本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

「言葉とはなにか」を鋭くえぐった名著:『グラマトロジーについて』(ジャック・デリダ著)(前編)

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マルクスと言えば『資本論』、カントと言えば『純粋理性批判』、デリダと言えば『グラマトロジーについて』というぐらいの大作、代表作。この本を読むために、フッサールの『現象学の理念』とハイデッガーの『存在と時間』を読んでいた。フッサールハイデッガーという二大西洋思想山脈を超え、その向こうにたどり着いたところが、デリダだった。

私たち中高年がデリダと聞くと、非常に高尚な人とか、頭がよくてアカデミックな人、生半可な知識で読んではいけない人、デリダを読んでいるってかっこいい、というような、「なんかすごい人」と響く人は多い。
実際にデリダを読んでみた第一印象は、もっと若いうちに読んでおくべきだったなあ、であった。また、文体や思索の展開が刺激的で、こんな大学教授がいるフランスってすごい国だとも思った。

大胆不敵にも「言葉には意味がない」を言葉で解き明かそうとした問題作
専門用語をなるべく使わずこの本が言わんとしていることをごく大づかみに説明すると、「言葉には意味がない」である。
言葉とは声を代替するもので、声は叫びや身振り手振りを代替する。叫びや身振り手振りは、なんらかの実体を代替する。代替するというぐらいで、言葉は声から音声言語、書き言葉になるほど、実体から遠ざかる。その意味で最悪な「死の言葉」を「代数」であるとデリダは言う。代数は声なき言葉、人間の声すら代替しないので「死」であるという。声を代替しない数式やプログラミング言語は完全に「死の言葉」ということになる。
言葉は、物事を単語や文に解体した諸悪の根源である。その最たるものがフランス語や英語、ラテン語などの表音文字だ。また発音においては音を区切る子音の存在も、物事を解体した悪者であると指摘。
「言葉には意味がない」をさらに言うと、世の中には「意味するもの」と「意味されるもの」があり、デリダに言わせると「世界はこれらの戯れで成り立っている」という。つまり、私たちが属している社会や目前のコーヒーカップ、太陽系や銀河系など、すべては「意味するもの」と「意味されるもの」の「戯れ」で成り立っていて、実体なんてどこにあるのでしょうか、という問題提起の本でもある。
こうした、答えを出さないという姿勢は、これって哲学だなと、読んでみて合点がいく。つまり、ソクラテスの姿勢である。彼の姿勢は、答えを教えることはなにもなく、ただ「無知であることを知りなさい」と人に教えるだけである。唯一教えるメソッドは、弁証法という思考の方法だけだ。本書には、書かれた言葉の無意味さをソクラテスが語る『パイドロス』からの引用も多い。

後編に続く)

三津田治夫

 

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