本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

私たちの生活を担う、「知足」の感性磨き

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先日、作家の髙坂勝氏のWeb講演に参加してきた。
同氏は千葉県匝瑳(そうさ)市で有機農業や再生可能エネルギーの普及にライフワークとして取り組まれている方である。
延べ3時間におよぶスピーチと質疑応答は、まだまだ時間が足りないほどの、あっという間の白熱した内容だった。

髙坂勝氏といえば、2010年の処女作『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ』がある。
作品を通し、GDP下り坂の日本で「右肩上がりはもうないから、減速して生きましょう」という生き方を提唱する。
すでに10年以上前から、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平 著)で述べられている理論を、生き方において身をもって証明されてきた人物の一人である。

髙坂勝氏のWeb講演のメインテーマは、地方分散社会の可能性と、食とエネルギーの問題だった。
地方分散社会に関してはコロナ禍で小説家の高嶋哲夫氏がいち早く声をあげられたことから議論が拡がり、食とエネルギーに関してはフードロスの問題や再生可能エネルギーの普及問題など、いずれも新型コロナウイルスの登場によってクローズアップの解像度が高まったトピックである。

食に関しては深刻である。
2月7日に放映された「NHKスペシャル「2030 未来への分岐点「飽食の悪夢〜水・食料クライシス〜」」では、明確な課題が突き付けられた。
2030年までにCO2排出や食品廃棄物の問題など、資本主義経済の過度な発展を抑制せずには、それ以降の世界中の深刻な食料難を回避することができないと警鐘を鳴らした。

すでにアフリカや中東は深刻な食糧難に見舞われている。
一方で、大手コンビニチェーンの食品大量廃棄に象徴されるような過度な飽食が、先進国では日常で起こっている。
いわば、アフリカや中東の犠牲のもとで先進国の食料が補われているという二重構造である。
ところがあるとき、先進国の食料も、アフリカや中東と同じように、一気に消滅していくという。

大気や大地といった自然本来が持っていたものを、経済や産業という人造のシステムが奪い去ることにより発生した構造的な課題が、人類を急襲した結果である。
今回のコロナ禍で、それがクローズアップされた格好である。

カール・マルクスの言葉を紐解くならば、「世界同時革命」が、待ったなしの状態になった。
私が生きているうちに「世界同時革命」が見られるとは、学生時代にはこれぽっちも思っていなかった。
マルクスという思想家・社会学者のファンタジーであるとも思っていた。
しかしこの現実が、150年を経てマルクスの予言として訪れた。

昭和世代の人たちは、「左」(マルクス主義者、共産主義者)だ「右」(反マルクス主義者、反共産主義者)だと、「○○主義」によって、人や集団の考えや感性、生き方を区別し、対立させる、ということをしていた。
先日、とある社会事業家の方から、こんなことを言われた。
「もう左、右の問題ではない。「前」に行くこと!」と。

人の都合で決定した「○○主義」に、もはや意味はない。
キーワードの問題ではない。
人類の行く末を左右する深刻な環境破壊と食料難の時代を、いかなる知恵をもって生き延びるかといった、「意味」の問題である。

欠落した「知」は、いかに発動できるのか?
なぜこんな世界になってしまったのだろうか。
その一つに、IT(情報技術)の高度化がある。
AIは学習量の増加と処理速度のアップで日々進化している。
これにより「最適化」が日々進化する。
たとえばAIは、私たちのWeb閲覧履歴を解析し、「より売れる広告」をさりげなく提示し、心理操作を実行し、私たちの行動を購買へと促す。
この「さりげなさ」も、AIが私たちのWeb閲覧履歴から解析し、最適化した結果から演出されている。
クリックを促すさりげない心理操作はなにを生み出すのだろうか?
とくに必要でないものまでを買ってしまという「ムダ」を生み出す。
同様のムダは、コンビニの高度なPOS管理により、「経済性」実現のために既存の食品を大量廃棄し、新しい食品を入荷・販売するという収益構造にまでつながっている。
廃棄した食品の生産には、大量の水の消費とCO2の排出が伴っていることはいうまでもない。

なぜこんな世界になってしまったのだろうか。
AIなど科学への過剰依存が人類をダメにしたとはよく耳にする。
しかしそうではない。
私が考えるのは、「知」の欠落である。
「AIにコントロールされている私」という事実への「知」、AIで経済性を最適化させるシステム開発を発注した人間の「知」の欠落である。
前者の「知」は、個人の意識として発動することができる。
後者の「知」は、経営者として、組織人として「生きていくために仕事として仕方なく、もしくは無意識にやってしまった」場合が多い。それはさまざまな構造の中に組み込まれており、そう簡単には「知」を発動しえない。

知足の感性を磨く
いまの時代の課題は、この「生きていくために仕事として仕方なく、もしくは無意識にやってしまった」が蓄積された結果が、積もり積もってできあがったものだ。
しかし、「生きていくために仕事で仕方なく、もしくは無意識にやってしまった」が通用しない時代がきた。

では、私たちはどんな「知」を持つべきか?

「知足」という言葉がある。
これは、
「足るを知る」
「分相応のところで満足する」
「それ以上のことは求めない」
という意味である。
この反意語は「欲求不満」である。
欲求不満が爆発した結果が、この社会である。

龍安寺に「吾唯足知」と彫られた手水鉢「知足の蹲踞(ちそくのつくばい)」がある。
「われ ただ たるを 知る」と読む。
これは徳川光圀水戸黄門)が寄進したものだといわれている。
江戸幕府や自らを、欲求不満の奴隷にならないように戒めたものであろう。
人間の際限ない成長願望と欲求不満は表裏一体である。
これを制しようとした当時の権力者の、大きな知恵である。

過剰な購買と消費を私たちに促してきた社会。
この社会の未来に、「知足」は可能なのだろうか?

