本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

本とITを研究する会、2017年の振り返り・まとめ

2017年も残すところあとわずかになりました。
仕事納めや大掃除など、師走のお忙しい時期を過ごされていると思います。
7月にコミュニティが発足して、12月でちょうど半年が経ちました。
この半年、大変お世話になりました。
無事、年を開けることができそうです。
セミナーは以下の4つを開催し、盛況に終えることができました。
それもこれも、ご参加やご支援をいただいた皆様のおかげです。
心から感謝いたします。

【12/16(土)開催】「AIとロボットに未来はあるのか? ~AIエンジニアとロボティシスト対談の夕べ」 ~第3回 本とITを研究する会セミナー~
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/67056

【12/11(月)開催】「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」~第1回分科会 本とITを研究する会セミナー~
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/67931

【11/11(土)開催】「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」~第2回 本とITを研究する会セミナー~
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/66553

【8/26(土)開催】「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」~第1回 本とITを研究する会セミナー~
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/63538

コミュニティの発足と同時に、ブログを立ち上げました。
「IT」というテーマにあえて「本」をぶつけたのは、私たちのコミュニティの最大の特徴です。理由に興味のある方は、ブログの以下エントリーをご覧いただけたら嬉しいです。

ブログを開設しました
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/07/06/220124

もう一つ、「ITにかかわる人にこそ本を読んでもらいたい」というテーマもあります。こうしたテーマのもと、古今東西のさまざまな本をブログで紹介してきました。
古い本、見過ごされている本、難しすぎる本、接触のきっかけが少ない本を、ブログではあえて取り上げています。理由は、「ITにかかわる人には縁遠いが、これらはぜひ読んでいただきたいし、読むことによって必ず得るものがある」と確信しているからです。付け加えると「読まれないからこそ読むことを肩代わりしよう」という考えもあります。いってしまえば、大人の読み聞かせです。
ITにかかわる人に最も求められるのは、発想力と創造力です。その力を鍛え、高めるのにふさわしい著作を厳選し、価値の高い作品ばかりを紹介しました。

その他ニュースやセミナーレポート、歴史的記録など、さまざまなコンテンツをブログでは取り上げました。これらを以下にカテゴライズしてまとめました(全30本)。お休みの日やお手すきのときにでもお読みいただき、今年1年の振り返をご一緒できたら幸いです。

【読む機会は少ないが読むことできっと得する本】
AI時代に「人間の身体とは?」を問う:『知覚の現象学』(上・下)(メルロ・ポンティ著、みすず書房刊)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/09/11/215612

グローバル社会をすでに予言した古典大著:『群集の心理』(ヘルマン・ブロッホ著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/12/22/135634

ベーシックインカムは人類にユートピアをもたらすのか? 『隷属なき道 ~AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働~』(ルトガー・ブレグマン著)を読む
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/29/092041

古代ギリシャ人から学ぶ、民主主義の本質:『哲学の起源』(柄谷行人著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/21/093111

古代ギリシャから読み解くリーダー論:『国家』(上・下)(プラトン著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/07/19/125109

混迷の時代に「大衆とはなにか?」を考える:『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガゼット
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/10/11/221141

混迷の時代に「古典」を読む価値:『永遠平和のために』(エマニュエル・カント)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/10/04/221355

AI・人工知能に「意識」は生まれるのか? 『意識と本質』(井筒俊彦 著、岩波文庫
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/07/12/084257

ITは現代資本主義を救えるのか? 『最後の資本主義』(ロバート・ライシュ著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/07/06/222312


【脳がエクササイズされる古典書籍】
善良な農民が大犯罪者に転落する数奇な人生:『ミヒャエル・コールハースの運命』(ハインリヒ・フォン・クライスト著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/12/13/204545

情熱と実績から見る、詐欺師と英雄の境界線:『ナポレオン言行録』(オクターヴ・オブリ著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/05/202828

自由と奴隷制の原理から覚醒するプロセスを考える:『自由への大いなる歩み』(マーチン・ルサー・キング著、岩波新書
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/24/124932

