
読書会などの場で議論している日渡健介さん。
最近はIT企業との仕事も始めたとのことで、どことなく元気がないIT業界をなんとかしたい、という対話が増えてきた。
そこで、いまのIT業界や、日本全体の産業の停滞についてもう少し話しましょうと、対談を提案したところ、快諾をいただいた。
そこで今回は、本とITの可能性をテーマに、「文化へのアクセスが産業を活性化させる」「本の文化が人と社会をつなぐ」の二部構成でお話をいただいた。
パート1:本とITと文化について ~文化へのアクセスが産業を活性化させる~
三津田(以下「三」):今回日渡さんとは、「本とITの可能性」に関して話できたらとお越しいただきましたが、そもそも日渡さんとの接点は、飯田橋読書会でしたよね。
日渡(以下「日」):参加したときの選書は『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー著)でした。
三:早いもので、2022年。あれはいろいろな意味で賛否両論の本で。日渡さんに来ていただいて読書会活動の幅も広がったと思っています。
山川菊栄『幕末の水戸藩』(岩波文庫)の選書もしていただきましたし。あれは大変面白い本でした。そもそも、日渡さんは読書会の活動をしていたのですよね。
日:本で知を活性化させる活動の一環としてNPO法人Talkingを立ち上げ、メンバーを集めて課題図書をテーマに議論していました。企業に呼ばれてワークショップ「概念思考」を実施したり、書店のコンサルをしたり、本を起点にいろいろな活動をしています。最近は某大手上場企業で、新規事業開発ののプロジェクトに参画しています。
三:本のようなアナログでスローなものが、企業の新規事業開発につながるとは、すばらしいです。どこの企業もいまは価値創出に四苦八苦していますから。
そう、日渡さんは版元にいらっしゃったこともあるのですよね。
日:縁あって、岩波書店でアルバイトしていたこともあります。
三:日渡さんの活動が一貫して「本」であるところは大変興味深いです。
日:今回のテーマにつなげると、いまはIT企業から依頼があって、社会人を集めた読書会型の研究会をファシリテートしています。
本来ITは知的な産業ですから、もっと本を読んでもらいたいなという思いもあり。
そんな活動中で驚いたのは、IT関係者でも、アラン・ケイの名前を知らない人がけっこう多いんです。
三:IT出版をやっている私の周りでも、知らない人は多いです。とくに40代以下の人たちは。
私ぐらいの年代になると、ダイナブック構想の発案者として、Smalltalk言語の開発者として、それは神様みたいな人ですよ。
日:アラン・ケイは音楽もたしなみます。仲間とジャズ演奏しながら、IT文化を作り上げるんですよね。シリコンバレーではITが文化の1つです。でも、日本の場合はそうでないと感じています。
三:ITエンジニアのなかには文化的な意識がある人もいますが、産業全体としては、職人さんたち、手作業をする人たち、というイメージが大きいでしょう。
ときには、ITエンジニアの仕事は3K職種といわれたりもしますし。
日本でITエンジニアと一言でくくるにはいささかおおざっぱですが。ITエンジニアに向けて本をプロデュースする立場としては、非常に残念なところではあります。
日:シリコンバレーのITエンジニアたちには「ITを使って社会をよくする」という強い動機があると感じます。テクノロジーを使って社会問題に取り組むマインドですよね。日本の場合はそうではなく、とくに、ソフトウェアでのテクノロジーは、なにかをなすための手段というよりも、一つの目的になっているというか。
三:日本のテクノロジーといえば、自動車のような物理的なものづくりですから。昔は半導体とかIBM互換大型汎用機など、たくさん作っていましたし。家電もそうです。1980年代は東芝のラジカセをハンマーで打ち壊しているアメリカの労働者の映像もたびたび報道されていました。日本にもそんな時代がありましたね。
個人的には、日本のIT文化は、社会を変えるではなく、個人的な楽しみを満たす、という方向にシフトしたと考えています。アキバ文化、ですよね。
あそこには昔コンピュータ少年たちが集まっていました。僕も小学生時代にはパソコン触りに行ったり、小遣い貯めて電子部品を買いにラジオデパートに行ったりなど、アキバには通いまくりました。
いまのアニメやマンガ、コスプレというファンタジーの文化に、IT文化が変形したのではないでしょうか。
日:日本では、そもそも社会はうまくいっているし、あえて働きかけてよくする必要はない、という感覚が強いのではないでしょうか。
アメリカのパソコン文化をつくり上げたスティーブ・ジョブズもカウンターカルチャーからでしたし。よくない社会に対するカウンターとしてのパソコンです。
三:日本でカウンターカルチャーというと反社会的で、産業やビジネスとは真逆、やってはいけないヤバいこと、というイメージが強いです。