私はITの力で可能になると信じている。

2030年問題をはじき出したのは、膨大なデータからソフトウェアが解析した結果である(と、NHKスペシャルでは語られていた)。

ならば、人類の持続可能性のパラメータを埋め込んだAIを動かすことで、その実現のために「最適化」された行動指針がはじき出される。

その結果が2030年までにCO2排出半減という目標であるが、より細分化可能だ。
理論的には人間個人の行動レベルにまで落とし込むことができる。

そして、そこで出てきた結果を人間がどう受け入れるか。
これは、人間の「感性」にかかわっている。

「知足」という知を持つ。
そのうえで、科学や技術の発展に取り組む。

「知足」を知る感性を磨いてこそ、はじめて、ITに利用価値が出る。

そして「知足」を知る感性を磨いてこそ、人類に新しい未来が訪れる。

能楽師、森澤勇司氏との世阿弥談話clubhouse会議、大盛況

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3月23日(火)14時からのclubhouse、総勢38人にお集まりいただき、大盛況でした。
改めて、ご参加に感謝いたします。
イベントの会議をオープンで実施するというのは初の試みで、とても良い体験になりました。
世阿弥の話が盛り上がりすぎて、会議なのか本編なのかがわからなくなってきました。
『ビジネス版「風姿花伝」の教え』マイナビ新書)を書かれた能楽師、森澤勇司氏による世阿弥談話はエンドレスで、作品の深さと広さ、同氏の作品に対する愛の深さが伝わり、興味に尽きませんでした。
また、能楽に対する新たな発見も多数でした。
少なくとも、海外の人が日本の能楽を知ったら、「なんだこれは!」と思うに違いありません。
能楽は死者の世界の物語といわれますが、もっと、奥が深いです。
シェイクスピアでもモリエールでもソポクレスでもない、独特な世界です。

4月6日(火)14時に、本編をclubhouseにて開催します。
興味がある方は、ぜひお越しください。

『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』のDMを、全国の専門学校に発送いたしました。

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今年も、『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』(プレジデント社刊)のDMを作成し、当社から全国の専門学校に送付させていただきました。
4月からは都内IT系専門学校にて、教科書採用が入るとの連絡を受けました。
大変ありがたいことです。
深く、感謝いたします。
コロナ禍で集合教育が困難になりましたが、『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』は、ITの根幹、基礎の基礎を学ぶための教科書として、教育機関でも末永く読み継がれてくれることを願っております。
政府のDX推進、9月からはデジタル庁も新設され、世の中は刻々とIT化しています。
この本が国内のIT化とDXの出発点を担ってくれると、とても光栄です!

三津田治夫

2月24日(水)、プロジェクト「知活人」のWebサイト・ローンチイベント、無事終了

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2月24日(水)、プロジェクト「知活人」のWebサイト・ローンチイベント、無事終了しました。

http://www.chi-iki-jin.jp/

皆様お忙しい中、活発な意見交換とともに、たくさんのご参加を、ありがとうございました!
また、たくさんの祝辞もいただき、深謝いたします。
今後とも引き続き、なにとぞ、よろしくお願いいたします。

三津田治夫

ウィズ・コロナの物流から見えてきた、仕事・価値・「個」の本質【第2部】 ~キーパーソン・インタビュー:エルテックラボ代表、菊田一郎氏~

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< 第2部:標準化、共有化、DX >
前回は仕事の自動化と機械化、そこから見えてきた仕事とAIの本質について語っていただいた。
また、ジャーナリストとしての菊田一郎氏の来歴について興味深い自分史をお聞かせいただいた。
今回はその続編として、第2部をお届けする。

モノと情報をシームレスにつなぐ、標準化への道のり

(聞きて:本とITを研究する会 三津田治夫 ……以下(三))
(三)
菊田さんは、アジア・シームレス物流フォーラムの企画運営をずっとされていましたよね。

(キーパーソン:エルテックラボ代表 菊田一郎 ……以下(菊))
(菊)
国内の物流効率化だけじゃなく、シームレスにアジアとつなぐというコンセプトで、物流側から新次元への問題提起をしようというフォーラムです。
「物流シームレス化」の根本にあるのは「標準化」です。電気のプラグとコンセントが標準化されていないとつなげない、コネクトできない。
物流・サプライチェーン全体の効率化、高度化には、つなぎあう、つながりあうことがキーワードで、個別最適化の時代ではない。
シームレスに国内、企業間、業界、業界間、そして国際へとつながりの輪を広げていく。
これが物流効率化の最終的な課題だというのが着眼点でした。

(三)
そのあたり、菊田さんのルポライター新人時代のご来歴(第1部)と関連している気がします。人と仕事を言葉でつなげるという。

(菊)
物流、サプライチェーンロジスティクスの標準化、シームレス化、これは今も相変わらず私の主テーマです。
物流がつながりあうためには、モノと情報とプロセス、この3つの標準化が必要なんです。
プロセスというのは、たとえば入庫検品から棚入れに至る作業工程=プロセスにおいても、今は企業ごと、お客さんごとに求められる項目や手順が違うわけです。
ある企業ではこの様式のこの伝票がいる、ここにハンコがいるなど……そうしたプロセスを各社同じにしてもらえたら、物流ははるかに効率化できます。
それをようやく統一したのがF-LINE(※注8)ですね。