文学作品を読み、「共感力」を高める。『白痴』『堕落論』(坂口安吾 著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/02/104143


【過去のベストセラーを現視点で読むことで思考を再定義】
努力が花開く、黄金時代のサラリーマン文学:『ザ・ゴール』(エリヤフ・ゴールドラット著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/12/06/130706

現代西洋哲学の教養が楽しく身につく22年前のベストセラー:『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/10/25/211700


【セミナーのレポート・告知】
参加者と「ストーリー」を共有するべく、コミュニティ第1回記念セミナーを開催します
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/05/123927

満員御礼にて、セミナー、無事終了しました
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/27/210214

「AI(人工知能)ビジネスの可能性を考える」セミナーレポート ~豊かな対話の場を共有~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/30/221455

11月11日(土)に、「本とITを研究する会」第2回目セミナーの開催が決定
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/10/22/203637

セミナーレポート:「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」(11月11日(土)開催)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/16/133139

12月11日(月)に、セミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」を開催します
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/11/29/143542


【歴史的記録】
オープンソース黎明期の記録①:Perlの開発者、ラリー・ウォール氏来日基調講演
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/09/21/105948

オープンソース黎明期の記録②:Perlの開発者、ラリー・ウォール氏独占インタビュー
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/09/28/120022

日本ロボティクス黎明期の記録①
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/14/091617

日本ロボティクス黎明期の記録② ~フロントエンド・プログラミングの新しい形~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/22/122428

いまを予見する貴重な講演の記録。ノーム・チョムスキー教授が示す、人間のこれからあるべき姿 ~来日講演『資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか』に行きました~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/17/215741


【エッセイ・随想】

AIは労働「道」を生み出す
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/07/25/084158

第3次人工知能ブームは、私たち人類に「問い」を投げかけてくれた
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/23/191913

セミナー/イベントは、共鳴と化学反応が起こる貴重な場 ~モーツアルトから得た考察~
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/09/091347

原爆投下日にあたり、ビキニ環礁被爆した大石又七さんの講演メモ
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2017/08/05/221155
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2017年、本当にありがとうございました。
冬らしく寒さが深まりますが、くれぐれもお体に気をつけて、ご自身にとって健康で豊かな新年が迎えられることを祈念いたします。
2018年もいろいろな活動を企画しております。
ご期待ください。
本とITを研究する会を、引き続きなにとぞ、よろしくお願いいたします。

三津田治夫

グローバル社会をすでに予言した古典大著:『群集の心理』(ヘルマン・ブロッホ著)

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『群集の心理』は80年前の作品だが、まさにいまのグローバル化社会という「未来」を予言した書物。500ページを超える大著で、行ったり来たりと、なかなか噛み応えがある文章で、非常に難解。

大づかみに結論だけを要約すると、共産主義も資本主義も双方ゴールとするものはお金であり、人間はもはやお金を生み出すための「手段」になっている。お金をゴールにしたシステムを基盤に、人間が幸福に生きられる社会は実現できるわけがない。いずれ共産主義は官僚支配の政治的腐敗が起こり崩壊し、資本主義は「安く買って高く売る」に限界が訪れるだろう、と、予言。

80年以上昔に下したブロッホの予言は、ソ連の崩壊と、リーマンショックグローバル化社会の到来で、見事に的中した。

ブロッホからしてみたら、「そんなの当たり前だろ」ぐらいに思っていたはずで、当時の多くの学者もそう考えていた。それでも、社会が動き出してしまったら、崩壊が目に見えていても突っ走ってしまうのは、非常に恐ろしい。

ダメなことがわかっていて突っ走ってしまう心理。

これが、「群集の心理」である。

その処方箋としてブロッホは、「民主主義国家も群集の心理をもっと上手にコントロールしましょう」と提言する。

ムッソリーニヒトラーファシズムを指して、「むしろファシストの方が群集の心理を上手にコントロールしているではないか」と皮肉にも分析。群集の心理を、ファシズムのように権力の保持という利己主義のために利用するのではなく、「人間のために利用しましょう」というのが、ブロッホの結論である。そのうえで、共産主義でもない資本主義でもない、「ヒューマニズムに基づいた主義、人間をゴールにした主義が必要」と、本来の社会的なありかたを唱えている。

