本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

DXの「D」と「X」の深い断絶をつなぐメディアとコンテンツのお役目

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DX(デジタル・トランスフォーメーション)という単語が世に知れ渡って久しい。

1年前のいまごろは、

「一過性のバズワードだろう」
「一年後には陳腐化する言葉だ」

という意見が方々から聞こえてきた。
しかしそれどころか、DXはまだまだ世の中に浸透していない。
政府は年頭に「新しい資本主義」を実現するために、デジタル化やイノベーションを社会課題ととらえ、これらを経済成長のエンジンにすると表明している。
言い換えると、デジタル化やイノベーションはこれからの課題であると、政府がはっきりと認めた形だ。
デジタル化とイノベーション(非連続的な進化)とは、言い換えると、まさにDXである。

「D」(デジタル)と「X」(社会変革)の深い断絶
このような状況を踏まえて、私はさまざまなITエンジニアや経営者たちと対話を続けてきた。
その中で一点、気になることが出てきた。
それは、DXとはいえ、そもそも「D」(デジタル)と「X」(社会変革)がバラバラなのではないか、という疑問だ。
本来デジタルとは、社会変革のために発明された道具であるのにもかかわらず、である。

デジタル化を担うITエンジニアたちと組織経営を担うITを使う人たちとの間には、本質的に深い溝が見える。とくに、政府がDXと言い出したあたりから、ますます感じるようになってきた。

たとえば、ITエンジニアたちは「提案型のITエンジニアリングをしている」としばしば口にする。
が、実際にシステムを使う組織経営の現場にどのような提案がどれだけ届いているのか、定かではない。
ITエンジニアたちは、現場のフィードバックの重さを、どれだけ肌身で理解しているのであろうか。
逆に組織経営者で、どのようなデジタル化でどのような価値が生まれるのかを知っている人がどれだけいるのかも、定かではない。
組織経営者は、ITの可能性の深さと柔軟さが、どのような現場でどのように生み出されているのかを、どれだけ肌身で理解しているのであろうか。
ITエンジニアと組織経営をになう人たちの間には、深い断絶がある。

そこでよく、「対話」という言葉が出てくる。
ITエンジニアたちと経営者などITを使う人たちとの間で「対話しましょう」「話せばわかる」という論調だ。
対話はとても重要である。
しかし、国内のシステム開発の現場には、対話以前の本質的な課題が横たわっている。
数値統計で見たわけではないが、あくまでも、31年間ITにかかわる仕事をしてきて私が体感した「臭い」である。

対話以前の本質的な課題とは具体的になにか?
取引先との関係が変わってしまうこと、「このまま働き続けられるのか」という従業員の不安の高まりなど、経営者がDXに消極的になる要因は多い。
また、IT企業そのものが「DXの発注があればお手伝いはするが自社内までDXするのは消極的」というのも本音だろう。

しかし、目前に解決すべき課題がある。
それは「共通言語」の課題である。
つまり、ITエンジニアたちのマインドとITを使う人たちのマインドの間に、共通言語が足りていないのだ。
日本人とフィンランド人が互いの言語で対話するぐらいの断絶がある。
対話という、言葉によるマインドの流通を実現するには、語学に励むか、通訳を入れるかの、いずれかだ。
こうした課題を解決するために、私はITの図解書籍『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』(プレジデント社刊)を監修させていただいた。
発刊後、読者たちからたびたび耳にした言葉がある。
それは、「それでもITは難しい」であった。
これにはいささか驚いた。が、まぎれもない現実である。
そして日増しに、「それでもITは難しい」(もしくは無関心)の人が増えてきているようにも感じる。
ITは日進月歩で進化し、複雑化している。
この進化による複雑化ゆえに、組織経営者などITを使う人たちの無知を利用するビジネスモデルがますます強固になるという悪循環も、「それでもITは難しい」に拍車をかけるのだろう。

共通言語を持つことで、ITエンジニアたちとITを使う人たちとの間に、互いへのリスペクトが生まれる。
違いを尊重し受け入れることから質の高い対話が成立する。
これにより、相手の無知を利用するというようなレベルの意識もなくなる。

「D」と「X」の乖離はこれからもますます広がる
日本のこどものIT教育は先進国の中でも群を抜いて低い。
加えて、2025年には45万人のIT人材不足が予想されている。
目前の課題は山積である。
これら課題は個別ではなく、「課題のセット」である。
ITを使う多様な人たちの多様な要求は日増しに厳しくなり、それと連動して技術の複雑化は進む。
データの大量化、処理の高速化、データと処理の分散化・小型化、センシング技術の多様化、大量データと高速処理を利用したAIによる自動化、これらに伴う量子コンピュータなどハードウェアのイノベーション、など、さまざまな要素が複雑化を加速させる。
「それでもITは難しい」という、共通言語を持たない人たちの増加が止まるはずがない。
「D」と「X」の乖離はますます激しくなる。
残念だが、マインド共有のディストピアが手に取るように見えてくる。

課題のセットを因数分解し、一つ一つ解いていくことが、課題解決の糸口である。

ITと使う人をつなぐ「第3の知識」を届ける、メディアとコンテンツの力
課題のセットは、「教育」の分野と「ビジネス」の分野に大別できる。
双方において共通言語を持ち、全体のマインドセットをリアルタイムで更新し、最適化していくことが目標である。

ITエンジニアたちとITを使う人たちの間で共通言語を持つために私がやっていることは、書籍や雑誌、電子、Webによるメディアとコンテンツづくりだ。

「D」と「X」の乖離がますます激しくなるこれから、そこに歯止めをかけるために、メディアとコンテンツが大きな役割を演じると考える。
私の仕事の役目は、「それでもITは難しい」という人を、メディアとコンテンツの力、編集力、制作力を通して、一人でも減らすことだ。
WebとSNS、メール、紙、オフラインを通し「それでもITは難しい」という人を一人でも減らす。
さらに、ITの言葉を、誰もがわかるように通訳する。
言い換えれば、DXに向けて、人のITへの無知を減らすことだ。
ITエンジニアの言葉とITを使う人たちの言葉の乖離を「語学」で解消する。
語学の本質は単語や文法、発音記号の暗記ではない。
マインドセットを書き換えることだ。
さらに、双方の言葉の乖離を「通訳」で解消する。
メディアとコンテンツを通して「語学」と「通訳」による双方の言葉の乖離を解消する。
これにより「D」と「X」を接近させる。
このままでは、ITとITを使う人たちのニーズの急激な変化と多様化に反比例し、「D」と「X」の乖離はますます広がる。
双方をより接近させるいまの社会の必然的なテーマが、「語学」と「通訳」だ。

Pythonプログラミングの知識でもない、MBAでもない。
確かに各々は重要な知識だ。
それを踏まえたうえで、「語学」と「通訳」を通して「D」と「X」をつなぐ「第3の知識」の獲得が必要だ。
従来の文系と理系をつなぐリベラルアーツの発想をITに導入するイメージに近い。

ITの根底にも文化と歴史が流れている。
なぜ、中学の国語の授業で万葉集を学ぶ必要があるのだろうか。
それは、国語の本質を知るためだ。
これにより初めて、共通言語としての国語を手にすることができる。
同様に、ITの共通言語を手にするために、歴史を学ぶ。
周辺の文化を学ぶ。
それがどうしても困難な人には、万葉集の現代文解釈のように、通訳を入れる。
そして、言葉によるITマインドの流通を実現させ、DXの道幅を広げていく。

「D」と「X」の断絶をつなぐメディアの取り組みに興味のある方は、ぜひ私までお声がけいただきたい。
課題解決に貢献できたら幸いである。

三津田治夫