(三)
プログラミングでいうAPIや通信のプロトコルの標準化に相当するのでしょうか。

(菊)
同じです。インターネットはTCP/IPで情報がつながっています。
それと同じことをモノ、物流でもしなければいけない。
フィジカルインターネットという世界にそれがつながっていくわけです。

モノの標準化ひとつをとっても大変です。たとえば輸送や保管で使うパレット。
物流において従来は、日本の一貫輸送用の標準パレットは「1100×1100mm」という正方形の規格が唯一のものでした。
しかし日中韓の物流大臣会合において三国間の一貫輸送用パレットを標準化しようという話し合いが行われました。
日本と韓国は1100のサイズを主張したのですが、中国はヨーロッパサイズの1200系、1200×1000mmというパレットサイズを主張したんです。
結果、国家間の取り決めで2つのサイズが日中韓の標準になることが決定されました。
それによって、今まで1100×1100mmしかなかった唯一の日本の一貫輸送用標準パレットJIS規格に、1200×1000mmというサイズがもうひとつできたのです。

(三)
他の地域、例えばヨーロッパにも標準があるのですか。

(菊)
ヨーロッパにはユーロパレットという標準があります。1200×800mmサイズなんです。
600×400mmという人がちょうど手で持ち抱えられるサイズが基準になっていて、これの倍が1200×800mmなんです。
そういった非常に体系化されたユニットの基準があることで、イギリスを除くEU国家間の物流が自由にできるんです。

日本でも1100×1100mmが相当浸透してきているとはいえ、実は一貫輸送用以外のJISパレット規格は合わせて7つもあるんです。
ビール業界は1100×900mmなど、いまだに業界ごとにパレットサイズも品質も素材も違う場合があります。
日本の悪い癖ですね。真面目で器用なのでつい個別最適化を進めてしまい、標準化・共通化の反対になってしまう。
企業や業界ごとに基準が違うことが、日本の物流コストが高い一因なんです。

(三)
私は新卒のとき、販売会社の情報システム部にいたんです。
情報システムってみんな個々ですから、独自に作り込むんです。
使い回せばいいのに、何をやってるんだろうと。

(菊)
WMSを知っていますか? 倉庫管理システム、ウエハウスマネジメントシステム。
倉庫のオペレーション全体を管理するパッケージソフトなんですが、標準化されたシステムをだいたいはそのまま、欧米ではみんな導入するんです。
日本はそれを基にはするんですけど、現場に合わせてカスタマイズしちゃって、全部一品生産になっちゃう。
だから個別のシステムが生き残っちゃったんです。今にいたるまで。

(三)
結局、高度な標準システムを運営開発するマインドが日本では希薄なので、AWSを使ったり、ワトソンを使ったり。
海外のサービスを使っちゃうんでしょうね。向こうはみんな標準を持っていますから。

(菊)
これは2025年の崖(※注9)、旧態依然の個別最適レガシーシステムをどうするの、といった話につながります。
標準化されていないからモノと情報の共有化ができないという問題です。
プロセスもみんな含んだ話なのですが、それが個別のままなので、標準化してコネクトしなければダメだよ、という話です。

(三)
実際にそれは産業界だけでなく霞ヶ関の人たちも協調しないとダメですよね。
コロナの給付金も、インターネットで募集してるのに全部プリントアウトしてやっているっていう。
これは未来に向かって、どうすれば変えられるのでしょうか。

(菊)
今期待しているのは、政府・内閣府が推進しているSIP(ストラテジック・イノベーション・プロモーション・プログラム(※注10)です。
そのうちスマート物流サービス(※注11)の取り組みでは、まず情報の共有化、見える化の話を一生懸命進めています。
社会実装することも大命題にしているので、あの枠組みで製・配・販、物の情報の共有化に向け、ルールを決める。
そして、みんながそれに乗りたいと思えるものになれば広がっていく可能性はあります。
まずは情報の標準化、共有化が必要です。

(三)
やはり自動化と標準化がキモですね。

(菊)
本当にそう思います。

第3部につづく)


< 語句解説 >

◎注8:
 F-LINE
加工食品業界の効率的で安定的な物流体制の実現を目的として発足したプロジェクト。共配開始に合わせ、サイズや複写枚数が異なる6社の納品書などを共通化した。現在では加工食品業界の共同物流会社F-LINE株式会社として、既存の枠組みを超えた協働体制のもとで食品企業物流プラットフォームを確立し、持続可能な加工食品物流体制の強化に取り組む。

◎注9: 2025年の崖
ブラックボックス化した既存システムが残存した場合に想定される国際競争への遅れや、日本経済の停滞などを指す言葉。2025年までに予想される、IT人材の引退やサポート終了などによるリスクの高まりなどがこの停滞を引き起こすとされる。
詳細は経産省「DXレポート」を参照。

◎注10: SIP(ストラテジック・イノベーション・プロモーション・プログラム)
府省・分野を超えた横断型の科学技術イノベーション実現のための国家プロジェクト、戦略的イノベーション創造プログラムのこと。
社会的に不可欠で、日本の経済・産業競争力にとって重要な課題を選定し、自ら予算配分して、府省・分野の枠を超えて基礎研究から出口(実用化・事業化)まで見据えた取り組みを推進している。
詳細は内閣府のホームページを参照。

◎注11: スマート物流サービス
内閣府が進める「荷物データを自動収集できる自動荷降ろし技術」に関する研究開発。
「戦略的イノベーション創造プログラム」の主要課題のひとつ。
荷物の基礎情報(サイズ・重量・外装・荷札情報など)、荷降ろし場所や荷降ろし時間といった情報を自動取得するとともに、荷降ろし作業を自動化する技術の確立を目指している。