こうした主義を具体的にどのように実現するかまでは書かれていなかったが、この考えは、カントが言う、「人間を手段にするな。人間をゴールにしろ」を、共産主義、資本主義、ファシズムと比較して、「これって人間が“手段”になっているよね」という現実を目の前にさし出し、より人間的な形で社会的問題を解決しようとしている。

この難解な大著を語り尽くすことはなかなか厳しいが、読み終えたときの恐怖感といったらなかった。いま、ピケティやトッドなど、分析的に未来を予言する学者への注目が高まっている。
動乱の時代だからこそ、こうした知性が求められるはず。
それはいまも昔も、変わらない。

むしろブロッホの時代は、戦争や革命という生命に直結する危機に日々直面した恐ろしい時代だったが、「社会の複雑さ」という意味では、いまはブロッホの時代とは比べものにならない。

社会の複雑さに大きな乖離があるとはいえ、「いかにして人間らしく生きるか」という人類共通の問題意識は、いまも昔も微塵も違いがない。

ブロッホの時代のように、先進国同士が世界大戦を行う時代ではなくなってきたが、中東やイスラエルなど各地では、戦争、テロ、内紛がいまだに続いている。

その意味で現在もまた、「形を変えた世界大戦の時代」とも言える。

そこに社会的な複雑さが加味されているから、人間の精神に与えるインパクトは大きい。大変な時代である。

人間の思考は、ブロッホの生きたような過激な時代を経て、挑戦し、勝利し、敗北し、反省し、それらを繰り返し、研ぎ澄まされ続けてきた。
その繰り返しが、いままでの人類の進化を促してきた。
そしていまの時代、かつてのような挑戦し、勝利し、敗北し、反省し、の繰り返しでは、訪れる未来の変化に耐えきれず、従来の人間の思考に限界が見えはじめてきた。

現代という高度に複雑化した過激な時代に、人はどういった進化をとげるのだろうか。
そして100年後に21世紀を振り返ったら、どんな過去が見えてくるのだろうか。

この本は、ブロッホから見た80年後の未来人の私に、そんな問題意識を投げかけてくれた。

三津田治夫

善良な農民が大犯罪者に転落する数奇な人生:『ミヒャエル・コールハースの運命』(ハインリヒ・フォン・クライスト著)

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今回な趣向を変えて、19世紀のドイツ文学を読んでみた。

妻と子供を愛する健全な農民ミヒャエル・コールハースの、数奇な人生を描いた作品。

ミヒャエル・コールハースが手塩にかけて育てた馬を連れ国を出ようとすると、国境で不当な通行税を請求される。通行税の肩代わりに馬を置き、現金を持って馬を取り返しに来ると、馬は姿を消し、無残な使役馬に使われていた。事実を探り馬を取り戻そうとミヒャエル・コールハースは妻と共に調査を続ける。交渉のために疑わしき悪徳領主のもとに乗り込んだ妻は門番からの攻撃で怪我を負い、ふとしたことから命を失ってしまう。

妻の死をきっかけに、ミヒャエル・コールハースは復讐の鬼と化す。

彼は村の農民たちを連れて、ドイツ中、悪徳領主を追跡する旅に出る。悪徳領主がかくまわれているのではないかと町々でに火をつけて回る。町では市民を扇動して軍隊を組織し、ドイツを戦火の嵐へと巻き込む。内戦の首謀者であるミヒャエル・コールハース乱暴狼藉を説得する際には大権力者であるマルチン・ルターが登場。内戦の主犯としてミヒャエル・コールハースは逮捕され、ついに彼は断頭台の露と消える。