たしかにジョブズもそうですし、オープンソースの父であるリチャード・ストールマンもカウンターカルチャーですよね。オープンソースがなければ、いまの世界のITはまずありませんでした。
上記カウンターカルチャーが産業や経済を生み出しましたよね。
日:文化に加えもう一つは、コンピュータサイエンスですよね。日本のIT業界とコンピュータサイエンスとの断絶は相当深いように、外から見ていて感じます。
三:そうかもしれません。だから、先ほど言った、ITエンジニアの仕事は3K労働や手作業職人とかいわれる向きがあるのかもしれません。3K労働も手作業職人と言われるお仕事も社会が回る上で欠かせない存在ですが、ITエンジニアとは本質的にちょっと違うな、と思っています。
そんな疑問をある人に投げかけたことがあり、日本はITエンジニアが専門職とみなされていないからそうなのだ、と返答されたことがあります。弁護士や医師、税理士は専門職ですが、ITエンジニアはそうではないと。
その意味でITエンジニア向けのいろいろな資格試験が提供されているのでしょうし、企業もそれを支持するのでITエンジニアは必死に資格取得に励んでいます。だからといって「専門職」とみなされることはまずないでしょう。資格取得者の年収が少しは上がるでしょうが。
日:資格云々は本質的な問題ではなく、僕は文化の有無が重要だと思っています。
三:産業における文化の軽視が日本のIT社会・IT経済を停滞させたのでしょうきっと。
パート2:日本の再生は地方社会から ~本の文化が人と社会をつなぐ~
三:日本の社会や経済を停滞させた一要因としてもう一つ、意思決定が遅いという課題も気になりませんか?
日:そうですね。意思決定が遅いというレベルをこえて、意思決定が機能していないという感覚があります。意思決定が遅い企業同士が取引をすると、お互いに意思決定が遅延し続けるので、物事が永遠に決まらない。僕の参画しているプロジェクトでは、多様な人的ネットワークがどんどんつながっていくことで、組織がつねに進化し続けています。
三:文化的な面、意識的な面、さまざまな側面から経済活動のゴールが見失われてきていますよね。
日:明治維新以降は「国家の近代化」が、太平洋戦争以降は「戦後復興」が、経済活動のゴールでしたし。いまの日本の経済活動のゴールは貨幣獲得。
「お金儲けのためのお金儲け」がゴール化している。利益を出すことが目的になっていても、利益が生まれる領域がなくなってくるので、どこも八方ふさがりになっているのだと思います。
三:貨幣文化の象徴というとアメリカを想起しますが、あの国を建国した人たちは欧州から逃げてきたピューリタン(清教徒)ですから。
彼らのゴールは魂の救済で、お金はそれを実現するための手段や、一つの指標にすぎません。
日:儲けたお金は魂の救済の副産物であるゆえに、彼らはよく寄付をしますよね。お金を集めた日本人が寄付すると、やれ節税だ、企業イメージアップだなど、逆に、企業収益を図るための道具、私利私欲ではないかと揶揄されます。
三:そんな日本を救済できる糸口はありそうでしょうか。
日:僕は、地方経済にヒントがあると理解しています。地域の未来についての価値のある社会ビジョンを掲げて、地方企業が自らの事業領域を再定義することです。これにより大都市圏と地域経済の関係性が再構築されていくストーリーが生まれたら、社会は大きく変わります。
三:たしかに、都市経済一極集中を分散させましょうという考えは、COVID-19を経験した私たちにとって、とくに切実な問題でもあります。
地域に依存しないで動かせるIT企業も、地方経済の活性化と親和性は高いです。地方でコーディングして都市にシステムを納品する、農業DXの成果物を都市に流通させることも、いまでは普通ですし。
日:地方ではいろいろなまちづくりが試みられていますが、いま僕が取り組んでいるのは「文化」を動力にしたまちづくりです。
三:文化というと、僕は都市をイメージしますが。
日:島根県の津和野町はご存じでしょうか? 文学者の森鴎外や哲学者の西周を生み出した文化の町です。近代日本の文学と哲学を作り上げた人材を輩出した町ですが、書店がなくなってしまいました。
そんな地域で本へのアクセスが困難になっているのは、残念ですよね。
三:地方文化をそうやって見つめ、見直すことが、地域全体の、ひいては地域企業の再定義にもつながりますよね。また地元の人に、「よそ者め」と思われないような信頼関係の構築や導線づくりも大切です。
ちなみに僕は出身が葛飾区なのですが、立石でつげ義春が育ったことや、青砥に吉本隆明が通勤していたことが最近はたびたび取り上げられます。僕が子供のころは、寅さんの町、こち亀の町といった、大衆映画やマンガのイメージが強かったですから。
日:津和野町でいうと、図書館や書店などの「知の拠点」を復活させることが、文化と経済の両輪を支えると考えています。やはり本は強力ですよ。本には人と人とをつなぐ強い力があります。
三:Kindleじゃだめなんですか?