*  *  *

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◎キーパーソン略歴:菊田 一郎(きくた いちろう)
L-Tech Lab(エルテックラボ)代表。1982年、名古屋大学経済学部卒業。
83年株式会社流通研究社入社、90年より月刊『マテリアルフロー』編集長、2017年より代表取締役社長。
2012年より「アジア・シームレス物流フォーラム」企画・実行統括。
06年より東京都中央・城北職業能力開発センター赤羽校「物流の基礎」講師、近年は大学・企業・団体・イベント他の講演に奔走。
著書に『先進事例に学ぶ ロジスティクスが会社を変える―メーカー・卸売業・小売業・物流業18社のケース』(白桃書房、共著)、『物流センターシステム事例集Ⅰ~Ⅵ』(流通研究社)、ビジネス・キャリア検定試験標準テキスト『ロジスティクス・オペレーション3級』(社会保健研究所、11年改訂版、共著)など。
2017年より大田花き株式会社社外取締役(現任)。
2020年5月に流通研究社を退職。
6月1日に独立し、L-Tech Lab(エルテックラボ、物流テック研究室)代表として活動を開始。株式会社日本海事新聞社顧問、ラクスル株式会社アドバイザーなどを務める。

ウィズ・コロナの物流から見えてきた、仕事・価値・「個」の本質【第3部】 ~キーパーソン・インタビュー:エルテックラボ代表、菊田一郎氏~

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<第3部:貧富、市場支配力、「個」のあり方>
前回は、標準化全般にまつわる話と、DXやロジスティクスの未来に深くかかわるモノと情報の共有化について話をお聞かせいただいた。
今回はその最終回として、第3部をお送りする。

仕事の価値と貧富の本質はどこにあるのか?

(聞きて:本とITを研究する会 三津田治夫 ……以下(三))
(三)
この先、標準化が進めば自動化も進み、賃金単価は下がっていくという話がありました(第1部)。
そうなると「そもそも仕事の価値とはなんだ?」を再考する必要が出てくるかと思うのですが。
菊田さんにとって、仕事の価値の源泉はどこにあるとお考えでしょうか。

(キーパーソン:エルテックラボ代表 菊田一郎 ……以下(菊))
(菊)
私がこだわっているのは、仕事を通じた社会参画、貢献、という意識です。
仕事ではなく、NPOで貢献することもいいと思います。
世界中の貧困をなくすための活動や、社会貢献できる仕事はきっとなくならないですからね。

(三)
つまりそれも、菊田さんが考えるところの仕事に入ってるのですね。

(菊)
それが仕事である、と言っていいんでしょうね。
社会参加すべき自分の役割が「仕事」だと、私は考えます。

(三)
「仕事」の定義は受け取る貨幣の問題ではない、ということですね。
今日のお話を聞くにあたって、モノとお金と人間の仕事価値について私の主宰するコミュニティの方たちと話をしました。
世界の貧困をなくすという支援をしながら、食べていけたらいいですね、と。
でも、あるボランティア団体で働いている方によると、団体は個人の寄付で成り立っているというのです。
東日本大震災の支援も個人のボランティアベースで活動しているところがほとんどだと聞きました。

(菊)
ボランティアをベースに働く、というのもありますね。
それをどこまで税金で支援するかということになるんでしょうけど。

(三)
世界レベルで見ると、それでも日本は貧富の格差が少ないと言われています。
今はもう税金とか国債とか、お金の問題じゃなく、別のところにメスを入れる必要がありそうですね。

(菊)
貧富格差のいちばんの元凶は、スティグリッツ(※第1部注6)によれば、要するに「99パーセントと1パーセント」の話です。
1パーセントの富裕層に富が集積されてしまっているという現状です。
金融の世界では、ロボットによる超高速取引も含め自動的に架空の富がどんどん増殖していく。
政府もどんどん借金をして投資をするし、お金を刷りまくっている。
現実に刷っていなくても、バーチャルのお金は際限なくありあまっているという過剰な状況があります。
この富の格差、集中、偏在はもう公の力で押さえ込んでいくしかないでしょう。

(三)
GAFAの活動に規制をかけられた話もそれに近いものがあるのでしょうか。

(菊)
アメリカでFacebook独占禁止法で告訴したという話がありましたね。
識者の友人は「国の旧時代の法律で縛るなんて時代遅れだ」と主張していました。
新しい時代のルールがあるべきだという意見もありますが、私は、これもスティグリッツの言葉ですが「市場支配力」に注目しています。
GAFAの何がいけないのか。
市場支配力が肥大化したことがいちばんまずいんですが、これには2つあります。

私たちはGAFAのコンテンツを「タダ」で使っていると思っているのですが、マイクロソフトの誰かが言っていました。「それが『タダ』だということは、あなたが商品なんだ」と。
「タダ」で使ってるつもりになって、実は私たちがコンテンツを見ている時間、私たちから吸い取られている個人情報が商品なんです。
それで広告をとって、それが彼らの富の源泉になっている。
私たちが飯の種にされている。そういう構造がひとつあります。

もうひとつは、それらのエコシステムをつくって儲けている人たちの市場支配力がありすぎるために、その価格を抑え込む力を持ってしまっていることです。
新自由主義の市場支配力ゆえに、自分のサービス料金は高く維持できるわけです。
だから市場支配力を肥大化させてはいけないと、スティグリッツは主張しているのです。
たとえばFacebookInstagramを買収したことについても、「あれはもう分離させるべきだ」と彼は言っています。
これから自分の脅威となるものを先に全部、食いつくすわけです。
先食いしてライバルの登場を抑え込む力まで持ってしまっている。