一匹の馬がきっかけに善良な農民が戦争の鬼と化し、ドイツ中をはちゃめちゃにしてまで自分のプライドを貫徹しようとした男の、波乱以外のなにものでもない人生。歴史的な実話に基づいているという。憎悪と運命をテーマにしたドイツ文学作品というと、ロッシーニのオペラでもおなじみなシラー作『ヴィルヘルム・テル』が有名であるが、ミヒャエル・コールハースの世界に勧善懲悪はなくさらに強烈。憎悪と運命を心と必然に照射した戦いの描写がすさまじい。

運命の力に、人間の力は足下にもおよばない。運命の冷酷さを物語った見事な中編。新訳が出ると実に嬉しい。

三津田治夫

努力が花開く、黄金時代のビジネス文学:『ザ・ゴール』(エリヤフ・ゴールドラット著)

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数年前ある著者さんから、「これは面白いから」と薦められて手に入れ書棚に放置されていた本を、一気に読んでみた。結論だけ言うと非常に面白く、ビジネス小説の枠組みを超えた大作であった。

舞台は1970年代を思わせる工場。著者が唱える、ToC、つまり、「ボトルネック(制約)を味方に付ける」という生産性拡大のための理論(トヨタの「カイゼン」にかなり近い)を、とある工場長の視点で面白く書き上げている。恐らく、数名の小説家と組んで書いたのではないかという、絶妙なストーリーテリング

工場を閉鎖するぞとなかば脅迫じみた上司からの宣告に戦々恐々とする工場長や、数ヶ月の奮闘でカイゼンが達成し工場長は見事出世。同時に部下も1階級ずつ出世するという、ある意味「みんなの努力が花開く、のどかな時代のサラリーマン像」が、人間模様や会社組織との関係において鮮明に描写されている。

生産性拡大の対象がロボットやプロセスであったりと「システム」にフォーカスされ、人格や属性には目を閉じている点が興味深かった。当たり前といえば当たり前だが、仕事をしくみ化しスケールさせるためには、属人化や人格、精神論による生産性の向上などはあり得ないということである。

いまとなっては工場における生産性のカイゼンは飽和状態に達しており、近年のIndustrie4.0やIoTの登場により、他社の工場どうしで生産物や情報を共有したり、低価格でプロトタイプの生産を請け負う工場や3Dプリンタの登場など、生産のパラダイムは大きく様変わりした。そうした様変わりの差異を検証するという意味でも、この『ザ・ゴール』は読むに値する。

近所の図書館でこの本を偶然見つけたところ「英米文学」の棚に置かれていた。確かに、これは文学だ。

三津田治夫

12月11日(月)に、セミナー「現役編集者による 人に伝わるライティング入門」を開催します

12月11日(月)開催の第1回分科会のテーマは「ライティング」(書く)です。

Webやblog、SNS、冊子、雑誌、書籍など、魅力的な情報を発信するために必須となる不動の技術、「書く」テクニックをお伝えします。

人に情報を伝え、行動を成果に結びつけたい、経営者・事業主・リーダーを対象にしています。

申し込みサイトはこちらです。

https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/events/67931

この機会に、ぜひご参集ください。

第18回飯田橋読書会の記録:ベーシックインカムは人類にユートピアをもたらすのか? 『隷属なき道 ~AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働~』(ルトガー・ブレグマン著)を読む

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古典を取り上げることが多い読書会で、今回の第18回目ではアクチュアルなベストセラーを初めて取り上げた。

ベーシックインカムと労働をテーマに人類のユートピアを探求する『隷属なき道』(http://amzn.asia/6pAsHxy)は、オランダの29歳の歴史学者が書き上げた意欲作だった。

ベーシックインカムというと先の選挙で公約に掲げていた某政党もあり、最近よく耳にする人も多いだろう。ベーシックインカムを簡単に説明すると、生活保護などの公的扶助として、政府が無条件に一定額を国民に一律で配るという制度。これにより、国民が新たな仕事を探したり、創造的な活動に時間を振り向けられるなど、貧富格差の是正で閉塞した社会が活性化する、という発想だ。

