢がよくいた)、今後はさらに高度化したAI受付、ロボット受付嬢などが出てくるはずだ。窓口業務も数名のコンシェルジュがいるだけで、その他はAIとロボットが受け持つことになるだろう。とくに業態が激変している金融系はその導入が急速なはず。

最後のチームは、仕事とAIについて「心」という観点からまとめた。システムエンジニアやマネージャーの仕事に「心」は重要である。一方で情報を収集してAIで自動化し、業務を最適化することもできる。であれば、AIに任せられることは任せ、人間は心の要素に集中することで、仕事の価値が高まるのではないか。力石氏の発表にもあったように、人間にしかない精神面、心の領域は、AI時代、今後さらに評価されてくることは間違いない。

AIが人間に投げかけた「問い」を突き詰めて考える時代が来た
チーム発表が終わり、最後に両者からの見解が発表された。

◎最後にまとめるスピーカーの橋本氏と力石氏f:id:tech-dialoge:20180131180448j:plain

橋本氏は、AIと人間が対話できる時代になり、それにより「AIが心を持つことはできるのか」という議論にまで議論内容が進化している。その過程で「人間はなにをすべきなのか」という新しい「問い」が生まれている。その問い自体が、AI時代の人間を進化させる価値ではないか、という。
力石氏はこれを受け、人間とはなにかという定義が改めて問われ、いままで人間ならではの技能と思われていたものがそうでなくなってきた。昔は田を耕せない人は人間ではなかったし、子どもはある年齢に達するまで人間ではなかった。いま、人間を取り巻くルールやゴールが変わり続け、こうした問いがたえず下されている。人間とはなにか、心とはなにかを、さらに突き詰めて考える時代になってきている、という。

    *   *   *

サービスを提供する産業界のエキスパートと、アートと科学の融合のエキスパートの二者によるセミナーは、一見別方向ながら、両者とも「心」という抽象度の高い領域に交点を持ち、高い関心を示されていた。

「AIとロボットに未来はあるのか?」というテーマの回答としてお二人の見解を総合すると、「自分たちがどう生きるか」に尽きるのではないか。言い換えると、受け身で生きられる時代は終わった、である。

「人間を取り巻くルールやゴールが変わり続けている」という意味で、かつて「市民」という概念はなかった。フランス革命以降にこの概念が登場し、モラルを持って都市という共同体の中で協調しあいながら生きていく人間の姿が、市民として描き出された。現代人の感覚では至極当たり前だが、過去にその感覚は存在しなかったのだ。

都市の出現と同じく、AIとロボットの出現で、新しい「市民」の概念ができつつある。それが一体なんなのかはまだわからないが、一つだけはっきりと言えるのは、各人が「自分たちがどう生きるか」を持った人物像が、これからの社会を担う市民である。
「自分たちがどう生きるか」を持つには、自問自答を繰り返す必要がある。自問自答とは、言い換えれば、哲学である。これからの時代、人はますます哲学的にならざるをえない。本セミナーの場が、こうした人々の意識の変革や共有に寄与できたら幸いである。

三津田治夫

セミナー・レポート:12月11日(月)開催「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」

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今回からテーマと参加人数を限定したセミナーを、分科会として開催することにした。その第1回目としてとり上げたのが、ライティングセミナーの2回目「人に伝わるライティング入門」である。秋葉原のビリーブロード株式会社にて開催した。 

前回と同じタイトルながら、今回はサブテーマとして「ブランディング」を設定した。対象もリーダーやマネージャーに絞って内容を更新した。その2時間の模様をお届けする。

前半はコンテンツ作りの概論と、後半はライティング概論やライティングによるブランド確立の方法を学んだ。今回はとくに質問が興味深く、またペアワークにも時間を費やした。ペアワークでは、作成した企画案や見出し案をお互いに見せ合って意見交換するという、日常で編集者が筆者たちと行っている作業を体験してもらった。

参加者からの質問の質が高く、教える側の私としても学ぶことが多かった。
とくに印象的だった質問を、以下9つ、FAQふうにまとめてみた。
ご参考になれば幸いである。

●質問①:
企画案などを作った際、他人の意見を聞き、受け入れるには勇気がいる。また、SNSでレビューアーを募るにもフォローワーがいない。どうしたらよいか?

●回答①:
ここが最もライティングやコンテンツ作りの苦しいところかもしれません。意見を言いあいやすいパートナーシップを普段から意識して作っていき、SNSなら今後の関係性を織り込んでフォローワーを少しずつ増やしていきましょう。こうしたセミナーや勉強会で知り合った仲間同士で文章修行をするのも一策です。


●質問②:
書きたいことが2つあった場合、それは1つに絞るべきか。それとも2つ書いた方がよいのか?

●回答②:
書きたいことを「書きたいテーマ」と解釈してよいのなら、それは1つに絞り込みましょう。自分で、「書きたいことが2つある」と思っていても、実はテーマは1つだった、ということもあります。第一に、自分が手がけているテーマはなんなのかを、一段上から俯瞰的に見る癖をつけてください。


●質問③:文章や文字の校閲テクニックはどうやって磨けばよいのか?