(三)
1パーセントの富の集約。この1パーセントを解体、分配していくしかないんでしょうか。

(菊)
基本は所得の再分配でしょうね。
トランプが富裕層を大減税したり、銀行の金融法を変えてしまったり。
それを共和党がずっと推し進めてきたという批判を、スティグリッツは書籍で書いています。

(三)
日本はあんまり関係なさそうですね。

(菊)
偏在という意味では、日本は本当に先進世界のなかでは優等生ですよね。
それでも、ホームレスやアンダークラスが実際に拡大し、格差の拡大はじわじわと進んでいます。
竹中改革で非正規労働者の雇用が製造業にも認可されたことによって、非正規雇用がどんどん拡大して、彼らの賃金が全く上がっていない。
当時から竹中さんは「強い者が勝てばトリクルダウンで……(※注12)」弱い者にもおこぼれが頂ける、みたいなことを堂々と言っていましたが、全く現実化してない。
それが「新自由主義の過ちなのだ」と私も思います。

(三)
私もそのあたりかなり共感します。

1パーセントの富の集約の時代に生きるための「個」とは?

ところで、ITエンジニアと話をしていて、最近気になることがあります。
システム開発はエンジニアだけでなく、ユーザーと組んで開発するべきだと20年以上前から言われています。
それはもう今では当たり前になっています。
上流開発のエンジニアは、みんなが「個」として開発に参画しなさいと言っています。
使われる人間と与える人間とに分けるのではなく、「個」としてみんなでシステムをつくっていくという考え方です。
世の中でも「個」として働いていこう、今の時代に対応していこう、という声が増してきました。
私たちは1パーセントの富の集約の時代において、どのような生き方をしていけばよいのでしょうか。

(菊)
声をあげることです。
各々の立場でできることをしていく、ということだと思います。
言論でやるのもひとつですし、選挙に投票することもひとつです。
社会に参加することだと思います。

(三)
菊田さんや私はそれこそ文章の仕事をしていますから、声をあげることは重要だと思います。
では、そういう立場ではない人たちになにかメッセージはありますか。

(菊)
これは内田樹さんの孫引きなのですが。
村上春樹さんが「文化的雪かき」ということを言っているんです。
雪が降り積もった朝にドアを開けてみると、雪で車も通れない。
誰かが雪かきをしなければいけないな、と思ったそのときに「それは俺の仕事だな」ととらえ、黙々と雪かきをする人がどこかにいるわけです。
春樹さんは「僕は文章でそれをやっている」と言っています。

ハルキストの内田さんは、これに大賛成していました。
「電車のなかでおばあちゃんが立っている。さてどうする、誰か席を譲らねぇかな」とみんなが見渡す。
そのときに「あ、俺が立てばいいんだな」と、一人のおじさんが立ち上がる……。

(三)
そういば、2・6・2の法則っていうんですか。
オンラインのコミュニティで、コロナになってから上位の「2」の人が強烈になってきている、という声を聞きます。
相変わらず、他の6と2は変わらないんですけれど。

(菊)
今の話も普遍的とするなら、「道にゴミが落ちてたら自分が拾えばいいんだ」と内田さんが言っていました。
誰かがやったほうがいいなと思うことがそこにあったとして、「それは俺の仕事かも」と実際に行動できる人が、一定数いてくれる社会はきっと安定する。会社もコミュニティも安定する。
それはおそらく、ちょっとした会合や集会などでも一緒ですよね。
誰かがしないといけない仕事なら、「じゃあ俺がやっとくよ」という人が、けっこうどこかにいるんですよね。

(三)
よくわかります。
学生のときから疑問を持っていたのは、「こうしろ、ああしろ」ってみんな外野から言ってくる。
「ならば議員になればいいじゃない。なんでならないのか?」と。
野球なんかで、観客が選手のバッティングのダメ出しをしてるのと一緒じゃないか、そう思っていました。
個人の、文化的雪かき。世の中を浄化する、小さくて大きな力が必要ですね。

(菊)
たとえば、町内のゴミ捨て場の網がほつれているとか、ひっかける紐が切れているのを直すとか。
うちの家内はちゃんとそうじするんですよ、ゴミ集積所の。
そういう行動を一人一人が出来る社会は、きっと清潔で、住みやすいんですよ。

(おわり)

< 語句解説 >

◎注12 :トリクルダウン
18世紀初頭に提唱された、「富める者が富めば、貧しい者も自然に豊かになる」とする経済仮説。現在では否定的な意見が多い。

*     *     *

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◎キーパーソン略歴:菊田 一郎(きくた いちろう)
L-Tech Lab(エルテックラボ)代表。1982年、名古屋大学経済学部卒業。
83年株式会社流通研究社入社、90年より月刊『マテリアルフロー』編集長、2017年より代表取締役社長。
2012年より「アジア・シームレス物流フォーラム」企画・実行統括。
06年より東京都中央・城北職業能力開発センター赤羽校「物流の基礎」講師、近年は大学・企業・団体・イベント他の講演に奔走。
著書に『先進事例に学ぶ ロジスティクスが会社を変える―メーカー・卸売業・小売業・物流業18社のケース』(白桃書房、共著)、『物流センターシステム事例集Ⅰ~Ⅵ』(流通研究社)、ビジネス・キャリア検定試験標準テキスト『ロジスティクス・オペレーション3級』(社会保健研究所、11年改訂版、共著)など。
2017年より大田花き株式会社社外取締役(現任)。
2020年5月に流通研究社を退職。
6月1日に独立し、L-Tech Lab(エルテックラボ、物流テック研究室)代表として活動を開始。株式会社日本海事新聞社顧問、ラクスル株式会社アドバイザーなどを務める。