日:本という物体が人と人とをつなぐんですよ。Kindleはデジタル空間にしか存在しません。だからこそ、本を扱う物理的空間が人と人の関係性を新たに作り出し、地域再生や文化形成に重要な役割を果たす。そう考えています。
三:僕も出版プロデュースの会社を経営したり、読書会を運営する立場から、この発想にはとても共感します。
日:「採算がとれるのか」「売上はどうなのだろうか」ばかりの議論では、地域文化の再生や新規事業の芽は生まれづらいです。
経済をゴールにしてしまうとかえって経済が委縮し、おもしろみのない社会になる。お金や物にとらわれた思考をマルクスは「物象化」とよんでいますが、このような思考パターンは、経済のダイナミックな動きを抑制してしまいました。
三:未来のことに対して、採算や売り上げといった「過去に出た結果」が問い出されると、人は思考が停止しますし。
日:「この地域は30年後どうありたいか?」といった未来のイメージから逆算して考えるべきです。
本や文化的な活動は、観光・産業・教育などの土台になる。
資金面では、たとえば企業が共同で資金を出し合って地域に貢献するということも考えらえます。これをリターンばかりで測るとダメ。理念からスタートしたまったく新しい価値観をつくりだすことが必要です。
三:貨幣や物体に価値を置きすぎると、クリエイティブな力が生まれないですし、物象化にとらわれない人こそが高いパフォーマンスを発揮できるという点は、僕も会社を経営することで、ようやく実感できています。
目先を追うとたいてい失敗します。
言い換えると、求められるのは経営者の見守る力、踏ん張る力、ですね。
日:新しい価値観という意味で、若い世代の価値観にも目を向けています。世の意志決定者の多くを占める50〜60代のいわゆる「おじさん世代」は、物象化思考から抜け出せない。
若い世代はそういうロジックにうんざりしています。
世代間の価値観のギャップは対話しながら埋めていかなければなりません。
若者と文化に根差した新しい経済モデルが必要です。
三:経済ロジックに頼りすぎると本質を見失うし、目に見えない価値を信じることが大切。
日:本の文化は人と人とをつなげ、社会を変える力があると僕は信じています。
* * *
三:ところで、2024年11月にスイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した「世界デジタル競争力ランキング」で日本は31位という、G7先進国でほぼ最下位という惨憺たる結果でした。
しかし日本のITが文化として社会浸透することで、せめてこの10年で20位ぐらいにまで上昇すればいいな、と夢を抱きながら私は本をプロデュースする活動をしています。
日:20位とは言わず、3位以内にまで目指しましょうよ。社会を底上げする文化の力はそれだけ強力なものだと僕は信じています。
三:では、私の引退までに20位までに引き上げて、次は日渡さんにバトンをお渡しします。そこから一気に3位まで持って行ってやってください。
対談者紹介:日渡 健介(ひわたし けんすけ)
1986年茨城県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。
大学時代に友人とはじめた読書会を15年にわたって継続。読書会による知的探求を通して、哲学をはじめ多様なテーマの研究に取り組む。
「概念思考」という独自のメソッドを開発し、リベラルアーツをビジネスに接続する研修を提供。2024年よりVOOXリサーチャーをつとめる。