それがなにによって実現できるのかというと、本来は人間が生み出していた価値を将来はAIなどのテクノロジーが生み出すであろうという見立て。そこで得た余暇を人間は創造的活動に振り分けましょう、というものだ。

本文中に引用されるケインズの言葉「難しいのは、新しい考えに馴染むことではなく、古い考えから抜け出すことだ。」こそ、この本が示そうとしている大意である。

7人の参加者に囲まれた会場では、労働と貨幣という本書のテーマが非常に身近であることと、本書のそもそものテーマが問題提起であるということから、いつにも増して多様な意見が飛び交った。

まず、ベーシックインカムの導入で公的機関にとっては審査のコストが省け、国民にとっては申請の高いハードルという障壁がなくなり、従来型の生活保護などよりはメリットが多いはず、という意見は多かった。
また、最貧困層が「愚かな判断」をせずに働く手段を手にしたり、過疎地での雇用が期待できるなど、労働そのものに対するポジティブな見解も印象的だった。

一方で、テクノロジーが本当に人間に余暇と貨幣を与えるのかという懐疑論から、財源の確保は大問題という指摘もあった。実際にこの20年間でIT社会が大きく広がったが、余暇や貨幣が増加したという実感を持った人はどれだけいるのだろうか。

『隷属なき道』は、いろいろな未来を提示して読者を扇動する、一種挑発的な内容でもある。たとえば、投資家や銀行家などの金融家を、貨幣を左右に動かすだけの創造性に欠ける人たちで、彼らは「自分は稼ぎがいいのだから価値ある物を生み出しているはず」と思い込んだ属性、としている。そんなことよりも空飛ぶ自動車を開発する発明家の方がよっぽど創造性で、価値が高く、大量な貨幣を生んだこととその人の創造性の価値は別物であると断言している。極論であるとはいえ、これは著者ルトガー・ブレグマンがいいたいことの本丸であろう。

しかし、そもそもベーシックインカムという制度が日本人に受け入れられるのかという疑問には、働き者の日本人には肌が合わないという見解や、日本人は保守的だから変わることすら拒否するという見解、とはいえ日本人は「なし崩し力が高い」から知らぬうちにベーシックインカムを空気のように受け入れているのではないかと、各方面に意見が分かれた。

最後に「ユートピアは実現した途端ディストピアになる」という本質的な批判が複数から聞かれた。人権のユートピアは実現されているが経済のユートピアはいまだ実現されておらず、その意味で『隷属なき道』は経済のユートピアの青写真である。人権に関しては善悪の判断をつけやすくユートピアの定義が比較的容易だが、経済となると「豊かさ」になるので、各個人での定義にばらつきがあり、経済的ユートピアの実現は困難だ。それを実現するとなると、「これが経済的ユートピアだ」というトップからの押しつけとなり、その瞬間、ディストピアに転じる。世界史が示す実例として、旧ソビエト連邦共産主義経済がそれである。

「今、わたしたちはこれらの古い問いについて再考しなければならない。成長とは何か。進歩とは何か。より基本的には、人生を真に価値あるものにするには何なのか」

この意識が、著者の提唱する成長や価値の本質につながる、という結論である。

この本のサイドストーリーとして出版の経緯が魅力的だ。著者を囲むオランダのコミュニティから火がつき、メンバーがボランティアでオランダ語から英訳しアメリカでオンデマンド出版をしたところさらに火がつき、今度はエージェンシーの目にとまり版元からの出版となり、そこでも火がつき世界各国で翻訳されることになった。いわば出版のシンデレラストーリーである。こうした、出版の夢を示してくれたという意味でも、『隷属なき道』は価値の高い作品である。「歴史学者が書いた社会学書籍」と聞いただけでもなかなか出版のハードルが上がるが、こうした実績は嬉しい。今後はこのような経緯による出版が増えてくることは間違いないはずだ。

三津田治夫

古代ギリシャ人から学ぶ、民主主義の本質:『哲学の起源』(柄谷行人 著)

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社会科学エッセイとして珍しくもベストセラーになった2012年の作品。