ウィズ・コロナの物流から見えてきた、仕事・価値・「個」の本質【第1部】 ~キーパーソン・インタビュー:エルテックラボ代表、菊田一郎氏~

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< 第1部:自動化とAI、ジャーナリストとしての来歴 >
 

2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により、世界はまれにみる大混乱に陥った。
緊急事態宣言やリモートワークの導入により街から人が消え、店舗は時短営業を余儀なくされ、閉店が相次ぎ、日常が一変した。
ヨーロッパでは都市のロックダウンや海峡の封鎖が行われ、アメリカでも市民の暴動などの混乱が起こった。
これにより人とモノの移動・接触という日常生活の行動に制約がかかり、経済活動は大きな打撃を受けた。
この顕著な打撃に、人とモノの移動をつかさどる産業、物流の世界も襲われた。
そんな中、外出に制約がかかった分、私たちの物流への依存度はさらに高まった。
コロナ禍による経済停滞の中、物流の世界を通し、仕事やお金、生き方をめぐるさまざまな本質があぶり出されてきた。

今回は、エルテックラボ・物流テック研究室代表のジャーナリスト、菊田一郎氏をお招きし、「ウィズ・コロナの物流から見えてきた仕事・価値・「個」の本質」をテーマに、3部に分けてお話を聞かせていただいた。

自動化は人間から「尊厳ある仕事」を奪うのか? 

(聞きて:本とITを研究する会 三津田治夫 ……以下(三))

 (三)
新型コロナウイルスの影響で社会は一変しました。
先日、私が主宰しているコミュニティのリモートディスカッションに参加してくださった、ホームレス支援をされている方の話が印象的でした。
炊き出しをしていると、今まで見たことがないような人が来るようになった、と。
スーツを着ている人や家族連れといった、前日まで一般的な生活をしていたとしか考えられないような人がやって来る。
世の中は本当に激変してしまったのだ、と再認識させられました。

菊田さんは世の中の変化を物流の視点から長年見られてきたと思うのですが。
今回はこれまでに見たこともないくらいすごい、ということでしょうか。

(キーパーソン:エルテックラボ代表 菊田一郎 ……以下(菊))

(菊)
そうですね。
コロナ禍で仕事がなくなった人もいらっしゃって大変だと思うのですが、物流業界は以前からずっと人手不足が続いていたので、時給は上がっていたんです。
ドライバーの時給も上げないと来てくれない、とくに繁忙期は。だから大問題になっていたんです。 
去年(2019年)だったか。
北海道で時給を上げてもフォークリフトを運転する人が集まらない現場がありました。
これに関係者はみんな、かなりの危機感を持ちました。
北海道ではじゃがいもなど農産物の収穫ピークになると、そちらの時給のほうが高くなるんです。
フォークリフトオペレーターは農業のほうにいってしまうので、物流に人が集まらなかったという状況がありました。
そういうこともあって、日通さんは無人フォークリフトを導入していました。
コストは5年でペイできるかどうかと話していましたが、そうでもしないと現場が回せない。
そこまで追い詰められていたんです。
今はコロナ禍で人の需給も緩み、一時的に危機的状況ではなくなっています。
しかしコロナが収束すると、総労働人口が減る中でも、まだしばらくは人手不足が続くでしょう。

この数年、そうした物流現場の危機的な人手不足感から、どんどん仕事の「自動化」が進んできました。
たとえば、「歩かない・考えない・探さない」ピッキング※注1)の仕組みが代表的なものでしょう。
それを今、DX(※注2)や物流自動化の流れで、多くの企業が一生懸命取り組んでいます。
この仕組みがあれば、確かに誰でもできる、今日来た人でもすぐできるようになります。
そのような流れは、働かせる方にとっては好都合でしょう。バイトだっていつ辞めるかわからない。
しかしここに問題があると私は思います。
「誰にでもできる」のだから、近い将来、自動化による省人化と労働人口の減少で人手不足が解消されたそのとき、「誰にでもできる」仕事の給料は、間違いなく下がります。
雇い主側にしてみれば好都合と思うかもしれないが、非正規労働者の給料が下がり続ければ、結局は彼らの製品やサービスを買ってくれる市場が縮小することになります。
人口縮小に輪をかけて、市場が収縮してしまう。
それはまずいのではないか、ということです。

(三)
そこでベーシックインカム※注3)などの議論につながるということでしょうか。

(菊)
欧米ではそういった危機感があるので、ベーシックインカムの議論がすでに出ていますね。
2019年ノーベル経済学賞のアビジット・V・バナジー※注4)&エステル・デュフロ夫妻(※注5)は、ベーシックインカム導入を推奨しています。
それに対してジョセフ・スティグリッツ※注6)はその議論に触れながら、反対の立場に立っています。
私もスティグリッツに賛成です。
ベーシックインカムがあれば仕事をしなくても、とりあえず最低限の収入が入ってくる。
その上で、空いた時間はもっと文化的な生活をすればいいのではないかと、デュフロ夫妻は言っています。
ですが、それは少し違うんじゃないかと私は思います。

人は働くことによって社会に参加し、貢献する。
わたくしの働きが世の中のためになっているという自覚が生まれる。
そしてそれが生きがい、働く喜び、人間の尊厳に結びつく。
生産的なことはなにもしなくていいよという状況について、「それで人は充実できるのか?」という疑問を私はぬぐえません。
あからさまなベーシックインカム自体には、賛成しかねます。
たとえば、スティグリッツは、街の清掃をはじめ、公共がそういう仕事をつくるべきだと言っています。
私も社会に役立つ仕事を見つけ、みんなで取り組む方向を支持します。

AIはどこまで信じてよいのか?

