本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

「複雑」とはなにか?

2021年7月刊の『DXスタートアップ革命』のプロデュースを手掛けた際には「DXという言葉は年内には旬でなくなる」と言われて一年を経たが、今年5月に刊行された『DXビジネスモデル』は3刷となり、発売後4か月で累計1万部を超えた。「DX」というキーワードへの関心はまだまだ高いことがうかがえる。
キーワードという言葉の字面は変わらない。しかし、キーワードが持っている意味の複雑さは日々増している。

複雑の横綱であるIT
今回は「複雑」とはなにかを考えてみる。
思えばインターネットが社会化したころから、絶えずインターネットは複雑であると議論されてきた。
最近ではDXの次なるキーワード、Web3が取りざたにされている。
ブロックチェーンや暗号資産、デジタル・ツイン、メタバースなど、キーワードが複雑に絡み合っている。
学者やエンジニアたちの間では、分散協調管理でブロックを保持することができるのか、暗号の堅牢性など、Web3に関し克服すべき
課題が山積であるとし、懐疑的な見解も少なくない。

振り返ってみても、とくにITに関する新技術は課題の山である。
たとえばECは、1996年ごろは「危なすぎて使えない」とされていた。
クレジットカード情報をインターネットに乗せるなど危険極まりなく、「こうした点に繊細な日本人はまず使わないだろう。せいぜい
使ってもプリペイドカードまで」という見解は多かった。しかしいまでは、ビジネスとECは不可分な存在である。

ADSLはセキュリティや安全性の観点から、人里離れた山村で延々と実証実験が行われていた。実証実験の終わりを見るまでもなく通信
事業会社が東京めたりっく通信などの事業を数々買収し、ADSLを商業化し、インターネット常時接続はもはや当たり前になった。

携帯電話やスマートフォンの発する電磁波は人体に悪影響をおよぼすと言われ続けてきた。「ゲーム脳になってしまう」と、子供たち
からゲームを遠ざけようという運動が根強くあった。古くは「テレビを見ると馬鹿になる」とも言われていた。

新技術との距離の置き方をどうするか、そもそも測定できないから新技術の悪影響すらわからない、といった、実利性と悪影響のせめ
ぎ合いが、テクノロジーとビジネス、とくにITの世界では起こりやすい。

これは食品に似ている。
商業的に優れた食品でも、添加物や農薬にまみれていては人体に悪影響を与える。しかしITにおいては、添加物や農薬に相当するもの
を測定することは困難だ。ここがITの厄介な点である(携帯電話やテレビに近いものがあるかもしれない)。

テクノロジーとビジネスはつねにせめぎ合っている。
新しいテクノロジーが出てくると、意思決定にスピードが重視されるビジネスの世界では、「使える!」とすぐに飛びつかれる傾向が
強い。
そこに学者やエンジニアは難色を示す。
それが、せめぎ合いだ。

「ビジネスがテクノロジーの進化を加速させる」というが、「Web3の世界では複雑さのレベルが高く、そう簡単にはいかない」ともい
われている。Web3はプログラミングから社会インフラまでを含めたいわば総合格闘技なので、いままでのような「なんとかなる」とな
らないというのが、懐疑派の見方である。

複雑を生み出す「言葉」という存在
ITを取り巻く新技術はどこから見ても「複雑」なのである。
テーマに立ち戻って、複雑とはなにか、を考えてみる。
結論から言えば、複雑とは、人間が生み出した言葉(キーワード)、である。

言葉が増えれば増えるほど言葉が体系をなし組織化し、だんだんとわかりづらくなってくる。
わかりづらいものは抽象化され、「なんとなく」の意識へと希釈されて、言葉が意識へと溶けていく。
言葉(プログラミング言語)で人工的につくり上げられたITが複雑であるのは、ITの宿命である。

それゆえに言葉(キーワード)を暗記している人が優秀であり、暗記できていない人がダメだという評価にもつながる。なぜなら、言
葉がないと、意識すら伝えられないので。

つまり複雑とは、人間がつくり出したものに他ならない。
そもそも世の中は複雑だ。
ゲノム解析脳科学はこの100年で急進化した。

宇宙の謎の解明も相当進んでいる。
人工の太陽といわれる核融合の実用化は、時間の問題だ。
ゲノムも脳も核融合も、人間が言葉を生み出すずっと以前から当たり前に存在してきたものだ。

科学は論文と数式で構成されている。
論文や数式があるからといって、宇宙や自然の存在自体はなにも変わらない。
論文や数式といった言葉が作られたから、複雑なのである。

複雑を超えるもの、それは、感性である
宇宙や自然の偉大な存在にいち早く気づいたのは古代ギリシャ人である。
彼らは森羅万象を論文や数式で言葉として記述した。
それでも言葉に記述できないものを「神」にゆだねた。
古代ギリシャの森羅万象をつかさどる神は、彼らが論文や数式として言語化(複雑化)することができない事象
をつかさどる存在として創り出されたのだ。
なぜ星は光るのか、なぜ生命は誕生するのか、なぜ人は運命に支配されているのか、などの答えは、すべて神にある。量子力学もデー
タサイエンスもなかった時代の知恵である。

複雑とは、言語から生まれる。
言葉から生まれた哲学の原点は、対話にある。
古代ギリシャの哲学者は対話を重んじた。
言い換えれば、対話をすればするほど、複雑さは増す。
逆に、対話から逃げれば逃げるほど、複雑さはなくなる。
対話が疑問を生み、文学や哲学、論理学、数学、物理学、詩学、音楽を生み出した。

ディスレクシア(読み書きに困難をきたす学習障害)の研究者であるメアリアン・ウルフは、著作『プルーストイカ―読書は脳をど
のように変えるのか?』や『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』の中で、人間の脳の進化は言葉(文字・音声)が促したものである
とし、言葉(文字)の集大成であるデジタルの出現により、人間の脳は新しい進化のフェーズに入るであろう、という仮説を導き出し
ている。

言葉は複雑を生み、それに伴い脳は進化し複雑を受容する。そして言葉は新たな複雑を生み、成長した脳はその複雑を受容する。メア
リアン・ウルフの解釈に従えば、人間はこのように成長する。

人間は必ず成長する。
成長の過程で膨大な複雑性を処理し、それに伴う言語能力も飛躍的に伸びる。その能力は、言語暗記能力なのか、運用能力なのか。

言語暗記能力に限って言えば、ネットにつながるハードディスクが記憶する膨大な言葉の数に対して、人間には勝ち目がない。
となると、言語運用能力を高めることしか、人間に与えられた課題はない。
この能力を高めるものは何か。
それは、感性である。
言語化できないものは、感性で判断するのみだ。
この感性を磨くことこそが、複雑さが増した現代において、これからもますます複雑さが増す未来において、重要な力になる。

感性という、測定不可能な人間ならではの能力を磨く。
これが、科学や人間が急成長するいまに意識すべき、価値のある選択だ。

言葉と複雑の限界を知り、感性を磨こう。
そして、感性が響き合う他者を探し、深くつながろう。

三津田治夫