どんなふうに書かれているのか、また作者がどういった論点で語っているのか、非常に興味があり、読んでみた。

『哲学の起源』というタイトルから得た第一印象は、存在とはなにか、自分とはなにかという哲学の原始的な発生を考える本なのかなということ。しかし実はその中身、古代ギリシャアテネイオニアという、2つの都市文化の対比において、哲人や詩人の言行や他の都市文化の考察を通して解き明かすデモクラシー論。

作者は近代民主主義の問題の原点をアテネに見ており、多数の賢人を生み出したイオニアの共同体思想「イソノミア」をデモクラシーの理想としている。

アテネイオニア的な思想を受け入れながら、それを乗り越えようとした都市だった。イオニアの市民は自由で個人が自律していたが、古代ギリシャ文化の中心となったアテネでは、市民は土地や貨幣に縛られ自由度が低く、官僚的で支配的な文化に退化した。

作者が示す、アテネ的なものとイオニア的なものを、人間・システム・学問・宗教で分類すると、以下のようになる。

イソノミアとは、以下に示した「“イオニア的”なもの」に基づいた共同体思想である。

 ●「アテネ的」なもの
他人からの略奪
他人の強制的な使役
専制支配
官僚制
自然科学を軽視
人間から遊離したオリンポスの神々
超越的な神の概念
神官・祭司が権力を持つ

●「イオニア的」なもの
ソクラテスヒポクラテスピタゴラスヘロドトスホメロスなど、多数の知識人を排出
自由で平等
個人が自律
専制支配がない
官僚制がない
労働と交換によって生活することに価値を置く
勤勉に働くことを評価
物質的労働と精神的な労働の分離を否定
自然学への理解
神々によって説明していた世界の生成を「自然」から理解
天文学や数学を受け入れ、占星術は拒否
自民族中心主義ではない歴史観ヘロドトス
宗教を批判し、自然科学を評価
超越的な神の概念がない
擬人化されたオリンポスの神々を退けた
神官・祭司が権力を持たない
神は土着的で儀礼的な象徴にすぎない

作者は結論として、ソクラテスのあり方に希望を見出している。

ソクラテスは私人(個人として)であり公人(社会的な思想を語る)として、街(アゴラ)に集まる外国人や奴隷といった大衆に分け隔てなく語りかけたイソノミア的な哲人であり、コスモポリタニスト(世界市民主義者)であった。

プラトンは、僭主制国家を生み出したアテネ的なデモクラシーを一掃するために、ソクラテスの「言葉」を編集し、ソクラテスを「哲人王」のモデルに仕立て上げた。ソクラテスのような知的人物が支配する平等な共同体を、理想の国家とした。

上で「アテネイオニア的な思想を受け入れながら、それを乗り越えようとした都市だった。」と書いたが、現実アテネイオニア的な思想を乗り越えることができず、政治経済は腐敗し、それを乗り越えるにはイオニア的な思想に戻らざるを得なかった、というのが作者の見解である。

つまり現代社会におけるデモクラシーもこれに見ならい、知性や自律、自由、平等、自然科学、コスモポリタニズムの思想に目を向けましょう、というのが結論。

この結論は、ゲーテやカントが200年以上前から述べていたこととまったく変わらない。人類を取り巻く環境が日々激変しているというのに、人類そのものはたいして変わっていないという証明でもある。

作者である柄谷行人氏の(『世界史の構造』の)話の進め方を見ていると、モノの交換体系から社会を見ようとしたところにマリノフスキーのようなアプローチが見られるし、事象を構造として捉える姿勢にはレヴィ・ストロースからの影響が見られた。

こういった本は、理解できるできないにかかわらず、多くの読者に読んでもらい、考えるきっかけにしてもらいたい。なにごとにも、理解する以前に、「感じること」「考えること」が重要。とくにいまの時代、ネットでキーワード検索をかければ、あたかも知性のように見える「情報」の断片が、考えることなく、一瞬にして無料で手に入る。考えることの重要さ、知性の重要さを教えてくれた大切な一冊であった。

三津田治夫

 

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