(三)
ところで、仕事の自動化に関し、近年はAIが大きな影響力を持っていますよね。
仕事において、人や心よりも、情報やAIの存在感が日増しに上位にきているように思えます。

(菊)
ある意味そうですね。
ビッグデータを分析すればすべてが分かる、というような風潮になっているので。

(三)
物流の世界では、量子コンピュータ最適化問題解決も含めてかなり進んでいますが、AIについて、その点はいかがでしょうか。

(菊)
AIについては、言いたいことはたくさんあります。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を書かれた新井紀子さんのウェビナーを聞きましたが、彼女は「結局AIって人間がつくるんですよ、全部」と言っています。
データの重みづけを全て人間が判断して、それを何重にも積み重ねる。
さらに碁の対戦マップを読ませたりといったプラスの経験をさせて、特定の知能だけを肥大化させていくのです。
たとえば、彼女たちが開発したAI「東大君」は何万単位もの問題を解かせて、東大の入試の正しい答えを見つけることだけに特化したものです。
それも人間が教師データを選び、重みづけをしたうえで、膨大なデータを全てインプットして判断させています。
だから、新井さんは「AIが人間を越えられるわけがない」と言っている。
しかも特定の、数人の判断というバイアスがかかったデータベースによって、アルゴリズムが構築されます。

私も一時期シンギュラリタリアンになりかかりましたが、少なくとも今の仕組みでは全方位的な知力・知識と使命感、暖かい感情を持つ人間を超えることはできない。
構造的に、数学的に、現在のAIは少なくともとてもそんなレベルではない。
ですが、AIにはあることに特化した能力があります。
たとえば、不動産や融資の判断、倒産確率の推定など特化したテーマでは十二分に利用価値があります。

これによって「いらなくなる人」が出てくるのは明らかです。
事務系の人、銀行員なんて本当に危ない。
だから、AIを夢物語のように信仰するのはあまりにも無邪気である一方、使いようによってはとても有効で、部分部分では軽く人を凌駕していくでしょう。
とくに先ほど言われた量子コンピュータを使った最適化問題解決。
セールスマンが30件のお客さんをどう訪問するのが最も効率的か、といったようなことですね。
それは物流の配送ルート最適化と同じです。

物流分野でほかにも、需要予測において期待ができます。
たとえば気象データなどのさまざまなビッグデータとリンクすることで、AIが物流で活きる分野は当然あります。
気温データと地域のイベント情報の連携などで、AIの活躍には期待しています。

(三)
そうしたリンク可能なビックデータは、大手コンビニチェーンなんかも持っていますよね。

(菊)
あとは「AIの判断がなぜこうなったかのかが分からない」というブラックボックス化の課題があります。
これは怖いです。

旧名「バトラー」という、有名なインドのグレイオレンジ社が作ったニトリなどが導入している物流ロボット「レンジャーGTP」があります。
Amazonでも使われているタイプの、棚を持ってくるロボットです。

あれもAIが順次、自分の動きをどんどん改良していくんです。
でも学習により動きが変わっていくとき、「なぜこれがこう変わったのか」は人間には分からない。
とくにユーザーには全然分からない。

もしそれが人に関わることだとしたら、とても危険です。
最近では人事面接、採用の面でもAIが導入されていますが、「なぜこの人を選んだのか」が分からない。
ソフトウェアを作り込んだ人間の好き嫌いが反映されているんですよね。
男性を優位にするとか、若い人でないと嫌だとか。
AIにそういう好みが反映されることになってしまう。

NECの遠藤信博取締役会長は、ホワイトボックス化することが重要だとよく言っていますが、なぜAIがこういう判断をしたのかが分かる仕組み作りに取り組まれているそうです。
分野によっては、AIのホワイトボックス化は絶対必要だと思っています。
人間に関することであれば、差別的なことにつながりかねません。
AIへの過信は危険です。

ジャーナリストとしての基盤をつくった、働く庶民との対話

(三)
今日はテーマのひとつとして、人間・菊田さんご自身のことをお聞かせいただきたいです。
なぜ物流の世界でジャーナリストとして活動をされているのか。
なぜこういう視点をお持ちなのか。
可能な範囲で結構ですので、お聞かせいただけないでしょうか。

(菊)
私は親父が銀行員で、当時の一億総中流のなかで生きてきました。
育ちは犬山。大学は名古屋で少し離れていて。
名古屋から地下鉄で本山駅まで行って、大学まで歩いて20分。片道1時間半かかっていました。
4年生のはじめまでは実家から通っていたのですが、「俺はこのまま家にいて親に縛られて養われていたらダメになる」と思って、家を飛び出しました。
親には前日まで何もいわず、リッチな友達に20万円借りて安アパートに契約。
それで「俺、自活するから」って、家を出たんです。

せっかく大学に入ったんだからちゃんと学問して、自分で働いて自分で食うんだって始めたんですけどね。
自分で食うためには週に3日以上働かないといけなくて、勉強できないんですよ。
そこでもう完全に壁にぶちあたって。
そうこうしてるうちに、3年後に結婚することになる家内と付き合いだして。下宿先のすぐ近くにいたんでね。

(三)
大学を卒業してすぐに結婚されたんですか。

(菊)
僕はちょっと留年をしましてね。いわゆるモラトリアム。
このまま社会に出ても俺はダメだ。なんとか自分で道を見つけるんだ、といった感じで。
小説を書いてみたり、作曲してみたりして。
でもちゃんと卒業しなきゃダメだと、当時家内が言ってくれましてね。
これは今でも感謝しないといけないのですが、それで、無理やり卒業しようと決意したんです。

