本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

いま考える、生存のインフラ「文化」について

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見えない敵、新型コロナウイルスは、私たちの生活に覆いかぶさるよう日々情報を更新している。
さまざまな意味で、破壊的である。
先日は日本赤十字社が、ウイルスの次に来る脅威は「情報が与える恐怖」という啓蒙CMを流しはじめた。
新型コロナウイルスの感染が拡大した当初は感染防止のための情報が主だったが、ここにきて注意の矛先が情報リテラシーへと変化してきている。

▲情報と心、文化は一本につながる
一言で情報リテラシーとは、言葉に対する心の向き合い方だ。
出てきた言葉を取捨選択し、どう解釈するかという、自由な判断能力を養うことである。
この取捨選択と解釈を行うのは、人間の心、である。
新型コロナウイルスの脅威は、身体的であると同時に精神的であることが改めて確認されている。
こうした状況のなかで私たちの心を支えるものはなんだろうか。

現金、給料、社会的地位、勤める会社、
保有する資格数、学歴、家族や友人、恋人、
仲間たちとの絆、人間性……?

上記はいずれも正解だろうが、これらを下支えする重要な要素が一つだけある。
それは、「文化」である。

3月、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストはいま、生命維持に必要不可欠な存在」と発表。
フリーランサーやアーティストに対して最大500億ユーロの支援を約束した。
個人が対象の場合、3か月分最大で9,000ユーロ(日本円換算で約100万円)の一括払いを受け取ることができる。
文化が「生命維持に必要不可欠な存在」として、国家レベルで守られている。
海外の動きを手放しに模倣する必要はまったくないが、文化と生命に対する考え方には見習うべきものが多い。

インフラとしての文化を支える先人の知恵
文化は心の空気や食品、栄養、インフラだ。
経済活動の内側と外側の双方に存在する。
私たちは、映画やドラマ、舞台を観て、音楽を聴き、カラオケを歌い、娯楽やビジネスの本を読む。
映画やドラマ、舞台の源流をたどると、エイゼンシュタインの古典映画やシェイクスピアの劇、ギリシャ悲喜劇へとたどり着く。
カラオケで歌われる歌謡曲やライブで演じられるポピュラー、ロックなど音楽は、ジャズやクラシックを祖先として受け継がれている。
娯楽として読まれる本は、源氏物語徒然草、民話や江戸の浄瑠璃夏目漱石森鴎外など文芸作品が根底に流れている。
そしてビジネス書は、ソクラテやヘーゲルの論理学やアリストテレス形而上学、カントやハイデッガー実存主義哲学、マルクスケインズの経済学、ゲーテやシュタイナーの教育学など、西洋哲学をベースに租借し、現代社会にフィットした文脈で書き換えられている。それがビジネスという文化を支えている。

私たちがいま触れている文化は、いずれもこうした古典が土台になっている。
古典とは、私たちが共有する文化として、生き残った人たちが大切に保管し、継承してきたものだ。
それは、私たちのような未来人に向けた先人からの贈り物である。

いまのような激動の時代に生きる私たちの心を生かす要素は、こうした贈り物が大きい。
文化は私たちの心を生かし、心を豊かにする。
生きる活力とアイデアを生み出す栄養素だ。
経済活動がいまのような「瀕死の状態」(これは国会答弁でいま聞こえてきた言葉だ)になると、文化の価値が反比例して高まる。
一方、経済状態が悪化することで、文化の未来への継承が後手に回る。

「きずな」「モノよりコト」へと向かう心の方向
1980年代後半のバブル経済期、企業はこぞって、手にした収益をゴッホやダリの高額な絵画彫刻に投資した歴史がある。
これに伴い、「文化はお金を持った人たちの道楽と投機」という社会的認識が強まった。
バブル経済がはじけて遭遇した阪神淡路大震災東日本大震災では、「モノは一瞬にして消滅する」現実を共同体験した。
「きずな」という精神的なキーワードが世にあふれ、「モノよりコト」という物体以外の価値が評価されはじめたのもこのころだ。
これら大震災の間には、地下鉄サリン事件金融危機リーマン・ショックが私たちを襲っている。

ここ30年を見ただけでも、これだけの危機に私たち日本人は襲われている。
「きずな」「モノよりコト」というキーワードが象徴するように、この期間を経て、私たちのマインドは大きく変化した。
そしていま、昔ながらの日本人の持つ精神性とはまた違った、不可逆的な精神の変化を私たちは遂げている。

日本人のマインドは激変した。
では、それを取り巻く社会や国家はどう変化しただろうか?
即答できる人は少ない。
この疑問を知人に投げかけたところ、「地下鉄サリン事件で駅からゴミ箱がなくなったのは大きな変化」と即答されたが、そのぐらいである。
それだけ、社会や国家の構造は、日本人のマインドの変化に追いついていないように見える。

いま、目の前にある文化を未来の私たちに継承する時期
目下の課題は、いま私たちが共有している文化を未来へと継承すること、である。
生き残った者として文化を継承する。
成熟社会に入った日本が、いま、文化の国になるかが問われている。

最後に繰り返したいのは、文化は心の空気や食品、栄養で、生きるためのインフラである、ということ。
アーティストを生かし、作品を残し、文化を未来の私たちへと継承する。
これが、いまを生きる私たちの役割ではないか。

私たちが誰にでもできる文化の未来への継承。
それを、私は「本を読み、語ること」と考えている。
本は最も身近な文化だ。
どんな本でもよい。
本から得た物語、そこで動いた心の状態を、人に語ること。
人と人との間にインスピレーションを生み出し、次の読者や作品を生み出す。
本との対話が、文化のタネを生み出す。
本が物語と心の循環を生み出す。

いまと似た、もしくはさらに苦境に立たされた未来の私たちに向け、文化を継承したい。
そして、心身ともに健康で、日々創造的に力強く、生きていきたい。

三津田治夫