●回答③:

専門学校に行ったり、日本エディタースクールの『標準 校正必携』など書籍を使った座学もありますが、実地のトレーニングがいちばんです。Webから未編集の文章を取ってきたり、仲間から未編集の文章を受け取って校閲のトレーニングをさせてもらうのも有効です。ともかく、実地で数をこなすことです。


●質問④:今回、書くことでブランディングを行うというテーマだったが、このセミナーにおける「ブランディング」の定義を教えてもらいたい。

●回答④:

「書くことで自分の“いい部分”を“正しく”相手に伝える」を「ブランディング」と定義しています。そのためには己を知る必要があります。そこで自問自答を繰り返し、自分はなにを書きたいのかを徹底追求する、というワークを前半で行いました。その上で受け手の欲求を知り、それが正しく相手に伝わるよう、適切な書き方や適切なメディアの使い方を学んでいただきました。

適切な行動を繰り返しアウトプットすることがブランディングの基礎です。私はよく著者さんに、「ブランドを作りたいのなら、好きな服を着てはいけません。“似合う服”を着てください」とお伝えしています。


●質問⑤:「1ページに1、2カ所は見出しを入れましょう」と学んだが、この「1ページ」とは具体的になにを指すのか?

●回答⑤:

ここでは、A4版の紙1枚、ノートPCの1画面を「1ページ」としてます。ただし、これは実用的な文章を書くための基本セオリーで、小説やWebのランディングページの場合など、状況によって見出しの数や質が大きく異なってきます。


●質問⑥:自分は60代だが、文章を読んでもらいたいターゲットは20~30代。この世代に文体などを合わせて書く必要はあるのか? そうであれば、具体的にどうしたらよいのか?

●回答⑥:

光文社文庫の2006年の新訳、ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』で100万部を突破しました。ロシア文学として異例の大ベストセラーをなしとげた翻訳者の亀山郁夫さんは、外国文学者の間に流通している日本語ではなく、「読者の言葉」を持っていたゆえに、ベストセラー化を実現できた、ともいわれています。

文章の主人公は読み手なので、読み手の言葉、つまり読み手の言語空間を知り、共有することが大切です。具体的にそれをどう習得するかは、いろいろな世代や属性の人の文をたくさん読み、書き、意見を聞き、文章修行を続けることです。


●質問⑦:文章の構造とは「起承転結」が基本なのか?

●回答⑦:

「起承転結」が基本とは限りません。世阿弥が『風姿花伝』で伝えた「序破急」とういう物語の流れもありますし、実用書では「起承結」や「起結」、また小説では「起承転」というものまであります。

本来文章には明確なフォーマットがなく、さらに最近では文体が欧米化しており「情報・裏付け・主張」といった文章構造を持つものも増えてきています。今後ますますこの傾向が増えるはずです。いろいろな文章構造がありますので、まずは自分で納得のできる、自分のライティングスタイルを、書く内容に合わせて見つけていくことをおすすめします。


●質問⑧:書くモチベーションは、どうやって高めたらよいのか?

●回答⑧:

友人や仲間と共著でコンテンツを作る、編集者などのプロと組む、などの方法が考えられます。仲間でやれば励まし合ったり競い合ったりと、行動のモチベーションは高まります。プロと組めば、編集者はマラソンでいう伴奏者ですので、進行管理やリソース管理はお任せできます。一人でやる場合は徹底的にリラックスした環境の中に入り、「自分はなぜ書くのか」と、自問自答を繰り返すことです。書くモチベーションを高めるために一人で合宿することもおすすめです。


●質問⑨:好きな作家の文体に影響され、似てしまう。

●回答⑨:

これはよいことです。文章修行の一つに「写経」があります。文豪や人気作家の文章をひたすら手で書き写すのです。とくに、作家志望の方がよくされています。言い換えればこれは、一つの作品としてのスタイルを身に沁みるまで模倣する作業です。そしてここで受け取った型を、崩すのです。そこに、その人の文体が現れます。その表れが、作品としてのオリジナリティです。

一口に型を崩すと言っても並大抵のものではなく、ここでも、自問自答が重要です。自分はどんな人間で、どんなものをどう書きたいのか。自分の人生の物語は一体どんな言葉になるのだろうか。などの、人生の総ざらいからはじめる必要があります。自分の文体を持つために自己内部を掘り下げる。ここにたどり着きます。

自分がなんのために生きているのかという価値を見いだすことが、自分の文体を持つことにつながります。自分が生きていることには、必ず価値があります。そうした自問自答が上手くできていないから、日本には自殺者が多いのではないでしょうか。政治家やリーダー、メディアなどが発するネガティブワードが多いのも、日本人の自信のなさの表れです。書くために、自信を持って、自問自答を繰り返してください。

三津田治夫