でもすでに秋、就職戦線は終盤を迎えていた。自分でできることは書くことくらいしかなかったので、「ルポライター募集」という新聞広告を見てその会社に飛び込んだんです。
その時の経験が今の私のひとつのかたちになっています。
商店主や中小経営者のところに「取材に行きますから」とアポイントをとる。
お話を聞いて「素晴らしいお話をありがとうございました」って言いながら、「じゃぁ4万円です」って(笑)。
記事掲載でお金とるんです。
美容院のお姉さんとか、町工場の社長とか。
し尿採取業のおじいちゃんからは、「人がやらない仕事をやってそれで俺はお金を儲けたんだ」って話を聞いたり。

(三)
まさしく商いの街でのお仕事ですね。

(菊)
その会社の名古屋支店はすぐ閉鎖になっちゃって、東京本社から大阪に半年間飛ばされるんです。
1日に5件、6件行かされて、通信費交通費は全部自分もち。
ほんとにブラック。超ブラック企業(笑)。
歩合制だから、記事がとれなかったら月給は最低賃金法適用の8万円でした。

取材ではそうした庶民の人たちの頑張った話をいろいろと聞くわけです。
「いろんな人に支えられてね……」って。その話を30分とか40分とか聞くんです。
で、その人が取り止めもなく話したことを一応記事みたいにして、その場で僕がまとめてしゃべる。
そうするとすごく感動してくれるんです。
ちゃんとツボにはまったことを聞けていたときは本当に感動してくれて、4万円でも8万円でも出してくれたんですね。

(三)
その場で記事を書いて読み上げるのですか?

(菊)
メモだけを頼りにアドリブで読み上げるんです。
記事は帰ってから、時間外手当とか一切なく、自分で書くんです。
それで鍛えられたのと、庶民の生き様を聞けたというのは、私のひとつの原点になっています。

(三)
働く人の目線は、この時期に築かれたのですね。

(菊)
泥沼をはいずりまわるような時期で、それで8万円ですから。
大阪時代なんか、じゃりン子チエ※注7)みたいなアパートの2階の一部屋で、3人が雑魚寝するところで記事を書くんです。
いちばん厳しい何週間か、食事は1日に食パン1斤。
朝食に2枚、昼用に会社のトースターで2枚焼いて持って出かけて外で食べる。夜は残った2枚をまた食べる。

(三)
ご自分でそういう体験をされてきたとなると、今の非正規雇用などを見ていると感じることがありますよね。

(菊)
他人事じゃない、という思いはありますよね。

第2部につづく)
 

< 語句解説 >

◎注1: ピッキング
伝票や出荷指示書に基づいて、保管されている商品を取り出す作業のこと。

◎注2: DX(デジタルトランスフォーメーション)
企業がデータとデジタル技術を活用して組織やビジネスモデルを変革し、価値提供の方法を変えること。
今の時代に即した新しいIT化、デジタル技術を駆使した事業改革を意味する。

◎注3: べーシックインカム
政府が最低限所得保障という形で、一定の現金を定期的に支給する政策。社会保障のより拡張した形態。

◎注4: アビジット・V・バナジー(Abhijit Vinayak Banerjee、1961年~)
インド人経済学者。マサチューセッツ工科大学教授(フォード財団国際教授)。
2003年にアブドゥル・ラティフ・ジャミール貧困アクションラボ(J-PAL)をエスター・デュフロらと共同で創設。貧困行動革新団体の研究アフィリエイト、および金融システムと貧困に関するコンソーシアムのメンバー。
2019年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注5: エスター・デュフロ(Esther Duflo、1972年~)
フランス人経済学者。マサチューセッツ工科大学教授。貧困問題と開発経済学を担当。
専門は、開発途上国におけるミクロ開発経済学
2019年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注6: ジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph Eugene Stiglitz、1943年~)
アメリカの経済学者。コロンビア大学教授。IMFの経済政策を厳しく批判している。
『世界の99%を貧困にする経済』は日本でもベストセラーになった。
2001年にノーベル経済学賞を受賞。

◎注7: 『じゃりン子チエ
はるき悦巳原作の人情コメディ漫画。1978年発表。双葉社刊。
大阪市西成を舞台に、ホルモン焼き屋を切り盛りする女の子・チエと彼女を取り巻く個性豊かな人々の生活を描いている。


*     *     *

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◎キーパーソン略歴:菊田 一郎(きくた いちろう)
L-Tech Lab(エルテックラボ)代表。1982年、名古屋大学経済学部卒業。
83年株式会社流通研究社入社、90年より月刊『マテリアルフロー』編集長、2017年より代表取締役社長。
2012年より「アジア・シームレス物流フォーラム」企画・実行統括。
06年より東京都中央・城北職業能力開発センター赤羽校「物流の基礎」講師、近年は大学・企業・団体・イベント他の講演に奔走。
著書に『先進事例に学ぶ ロジスティクスが会社を変える―メーカー・卸売業・小売業・物流業18社のケース』(白桃書房、共著)、『物流センターシステム事例集Ⅰ~Ⅵ』(流通研究社)、ビジネス・キャリア検定試験標準テキスト『ロジスティクス・オペレーション3級』(社会保健研究所、11年改訂版、共著)など。
2017年より大田花き株式会社社外取締役(現任)。
2020年5月に流通研究社を退職。
6月1日に独立し、L-Tech Lab(エルテックラボ、物流テック研究室)代表として活動を開始。株式会社日本海事新聞社顧問、ラクスル株式会社アドバイザーなどを務める。